カテゴリ:Ghana( 11 )

Ghana 「 ガーナ@西アフリカ 」


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by hitoshi280477 | 2007-10-30 10:01 | Ghana

Ghana vol.10 「 ガーナの国民性 」

 実際ガーナに来てみて思ったのは、同じアフリカ人と言えど、人々に違いが見れるということだった。 それがガーナ人だからなのか、それが地理的な事からなのか、それが英国の植民地からだったからなのか? その辺のことはあまり詳しくは分からなかったが、今まで通って来た西アフリカの国々とは違う点が多々あった。 時には、明らかに違う事もあった。


a0086274_7183328.jpg ガーナ人はフレンドリーである。 それはどこの西アフリカでも変わらないかのように思える。 そして、僕としては言葉が通じる事もあるから、より触れ合う事が出来て、会話を通してそう感じる事が多かったのだ。 もちろん、フレンドリーなだけでなく、親切でもある。

 大概の場合において、何か助けを請えば、何とかしてくれるのだ。 特に、道を探している時などは頼りになる程だし、乗り物の相場を教えてもらったりもした。

 一度驚いたことは、乗り合いバスでたまたま隣に座ったまだ若いお母さんが、僕とバスの助手のお金のやり取りを聞いて、間に入ってくれてお釣りをもらうのを助けてくれたりも下。 別に頼んでもいないし、自分で何とでも出来る状況だったのにも関わらず、彼女はわざわざ間に入って、そうやって手助けしてくれたのだ。



 もちろん、中にはやんちゃな若造やどうしようもないおっさんもいて、相変わらず「 チンチョンッ 」とか、「 チャイニーズ・マンッ 」とか言ってヘラヘラしている奴も多い。 ただ、こうした輩に詰め寄って、「 何だ!? 何がチンチョンなんだ!? 」とか問い詰めると、大概の場合にて「 ごめん 」と謝る。 謝るくらいなら始めからそんなことを言わなきゃ良いのに、、、 ただ、まだそこで謝るのがガーナ人なのだ。 時には、ビビって逃げる奴もいるくらいなのに。

 そうガーナ人は謝るのだ。 こんなの他の西アフリカでは経験した事がない。 それが、謝ることのないフランスが旧宗主国からなのか? その辺は分からないが、これは本当の話で、ガーナ人同士で謝っているのを目にする事もある。 それが、例えば肩がぶつかった程度でも謝る程なのだっ!



 ちなみに、僕が夕食後に外を夜歩いていて、数人の若者の中の一人が、「 チンチョンッ 」と言って来た。 いつもの事なので、僕は気にしない様に歩いていたのだが、奴が何度も「 チンチョンッ チンチョンッ 」と言っているのに、さすがに頭に来たので、一緒にいた旅友に一言、、、「 ちょっと行ってきます 」と言ってそいつに詰め寄ったことがある。

 僕が近付くだけで、相手は既にもうビビっている。 まさかこのチンチョンが振り返ってしかも、向ってくるとは思っていなかったのだろう。 しかも、彼の言う所のチンチョンは紛れもなく中国人なのである。 そして、馬鹿な話だが、彼らは未だに全中国人がジャッキー・チェンやブルース・リー、それにジェット・リーのようにカンフーの達人だと思っている節がある。 なので、そんなチンチョンが近付いてくるだけで、ほとんどの奴はビビリ、子供は逃げる。 そして、向こうから明るく努めて誤摩化そうとするのだ、、、



 「 ハロー 元気か? 」と、僕はなるだけにこやかに挨拶をした。

 「 チンチョンッ、、、 て、どういうことだ? 」といきなり話しを切り出す。

 「 い、いやぁ、、、 君たちのような人をチンチョンって呼ぶんだよ 」

 「 何だそりゃっ!?(怒) 」

 「 ご、ごめん、、、 」



 最初に交わした握手の時から、そいつは悄気ていた。 それが愉快でたまらない。 はっきり言って、馬鹿だ。 人をからかっておいて、最後には反省しているのだ。 しかも、いい大人がっ! 悪気はないのは分かる、だからと言ってそういうのを許しておくわけにはいかない。 人を馬鹿にしているのだから。



 「 あのな、お前は一体幾つなんだ? 5歳のガキンチョじゃないんだから、つまんないことをするなっ 分かったな? 第一、自分で良くない事をしたと知って、反省しているじゃないか? 大人なんだから、そんな風になるな 馬鹿と思われるぞ 」

 「 、、、 分かった ごめん 」



 奴の周りの友達は、苦笑を押さえるのに精一杯だった。





 それでも、やはりガーナ人は真面目だと思う。 それが、国民性だと言ったら、そうだと思う。 道行く人を見ていると、何だかそんな気がしてならない。 まあ、もちろんアフリカでの話だが、、、

 ただ、やはり少しは教養があるのか、時にはまともな話が出来る人もいる。 それが、別に経済とか国際情勢に詳しいとかではなくて、普通の人間としてまともに話が出来ると言っているのだ。 だからこそ、ガーナは他の国に比べて、その国自体がまともに見えるのだろう。

 走って来た道路を見てもそうだし、ガードレールがあるのもそうだし、街灯があるのもそうだし、コンピューターでバスのチケットが買えるのもそうだし、インターネットの回線が速いのもそうだし、停電がほとんどないのもそうだし、ちゃんと挨拶するのもそうだし、、、 そういう面を見ると、ガーナという国はとても良い環境だ。 ああ、そうそう国境での 餌 の請求もなかったしっ!


a0086274_7185254.jpg 明るくピースフルな国民性と称されるガーナ人。 来てみて、それを実感する事となった。 その中で言葉が理解出来るというのは、もちろん重要だったが、それ以上にガーナ人の国民性によって、ガーナでの滞在そのものが非常に有意義になったのは言うまでもない。

 「 またいつか来たい 」とそう思わせる国ではある。 その頃まで、そのフレンドリーで、ピースフルで、きちんと謝れる?国民であって欲しいと切に願うのだ。






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by hitoshi280477 | 2006-03-04 09:01 | Ghana

Ghana vol.9 「 野口英世氏 」

 「 黄熱病 」という病気がある。

 ウイルス性出血熱で、南米やアフリカでみられる病気。 熱帯縞蚊が媒介生物で、人から人へと感染する。 皮下出血や歯肉出血、黒色の嘔吐、黄疸、貧尿、血圧低下などの高い予後不良の疾患。 発病から約一週間で治癒する事もあり、約10%程度の人が死亡すると言われている。 特効薬はなく、症状に応じた治療をするのみ。



 黄熱病といえば、南米、特にアフリカを旅する人の間では、マラリアと並んでよく知られている病気だ。 というのも、マラリアのようにかかり易いというわけではないのだが、人から人へと感染するという病気の為に、アフリカのある数カ国では旅行者に対して黄熱病の予防注射を義務付けていて、それがいわゆる イエローカードの所持の義務 ということになるからだ。

 呼んで字の如く、イエローカードは黄熱病の予防注射を受けている証明になる黄色い証書だ。 一度この予防接種をしたら、10年間有効なのだが、実は以前エジプトのカイロで打った時の証明書は、その後の南米旅行中のエクアドルで荷物ごと盗まれてしまって困っていたのだ。

 というわけで、南極以後のアルゼンチンはブエノス・アイレスで、無料 で再度接種したのだった。 果たして、それが良い事なのかどうかは知らないが、、、 ちなみに、日本ではこの予防注射は約8000円程するとか? カイロでは、確か20円くらいだったが?


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 ここガーナのアクラにて、その黄熱病の研究に尽力した日本人がいる。 日本人であるならば、絶対にと言って良い程耳にしたことのある人物だ。 福島県出身の細菌学者、「 野口英世 」だ。

 幼い頃に患った手先のハンデを克服し、ただひたすら学問に打ち込む事で頭角を表し、遂には伝染病研究所を経て、ペンシルバニア大学助教授、更にロックフェラー医学研究所員にまでなった。 その後、その分野にて活躍、そしてここアクラへ黄熱病の研究の為にやって来たのだそうだ。

 氏は、最終的には自ら研究していた黄熱病を患って、遠く祖国を離れたこの地で病没した。





 ここアクラにあるガーナ大学医学部付属病院には、当時の彼の功績を讃え、彼の銅像とその当時の写真やら研究に必要だった器具、それに新聞の切り抜きなどが研究室の一室にて見ることが出来る。

 

 ガーナ大学医学部のキャンパスのような所なのだが、そこでは、当たり前だが、白衣を身にまとい、眼鏡なんかをかけた如何にも知的に見えるガーナ人の生徒や研究者がいる。 そのキャンパスの外の世界の人間とは到底同じ様には見えない程、彼らはそれだけで立派な人物に見える。

 そんなキャンパスを歩いて行くと、そこに日本庭園と称された今ではほとんど手入れなどされていない庭の中に、氏の銅像が ど~っんと置いてある。 実際は銅像なのだが、その表面が何故か金色に塗られている。 まあ、そんなことはどうでも良いのだが、、、

 実に立派な銅像ではある。 先程尋ね回った時には、あまりに人が知らなさ過ぎて少し焦ったが、ちゃんとした医学部の受付で尋ねると、門番でさえ知っていた程だ。 人々が彼の功績を讃えて建てたというのだから、やはりそれなりの者にそれなりの物を作ったということか。


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 研究室の一角に設けられているという氏の展示室に入れてもらう事にした。 小さな部屋の中には、氏の写真や研究の様子、それに新聞記事やら研究に使用していた顕微鏡などが置いてある。 中でも一番目を引いたのが、氏の母親であるシカが氏に宛てて書いた手紙だった。

 というのも、氏の母は字の読み書きが出来ないことで有名なのだ。 もっとも、あの時代はそれが当たり前だったのだから、それが特別どうと言う事ではないのだが、ただその手紙自体は、その母親がどうにかして自分の思いを遥か遠く離れた地にいる息子に伝えたい思いで一生懸命書いた手紙なのだ。

 その為にどうにかして字を習ったのだろうが、如何せん付け焼き刃とでも言おうか、字が読みにくい。 読みにく過ぎて、恐らくあるであろう誤字・脱字さえも分からないほどだ。 しかし、その字体には、何処か重みがあった。 きっと息子に自分の気持ちを伝えたい一心で書いた手紙だけに、それが字そのものからも伝わってくるのだろう。

 何とも泣ける話ではないか?





 当時の氏の研究活動が一体どういうものだったのか、どれ程のものだったのかをあまり知らないが、わざわざこんな遠く離れた異国の地へ研究しにやってくるのだから、それは相当な事だったろうと思うし、それに今では世界中でその黄熱病の予防注射が普及していることを考えれば、彼が世界にもたらした事の大きさが伺い知り得る。

 いやはや、立派な日本人ではある。






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by hitoshi280477 | 2006-03-03 09:11 | Ghana

Ghana vol.8 「 世界最大の人造湖 」

 ガーナでの滞在を、もう少し彩る為に、世界最大の人造湖である「 ボルタ湖 」に行ってみる事にした。 もっとも、行くまでは相当腰も重く、その場に連れが居なかったら恐らく行くことはないであろう地ではある、、、

 アクラから乗り合いのバンに乗る事、約2時間。 途中、信じられないようなくらい出来の良い高速道路を走っていった。

 ちなみに、ここではちゃんと料金所もあって、ちゃんとお金を集めているのだっ!



 車窓から見える風景と言えば、特に変わったことはなく、いつのも灌木の生い茂るだけのつまらないものではあった。 ただ、いつの頃からか現れた電線が、きっとボルタ湖にある水力発電所に通じているんだろうな、、、と思っていたくらいだ。



 何故か一人でも、人が集まっていても、出来るだけお金を節約する、、、 もしくは、ちょっと無理をする。 もしくは、「 行けるよ 行けるよっ 」と強気になるのが、個人旅行者たちの性だ。 というわけで、地元の人が「 タクシーに乗っていけっ 」と言ったのを放っといて、バス乗り場から湖まで歩いて行く事にしたのだった、、、



 しかし、まるでジャングルを切り開いたかのようなその道路は、緑が多い事を除けば良い事は何もなかった。 なだらかな坂道を延々と登って行くのだが、如何せん蒸し暑い。 汗が止めどなく流れてくる。

 もちろん「 そこまで遠くはないだろう? 」という希望的観測に基づいて歩いてるのだから、飲み物なんぞ誰も持っていない。 端から見たら、どうしよもない無謀な者の集団かもしれない。

 少し高台に出た。 湖のような何かが微かに見える。 しかし、本当の湖はもっと先である為に、そんな小さな水溜まりには誰も用は無いようだった。



a0086274_22535396.jpg 結局、途中で車に小銭を払って乗せてもらい。 やって来たのは、フェリー乗り場だった。

 日曜日である今日は、湖を行くクルーズ・ツアーがあるのだが、もちろんそれには間に合う筈はない。 辺りには、その乗客の物であろうと思われる車がたくさん停まっていた。 飲み物さえも売っていないこの場所で、何故か意味不明なお土産物屋だけはあるから不思議だ。 しかも、湖とは全く関係のないビーズ細工や鉄の置物ばかり、、、



 更に先へと進むと、ボルタ湖の北と南を繋ぐ客船の乗り場へと辿り着いた。 しかし、別に営業しているわけでないので、面白い何かが見れる訳ではないのだった、、、

 辺りにいる人に尋ねると、その先には休憩出来るレストランのようなバーのような場所があると聞いたので、とにかくそこまで行くことにした。 ボルタ湖の畔にあるそのレストラン兼バーで、やっとのこと少し休憩出来た。 皆で冷たいジュースやら、ビールやらを乾杯して、しばらくしてから湖ある畔へと行った。 そして、気が付いた、、、



a0086274_22541355.jpg 世界最大の人造湖だからといって、その全景を眺める事が出来るわけではないのである。 僕として、その畔に立った時にはこう バ~ッン っと、大きな湖が見れるものばかりと思っていた、、、 そう思っていただけに、何だか寂しくもあり、苦笑いも止まらず、そして一気に疲れが体に来た感じだった。

 それに、世界最大の人造湖とはいえ、その全てが 人造 な筈はないのである。 それに気付いたのは、その人造湖を目にした時だったから勘違いも甚だしい。

 まあ、これで、僕は「 世界最大の人造湖を見た事があるんだぞっ! 」という事にはなるか。






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by hitoshi280477 | 2006-03-02 08:59 | Ghana

Ghana vol.7 「 ビザ取得の攻防 」

 「 原則として、ガーナの居住者にしかビザは発給しない事になっているのだっ 」



 担当官はそう僕らに言った。 しかし、「 ナイジェリア・ビザ 」をここアクラで取得する際には、その原則とやらをなんとか曲げてもらって、ビザが取得出来ると旅人話には聞いていた。 だから、こうしてわざわざタクシーに乗ってまでしてやって来ているのだっ。



 「 何とかして欲しい 」と言うと、

 「 なんで日本で取得して来なかった? 」と聞かれ、

 「 日本を出たのは5ヶ月程前だ 」と答えると、

 「 一体お金はどうしているんだ? 」と聞かれ、

 「 ずっと前に仕事を二つしながら貯めたんだ 」と答えると、

 「 そんなにお金をたくさん持っているのか? 」と聞かれた。



 その若い担当官の顔色が、何だか嫌な感じになっていたのを僕は察していた。

 きっと僕よりも若いのだろうが、向こうにとっては僕の方が若く見えるらしく、そんな若い奴がこうして仕事もせずにもう何年も世界を回っている事に対して、少なからず嫉妬を感じたのだろう。

 もちろんその事実を隠す事は出来ない、何故なら旅の経歴は全てパスポートに載っているのだから、、、

 そして、嫌がらせが始まった。



 「 ナイジェリアのビザは本来ガーナの居住者のみに発効している そんな訳で、君たちにビザを発効する事は、原則として出来ない それに、向こうではお金がかかる 充分なお金を所持しているのか? 」

 「 充分あると思います 」

 「 もし病気とかになったらどうする? お金がかかるぞ 」

 「 それにも、充分なお金を持っていると思いますが、、、 僕ら日本人だし 」

 「 保険は入っているのか? 」

 「 もちろんです 」

 「 書類を見せろ 」



 旅行保険の証書を普段から持ち歩く程、暇な旅行者はいないと思う。 もちろん僕の証書はホテルに置いてあるバックパックの中だ。 しかし、一緒にいた人日本人旅行者が 適当な書類 を見せると、担当官はそれを ふんふん と言いながら見ていて、最後には「 良し、これのコピーを持って来いっ 」などと言った。

 とんでもない馬鹿だ。

 その書類は、銀行の支店の電話番号が欠いてあるだけの物で、しかも表紙には、「 World Cash - xxxx Bank 」としっかり書いてあるのに、その担当官はそれを保険会社の連絡先と勘違いしたのだっ!

 呆れる、、、



 結局、保険の証書が必要になったので、一度ホテルに戻ることになった。

 ナイジェリアのビザ取得の手続きは面倒で、申請日はまだしも、受取日が水曜日と金曜日と決まっているのだ。 そして、昨日が月曜日だったのだが、ガーナの独立記念日で休み、そして今日が火曜日なので、今日中に申請すれば明日もらえる筈なのだ。 そう、筈なのだ。



 担当官に「 明日取れるのか? 」と聞くと、「 恐らく、、、 」と言いやがった。

 まったくとんでもない奴だ。

 頭に来る。

 しかも、申請書類も二部ずつ必要なのに、自分たちでコピーしてきて、それをちゃんとホチキスでとめて来いとまで言いやがるっ! なんでそんなことを、こちらがしなくてはならないのか? ちゃんと仕事をしろってんだっつ!!

 そして、終いには「 14時までに申請だからなっ もし5分でも遅れたら、申請は受け付けないからっ 」とか言ってくる。

 本当にムカつく奴だ。





 とにもかくにも、ビザが取れるのなら取れるうちにとりたいのだ。 というのも、今までの経験上、取ろうと思っていて、、、 そのまま申請するのが遅くなり、ビザの受け取りが翌週に流れたこととかもあったからだ。 それに、このビザの受け取りは水曜日と金曜日と決まっているのだから、とっとと行動しなくてはいけない。

 ホテルまでタクシーで戻って、必要な書類と必要になりそうな書類のコピーを揃える。 念の為に、全て二部ずつ作成した。 「 日本人の仕事を見せてやるっ!! 」とばかりにはりきった。 やるからにはこちらも本気なのだ。



 そして、再び大使館へと赴き、入館早々あいつがいたので、「 戻って来たぞっ 」とばかりにアピールしておいた。 空調の効いた部屋で申請用紙を書き込むが、これがまた面倒臭い、、、

 というのも、質問が細かくて、中には「 最近?ヶ月以内に訪れた国と滞在日を5個書け 」とかまであるっ! 急いでパスポートのページをめくって探すが、アフリカに来て以来ものすごい勢いでページが減っていくので、その都度適当なスペースを見つけては押してもらっていたので、パスポートの何処にその国の入国のスタンプがあって、何処に出国のスタンプがあるかなんて分かりゃしない。

 空調が効いていようが、時間もおしている事から、冷や汗をかく思いで何とか仕上げた。 自分で確認してみても、少し不可解な点があるが、何はともあれまずは申請しなくてはいけないのだ。



 ここでまた問題が発生。

 ついさっき顔を合わせたばかりのあのムカつく担当官が何処にも見当たらないのだ。 周りの人間に聞いても、探してはくれるが見つからない。 こちらはやっとの思いで仕上げた申請書類を手に、辺りを落ち着きなく右往左往だ。 さっき会ったばかりなのだから、こちらがすぐに申請に来る事はしている筈なのに、まるで頃合いを見計らったかたのように消えてしまった。

 「 きっとわざとだ。 」 本当に嫌な奴だ。



 10分程して、やっと何処からか戻って来た。 とりあえず申請書類を見てもらわなくてはならない。 文句をガツンと言ってやりたいが、こちらが弱い立場にあるのだからしょうがない。

 申請書類を担当官が一通り確認すると、「 明日の14時に来い 」とだけ言った。 そう、無事に受理されたのだ。

 時計を見ると、後5分で締め切りの14時だった。 ギリギリだ。





 果たして、翌日の14時(もちろんそれより前)に大使館に行くと、すぐに ポンッ とパスポートを渡されたのだった。 訝しいので何度も確認したが、ちゃんとしたビザがちゃんと取れている、、、



 「 もしかしたら、、、 」などと思っていた事が現実となってしまった。



 これで書類上は、ナイジェリアへ入国出来るのだ。 何はともあれ、無事にビザを取得出来たことを喜んではいたが、思い出すのはあのムカつく担当官だ。 何が「 原則としてガーナの居住者のみに発効する 」だ。 それがそうなら、そうしろってんだっ! 散々嫌がらせをされたのだから、言いたい事はたくさんあった。

 しかし、これが「 噂のナイジェリア 」だとすると、これから先も思いやられる、、、





 そのまた翌日、トーゴ大使館へと向った。

 今度はガーナとナイジェリアにあるトーゴとベニンの両方のビザが必要なのだ。

 アフリカは何処まで行っても、ビザ・ビザ・ビザだ。 ビザ代も馬鹿にならない。

 時間もかかるし、労力も費やすし、、、



 このトーゴ大使館で取るビザは少し変わっていて、恐らく西アフリカを旅する人は知っていると思うが、「 五カ国共通ビザ 」というのがある。

 ちなみに仏語では、、、 「 VISA TOURISTIQUE ENTENTE 」。 実に質素。 

 このビザ一つでこの辺りにある五カ国、すなわちトーゴ、ベニン、ニジェール、ブルキナ・ファソ、そしてコート・ジボアールに入国出来るのだ。 どの国も世界的にはあまり知られていない、マイナーリーグにも属さない国たちだ。 恐らく、だからこそ寄せ集まってがんばっているのだろう。 そんなビザだ。



 トーゴ大使館はナイジェリア大使館とは比べ物にならない程、親切で、仕事もきっちりしていた。 なにせ、午前に申請すれば、午後には受け取り可能なのだから。 本来ならばそうして欲しいものなのだが、実際そうだと驚きと感謝の念が湧いてしまう。

 ちなみに費用は$50、もしくは25000CFA。 アメリカ・ドル払いがどう考えても安い。 というのは、下調べをきっちりやっている旅友の助言だった。

 それに、ビザは好きな期日から二ヶ月間有効の各国一回のみ入国可能。 もし二回入国したいのなら、新たにトランジット・ビザでも取得すれば良いのだ。 もちろん、一カ国ずつビザを取るより断然安くつく。 なんと便利なビザだ。



 ただ、問題なのは、これが何処でも取れる訳ではなく、また、話によると在庫が切れ次第このビザは無くなる?ということだ。 まあ、いい加減な面もある。





 かくして、ビザの準備は整った。 これで、ガーナよりも東へ進めることになる。

 しっかし、ビザの取得だけは面倒で仕方がない。 わざわざ大使館に行ったり、申請用紙を書いたり、書類を揃えたり、待ったり、、、 しかも、お金もかかるし。 それに、時間と労力も。

 結局、これらのビザを取る為だけに、まる3日かかった。 まあ、結果として全部のビザを取得出来たのだから、良しとしよう。






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by hitoshi280477 | 2006-03-01 08:58 | Ghana

Ghana vol.6 「 抜け出せない迷路 」

 西アフリカでは大都市と言えるアクラで忘れることが出来ない場所が、「 ジェームズ・タウン 」だ。 アクラの街を海に向って歩いて行くと、そんな場所がある。 そこは、「 アクラの本当の地元の人が住む街、、、 」と、ガイドブックには紹介されている所であり、小さいながらも灯台があるそうだ。

 マコラ・マーケットの先へと歩いて行き、少し西へと進むとそこがその「 ジェームズ・タウン 」。

 特にこれと言った見所があるわけではないことは承知の上なので、とりあえずその灯台とやらに向う。 道中、横から「 チンチョンッ(中国人の意味) 」とか、「 ジャッキー・チェン 」とか、しょうもない言葉を投げかけてくる奴らがいる。

 しかも、通り過ぎる時になってコソッと言う奴が多い。 振り返って見てみて、小さな子供がカンフーのマネをしているくらいなら可愛いもんだが、大の大人がそんなことをしているのである。

 ただのアホだ。

 終いには、「 こっちに来いっ!! 」とかエラソーにふんぞり返って呼んでくる奴がいる。 用があるなら自分から来いってんだ。 実際、「 こっちに来いっ 」と言い返すと、笑って誤摩化したりしやがる。 本当にどうしょうもない奴らだ。 ここには、そんな奴らが多過ぎるっ!!


a0086274_22132684.jpg 何の変哲も無い灯台を、そのままやり過ごしてしまうのもなんだか悔しいので、とりあえず写真に収める。

 すると、タイミングを見計らったかのように誰かが文句を言ってくる。 何だか意味が分からないので、始めのうちは相手にしなかったものの、なんだかんだと言ってくるのに頭に来たので、こちらも散々言ってやった。

 始めは威勢がよかったクセに、こちらが引かないことを知ると急に弱腰になるのが黒人だ。

 「 写真を取るなっ 」とか、「 金を払えっ 」とか言ってたクセに、最後には「 俺は仕事が無いんだ、、、 」とか訳の分からん事を言ってくる。 そうやって同情を引いてお金を恵んでもらいたいのだ。 とんでもないヤツがいるもんだ。





 波止場の方からアクラの街並を拝見出来ないものかと思い、埃とゴミと汚臭にまみれた所を歩いて行った。 やはりここでも東洋人が珍しいらしく、皆がそろって「 チンチョンッ! 」とか言ってくる。 皆、暇過ぎるのだろう、、、

 大西洋が見えるかと思い、その波止場に登って驚いた。 その波止場がゴミにまみれているのは遠くからでも伺えたが、実際そこに立ってみると、そこには数えきれない程夥しい数の「 人糞 」があった。 実に、足の踏み場もない程の数だ。

 中にはまるでミイラのようになった風化寸前のものもあったが、目の前で人が用を足しているのも確認出来た。 これまで旅行して来て、ここほど酷い場面を目にした事は無かった、、、



 波止場の内側には、たくさんの小さな漁船があった。 漁師であろう男たちが船の手入れなり、網の手入れなりをしている様子が伺えた。 その奥には恐らく彼らの家であろう、屋根のあるような無いような、壁のあるような無いような、廃屋のような建物があった。

 日が傾きかけ、彼らのそんな様子が逆光になりだした頃、何度かシャッターを切った。 きっとそれなりの絵になるだろうと思って構図を考えながらシャッターを切っていた、、、

 そしたら、先程まで目の前で座って用を足していた男が近付いて来た。 そして、こう言った、、、



 「 ここで写真を撮ってはいけない 」

 「 何故だ? 」

 「 、、、ここは写真を撮る場所ではないからだ 」

 「 何故? ただ風景を撮っているだけだろう? 」

 「 、、、金を払えっ 」

 「 何故、お金なんだ? 」

 「 、、、ブラック・マンのルールだ 」

 「 何だ、そりゃ? お金を払えば良いのか? 」



 そこで頭に来た。



 「 大体、なんでお前らはお金のことばっかりそう言うんだ? お金を払えば全てが解決するのか? なんだ、そりゃ? 結局は、お金なのか? お金さえ払えば、それで良いのか? お前らのルールってのはお金なのかっ? 」



 この辺りに来た時から、なんだか頭に来る事が多かったので、大声を張り上げて言いたい事を怒鳴り散らしてしまった。 相手は英語が分かるということもあったのはもちろんだが、、、

 そんな僕の怒鳴る様を見て、男は しゅんっ としてしまっていた。 どこかしょげていて、あたかも反省しているような、そんなつもりではなさそうな態度になっていた。 そして、こっそりと謝っていた。

 黒人には、ビビる奴が多い。





 日が沈む前にジェームズ・タウンというこの不快極まりない界隈を出たかった。 さすがに夕闇の中で黒人とやり合う気はない。 しかも、こちらはアウェイで一人、向こうはホーム。 それに加えて、暇な奴は腐るほど無数にいるのだ。

 足早に歩いていても、辺りから「 チンチョン チンチョン 」と聞こえてくる。 そして、振り向けば「 こっちに来いっ 」とエラソーに言ってきやがる。 そういう輩は、大概何もしてないくて、暇なものだからこちらに声をかけてくるのだ。

 暇な奴ほど面倒な奴はいない。 





 途中からみすぼらしい少年二人が話しかけて来た。 ボロボロでダボダボの服を着ていて、頭にはカビのような白い無数の点がある子と、その連れ合いの似たような感じの兄弟分だ。

 二人とも少し頭がおかしいのか、ヘラヘラとしていた。 まるで乞食のような恰好をした彼らが話しかけてくるのを無視するのは、可愛そうだとつい思ってしまったのが間違いだった、、、

 何処までも付いてくるのだ。



 始めのうちはしょうもない会話をしていたのだが、そのうち「 小遣いを頂戴っ 」とか言って来た。 もちろん、そんなことは予期していたので、「 ほら、あの人にもらえっ 」とか言いながら、地元のおばさんや警察官を差していたが、彼らはただヘラヘラとしていた。



 10分程歩いて、マコラ・マーケットの辺りまで戻って来ても彼らは付いて来ていた。 予めハッキリと「 お前らにお金はやらんからなっ 」「 人にお金をせびるヤツは最低だっ 」とか言ってあったので、彼らの存在を気にしてはいなかったものの、彼らの存在を気にしていたのは周囲にいた大人たちだった。

 まるで、「 汚いゴミをみるかのよう、、、 」なんて表現は文章の中だけかと思っていたが、実際辺りにいた大人たちの視線は冷たく、また一緒に歩く僕を見て驚いてもいた。



 「 小遣いを頂戴っ 」とまたせがんでくるので、傍に座っていた乞食の親父を差して「 あの人にもらえっ 」というと、「 エ~ッ 」と言って変な笑みを浮かべていた。 その乞食の親父は先日、「 おいっ、チンチョンッ 金をくれっ 」と言って来た奴だった。 彼らとこの親父の間には、何の違いもない同類だ。





 「 ホテルに帰るんだ 」

 「 一緒に来ても何もやらないよっ 」

 「 中に入って来たら警察を呼ばれるぞっ 」



 道中、そう彼らに僕は何度も言った。 その度に、「 エ~ッ 」と言いながらヘラヘラとする男の子たち、付いて来たジェームズ・タウンのあの場所からホテルまでは、早足で歩いて小一時間はかかり道のりだ。 それを彼らはずっと付いて来たのだ。 実際、驚きだ。

 途中で無理矢理にでも追い返すか、走って逃げるか、それとも少し小銭を掴ませるか考えたが、結局ホテルまで着いてしまった。 しょうがないので、彼らに再びこう言った、、、



 「 さっき言ったよな? 何にもやらないって それに、ホテルに入ったら警察を呼ばれるって言ったよな? 言ってる事、理解出来るよな? 大丈夫だよな? 嘘付いてないからなっ 」



 二人はウンウンと頷いてはいたが、僕がホテルに サッ と入ってしまうと、また「 エ~ッ 」と言っていた。 明らかに彼らを見捨てるような感じになるので、どこか心が痛む気持ちがあったのは事実だった、、、

 しかし、しょうがないのだ。



 ホテルの人がどうしたのか尋ねて来たので、事の次第を話すと、ホテルの人もやはり僕と同意見で、「 何もやるべきではない 」と言ってくれたので、少し心のつっかえが和らいだ気がした。 とはいえ、根本的に何も解決してはいないのだが、、、 ただ、彼らが「 人に物をねだれば、無償で何かがもらえる 」という甘い考えが通用しないことを理解してくれればと思う。





 部屋に戻って考えた。



 ジェームズ・タウンで出会った人々には、久々に考えさせられる何かがあったのは間違いない。

 人からお金を奪おうとする人々、人を小馬鹿にするだけの人々、人に自分の問題をまるで責任転予しようとする人々、、、 とんでもない人々がいた。 そして、そんな人々が実際に住む世界があった。

 僕にとっては、この世界をまた知る良い機会になったと言える事と思う。



 ただ、その一方で、何とも表現し難い気持ちになった。

 そして、思った、、、



 「 人間は平等かもしれないが、不公平だ、、、 」と。



 どう言葉にすれば良いのか分からないが、ふと頭にそんな言葉が浮かんだ。 自分自身にでさえも説明出来ない程、僕の頭の中ではジェームズ・タウンで出会った人々の事が消化・整理出来ないでいた。

 あそこで暮らす人々のほとんどは、今日僕が目にしたような日常や生活環境でこれからも生きていくのだろう。 そして、あの男や漁師たちが、彼らのような子供たちを産み、彼らのような子供たちがあの男のようになったり、漁師なり、なんなりに日々の糧を求めては、次の世代を産んでいくのだ、、、 そんな中で、人々は人生を模索していくのだろう。

 それが別の世界なら話は別だ。 しかし、ハッキリ言って、ここは「 陽の当ることのない世界 」だ。 人々はそんな闇の中で生きているのだ。 それはまるで、抜け出す事の出来ない迷路 のようでもある。

 もちろん、人々がそれで満足していれば話は別だが、、、



 というのも、彼らあそこで暮らす人々を見ていると、彼らの生き方にその陽の当らない世界を、抜け出せない迷路を、脱出しようと努力しているようには思えなかった。 それは、ただ単に僕がそう見出す事が出来なかっただけなのか? やはり現状に満足しているのだろうか? それとも、人々は既に諦めてしまったのだろうか?

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by hitoshi280477 | 2006-02-28 08:56 | Ghana

Ghana vol.5 「 とりあえずアクラ 」

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 西アフリカの旅を始めて、約二ヶ月間という時が過ぎようとしていた。 あまりにも突然に西アフリカ行きを決定した割には、想像以上に物事が順調に進み、また、時がすんなりと経っていた。

 そして、当初、西アフリカの最終目的地と決めていたガーナの首都アクラに着いた。

 それは、あまりにも順調過ぎる旅路ではあったかのように思われた、、、



 そんな思いが頭の何処かにあったが、いずれにしても、アクラは何をするにも便利で、且つ活気的な街ではあった。 英語圏ということもあったし、一段落着いたということで、少し休憩したり、荷物を日本に送ったり、諸々と必要な物を買い足したりし、また、これから先のことを検討するのに情報収集を、今では欠かす事の出来ないインターネットへの日本語でのアクセスが可能なこともあった。

 それに、西アフリカへの基点となる街だけに、久しぶりに日本人が4人も集まる機会があった。

 西アフリカへの旅行といえば、日本人だけでなく、世界中からの旅行者の数はかなり少なく、いると言えば仏語圏からの旅行者が異常に多い事で知られている。

 無論、仏語圏からの旅行者は仏語で話すので、仏語を理解出来ない旅行者には歯がゆい思いをするのみだ。

 その為か、日本人旅行者は西アフリカでは寂しい思いをする事が、他の地域に比べかなりある方だと思う。



 マリのジェンネから一緒でアフリカ制覇を目指す人と、何故かガーナにもう二ヶ月もいる旅7年目の人と、そして去年ブラジルで会った事があってエジプトのカイロから飛んで来た人と、そして自分を含めた4人だ。

 さすがに西アフリカともなれば、出会うのも濃い面子になる。 その旅友同士で、特に内容のない話をしたり、旅の情報交換をしたり、太鼓やゲームで遊んだり、カレーを作ったりをしていた。 



 そんなわけで、アクラではいつの間にやら2週間も過ごしてしまっていた、、、


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 アクラは大都市とはいえ、ただのだだっ広い街ではある。

 街の中心街というのが掴みにくく、強いて言うならばマコラ・マーケットの辺りだろう。 この市場がどれくらいの規模なのかを数字で知る事は出来なかったが、実際そこに行ってみれば、そこはきっと西アフリカでも随一の大きさを誇る市場だという事は分かる。

 いや、規模でさえ知る事も出来ないが、密度だけは間違いなく肌で感じる事が出来る。 それほど、マコラ・マーケットは人と物に溢れている所であり、活気のある所だった。



 所狭しと形容するには足りない感じがする程、市場は人と物とでごった返している。 何が売られているかと言えば、、、 まあ、生活に必要なものは全て売られている感じだ。 製品のおよそほとんどは同じ物を取り扱っているものだから、そんなに辺りをウロウロしてもしょうがないように思えるのだが、明らかに違うのは「 値段 」だ。

 もちろん 言い値 なんかは軒並み違ってくるので、同じ商品を、違う数件の店で聞き回らなければ適正価格が見えてこない。 ほんの少しの買い物の為に、辺りのお店を人に揉まれながら歩いて行かなければならない。

 地元の人が皆そうやって毎日生活しているのだと思うと、ある種の尊敬の念を抱いてしまう。 それほど、この辺りをウロウロするのは疲れるのだ。 何せ、人と物の量が半端ないのである。

 歩道も、道路も、店と店の間も人と物で埋め尽くされているのだっ!!



 市場の裾野は広く、何処までが市場で、何処からが普通の街なのかは検討つかない。 市場の喧騒から逃れるように足早にしばし歩いて行くと、いつの間にか市場を出ている感じだ。 それでも、路上での販売や、歩道での屋台が至る所にあるので、その全貌を知る事は出来ない。





 「 OSU 」という街がある。 宿からは乗り合いバスで20分程離れた所にある。 そこは、ガイドブックによると、「 青山のような、原宿のような、、、 」と言われている所ではある。 また、近くに大使館も多い。

 確かにオスは少し華やかな場所には見えた。 大きなスーパーや、デカデカとしたネオンサインを掲げるレストラン、それにファースト・フードのお店などもあるくらいだ。 とはいえ、それもそこまで大規模なものではなく、また目新しい何かがあるわけでもないというのが本音だ、、、 辛口ながら。





 用事を済ませる為に、何度か市バスなり、乗り合いバスなりに乗ったが、アクラの街はよく出来ているようで、交通網が酷いことに気付いた。 何せ、街の至る所にバスターミナルがあり、所によってはそれが大きなラウンド・アバウト(ロータリー)のすぐ横や、マコラ・マーケットに隣接している建物の脇だったりする。 それに一方通行が多い。

 郊外に行くのには、大きなバスターミナルがあるのだが、街中からそこに行くのには、小型の乗り合いバスやら何やらに乗って行かなくては行けないし、行き先によっては何故か街のど真ん中から出ている。 それらが、街を縦断したり、周回する市バスやら乗り合いバスやらとゴチャ混ぜに走っているのだから、もうその様子は散々だ。

 特に、夕刻時のラッシュ・アワーは酷いものがある。 街中から一斉に人が帰宅するものだから、いくら車線がある所でさえも渋滞は免れない。 全く車が進まない中、乗客は砂埃と排気ガスにまみれているのだ、、、





 アクラでも散々屋台飯のお世話になった。 ちょっとまともなレストランで外食すると、約30000セディ(=約350円)程してしまうのに対して、屋台での赤飯のような豆ご飯に、ゆで卵とピリ辛の魚のソースだけをかけてもらっての飯(約50円)や、鳥の唐揚げとちょっと野菜の付いたチャーハン(約100円)はほぼ毎食お世話になっていた。 その分、体力も充分回復した。

 屋台でのご飯を侮っていた僕には、そのギャップが嬉しくもあり、また経済的にも助かった。 それに、一応ガーナの味に少しは触れることが出来た事と思う。 もっとも、チャーハンは別物だが、、、 それでもそのチャーハンだって、ちゃんと中華鍋を使って、ガーナ人が料理しているのだ。

 それと、赤飯のような豆の入った飯とあの魚のピリ辛ソースは、アクラの蒸し暑い中食べるご飯としては食欲を刺激する面でも、栄養の面でも、大助かりだった。





 そんなこんなで、日々、旅行における作業なり、遊びなり、観光なりをしていく中で時は経ち、行きつけの屋台もあったことから、「 まあ、とりあえず まだ アクラで、、、 」となってしまっていた。

 そして、最終的には、ガーナ滞在三週間のうち、二週間をアクラで寝泊まりしたことになった。 まあ、アクラはそんな所ではあった。


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by hitoshi280477 | 2006-02-27 19:03 | Ghana

Ghana vol.4 「 ケープ・コースト要塞 」

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 ガーナの大西洋に面する海岸沿いに、昔建てられた砦がある。

 かつてここを次々に侵略しにきたヨーロッパの国々が残した建物であり、最終的には英国のガーナ植民地における総督府が置かれた場所である。 その建物が、今日でも一応当時の形を残していて、そして博物館として機能している。



 何故、英国なのか?

 アフリカの西海岸で、何故ヨーロッパや英国の話になるのか?

 そこには、西アフリカとヨーロッパの深く暗い歴史があるのだった、、、



 当時ガーナにあったアシャンティ王国は、周りの王国や部族を既に征服していて、現在ではトランス・サハラと呼ばれる当時サハラを縦断していた貿易で、黄金や塩などの取引によって栄えていた。 その規模は当時のヨーロッパの街と比べても遜色ない程だったと言われてる。

 それが、ヨーロッパの大航海時代の幕開けと伴に、西アフリカとヨーロッパの接触に繋がっていったのだ。 始めの頃は、ヨーロッパの西アフリカ進出の目的は、金や塩といった物の貿易とキリスト教の伝道であったとされている。

 しかし、ポルトガル船によって始まった西アフリカとヨーロッパの貿易は、大航海時代という時代も合い重なって、英国、フランス、オランダ、スウェーデン、デンマークなどを巻き込んだ争いとなっていった。 その度に、最初17世紀に建てられたこの砦は、改築・増強を重ねて今日の姿になっていったそうだ。



 そんな中で、ガーナを含む西アフリカの歴史が大きく動いたのが、ヨーロッパとの「 奴隷貿易 」だ。

 始めのうちの極一般的な貿易とは異なり、こういった人身売買が莫大な富を産む事に気が付き、特にアメリカ新大陸発見以後、向こうの土地での大規模農園経営の為に必要とされた労働力にこうした黒人奴隷はうってつけとあってからは、奴隷貿易の数は着実に増え続けていった。



 ヨーロッパからやって来た商人たちは、奴隷買ったり、モノを交換したり、また時には狩りなどをして奴隷を集め、そしてその奴隷たちをここからブラジルやカリブ海、それにアメリカなどに向けて輸出したそうだ。

 向こうで奴隷を売りさばいた後は、そのお金で綿花や砂糖、煙草、コーヒーなどを購入してはヨーロッパに戻って商売をしていた。 これは、大西洋を舞台にして、西アフリカとアメリカ大陸とヨーロッパの三点で行なわれた「 三角貿易 」と呼ばれているそうだ。



 しかし、その後の19世紀に奴隷貿易の時代は終了し、それによって西アフリカの人口は減少していたことから、当時の権力者であった王国は衰退し弱体化していた。 というわけで、最終的に英国に植民地化され、その総督府がこの ケープ・コースト要塞 と呼ばれる砦なのだ。

 そして、その要塞は今日では当時の様子を物語る博物館として一般に公開されているのだ。


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 当時の様子を少なからず残した立派な建物の外観とは異なり、案内された地下の部屋は真っ暗で湿っぽかった。 先程までの太陽の輝いた海沿いの風景のことなど頭から瞬時に消え去り、一瞬にして暗闇の中に「 絶望感 」だけが感じられた。 そこは当時の奴隷たちが収容された部屋だった。 見上げると、小さな天窓が海の方角に2、3あるだけだった。



 大きさにして5m X 10mもないだろうか? そんな部屋が4つ続いている。 どの部屋も薄暗く、あるのは少しばかりの光が入り込む天窓兼空気穴のみだ。

 そんな狭い部屋に、当時多い時で1000人もの奴隷を留置していたそうだ。 もちろんトイレなどない。 それどころか、水へのアクセスもなく、光へのアクセスもないのだ。 あるのはあの小さな天窓と、反乱や自殺などが起こらない様に監視する為の窓だけだ。

 それに、奴隷たちは鉄製の枷を二人一組とかで手足にはめられていた。



 時として、天窓から降り注ぐ雨水は、この狭い部屋の中に流れ込んだそうだが、それはただ単に、奴隷たちが余計に糞尿にまみれたことを示している。 水へのアクセスがないのだから、排水の機能などはある筈もないのだ。 膝よりも上にまで、その汚水が来る事もあったそうだ、、、

 そんな状況で、奴隷たちはいつか来る「 出発の日(=輸出の日) 」まで、ここに閉じ込められていたのだった、、、



 展示室にある資料を読むと、ここから連れ出された奴隷たちは遠く大西洋を渡って、ブラジルやカリブ海の島々、そしてアメリカへと連れ出されていった。

 当時の航海技術では、大西洋を渡るのに約2~9ヶ月もかかったそうだ。

 その間、奴隷たちは船底に裸で枷をはめられたまま、ギュウギュウ詰めの状態。

 航海中、満足な食事など与えられなかった。 とはいえ、商品ではあるので、痩せこけないように運動させられたり、目的地が近くなった時だけ食事がそれなりに与えられたそうだ。



 もちろん航海中、そんな船内での過酷な状況に耐えかねて死亡する者も多数いたそうだ。

 その数は1~3割くらいだったと言われている。

 そして、そんな劣悪な移動を生き抜いた者だけが、新しい地を踏んだ事になる。

 もちろん、奴隷として、、、 


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 そんなことが、ここケープ・コースト要塞では知る事が出来る。



 「 Point of No Return 」という門がある。

 建物からここをくぐって外に出ると、そこには大西洋の海が広がっている。 キラキラと輝く綺麗なその海面を見ていると、とても当時ここをくぐって連れ出された人々の気持ちを伺い知る事は出来ない。

 この大西洋の海が、その当時と何ら変わっていないとしても、それは無理だ。

 人々は、ここから遥か遠くの見知らぬ土地へと連れ出されていったのだ、、、



 この門には余談があって、近年になってここを訪れた西アフリカを自分のルーツと信じる人々によって、門の外側、つまり入り口に「 Point of Return 」と記されたそうだ。





 奴隷貿易の話にはほとんど知識がなかったが、今回ここを訪れることによって少なからず知識を得る事が出来たと思う。 以前、セネガルで訪れたゴレ島よりも資料が充実していること、館内ガイドが付いたことなどもその要因だ。 しかし、そこに「 歴史を学びたい 」という気持ちが根底になければ、やはり駄目なのだろうとも後々思った。

 ここで何を学んだかと言えば、「 人類の歴史とその残忍さ 」だ。

 それは、「 人間社会の厳しさ 」とも言えるかもしれない。

 過去に起こった人類の歴史とはいえ、それは過去という程遠いものでもない気もする。 それに、それは間違いなく過去にあった事実なのだ。 それを思うと、人間というものは、酷く恐ろしく思える。



 植民地に関しては、それによって政治・法律・教育・医療・インフラなどという面が大きく発展してということもあるから、それは少し置いておこう。





 僕はここケープ・コーストを訪れることによって、

 「 奴隷になる 」ということは、

 「 人生を奪われる 」ことだと学んだ。






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by hitoshi280477 | 2006-02-26 19:02 | Ghana

Ghana vol.3 「 クマシの街 」

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 ガーナ北部にあるタマレという街から、乗り合いバスである「 トロトロ 」に乗ること約6時間半、、、 「 クマシ 」に着いた。

 ちょうどガーナの真ん中あたりに存在するこの街は、その地理的理由からか人と物に溢れていて、非常に混雑している街だった。 狭くて、蒸し暑くて、埃まみれの6時間半の移動の後には、少々キツい街ではあった。 しかも、街にはやけに坂道が多いし、、、



 ガーナを南北に走る大動脈的な道路の中継地点ということもあって、クマシは今でも大きな都市である。

 もともと、ここは16世紀頃に栄えていた「 アシャンティ王国 」の首都であり、その当時のクマシは交通の要所であると供に、ガーナ湾岸部への交易路を押さえていたことから経済的にも繁栄していたそうだ。 その都会ぶりは、当時のヨーロッパの都市と比べても遜色が無かったと言われている。

 実際、街を歩いてみて当時の名残を見ることは出来ないが、ただ単に発展している街であることは分かる。 というのも、街のどこにいても、人と物に溢れ過ぎていて、バケツがひっくり返った様な印象を受けずにはいられない。 それほど、クマシの街はある特有の雰囲気を醸し出していた。



 ここに来るまではあれほど乾燥していたのに、ここクマシではそれが嘘だったかのように耐え難い湿度がある。

 タマレからの道中、確かに緑が多くなり、場所によっては南国を連想させる程たくさんの椰子の木がある所もあった。 ほとんどの場所はまるでジャングルの様であり、今まで通って来た場所のように、乾ききった大地や、灌木が生い茂るだけのなんとなく冴えない感じのする土地とは明らかに違っていた。

 道中、見てきたことを思い出せば、そこはジャングルの真ん中を切り開いた道だった。 それを裏付けるかのように、クマシは極度に蒸し暑い。 酷だ。 数日前までは、あれほど乾燥に悩まされいたのに、ここに来て一気に湿度が上がったのだから、体も大変だ。 はっきり言って何もする気にはならない程だ。





 こんなゴミゴミしていて、蒸し暑いだけの街はとっとと出たかったが、バスの出発時間まではしばらくあったことと、旅友に促されて街を歩くことになった。 目指すは、西アフリカ最大 と言われている市場を見に行くことになった。

 これまで市場なんて散々見て来ているので、正直もう飽き飽きなのだが、そんな眠たいことを言う僕の目を覚まさせる程、クマシの市場は大きかった。 特に、高い場所から見下ろすクマシの市場のトタン屋根は、排気ガスで濁った空の下、何処までも続いていきそうな程大きかった。

 近付くに連れて、人とモノの密度が急激に上がっていった。 実際は、人もモノも市場の敷地に入りきれず、市場の周りでも商売をしていた。 それも、まだ市場から距離がある所からだ。 ちなみに、そこでは商売人は手に品物を持って立っているのが普通だった。 というのも、人出が多過ぎるので、お店を持っていない人は洋服なり雑貨なりを手に持って商売しないと、その地域の交通の邪魔になってしまうからなのだろう。



 やっと市場の内部へと潜入出来る場所へ来た時、少し嫌な気持ちがして歩を止めてしまっていた。 嫌な気持ちというと聞こえが悪いが、何だかその市場の内部へと行くことは躊躇ってしまうのだった。 第一、何も買いたいモノが無いので、ただ単に冷やかしで市場に行くことは、なんだか一生懸命商売をしている人に申し訳なく思ってしまうからだ。

 まあ、それは置いといて、結局市場の中へと歩を進めたのだが、、、



 実際、この市場はすごかった。 人々の活気が産み出すある種のオーラが吹き出ているような気がした。 当たり前だ。 ここにいる誰しもが、商売に熱心になっているのだから。 そんな所にいて、何も感じないわけが無い。 その場の雰囲気に少し圧倒されながらも、人の波に揉まれながら歩いて行った。


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 確かにここでは何でも手に入りそうだった。 野菜や果物、日用品から衣類や農作業道具などなど実に多岐に渡る品揃えだ。

 それは見ていて飽きないものがある。

 もちろんそれらに加えて、商売人に食事や飲み物を売る店もあるし、商売をもっと円滑にする為の道具なんかもあるし、更には大八車ならぬリアカーにたくさんの荷物を載せて人の波を掻き分けていく人もいる。 更には、所狭しと並んだトタン屋根の軒先には、たくさんの婆ちゃんたちがトマトやら、玉ねぎやら、干し魚なんかを路上に座って売っている。 はっきり言って邪魔なのだが、皺くちゃになっている婆ちゃんの手を見ると、何も言えなくなってしまう。

 何だか一体利益があるのか、無いのか分からない様なモノを手に、市場の中を売り歩いている人もいる。 中には子供に乳を飲ませながら路上の店番をしている女性もいる。 それほど誰でも商売をしているのだ。


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 そんな中を歩いていると、もちろん思うことは多々ある。

 そこで一番感じたことは、、、 頭の中で理解しているつもりでも、ちゃんとまだ言葉にする事が出来ないのだが、そこで何が買えるとか、安いとかの話ではなくて、現代の経済中心的世界の縮図がそこにはあったと思う。 もちろん生活に必要な物を買い求めるのは何も悪いことではないし、それらを提供するのも悪いことではない。 しかし、ただ単に人々は商いをし、またその利益で他の何かを買い求めているだけなのだ。



 ここでは、右から仕入れたものを、左に少しばかりの付加価値(手間賃のようなもの?)をつけて売っているだけなのだ。 特に何も生産はしていない。 皆がそうやって幾らかの利益を上げ、そしてそのお金でまた違うモノを買うだけのサイクル。 いつまでたっても抜け出せない、経済を中心にしただけの生き方のように見えてならなかった。

 もちろんそこで多大な利益を上げることが出来れば、もう少し違った人生を歩めるのかもしれないが、そこにいるほとんどの人が、そこにいるほとんどの人と同じ様な人生を歩むしかないようなサイクルにいる筈だ。

 一見すると、誰しもが商売に精を出し、それはそれで良い様に思える。 しかし、ここでは、しかもこの規模で、それはいつまでも続いて行く単調なサイクルのように思えてしょうがないのだ。 いや、実際そうだろう。 ここにいる人たちが、ただ単に右から左、左から右への商売をしているだけなら、この人たちの人生はもう決まったようなもんだ。



 酷な話ではあるが、本当にそうだと思うし、実際にそうなのだろう。

 人々はそれを知ってか、知らずか、いつまで経ってもそういう日々を過ごしていくのだろう。 いつの間にやら、人々は抜けることの出来ない経済中心社会に浸かり切ってしまっているのだ。 そんなことが、ここではあまりにも露骨に見えてしまう、、、






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by hitoshi280477 | 2006-02-25 18:59 | Ghana

Ghana vol.2 「 歩くサファリ@モーレ国立公園 」

 「 動物が見たい、、、 」 アフリカの旅を初めて以来、心の中で何かが欠けているような気がしてならなかった。 もちろん、ここまでの道中いろいろと大変なこともあったが、それなりに楽しんでいて、満足もしていた。 ただ、アフリカを旅しているというのには、決定的な何かが欠けていた様な気がしてならなかった。

 北アフリカの玄関口であるモロッコから、サハラに埋もれるモーリタニアを通り、そしてブラック・アフリカであるセネガル、西アフリカ随一の観光地であるマリ、、、 そしてここガーナとやって来ているわけだ。 サハラを越え、ブラック・アフリカに入り、広大な大地や、辺りに点在するバオバブの木々、大きな夕陽など、時を変え場所を変え、目にしていたものの、やはり何かが足りなかった、、、



 「 ど・う・ぶ・つ 」



 そうだ、動物なのだっ! アフリカに来て、この広大な大地に生きる野生の動物を見ない事には、アフリカの旅も旅らしくはないのだ。 もちろんそんな定義はなく、それは僕の勝手な判断だ。 しかし、アフリカにやって来る者ならば、誰しも野生の動物を見てみたいものだろう?

 いやいや、他の人のことは置いといて、僕は動物が見たいのだ。 そう思うと、その「 動物を見たい 」という感情を押さえきれず、日々その思いは募るのであった。 そして、もう動物みたいな人間を見るのには飽きたのだ、、、

 終いには、いつからか「 ど・う・ぶ・つ、ど・う・ぶ・つ、ど・う・ぶ・つ、、、 」と呟き、念じ始めていたことと思う。





 砂埃の舞う道を走る事、数時間。 目的地である「 モーレ国立公園 」に到着した。 既に辺りは暗くて、園内がどうなっているのかは分からなかった。 入場料が格安の25000セディ(=約330円)だったので、道中西日のせいで暑かったこと、汗と砂にまみれたこと、そしてバックパックが段ボール詰めされた冷凍魚たちと一緒だったことは良しとしよう。

 荷物を部屋に降ろしてレストランに向うと、そこではイノシシの親子が歩いていた。 向こうは暗闇でも見えるし、ここに住んでいるのだから普通なのだろうが、こちらはその平然と歩くイノシシの親子の様子に驚いた。 それが、園内での最初の出来事であった。 どうやら人間と動物の距離は近いようだ、、、





 夜も明けた頃から、身支度をして部屋を出た。 というのも、ここでは「 Walking Safari 」という、実際に野生の動物たちが棲息する所を歩くことが出来るのだ。 今までに聞いていた話では、普通サファリというのは、いろんな理由から、サファリ・カーという特別に改造された4WD車で行くらしいのだが、それがここでは歩くことが出来るのだ。 そして、その歩くサファリは朝7時に出発するとのことだったので、早起きをきめこんで出て来たのだった。

 数人の参加者が集まったところで、いざ出発となった。 こちらはもう興奮して、昨晩でさえもワクワクドキドキしながら寝たくらいなのだ。 楽しみだ。 早く動物が見たい。


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 ロッジは崖の上にあるので、そこから少しずつ崖下を目指して降りていく。 まだ朝とはいえ、もう日差しがキツかった。 崖上から見る景色の印象は、緑が多く、大地が平坦ということ。 まだ肉眼では如何なる動物も見えなかった。

 とりあえず緑の合間を歩く事自体、気分が良い。

 少し乾いた地面なので、少々歩きづらいが、逆にいえばそれがこの歩くサファリの醍醐味なのだ。 野生に住む動物たちと、僅かながらその感覚を共有していると思うと、既に気分は上々だった。 辺りで鳴く鳥の声がまた心地良いのだが、茂みで何者かがガサゴソと音をたてると、ついそちらに意識がいってしまい、またある種の緊張を胸に抱いたまま歩を進めることになる。


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 しばし歩いた後、最初に目にした動物はどうやら鹿の仲間のようだ。 草食動物なので、もの静かにちょこんと草地に座っていた。 雄なので、立派な角を従えていた。 こちらの行動には目もくれなかったが、レンジャー曰く、彼らの領域を侵してはならないのだ。 もし僕らが彼らの領域、つまり接触限界線に踏み込んでしまうと、向こうは逃げてしまうのだ。 そうすると、全てがパーなわけだ。 そして、野生に住む彼らに心理的抑圧を加えてしまい、最終的には彼らの生態系を変えてしまいかねない。 というわけで、「 彼らの領域を侵さない 」、それがこの歩くサファリの守るべきルールでもある。

 その後に出会ったのはきっと雌だ。 角も無いし、先程の雄に比べて、もっとおしとやかな目をしていた。 草食動物特有の優しい感じのする目だ。 こちらもおとなしくて、その目つきから、こっちを警戒しているようでも、観察しているようでもあった。



 またしばらく歩くと、足下には人間の足跡のような何者かの足跡が見え始めた。 そんなことに興奮を覚えつつも進むと、突如前方に大群の猿が見えた。 家族同士が固まって、大群を引き連れて歩いている。 大小合わせて、約50匹はいるだろう。 聞けば猿ではなく、「 ヒヒ 」なのだそうだ。

 こちらの様子に気付いたのか、何なのか? 彼らは一斉に動き始めた。 その様子、正に獣が野を駆けている。 しかもかなり速くて、とても人間の足では追いつかない。 もっとも彼らは手と足を使っているのだから、二足歩行の人間よりは速いのかも?

 ザザザーッ と、木々の間や枯れ葉の上を走る音が聞こえてくる。 聞こえてきたと思ったら、彼らは既に遥か遠くに遠ざかっていってしまった。 辺りの茂みに隠れてしまい、肉眼ではもう見ることは出来なかった。 彼らの走る速さに、僕はあっけにとられてしまった、、、


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 溜め池に出た。 見上げれば、そこにはロッジのレストランが見える。 つまりロッジとそのレストランは、崖上からこの溜め池を見下ろせる絶好の位置に軒を構えているのである。 この溜め池が自然のものなのか、人工のものなのかを聞き忘れたが、まあ自然のものってことは無いだろう。

 そこには象が水浴びに来ていた。 アフリカ象だ。 もう何度も見たことがあるから、「 夢にまで見た、、、 」というのは嘘になるが、それでも初めて見るアフリカ象は大きかった。 今までアジアで見た象よりも大きく感じられた。

 池の周りにはたくさんの木々があって、それがどうやら象の好物でもあるらしく、辺りにいる間にどんどんと集まってきた。 大きくて、黒くて、立派な牙を持つ象たちだ。 それらが、力任せに バリバリッ と草木を引っ張っては、なぎ倒していた。 その迫力といったら、、、





 その他にも、鳥やクロコダイル、それにイノシシなんかにも出会った。 ただ、ここで見た動物の中で、一番印象深かくなったのは、アフリカ象を差し置いて、ヒヒ だろう。

 初めて見た時から、何だか面白い生き物だとは思っていたが、歩くサファリ終了後に見かけた彼らの行動は僕にはかなり鮮烈に映った。 というのも、人間以外の生き物で、ここまで頭の良い動物を、僕は実際に目にしたことが無かったのだっ!





 ロッジの辺りにはたくさんのヒヒがうろついているのは知っていた。 なので、その様子を写真に残さんと思い、僕は彼らの後を付け回していたのだった。 やはり手と足の両方で歩く彼らをつけることは容易ではなく、少し先回りをしないと彼らの姿を目にすることは出来なかった。

 そんな中で目撃したことといえば、、、

 ゴミ箱を漁るヒヒと、高さ5mはあろう水タンクから水を飲むヒヒ、そして木陰で休むヒヒたちだ。



 ゴミ箱を漁るヒヒは、それは人間のようでもあった。 というのも、ロッジの部屋の外に置いてあるゴミ箱の一つ一つを点検するように、その一つ一つの蓋を開けては中を確認し、中に何も無ければ次のゴミ箱を見に行っているのだ! ちゃんと蓋を開けることもすごいが、それから中をちゃんと目で確認する様子は、まるで人間のようでもあった。 思わず感心してしまった。

 ポリタンクの水を飲むヒヒは、高さ5mはあるであろう台座を軽々と登って行く。 そして、頂上であるタンクの上から、悠々と水を飲んでいるのだ。 蓋をしない人間も悪いが、そこに水があることを知っているヒヒもすごいと思った。

 木陰で休むヒヒは、どこかリラックスした表情をしていて可愛かった。 その辺の草木をバリバリとやるのはやはり動物だが(アフリカ人もよく枝を噛んでいるが、、、)、その様子がそれらしくて良かった。 やはり動物なのだから、動物らしくしていて欲しい。



 しかし、その後に衝撃的な事件が起こった。



 それは、僕が観察していたヒヒの様子を、他の人に話そうとレストランに行った時だった。 レストランはオープンスペースになっていて、真ん中にプールがあり、すぐ傍に崖があるが、柵はない。 その為、よくヒヒが辺りをうろついているのは知っていた。

 突然、キッチンの方で声があがったと思ったら、一匹の大きなヒヒが手に何かを抱えてプールサイドに走ってくる。 最初は何が何だか分からなかったが、彼の手に持つ何かを良く見て、思わず吹き出してしまった。

 手にはケチャップ・ボトルが握られていたのだ!



 そこまではまだ良かったのだ。 ねじ込み式の蓋の付いているボトルなのだから、そう簡単には開けることが出来ない筈だ。 ましてや、その中身であるケチャップなんか知りもしない筈だろう? 僕はそう思っていた、、、

 ところが、そこで彼は僕を含む辺りの観衆の度肝を抜いた。 なんと口で蓋を開けてしまったのだっ!! そして、おもむろにボトルの先端からケチャップを舐めているではないかっ!? しかも、「  そのくらい知ってるよっ 」とでも言いたげな顔をしているように見える。



 僕らは皆唖然としていた。 もちろん、「 もしかしたら、、、 」とは思っていたものの、実際その様子を目の当たりにするとはほとんどの人が思っていなかっただろう。 しかし、目の前でヒヒが美味しそうにケチャップを舐めているのを見れば、何も言うことが出来ないのだった。



 それは衝撃的な出来事だった。

 まさかヒヒがそこまで頭が良いとは知らなかった。 辺りにいる人全員を驚かせ、そして動物が人間に言わしめた、、、 「 頭が良い 」と。
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 結局、まる一日という短い時間しか費やすことが出来なかったが、それでもここモーレ国立公園での滞在は有意義なものになった。 野生の動物をサファリで見るということは、どうしても東アフリカが有名なのだが、ここ西アフリカでも同じようにアフリカの大地に生きる動物たちを見ることが出来るのだ。

 わざわざ埃まみれになりながらもやって来て良かった。

 ちなみに、歩くサファリは2時間で一人につき15000セディ(=約200円)。 ガイドであるレンジャーにチップをあげても300円ちょっとだった。 実際、それが一番衝撃的なことではあった、、、






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by hitoshi280477 | 2006-02-24 18:56 | Ghana