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「 Mali マリ共和国@西アフリカ 」

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 そのあまりにも「 非日常的な日常 」に、驚喜せずにはいられない、、、

Mali マリ共和国@西アフリカ

2006年2月の旅話。




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by hitoshi280477 | 2007-10-16 19:37 | Mali

Mali vol.12 「 移動型動物園? 」

 モプティの街を出ても、ハルマッタンの強烈な風と砂埃はすさまじい勢いで吹いていた。 僕の乗ったバスは古くて、しかも窓が所々ないものだから、そんな中を進むのは困難だった。 進行方向を砂埃に遮られているとはいえ、明らかに力のないバスではあった。

 目指すブルキナ・ファソのボボ・デュラッソという街は、ちょうどモプティから南に下った方角にある。 そこまで行くのには、乗り合いバスを乗り継いで行けると聞いていたが、実際その方面へのバスをモプティで調べてみると、直行で行くバスを発見したのだった。 聞けば、一晩でボボへ到着するとのことだ。

 そこで見たバスは、中型の古いメルセデスのバスだった。 厳つい面持ちをしているものの、車体がボロ過ぎていて、その風体には少し嫌な予感を感じさせるものだった。 下調べに行った段階では気が付かなかったものの、実際乗ってみて驚いた。 想像以上にボロいのだった、、、





 25人乗れるというこのバス、確かに25人は乗れるようになっているのだが、これが他の先進国なら定員は多くて12名くらいだろう。 何故そんな小さなバスに、推定定員の2倍以上の人が乗れるのかというと、そこにはちゃんと25人用の椅子が備え付けられているからなのだ。 しかし、この椅子が厄介なのだ、、、

 単純な計算で、横5人 X 縦5列で25人だ。 しかし、それは計算の上だけで、実際にそうやって横に5人座るのは無理があるし、縦に5列だって足下のスペースを考えずに算出されたものなのだ。 そもそも、中型のバスなのだから、横に5人座ること自体とんでもなく大変だ。 どうみても幼稚園児くらいのサイズの人間しか座れない様な椅子に、大人が5人、しかもその真ん中は背もたれも無い補助席(=板を渡しただけ)なのだ。

 はっきり言って、無理がある。 というか、無理だ。



 そんな狭いスペースに、大の大人が5人も座るというのがどういうことかというと、、、 肩はぶつかり、体はねじれ、足はほとんど動かせない状態だ。 しかも、それは全員の折り合いが付けばの話だ。 中には、先に座ってスペースを広めにとり、他の人のことなんかを考えない人もいる。 いや、実際僕の座っていた列の反対の端っこに座っていた老人もそうだった。 こちらが何度か文句を言わないと、詰めてくれないのだった。 もちろん、配慮なんかない。 自分だけが、みんなのことを考えているようで、馬鹿らしくなってしまうのがオチだ。





 厄介なのはそれだけではない。 通常、荷物を預けて、屋根の上に載せてもらうのだが、そういった場合にはお金を請求されることが当たり前なのだ。 これは西アフリカの旅を通して経験して来たことなので、今更どうでも良いのだが、困るのは地元の人々たちがそれを嫌って車内に中途半端なサイズで、変な手荷物を持ち込んでくることだ。

 明らかに屋根の上に載せた方がよいスーツケースや、野菜かなんかが入ったズダ袋なんかはもちろんのこと、ステンレス製の鍋やプラスチック製のやかん(何故か水をいっぱいに入れている)などもある。 いつか東南アジアで見た蛇や虫こそないものの、変な手荷物ばかりだ。 後は、杖とか、、、

 そんな物が狭い車内の場所を更にとってしまうのだから、これまた大変だ。 トイレ休憩や食事休憩といった乗り降りがある度に、それら荷物と人をかき分けて行かなくてはならないのだ。 また、水をいっぱいに入れたやかんのことだって、気になってしょうがない。 本当に、しょうがない人たちだ、、、





 とんでもない程の窮屈な場所で、我ながら良くやったと思う程、僕は寝てしまっていた。 後で考えてみると、よくあれだけ熟睡出来たと思うが、よほど疲れていたのだろう、、、

 夜中にふと起きると、バスは停まっていた。

 ガラス窓がないので、そこから顔を出してみると、どうやら食事休憩のようではあった。 道路沿いに幾つかろうそくの灯火や、今にも消えそうな薄暗いランプの光があった。 たくさんの人が集まっている場所は、ここ一番のレストランらしく、人々がその明かりとテレビに群がっていた。

 寝ぼけていたせいで、特に何かを食べたくはならなかったが、とりあえずガラスのない窓を何とかしようと思って、ガムテープを買いに行った物の、言葉が通じず、通じてそうでも「 ない 」とのことだった。 しょうがないので、そこに転がっていた段ボールを拝借することにした。





 日が暮れてからの車内は極端に寒かった。 それも当たり前だ。 外は砂漠と荒野が入り混じっただけの感じのところなのだから、日中は極端に暑く、日没後は極端に寒くなるのだ!

 先程拾って来た段ボールを、頭で車体に押し付けるようにして、何とか隙間風を凌いでいるものの、やはり寒い。 前に座っている男たちは、冬物のジャケットを着ているし、後ろの婆ちゃんは布をグルグル巻きに着ていた。 僕も長袖を着てはいたが、やはり寒かった。 何せ、ガラスのない窓は他の場所にもたくさんあるし、運転手は居眠り運転防止の為か、窓を閉めたりはしなかった。

 まともなヘッドライトも付いていないので、前方に広がる世界は正に闇の中だった。 そんな所を、こんなバスで進んでいるのだ。 始めのうちはどこか落ち着かなかった。 何せ、寒くて、狭くて、不愉快で、、、 それに、到着時間を計算してみたら、夜中に国境を越え、そして明け方にボボに到着する予定だったし、、、





 またうたた寝をしていた。 今度は起きると同時に、バスが停まった。 しかも、道路の真ん中にだ。 数人の乗客が降りて行く。 もちろん人をかき分け、乗り越えてだ。

 見ると、そこには建物があった。 ここが国境なのかと思い、尋ねるがどうやらそうではないらしい。 何だか分からないが、どうやら休憩時間のようではあった。 その隙に、何処とも分からぬ場所で小便をしたりした。 何せ、何も見えないのだ。 何処で小便をしているのかなんて、分かる筈がないし、気にする必要も無い。



 しばらくすると、皆がバスに戻ったので、僕もいち早く座席に戻るようにした。 相変わらず最後部に座っている奴は、先に乗ってこない。 しかも、それを誰も待たない。 バスの前方にしか乗降口はなく、どの列の補助席も埋まっているのだから、少し考えれば最後の列の人が気をきかせて先に乗るべきだし、他の人もその人を待つべきなのである。 しかし、こちらの人間はそれすらも計算出来ないし、他の人のことなど考えて行動をしたりはしないようなのだ。 全くどうしようもない。



 そして、座ってからも、「 狭い 」とか「 寒い 」だとか口々にうるさい、、、 困るのは、そんな小さなことで口喧嘩が始まることだ。 こちらにしてみれば、喧嘩したってしょうがないのに、些細なことで大きく喧嘩するのがアフリカ人だ。 本当に馬鹿らしい。 喧嘩した所で、お互いや周りの人間が気分を悪くするし、ましてや何も変わらないのに、、、

 しかし、最悪なのは、当事者以外の第三の人間が、横から口を挟んで来て、それで更に喧嘩がエスカレートすることだ。 黙っていれば良いのに、何故か関わってくるのもアフリカ人だ。

 そんなことを夜中の3時にバスの中でやったりしているのだ。 どうしてそうなのだろうか? 皆がイライラしているのも分かるし、大変な思いをしているもの分かるが、これだけは意味が分からない、、、 本当に馬鹿らしい。 どうしようもない。



 意味の分からない4時間を狭くて、寒くて、不愉快なバスで過ごした。 見ればもうすぐ夜明けである。 後で「 きっとそうなのだからだろう? 」と思ったのは、これより先の道はデコボコが少し多かったことだ。 前方を照らすライトがないのだから、そこを進むのは危険だ。

 だから中途半端と思える場所で休憩・睡眠時間となったのだろう。 それでも、寝るなら、寝ると教えてくれれば良いのに、、、 本当に配慮のない人たちだ。

 夜明けの道をバスが進む。 南進していたお陰で、僕の方には朝日が辺り出していた。 そのお陰で少しは暖かくなった。 見ると、そこは乾き切った大地というのではなく、灌木が茂った大地だったのだが、特に大きな木を目にすることも無く、ただつまらない灌木がずっと続いていた。



 しばらく走り続けると、朝食の時間になった。



 確か予定では、この時間にはボボに到着している筈だったが、やはりアフリカの移動に予定通りなんてものはないのだ。 そもそも、時間のことなどを気にしている僕も悪い。 期待してはいけないのだから、、、

 朝食は飲み物だけにした。 これから先に何時間かかるのか分からないのに、途中でトイレに行きたくなったりしたら困るからだ。 皆が準備が出来た頃、また車内に戻った。 そして、また同じように乗る順番が悪く、人が人を跨いだり、座席を乗り越えたりしている、、、 いい加減、少しは頭を使って欲しい。





 途中で検問もあった。 こういう場合、外国人旅行者としては身構えてしまうものの、何故かこちらでは外国人にはあまり関わってこないのだ。 ただ、地元の人々、しかもその国の正規の身分証を持ってない訪問者などは、恰好のターゲットになり、そして餌を求められるのだ。

 やり方もヒドい。 検問なら、バスを降りて全員をチェックしたりすれば良いのに、そういった身分証のない人たちや、違う種類の身分証を取り上げて、事務所に戻って行ってしまうのだ。 だから、取り上げられた人たちは、わざわざバスを降りて、餌を与えて、人質になっていた身分証なりなんなりを取り戻すのだ。 どうしようもない。





 そんなこんなを一晩中繰り返していた。 ハッキリ言って面倒な移動だった。 バスは狭くて、寒くて、不愉快だし。 同乗者は感じの悪いのが多いし、というか不可解な行動が多過ぎてイライラしたし。 乗り降りを何度やっても、同じことの繰り返しで口喧嘩ばっかりだし。



 いつ着くか分からないし。

 窓はないし。

 埃っぽいし。

 足は動かせないし。

 体は曲がったままだし。

 腹は減ったし。

 何が何だかよく分からなくなっているしっ!!





 バスもそろそろボボの街に近くなった頃、事件は起こった。

 あれ程、人々が興奮した状態になっているのを見たことは久しくなかった。 きっと誰も彼もが疲れていて、ある種の異常な精神状態にあったとも思われるが、あれ程後で思い返してみても驚いて、そして笑ったことはなかった。



 それは検問の近く、小さな集落を過ぎる時だった。 バスの速度が遅くなると、集落からたくさんの物売りたちがやって来た。 それはいつもの光景のように思えたのだ。 しかし、タイミングが悪かったのか、良かったのか? 売り子たちは「 バナナ 」を手にしていたのだった!! それを目にした乗客は俄然大騒ぎ。



 「 バナナを頂戴っ! 」

 「 こっちもだっ 」

 「 こっちにもくれっ 」

 「 私も頂戴っ 」

 「 もっとくれっ 」



 それは正にバナナが飛ぶように売れて行く瞬間ではあった!!

 次々にバナナとお金のやり取りが行なわれていく。 中には10本近くまとめ買いする人もいたし、前の人に頼んで買ってもらおうとする人もいた。 後ろにいた婆ちゃんも、僕の脇の窓から、ほんの数cmしかない隙間でバナナとお金のやり取りをしていた。 前に座っていた男たちも、幾つものバナナを買っていたし、真ん中の補助席に座っていた兄ちゃんも、いつの間にかバナナを手にしていた。 気のせいか、車内は殺気だっていたような気がした。 それは正に、彼らの本能に何かを呼び起こす何かがあったような、、、



 あれよ、あれよと売れていくバナナを見ていたので、僕はポケットにある小銭にさえ手が届かなかった。 それ程速くバナナとお金の経済のやり取りは進行したのだ。 僕が唖然としている間に、一体どれ程のバナナが売られていき、そしてその何本が瞬時のうちに彼らの胃の中に詰め込まれたのかは分からない。

 結局、あまりの人々の勢いに押されて、僕はバナナを一本も買うことが出来なかったのだが、気の良い兄ちゃんがバナナを分けてくれた。 たくさん買い過ぎて余ったのか、それとも「 やっぱり基本はバナナだよ 」とでも言いたかったのか、、、 とにかく、僕は有り難く頂くことにした。

 僕はバナナを頬張りながら、今の出来事と、今までの出来事を頭の中で考えていた。 そして、思った、、、





 「 君たちは何者なの? 人間なの? 動物なの? 」と。

 短いながらもバス(檻)の中で一晩を伴にした彼らのことを、僕はきっと忘れない。

 そして、その経験から、貴重な「 何か 」を学べたら、、、 と願う。






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by hitoshi280477 | 2006-02-12 16:58 | Mali

Mali vol.11 「 モプティでゆっくり 」

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 モプティは良い所だと来る前から人には聞いていた。 バニ川とニジェール川の傍にあるこの街は、旅行者が訪れるマリの観光名所の基点になる場所とあって、僕も何はともあれこの街にやって来たのだった。 正直、西アフリカの旅はかなりのハイペースで広範囲を移動して来ていたので、良い街と聞いているモプティにどこかすがる思いで僕はやって来たのだった、、、

 モプティの街は小さいが活気のある街だ。 地元住民の居住地となるオールドタウンと、商売が盛んなニュータウンという構成になっていて、人、車、物が常に砂埃をあげながら行き交っている。 そして、他の村や集落から比べたらモプティはかなりの都会のようで、ここまでわざわざ買い出しに来る人も多いとのことだ。

 旅行者にとっては、ここから数時間で行けるジェンネや、ニジェール川下り、黄金の都トンブクトゥ、それにドゴンの国と様々な場所への基点になる街だ。 その分、旅行者目当ての輩やドゴン・トレッキングのガイド志望の人たち、小遣いや飴玉をせびる子供たちと面倒な事もそれなりにあるのだが、、、



 実際、僕もここを基点にジェンネ、ドゴン、それにバニ川の中州にある集落に行ったりした。 ニジェール川下りには元々興味もなかったし、時期も乾期とあって相当日数がかかってしまうこともあったし、黄金の都と言われていたトンブクトゥにも特に行くつもりはなかった。 それでも、ここを基点にして動く事は、マリに来ようと思っていた時から考えていた事だ。

 モプティの街のサイズはちょうど良く、何か必要ならそれなりに物は手に入るし、物価も安いし、人々もそれなりに親切で笑顔が多かった。





 宿のある街の北側までは、いつもバニ川にそって15分程歩く事になるのだが、そのちょっとの歩く事が楽しい所なのだ。 というのも、バニ川というのはすぐ近くでニジェール川と合流しているので、たくさんの船が行き来している様子がいつも見える。 それに、川には中州があって、そこにはフラニーが住んでいて、その人たちが生業としている川での洗濯の様子がいつも見えるからだ。

 更に、その川沿い道には背の高い街路樹が続いているので、いつも日陰になり、この辺りの強い日差しを遮る事も然ることながら、常に爽やかな風が吹いているのだ。 そんな所を、顔見知りになった人々と挨拶をしながら歩くのが僕の一番気に入ったことではあった。

 もちろん、「 中国人っ 」とか、「 ジャッキー・チェン 」とかも散々言われたが、そういうことは何処でも言われて来たので、そこまで気にはならなかったが、それ以上に人々の笑顔の多さに感心させられる事が多かった。




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 モプティの街で見ていて他に面白いのは、そこを行き来する船の様子だろう。 バニ川がすぐにニジェール川と合流していて、そのニジェール川を下っていくとかつてサハラの交易で栄えた黄金の都トンブクトゥがある。

 ニジェール川を下っていくと、途中にはその川岸が砂漠に続いていたり、カバが間近に見えたり、かつての交易路を辿るとあって旅行者にも人気らしい。 ただ、乾期も終わりのこの時期には、ニジェール川の水量がかなり減り、トンブクトゥまで行くのにも5日から6日かかると言っていたのは実際に行った日本人から聞いた話だ。

 普段は3日くらいと言われているが、水量は減っても運ぶ荷物を減らすわけではないので、その船底が水底にぶつかって座礁したような状態になってしまい、その状態から脱出するのにかなりの時間がかかってしまうそうだ。 笑えることに、船は絶対と言って良いほど荷物を減らさないので、出発してから数百mにも満たない所でスタックしている。 まあ、無謀な程大量の荷物を無理矢理にでも運ぼうとするのは、典型的なアフリカン・スタイルだ。

 小舟は近くの集落や、中州や対岸にある集落へと人が行き来するのに使われている。 言わば、水上タクシーだ。 しかし、結局は乗り合い水上タクシーなので、いつも人をいっぱいいっぱいに載せてその小さな小舟は進んで行く。 もちろん人力なので速度は出ない。




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 それにしても、夕陽が沈む頃の川の様子はとても素晴らしい。

 人々がまだ船を待っていたり、乗り込んでいたり、辺りで商売をしていたり、佇んだりしている中、今日の終わりを告げる夕陽が沈んで行く。 綺麗な地平線があるわけではないが、水面に浮かぶ火柱の様な夕陽の様子。 また、その夕陽が造り出す黄昏時の何とも表現し難い色合いの世界。 それらを背景に人々の生きる様が浮かび上がっている。

 そんな瞬間を目にする事が出来る。




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 大きな太陽が沈んで行く。

 「 アフリカの太陽 」については皆が口を揃えて言う、、、 「 アフリカの太陽は大きい 」と。

 それを、僕はここモプティに来てやっと実感した。 いつの頃からか意識していて、やっと目にしたアフリカの太陽は、やはり大きかった。

 それは、とてもとても大きく見えて、どこか感動せずにはいられなかった。 感動しない筈がなかった。 あの光景を目にした者ならば、きっと誰しもが、、、



 もちろん地元の人にとっては当たり前の光景だが、僕にとってはそれはきっと忘れることのない光景になった。 普段目にする事が出来ないからこそ、そこにはとてもつもない感動があり、また忘れることのない貴重な経験になるのだろうと思う。





 西アフリカの旅を始めてからここまで相当急ぎ足で来てしまっていたので、どこかで少しゆっくりしたいとは思っていた。 それがモプティで良かった。 ここまでの道のりで、モプティほど精神的にも肉体的にもゆっくり出来た所はなかった。

 長い間一人で旅をしていると、ペースを保っているようで無理をしていたり、どこか鬱になってしまっている部分も出てくる。 そういう時に必要なのは、やはり急用であり、せめてゆっくりすることなのだ。 しかし、ここはアフリカなのだ。 街に出てゆっくりすることなど出来るわけがなく、宿にいても落ち着かない事も多いし、それに西アフリカはその質に見合わない程物価が高い。 そんな所でゆっくり出来る筈がないのだ。

 しかし、モプティに来て、それがやっと可能になった。 人から聞いていた以上に、僕はモプティの街が気に入ってしまい。 最終的には、ジェンネとドゴンの前後も合わせた全部で9泊もしてしまっていた。 それも、いつの間にか。 実際は、ドゴン後は体の疲れのせいかお腹の張りがヒドくてゆっくりしたかったのと、人と待ち合わせをしたりという事情があったが、それがなかったとしてもそれくらいの期間はいただろうし、恐らくもっと長居をしてしまっていたことだろうと思う。



 出発する日になって、10日間という長いようで短かかったモプティの街での出来事をしみじみと思い出してしまっていた。 実際、今までも一つの街に10日間も滞在するということは稀だ。

 来た頃はまだ屋台にも馴染めず、なるだけ旅行者用の高いレストランで食事をしていたこと。 それが、今度は一転して屋台でサラダを食べたり、串焼きを求めて街を彷徨ったり、、、 始めの頃は人との距離を明らかに開けていたが、人々の笑顔によって、僕の人々に対する姿勢や態度も少し変わったことと思う。

 今となっては、全てが良い思い出となり、いつも食べに行ってたバスターミナルにあるコーヒー屋のおじさん、毎晩のように食べていたサラダ屋の女の子、よくジュースを飲みに行った酒屋さんのおじさんたち、嘘をつかない事からひいきにしてた商店のおじさん、宿の隣に住んでいた可愛いフラニーの少女、、、 そんなモプティの人々の顔が、ここを去る時になってすごく鮮明に頭の中を過って行った。


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 バスに乗る為にターミナルまで歩いて行ったが、最近強くなりかけていた風がやけに強くなっていた。 あれほど遠くまで見えていたバニ川の中州や向こう岸も、強く照り付けていた太陽があった空も、爽やかな雰囲気のあの川沿いの道も、それら全てを包み込む様な砂埃が巻き上がっていた。 視界は極端に悪くなり、とてもじゃないがこれ以上ここにいることは出来ないと思う程だった。 少し出ることを躊躇していた感じが僕の中にあったが、それはそれすらも吹き飛ばす程の強い風だった。

 後になって考えてみれば、あれはこの地域に吹く ハルマッタン という風であったのだろうと思う。 ちょうどこの時期に吹く風なのだそうだが、僕にとっては初めての季節風だった。

 そんな強風と砂埃が舞う中を歩きながら思った。 きっとこのハルマッタンは、モプティの街を出る事を渋っていた僕の背中を押す為に吹いたのだろう。 「 ここにはもういちゃいけないよ、、、 」と自然がそう言っているのだっ! 、、、などと勝手にそう捉えることにした。 そっちのほうが、それらしくて良いではないかっ?



 モプティの街よ、さようなら。

 またいつか会う日まで、、、

 最後はそんな気分だった。






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by hitoshi280477 | 2006-02-11 16:57 | Mali

Mali vol.10 「 フラニーさんたち 」

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 モプティのバニ川の中州にあるフラニーの集落に知り合ったガイドと行った。 始めはあまり行く気はしなかったが、そのとき一緒にいた日本人の二つ返事で行くことになった。 川岸で小船をチャーターして行くのが一般的のようだが、僕らのチャーターしたのは辺に中くらいの船で、しかも船頭はエンジンを使わず、それどころか船首から船尾に向って棒で進んでいた、、、 変なの。 もちろんその分時間はかかってしまった。

 船上にいる時は川沿いの道を歩いている時よりも、もっとずっと心地良い風は吹いていた。 ガイド料と船代を考えても、その心地良さだけでもう充分な気持ちになってしまった。 エンジンを使わないことが逆に功を奏し、その人力で進む速度がちょうど良かったのだ。




a0086274_20351325.jpg  少し進むとそこはもう目指す中州だ。 川岸でフラニーの人々が洗濯をしている様子が良く見える。 ガイドによると、彼らはとてもフレンドリーなので写真を撮ったりしても構わないとのこと。 もっとも船を川岸の間にはそれなりの距離があるので、そんなことはあまり気にしていないだろうし、それに散々観光客に写真を撮られているのだろうから、そういった面で気にしないのかもしれない。

 船からでも確認出来た事は、川岸で洗濯や洗い物をする人の中には、胸を丸出しにしている女性の姿があることだった。 本当に丸出しである。 ガイドに尋ねると、どうやら彼女たちはまだ未婚の独身女性なのだそうだ。 、、、独身女性? 普通に考えたら、独身女性がそんなことをするのは変だ。 もう咲き終わったオバちゃんが、ヤケになってもうどうでもよくなっているなら話は分かるが。 変な習慣だ。




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 集落に近付くと、それまで川沿いの道から遠巻きに見ていた村の様子がよく見えた。 背の低い土壁の家に、藁葺きの屋根が乗っかっている。 台所というものは、どうやら家の外と中の併用らしく、辺りには鉄釜が転がっていたりした。 家の傍で飼育する家畜としては、川岸から見えた牛よりも、ヤギのほうが多かった。 数件の家の間を歩いたりもしたが、そんな中にお土産屋さんがあるのには驚いた、、、



a0086274_20353818.jpg この辺りでよく見かけるウスと背丈程ある大きな棒を使って何かを叩いたり、砕いたりしている所に出くわした。 日本の餅つきとそっくりなのだが、ここでは葉っぱを乾燥させたものを砕いたりするのにも使うそうだ。

 そう言えば、これはセネガルでも、ドゴンでも見たことではある。 この辺りではこれは一般的なのだろう。 若い娘さんでもそれなりに一人前に作業を進める事ができ、ドスンッ と棒を叩き落としては、ひょいっ と棒を上げたりする動作を繰り返している。

 何だか懐かしいリズムで作業は進められて行くのだが、そんな中にもアフリカン・スタイルなのか、棒を上げる時に手を離して、バチンッ と手を叩いたりなどのちょっとした小技を加えたりしていた。



 フラニーの人はそれなりにフレンドリーだった。 別に直接話をすることはないのだが、いつも ニコッ として挨拶をしてくれるのはフラニーが一番多かった気がする。 愛想が良く、仕事も真面目に取り組んでいるし、綺麗な色の服に頭を布で覆い、それにある程度の装飾品を欠かせない人々である。

 一つ彼女らについて興味深いのは、年頃の女性のメイクだ。 それがこちらでは美しいと言われていて、もっと自分をアピールする為に施す彼女らのメイクは、初めてそれを目にする者をきっと ぎょっ とさせることだろう。 しかし、当たり前だが、こちらではこれが当たり前のなのであって、これが良いのだ。



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 男性陣が一体何をしているのかには疑問が残った。 フラニーの場合は、女性がそういった衣装や装飾品、それにあのメイクをしているのだから分かり易いが、男性はどうなのだろう? つい聞きそびれてしまった。



 フラニーの集落を訪れてから見る彼女らの洗濯する様子は、やはり訪れる前と後では少し違って見えた。

 誰にでも生活はあるのだ。 それが何処であろうと、どんな民族であろうと、どんな仕事をしていようと、それ自体はそんなに大した事には思えなくなっていた。

 彼女たちのように、仕事に真面目に取り組んで、且つ楽しみながら、笑顔のある日々を過ごせたら良いな、と思った。






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by hitoshi280477 | 2006-02-10 16:56 | Mali

Mali vol.9 「 ドゴンの国 その③ 西洋世界発見以後 」 ===未===

 ドゴンの国を短い期間ながら訪れてみて、一つ思う事がある。 それは、「 これから一体どうなるのだろうか? 」ということだ。 それは、やはり実際に、そこを訪れてみないと分かりづらいことではあるが、世界のその他の地域で見られるように、経済優先主義、拝金主義、物質主義といった今まで独自の文化を維持してきたドゴンにはきっとなかったであろう違った観念の流入だ。

 ここを訪れる外国人観光客の数が多くなるに連れ、村を出て外界と接触するドゴンの人々の数が増えるに連れ、その度にドゴンの社会にいつも新しくて違った何かを持ち込んで来た事と思う。 もちろんそれは良くもあり、また悪くもあるのだ。

 そういう外界との接触によって、人々の生活が向上したり、人々の生活が豊かになることは良い事だ。 しかし、その変化の波が急激に訪れているは容易に想像出来ることであり、また事実そうなのだ。 そうなると何が起こるのかと言えば、人々の価値観の変化だ。 そして、その価値観の変化が、人々そのものの変化に繋がって行く事は、まず間違いない、、、







 今ではドゴンのほとんどの村へは、外国人でも行くことが出来る。 そして、その一部はまだダートとはいえ、幹線道路沿いにある。 為に人の移動は楽で(もちろんその費用が賄える者のみだが、、、)、冷蔵庫からは冷えたビールを飲む事が出来る。 まだほとんどの村には電気が通っていないとは言え、四駆車で駆けつけ、冷えたビールを ぐっ とやることも可能な村もあるのだ。

 いち早く外国人旅行者とのビジネスを思い立った者は、経済的に成功しているだろうし、それと同じ様な成功を思い描くガイド志望の若者も多い。 無理してレストランや宿を始める者も多いそうだ。



 そんな中で気が付く事と言えば、人々の物乞いだ。



 一体それがドゴンの国では当たり前なのかどうかは知らないが、人々の物乞いする様子はヒドい。 その人の家を訪れたり、その人の写真を撮るのにお礼としていくらか握らせてはいたものの、何もしていないのにお金をせびってくる老人や大人も多かった。 まあ、コーラナッツというカフェインの強い豆をせびってくるのはよくある事だが、その話はここに来る前から聞いていたことだ。

 そんな中で、一番ヒドかったのは子供たちの タカリ に近い行動だ。 それも、詐欺に限りなく近いと思う。 あの幼気な笑顔で僕ら外国人旅行者の手を掴んで来ては、いつも最後に飴玉やら小銭やらをせびってくる。 それは、ほぼ間違いなく100%の話なのだから怖い。 そして、とても、とても粘り強くせびってくるのだから、こちらも参ってしまう。 手を繋がなくたって、何百mもついて来たり、宿の壁よりも高い所か見下ろすようにして要求して来たり、わざわざ遠くから走ってくるなんていつものことだ。

 僕は数人の旅行者と行動を伴にしていた為に、彼らの行動を見てもいたが、最悪だったのは他のグループの外国人のおばさんが、何もしていない子供たちに飴玉だか何だかをバラ撒いているを見た時だった。 それまで僕らの周りにいた子供たちや、もっと遠くにいた子供たちも、そのおばさん目がけて走って行った。 おばさんにせがめば、無償で何かをもらえると期待して、、、

 そんな子供たちが、そのまま大人になり、実際そんな感じの大人もたくさんいる。 さすがに書体を構えるくらいの年齢だとそういうことは少なくなるが、若い輩は大概そんな楽なことばかり考えている。 人から巧いこと何かをしてもらおうだとか、無償で何かをもらおうだとか、、、







 ドゴンの国を訪れるということは、間違いなく良い経験になった。 彼らの世界観や、宗教観念、生活そのものなどを知ることは非常に有意義なことだった。 それと同時に、俗世間で言う近代化の波とやらに翻弄される部分も垣間見た気がする。

 最後にドゴンらしい景色を見たのは、あの断崖を越えて行くときだった。 その光景は、初めて見た時の興奮もまだ胸のうちにはあったものの、短いとは言えある程度の時間をかけて彼らの生きる姿を見たことによって、もっと胸の奥深くに刻まれるような思いになったのは間違いなかった。



 まるでこの地球の奇跡とでも思える様な場所に生きるドゴンの人々。 そこは聞いていた通りに、実際はそれ以上に「 国 」だった。

 このドゴンの国が、今後どのような道を辿って行くのかは、一旅行者である僕には関心はあるものの、関係のないことだ。 ただ、彼らドゴンの人々が、今日もその胸の内にあるように、自分たちドゴン独自の文化をいつまでも誇りに思っていて欲しい。






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by hitoshi280477 | 2006-02-09 16:53 | Mali

Mali vol.8 「 ドゴンの国 その② ドゴンの仮面踊り」 ===未===

 ドゴンに関することで、もっとも有名なのは間違いなく マスクダンス だ。 人や動物をモチーフにした仮面をかぶって踊るこのダンス、ドゴンの世界観や宗教的な面を知るには非常に良い機会なのだ。 しかし、このマスクダンスは、本来なら宗教的儀式、葬式など、もしくは4~6月頃に行われる儀礼祭の時にしか披露されないのだそうだ。

 とはいえ、ここまでやって来て、このマスクダンスを見ない話はないのだ。 このダンスそのものが、世界で唯一ここだけのものということもあるし、今そこにそのダンスを見る機会があるのだ、、、 これを逃す手はないのだ。

 しかし、そうは言っても、このダンスはやはり宗教的な儀式の為にそう簡単には見れないとされている。 去年ここドゴンを訪れた人の話によると、去年は第一回目の「 大マスクダンス大会 」が催されたそうだ。 その話を聞いていた僕は、ちょうど去年のその頃と同じ時期を見計らってここまでやって来ていたのだ。 が、しかし、そんな虫の良い話はなかった、、、



 そして、どうしたのか?



 実は僕は、ドゴンの国に来る前から、モプティの街中で出会うドゴン・トレッキングのガイドに話を聞いていたのだ。 一目で良いから見てみたいという思いが、僕を動かし、それを現実に可能にさせる事が出来たのだ。 もっとも、そこまで難しい話は無く、ただ単にお願いすれば良いのである。 そう、お金を払って、そのマスクダンスをアレンジしてもらうことになったのだ、、、

 もっとも、現在ではそうやって収入を得ている村もあるそうだ。 定期的に訪れる団体観光客の為に、村では必要に応じて歌い手たちと、楽器を演奏する者たちと、そしてマスクダンサーたちを集めるようだ。 総勢40名近くの男たちが、こうしてマスクダンスを披露してくれるのである。

 始めは腑に落ちない部分もあったが、このダンスが見れるのは世界で唯一ここだけという事実と、それが今目の前で可能だということを思うと、少し高く思われた金額も結局は許容範囲以内という風に自分に納得させた。







 辺りに散らばる大きな岩の間や上を乗り越えるようにして断崖の方へと登って行くと、そこには少し大きな広場があった。 先程の村人に知らせる太鼓の音のお陰で、そこにはたくさんの子供たちも見物客として集まっていた。

 広場の真ん中には、背の高い木があって、その木下には太鼓の奏者たちが待機している。 そのすぐ傍には、あの年配者たちが集まる寄り合い所があり、その間には20人程の歌い手である爺ちゃんたちが並んで座っている。 それ以外には他に何も見えなかった。 広場に差し込む太陽の光が強い為に、僕は少し離れた場所で待機するように待っていた。 そして、、、







 太鼓の音と共に、突然マスクをかぶったたくさんの人間が現れた。 太鼓の奏でるシンプルでありながら、奇妙で、不思議な音色と、爺様たちの声がうっすらと聞こえてくる。 ダンサーたちは、その音に合わせて踊り、木の周りを円を描きながら練り歩き始めた。

 「 これがそうなのかっ! 」とそう興奮しだした時には、僕はもうあれほど嫌だったキツい日差しの下にいた。 あれほど見たかったマスクダンスなのだから、その行動は後で自分で振り返って考えてみても分かる話だ。

 僕の興奮を知るか、知らざるか、マスクをかぶったダンサーたちは、尚も円を描きながら僕の目の前を練り歩き、中には僕を威嚇するかのような視線を投げかけ、そして口々に何かを叫んだりしていた。 僕はもう夢中でカメラのシャッターを切っていた。







 しばらくして、太鼓の音色が変わると、今度はそれぞれのマスクダンサーが、それぞれの踊りを披露していく、、、 もちろん唯一のマスクもあるし、何人かが同じマスクをかぶっていることもある。 中には、竹馬のような背の高い棒の上に乗っている者、首が折れてしまいそうなほど重そうなマスクをかぶった者、手に鎌のような武器を手にしている者、団扇のようなものを持っている者、動物のマスクをかぶっている者、不思議な形をした飾りを頭の上に載っけている者、、、 実に様々なマスクがそこにはあり、その一人一人がダンスを披露してくれた。

 ダンスそのものは、そのかぶっているマスクの意味合いを含んでいる。 動物を表しているマスクは、それなりの動きを。 女と子供を追い払う役目のマスクは、それらしい激しくて凶暴な踊りを。 また、天と地と世界を表しているというマスクは、またそれらしい踊りを披露してくれた。








 踊りが一通り披露されると、今度はそのマスクの意味や背景にある簡単な話をしてくれた。 それぞれのマスクには、それぞれの世界観や観念、また役目などがあって、実に興味深いものではあった。 一歩間違えば、幼稚園のお遊戯会にもなりかねないマスクダンスではあるが、その意味合いを知る事で、ドゴンの人々の信じる何かに触れることが出来たような気がした。

 僕の見たマスクダンスは、あくまで観光客用なのだが、それでも僕は充分満足していた。 元々、今の世の中では、一旅行者にとって、ほとんどの宗教的儀礼や踊りを自然そのままの形で目にする事は出来ない。 もっとも、その時期が来るまで待っている事が出来る者や、それに合わせてやって来れる者には別の話だが。

 それでも、こうやってお金を払って彼らドゴンの文化の一端を目にする事が出来たのは良いことだと僕は思う。 それに、お金を払う事によって、彼らに収入が入るのだから、その面でも良いとも思った。 特に、か細いながらも歌い手をやっていた爺様たちの中には、既に目の見えない者や、手足の動かない者、それに歯のない者もたくさんいた。 彼らが僕に分けてくれた モノ に対して、僕が彼らに分けた モノ がそういう風に活用されるのなら、この観光客向けに披露されるダンスも決して悪いものではないと思った。






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by hitoshi280477 | 2006-02-08 16:52 | Mali

Mali vol.7 「 ドゴンの国 その① 土地と文化と民族と 」 ===未===

 人がそう評するように、そこに足を踏み入れた時に僕もそう思っていた。 ここは「 国 」なのだ、と。 具体的に、その家並みや、人々の生活する様子、それに彼らの文化に明らかな違いが見える為にそう思うのだが、それ以上に、そこにある 雰囲気 に僕はそう感じたのだ。

 南北150kmにも及ぶと言われている断崖がそこにはある。 高さは約150~200mはあるであろう。 モプティの街から東進して行くと、この乾いた大地の向こうに突然そんな場所がある。 いつの頃か、このアフリカ大陸が、この大地が動いていた時に創造された断崖なのだろう。 そこは、そこだけ大地が隆起しているのではなく、そこに地球の皺とでも言うべき急な落差のある崖があるといった感じの所だ。

 このヒドく乾燥していて、日差しも強く、砂漠に面するように存在するこの断崖。 まるで、そこが最後の砦とでもいわんばかりの形をしている。 実際、断崖を降りると、そこには小さいながらも砂漠がある。 とてもきめ細やかなその砂漠は、背後に転がっている巨大な岩とはとても対照的だ。 そして、その断崖の麓には何故か緑が多い。 きっと砂漠のある方角、すなわち東からの風や雲が、ここに水分を落として行くのだろう。 あの砂漠の先に水源があるのかどうかは疑わしいが、実際ここでは水を確保する事が出来ている筈なのだ。



 その断崖と周辺の景観は、実際目にしたとしても、その存在を信じられない程雄大なものではあった。 そして、その麓にドゴンの人々が暮らす集落があるのだ。







 初めて西洋人がここを訪れて以来、ドゴンの存在というものはここだけの話ではなくなった。 アフリカの、しかも内陸ということが、西洋社会の偏見とでも言うべきアフリカ社会への見下した考え方に衝撃を与えた。 存在そのものもそうだが、独自の宗教観念や神話の世界、集落の習慣や伝統、それに儀式の際に行われるマスクダンスや、動物を使った占い、はたまた自然からの恵みを利用した農業に工芸品などなど、、、 その文化の違いと奥深さが、特殊で魅力的な世界が、外界からの人々を惹き付けているというのが現状だ。







 ドゴンの集落では、物事は村の年配者たちによって決まるそうだ。 それは、世界中を探せば、他のどこの地域でも見られることではある。 ただ、その年配者たち用の寄り合い所のような所がここには設けられている。 雑穀と丸太を互い違いに幾層にもした屋根の下、年配者たちが、、、 ただゴロ寝をしていたり、暇そうにしている、、、 ように思える。 とてもその場所で、村の重大な決議がされているとは思えないのだが、ここではそういうことになっているのだそうだ。

 そんなドゴンの物事を判断するのに、一番の決定権を持っているというのが ホゴン と呼ばれる政治的、かつ、宗教的指導者がいる。 見るからにドゴン一番の長老は、どこか口数の少ない男ではあり、その分やはり彼の口にする言葉は重要なのだろう。 手に持つ団扇の意味は良く分からなかったが、それもまた宗教的な意味があるのかもしれない。 ちなみに、彼の家は神聖な場所ということになっている。 まあ、そういう話だ。







 独自の神話というのには、あまり触れる機会がなかったものの、村から村へと移動中に訪れた占いの場所には行くことが出来た。 そして、その話はとても興味深いものだった。 本当はいつだか話で聞いていたものの、その時本物を目にするまでは忘れてしまっていたのだ。

 如何にも占い師といった感じの爺ちゃんは、石で囲ってある砂場の中に線を引き始めた。 その石垣の内側に、細長い円を沿うように描く。 そして、その楕円形を幾つかの仕切りを造るように区画していった。 それらの作業は、手の平に収まる程度の石と、指先のみで行われて行く。 その小さな石で砂を平たく仕上げていくのは、もちろんその道の人だけに上手だ。

 小さく分けられた区画には、爺ちゃんがいつもやっているように、何かが描かれたり、線が引かれていく。 よく見ると、そこには小枝が立てたり、砂を少し盛り上げたりしている。 僕が見ても他の区画との間に違いがあるのが分かる。

 そんなこんなで、作業は全くウヤウヤしい様子もなく進んでいった。 しかし、こうやってドゴンの人々は物事をこの占い師に占ってもらうそうだ。 実際、これは占いというよりは、自然の力を借りて、物事を判断するというのが本当の姿のようだ。 そういうわけで、この爺ちゃんは占い師でも何でも無く、その作業を担当する係のような人なのだが、人々はこの爺ちゃんに様々な事を相談し、その解決策を教えてもらうのだそうだ。



 さて、どうやってその解決策なり何なりを見出すのかだが、それが実に面白い。 自然が教えてくれるというのは、正にこの事だと思う。 自然の妙ってやつとも言える。

 用意された占いの場は、ただ単にそのまま放置される。 占いの結果が出るのも自然任せなので、どの位時間がかかるのかも知れない。 ただ、その占いの結果が出るのは決まって朝なのだ。 この爺ちゃんは、毎朝その占いの結果を確認し、それを元に人々に言葉を投げかけるのだ。







 地元の話によると、ドゴンの人々がここに住み始めたのは14世紀頃。 その当時には、ここには先に住んでいた人々がいたとされている。 テレム と呼ばれる先住民で、背が低く、赤い肌の色をしていたとされている。

 彼らはこの断崖絶壁の中腹、どう考えても登るのにも危険な場所に住居を構えていたとされている。 今日でもその住居跡は目にする事が出来る。 というのも、その下にドゴンの集落があるからだ。 何故かは知らないが、その麓にドゴンの人々は住むことにしたそうだ。 本当は、彼らを追い出したのは、ドゴンの人々自身なのだそうだが、、、

 ドゴンの信じる話によると、そのテレムは飛ぶ事が出来た為に、あんなに高い場所に住む事が出来たそうだ。 実際、彼らの住居跡はその断崖の相当高い場所に建てられている。 そう、建てられているのだ。 遠目に見ると、そこには小さな穴がポコポコと空いているようにしか見えないのだが、良く見てみると、そこには円筒の建物が幾つもあるのが分かる。 日干しレンガのような物を積み上げて造られているのも良く見える。







 断崖が南北に延びていて、ほとんどのドゴンの集落は東にある。 太陽が登る方にある。 それが 何故なのかを考えた。 自分の仮説によると、この断崖にあたる湿った空気がこの辺りに小川などの水源を産み、そして、そのお陰で農作物が育つので人々はここに住むには良い環境を見出したのだろうと思う。 もちろん背後に聳える断崖絶壁が敵の侵入を塞いでいるということもあるが。 正に、自然の防壁ではある。



 ドゴンの家屋の造りも興味深い。



 土壁で作られた家そのものは、見ているだけでどこか風情を感じてしまうものがある。 特に見ていて面白いのは、穀物倉庫だ。 倉庫といえど、その床面積は畳一つ分程しかない。 そこに獲れた作物を保管するのだそうだ。 これまた土壁で出来ていて、高床式になっていて、頭には帽子を思わせる雑穀の茎の部分を乾燥させて作られた屋根がある。 この可愛らしい屋根は、雨露が屋根の頭の部分に直接当らないように工夫された物らしいが、その姿は愛して止まないところがある。

 それら穀物倉庫は、村の至る所で目にする事が出来るのだが、これを幾つ所有しているかで、その家の家計状況なりが分かるのだそうだ。



 家の敷地内には、神社のような 廟 がある。 その廟自体は、作物を乾燥させたものや、日用品の数々、狩りの時に使われる武器などで飾られていて、それに白いペイントが施されている。 

 その前にはある種の霊が宿るとされている土を高く盛った物がある。 見るからには、明らかにただの土なのだが、ドゴンの人々はそこに特別な力が宿っているのだという。



 また家の玄関口に当る扉にも、彼らの宗教観念というか、ドゴンの世界観を見ることが出来る。 神様のような存在の者から、従者、水男、天と大地と、、、、 邪悪な蛇などなどだ。 それがどこの家にもあるのかというと、そうではないようだが、これがドゴンの世界の一部分を伝える媒体であることは間違いない。







 雨期には、その断崖の上に降った雨が、この断崖を落ちる時に滝を産み出すということもあるらしい。 そして、その水が、この周辺の乾燥した土地とは異なるように、ドゴンの国に緑をもたらしているのだ。 人々は農業に従事したり、自然の恵みである素材を使って家屋を建てたり、手工芸品を作成しているのだ。

 現在でも、道を歩いていると、バオバブの木の表面を斧で剥ぎ取っている人を見る。 聞けば、このバオバブの木の表皮はかなり頑丈らしく、それで紐を作っているのだそうだ。 ちなみに、バオバブの可愛らしい実の部分は、乾燥した後にマラカスのような楽器に産まれ変わる。 歩いていると、それを手にした子供たちが無邪気な笑顔でそのマラカスを振っていて、そして、、、 売りつけてくるのだっ!






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by hitoshi280477 | 2006-02-07 16:43 | Mali

Mali vol.6 「 月曜日のジェンネ 」

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 マリの真ん中辺りにスーダン様式の巨大なモスクがあるということで知られている街がある、ジェンネだ。 ニジェール川とバニ川に挟まれた中州にあるこの街は、以前はこの辺りの交易の中継地点として栄えたことがる。

 今ではその世界最大の土壁の建造物が、観光客を含むたくさんの人々をここに呼び寄せる唯一の理由とも言っても過言ではないが、、、

 この「 ジェンネのモスク 」は確かに見応えのある建物だった。

 その独特な風貌は、どこかお茶目な感じもするが、堂々としていて立派ではある。 一年に一回だけ塗り替えられるという土壁は、脆そうに見えるのだが、しっかりと造られているようで、壊れているよう部分は認められなかった。 また、素材が土ということもあり、日の差し方によって、かなり色の変化が見られるので面白いのである。

 本当かどうかは知らないが、一応今でもこのモスクは機能しているとのことだ。 その為に、イスラム教徒以外は中に入る事は許されていない。 でも、以前は良かっただとか、お金を誰かに払えばいいとか、まあいい加減な所ではある。



a0086274_20183117.jpg この大モスクの前の広場で、月曜日には大きな市場が立つと聞いる。 週に一度の市場であり、それが世界遺産の前でやるとあって、それを目当てにやって来る外国人旅行者の数は驚く程多い。 無論、僕もそうなのだが、、、

ちょっと行きにくい立地ではあるので、一度大きな街に行ってから少し道を戻るような感じでこの街までやってきた。 はっきり言ってそれは手間だったのだが、言葉が良く分からんことと、移動手段の不透明さからそうすることにした。

大きな街から乗ってきた「 乗り合いバス=ピックアップトラック 」は、やはりぎゅうぎゅう詰めで、足は伸ばせないどころか、膝がぶつかりあって痛いし、お尻は木の板の座席のせいで、涙が出るほど痛かった、、、



a0086274_20183881.jpg 川に出た。 どうやら川を渡るのには、輸送用の船に乗らなくてはいけないようだった。 アフリカのど真ん中に、こんなモノが一体何処からやって来たのか、、、 失礼ながら、そう思わざるにはいられない。

 車が順番待ちをすることになったので、ここぞとばかりに車を降りた。 体が変な感じになっている、、、 なんか痛いし。 そんなにハードな道のりではないのに、その乗る姿勢と座席の構造のせいで、、、 ちっ。

 結局、この後の道は乗降用のステップの上に立ち、フレームにしがみついて行くことにした。 そんなことをするのは、お金を払って乗る乗客の中にはいないらしく、また東洋人がそんなことをしているのだから、同乗者たちからの視線はかなり熱かった、、、




 前日である日曜日の午後にはジェンネ入りしていて、暑い日中を日陰でやり過ごし、夕方になってからモスク前の広場に行ってみると、まだ市場の下準備のような様子は全くなく、それどころか広場一面が子供たちの遊び場になっていた。 サッカーをする子供たちや、かけっこやなんかをしている子供たち、それに「 中国人かっ? 中国人っ!! 」と言ってくる子供たち、、、 世界遺産の目の前で、そんなことになるのは甚だ心外だが、、、



 夕焼けに染まるモスクというのは残念ながら存在しないようだ。 というのも、どちらかというとこのモスクは東の方に向いて建てられているようだ。 それが、メッカの方向なのかどうかは知らないが、とりあえず太陽はモスクの背中側に沈んで行く、、、 残念なように聞こえるが、それはそれでモスクの全景が浮かび上がるような構図になるので、とても綺麗で神秘的に見えるのは間違いない。

 「 あれっ、でも朝陽もモスクの背後から昇ってきてないか? 」とそう気がついたのは、翌朝のこと。 実は、泊まっていた宿からはそう見えた。 そもそも、この宿の屋上に泊まったのはその屋上からモスクが見れるからということだった。 まぁ、少しだけだったが、、、

 でも、実際寝ていた屋上からは、朝陽を背に受けて浮かび上がるモスクのシルエットがよく見えた、、、 そりゃぁ、夜冷える中、屋上で泊まったかいがあったさぁ、、、
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 朝、まだ早かろうと思いながらも他にする事がないので、とりあえず広場に行ってみた。 すると、広場には既にそれなりの人出があって、屋台の柱になるであろう木の棒が所々に立てられていて、広場の端っこには大きなトラックから荷を降ろす人々の様子が見えた。 もちろんまだ早いので、買い物客はもちろん、観光客の姿もほとんどなく、そこにいるのはこれから屋台を準備するであろうオバさんたちと、暇な大人たちと子供たちだけだった。

 一度宿へと戻り、頃合いを見計らって「 さあ、ジェンネの月曜市だっ 」と張り切って行ったものの、、、 やはり市場は市場なのである。 確かに珍しいモノもあったが、あくまで市場は市場であり、ほとんどの品物は他の都市から運ばれて来ただけなのだで、それほど珍しい事もなく、また面白い事もないというのが僕の本音だ。



 それならまだ良いが、こちらの人も随分と観光客慣れしているのか、お互い別に関心はなく、こちらに関わってくるのは相変わらず暇な大人たちと子供たちのみだ。 実際、うっとうしいし、頭に来る奴ばかりだ。 こちらがここを尋ねて来ているのだから、あまり文句は言えないが、自分の国に来ているお客人に向って、どう考えても人を馬鹿にしている奴らや、頭のおかしいことを言ってくる奴らばっかりだ。 ハッキリ言って腹が立つ。

 頭の中で、「 この人たちはまともな教育を受けていないのだから、、、 」とか、「 アフリカ人だから、、、 」とかいろいろとある種差別的な理由付けをしてみても、納得がいかないことばかりだ。 言い訳はさせたくないし、聞きたくない。



 それに、ジェンネに入るのには「 税金 」を取られる。 もちろん外国人観光客のみだっ! 聞けば、その徴収されたお金はジェンネの復興やモスクの維持費に使われるとかどうだとかの能書きを足れてくれる。

 ジェンネの復興? モスクの維持費? そんなの自分で賄いなさいっ!!!

 なんで外国人が、ジェンネの復興だとか、入れもしないモスクの維持費にお金を出す必要があるのか? 自分たちから取りなさいっ! これについて考えていると、本当に頭に来る。

 そんなお金を払ってまでここにやって来ているのに、街の人の対応は「 中国人っ 」、そればっかり、、、 日本人と中国人の違いが分からないのは許す、しかし「 日本人だっ 」と言っても聞かない奴ばかり。 それに、子供たちは人から何かをもらうことばかりを考えているし、若い奴らはヘラヘラとしながら人を馬鹿にして来る事し、大人はほぼ無関心。

 なんですか、これは? これが国を訪れているお客人に対する対応なのか? 人種も宗教もそんなことには関係ないだろう?



 だから世界遺産のある街は好きになれないのだ。 地元の人がそれにすがってしまうし、何処かの馬鹿な外国人観光客が無料で子供たちにお菓子とかペンとかをあげるからこうなるのだ。 全くどうしようもない。 なんでそんなことをするのか? 相手は何もしないのに物をくれる人がいるから、更に図に乗って来るのだ。 動物に餌をやるようなマネをするからこうなるのだ。

 そして、こんなことになるのなら、こんな嫌な思いをするのなら、ハッキリ言ってあの税金も日本政府の政府開発援助であるODAもあげる必要はないだろう? 政府でさえ借金を踏み倒す国が多いのに、どうして更にお金や物を援助という名で無料であげてしまうのか? それも問題だ。

 援助をしている国の人間が、こんなに酷い目にあっているのだから、無理にこちらの税金を使ってまで援助なんかハッキリ言ってしなくて良いと思う。 問題は彼らの問題なのであって、自分の国の問題ではないのだからっ!




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 市場を歩きながら、常にそんなことを思ってたし、一緒にいた日本人も同じ思いをしていた。 もう市場なんかどうでもよかった。 ジェンネの街を出る頃には、「 金返せっ、この野郎!! 」と、本気でそういう気持ちになっていた。 それほど、人々の感じは悪かった。 今までこれほど嫌な思いをした所もそうそうない。 正直、まだ許容範囲ではあるものの、この相手に隙を見せたり言い訳をさせたりしたくはないのだっ。

 こうなるともう止まらない。 マリに対する不満が僕の頭の中で爆発し、意味もなく「 中国人っ 」と呼ばれ続ける事や、嘘ばかりついてくる奴、それに餌をくれという役人のことまでも思い出して、更に頭に来た。 こんなのは久しぶりだ。

 こんなジェンネでの体験を、いつか声を大にして言ってやりたい。 いっそこの国のテレビにでも出演して、どんだけ嫌な感じなのかを思い切りぶちまけてやりたいもんだっ! ああ、言ってやるさっ!! 日本人はそういうことに対して意見を言わな過ぎるから、僕が日本を代表して言ってやりたいっ!!!

 そんな月曜日のジェンネでした♪






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by hitoshi280477 | 2006-02-06 16:42 | Mali

Mali vol.5 「 億千万のトイレ 」

 僕が泊まっていたバマコの宿は、ガイドブックによるとそれなりの数の日本人旅行者もお世話になったことのある宿とのことだった。 しかし、実際に行ってみると、その宿は想像以上というか、想定範囲以内限界の宿ではあった。

 4っつベッドがある大部屋には天井にファンが一つと、それぞれのベッドに蚊帳が吊るしてあった。 土床なのでちょっと埃っぽいが、その大きな部屋に一人だったので、結局4泊することになった。

 ガイドブックに書いてあることを鵜呑みにする程、旅の経験が無いわけではないので、ある程度のことはもちろん許容範囲だった。 アレ を除いては、、、





 「 this is african style ! 」


 と、そう説明された時、僕は苦笑いをして、まあしょうがないと思っていた。 時として、物事は選べないことがあるのを知っているからだ。 そんな事は今までいくらでもあったし。 が、しかし、、、

 アフリカン・スタイルと説明されたトイレは、ただ単に掘っ立て小屋の中に、コンクリートで造られた地面に丸い穴が空いていて、そこで大も小もするとのことだ。 トイレに電気はなく、紙もなく、ただ太陽の光を採り入れる為だけの窓が一つあった。

 トタンで出来た扉には何故かちゃんと鍵が付いていて、常に鍵の開け閉めをしなくてはならないこと、それとトイレ自体が宿の外にあるのでそこに行くまでだけが少し面倒なことのように思えた。 それだけだとそう思っていた、その時は。

 けれど、実際に用を足す時になって、自分の顔が引きつっていくのが分かった。 と、同時に驚いてしまって、どうして良いか分からなくなってしまったのだ!





 朝、いつものように朝食後にトイレに用を足しに行った時だった。 既に上り始めていた太陽が辺りをもう照らしていて、朝の爽やかな一時ではあった。 朝食後にトイレに行くというのはいつもの習慣なので、何も考えずにただいつものようにトイレに向ったのだった。 習慣なのだから、別段余計に考える事は何もないのだから、それは至極当たり前だと思うのだが、、、

 トイレの鍵はどうやら逆さまに取り付けられているようで、普通なら左回しに鍵を回せば鍵が開くというのを体が覚えてしまっているもんだから、そんなこんなで少し手間取ってしまった。 それに立て付けが悪いのか、鍵自体の性能が悪いのか、なかなか開けるのに大変な扉だった。

 ちょっと苦戦した後にやっと鍵が開いた、、、 そして、驚いたっ!!



 自分の背丈程ある扉から飛び出してきたのは、数えきれない程の蚊の大群だっ! 「 今までこれほどたくさんの蚊を見た事があるだろうか? 」と、自問してしまう程の量の蚊の大群だ。

 よくアジが泳ぐ時に皆でかたまって泳ぐ姿を、「 アジ玉 」と例えることがるが、この時の蚊の様子も似て非なるものがあるっ。 それ程、蚊の数は多かった。 まるで何か「 邪悪な気 」がトイレから流れ出て来る様な、、、



 小さな窓からは日の光が注いでいて、その明かりの分、このとてつもない程の数の蚊の大群ははっきりと見えた。 何処から沸き上がって来るのかはすごく不思議なのだが、いつまで経っても蚊がトイレから出てくるのは止む事はなかった。

 そんなトイレで用を足すのは大変だ。 本当に大変だ。 当たり前だ!

 こんな蚊の巣窟のような所で用を足すのなら、その辺でしてしまった方がハッキリ言って良いのだが、辺りには人の目もあるのでそうもいかない。 本当にその辺りで適当に用を足す事が出来たらどんなに楽かと思える程なのだっ!

 結局、トイレの扉を開け放ってから約3分後くらいにやっと蚊の姿は稀薄になった。



 どうするのか?

   ↓

 息をこらえるのしかないのだっ!



 どうするのか?

   ↓

 一気にするしかないのだっ!!



 そう意を決すると、後は バッ と入って、 グッ とやって、 ダッ と出るしかないのだ。

 それでも、用を足している時は、しきりに手足を動かしたり、体を動かしたりして、蚊になるだけ差されないように注意していた。 こんな所の蚊に刺されたら、マラリアどころではなく、きっと正体不明の変な病気をもらうに違いない。

 それだけいろいろと注意して用を足しても、きっと見えない何処かが刺されてしまっているかもしれないという疑惑は残った。 何せ相手は何百匹とも、何万匹とも、何億匹とも言える程の大群なのだっ!!!!! これほどの大群の蚊はそう簡単にお目にかかる事はないと思う。 ジャングルのどんな奥地だって、これ程蚊が密集している事はないことだろう。 そう思うと、ある意味貴重な体験をしたことになるのだが、、、 いや、しかしっ!?






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by hitoshi280477 | 2006-02-05 16:41 | Mali

Mali vol.4 「 首都の喧騒 バマコ 」

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 マリの首都であるバマコは人口100万人弱の大きな都市だ。 西アフリカを流れる大河・ニジェール川に沿うようにあるこの街は、他の何処の大都市とも変わらず、人と車と物で溢れかえっていた。

 縦横無尽に張り巡らされた道が、人と、物売りと、乗り合いのバスやなんかで収集がつかないかのように思えたのは、訪問者である自分だけなのだろうか?

 ラッシュアワーにはむせるせような排気ガスが街に充満し、日中を通して埃っぽくて、また照り付ける太陽の下、バマコの街は機能しているのだ。




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 この街が他の街と少し違って見えたのは、きっとバイクの量からだろう。 他の街ではそこまで気にはならなかった原付バイクや小型のサイズのバイクがバマコの街には溢れんばかりに走っている。 アジアの何処かの街で見る様なその光景だが、ここでも小型のバイクは庶民の足として活躍しているようである。

 乗り合いのバスの数も相当の物だ。 荷台を改造した中型のバンに人がたくさん乗っていて、それが街の至る所を繋ぎ合わせているようなのだ。 緑色に塗って統一されたこの乗り合いバスではあるが、だからと言って明確な基準などは何処にもないようで、運賃だって相場があるだけだ。

 分かっているのは、そういった乗り合いバスの類いはいつも決まったルートを走っているということだが、それが訪問者である僕には何処から乗れば何処まで行けるのか見つけるのは難しい。

 なので、いつもバスに乗る時は目的地の名前を連呼して、辺りにいる人々の助けを借りながら、バスに飛び乗らなくてはならないのだ、、、 まぁ、いつものこと。



 面白いのは、この乗り合いバスの数の多さから。 それ自体で渋滞を巻き起こしてしまう事だ。 そもそもバマコの街にはたくさんの道があるのだが、時には一方通行や細い道もあるので、皆が同じような道を走っている為に、いつも渋滞が起きる。 まあ、言い方を変えれば、乗り合いバスの数が多過ぎるのである。 そして、結果として競争も激しいようだ。




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 西アフリカを代表する観光立国であるマリ。 その理由の一つとして上げられるのが民芸品のデザインと種類の豊富さだろう。 バマコには、それら民芸品を集めた場所がある。 そこに行けば、マリでのお土産は全て買えるという所だ。

 一つの大きな建物の中に、たくさんの民芸品が売られていて、また実際にそこで造られている。 建物の中へと進んで行くと、狭い中庭のような場所に所狭しと民芸品が並べられている。

 そこでは、ヤギの皮を使って造られてた「 ジャンベ 」と呼ばれる太鼓が造られていたり、革製のサンダルや財布、木製の椅子や、きっと売り切れることはないであろう程の量のネックレスなどが売られている。



 そのどれもがマリ独特のデザインで造られていて、そのどれもがなかなかのセンスを感じさせるものが多かった。 特に、銀で造られたネックレスだのイヤリングだのはかなり凝った物があって、失礼ながら、これがここアフリカで手作りで出来ているとは信じ難い程の出来だった。 もちろん目の前で職人が造っているので本当の話なのだが、、、

 まあ、マリの思い出に何かを買い求める人だけでなく、とりあえず見に行くだけでも良い場所だとは思う。 いつもの如く、僕は何も買わなかったが。





 その民芸品売り場から程近い所に、大きな市場がある。 久しぶりにかなり大きめの市場である。 建物の一部から、トタン屋根で造られた屋台、パラソルを立てただけの店なんかがズラリと並び、そこに本当に溢れんばかりの物が売られている。 いや、実際溢れている。 端から見ていると、何処から何処までが誰のお店なのかも分からないし、よく商品が地べたに転がっていたりするし、箱物なんかは見栄えの為なのか高く積んであることが多い。

 食用や日用品はもちろん、衣類、煙草、ポリバケツ、金物、電化製品、玩具、、、 まあ、何でも揃うようだ。 何でも揃う分、それを買い求める人出の数も多い。 もともと狭くて密集している場所なのに、そこを商品を頭に載せた物売りや荷物の運び屋、そして買い物客と三つ巴で歩く場所を確保しなくてはいけないのだ。

 特にこれといって珍しい物は売られてはいなかったが、気になっていたのは大きなズダ袋に入った干した魚だ。 僕の体がスッポリと入ってしまいそうなくらい大きなズダ袋に入れられた干し魚たちは、まず間違いなく近くのニジェール川で獲れた魚なんだろうが、それらは一体いつのものなのだろう? なにせそれだけの量なのだから、そんなに回転率は良くないことだろうと思う。 それが軒並み売られているから、一体いつ獲れた魚なのかなんて分かる筈がない。 まあ、こちらではこれが当たり前なのだろうから、僕が何を心配しても、何を言ってもしょうがないのだけど、、、



 市場で働く人というのは、いつもその場所で仕事をしているもんだから、そこに ひょいっ とやって来る外国人に気が付かないわけがない。 しかも、東洋人である僕がそこで目立たないわけがないのだ、、、

 そうすると、すぐに声がかかる。 もちろん、「 シヌワッ(中国人) 」だ。

 彼らにはどうしても日本人と中国人の違いは分かる筈がない。 というか、違いどころか、彼らの頭の中には東洋人=中国人なのだから、しょうがない。 他にデータはあの頭の中には入っていないのだっ。



 何たることか、商売をしている方が暇で、道行く外国人に声をかけてくる。 僕はハッキリ言って彼らの暇つぶしにはなりたくないので、いつも適当に振る舞う。 そういう輩たちと時間を伴にしても、あまり何にもならないのは分かっているからだ。

 というか、いつもそうだった。 何と評すればよいのかいつも悩むが、まあ「 どうしょうもない 」というのが輩たちにはうってつけの言葉のように思える。 もっと真面目に仕事をした方が良いと思う。

 それを「 地元民との触れ合い 」と呼べる場合もあるだが、、、



 市場は本当に久しぶりに 混沌 という言葉が当てはまる場所のようだった。 規模的に大きいことから、見るには興味深い所ではあるが、、、

 そこで働く人にとっては、そこで働けるだけマシなのかもしれないが、他の世界を知る者が「 あの世界 」を見た後で思うことは、、、

 あそこはまるで「 一生抜けることの出来ない迷路 」のようだった。

 いくら仕事があって、その仕事が好調であっても、結局はずっとあの場所で仕事をし続けるしか選択肢のない人生なのだろうと思う。 それが、生きる為なのだからしょうがないし、それにまだ仕事が出来るだけ、仕事があるだけマシだというのは分かっているのだが、、、

 まあ、彼らには彼らの人生がある。





 そんなことを、すぐ近くにある五つ星ホテルの空調の効いたラウンジで考えていた。 さっきまでの喧騒は一体何処に行ったのやら? ここには ビシッ とスーツや正装に決めた人々が商談なり、会議の打ち合わせなどをしていた。 中には携帯電話で忙しそうに話ている人もいた。

 大きなガラス張りの窓の向こうを見れば、無数のトタン屋根やパラソルが見えた。 あちらにはあちらの現実が、こちらにはこちらの現実があるのだ。 しかし、この差は一体、、、






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by hitoshi280477 | 2006-02-04 16:40 | Mali