カテゴリ:Easter Island( 6 )

Easter Island 「 イースター島@極地+α 」


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by hitoshi280477 | 2007-11-20 07:16 | Easter Island

Easter Island vol.5 「 神秘の島 」

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 イースター島は本当に神秘的な島だ。

 ここが南米大陸やタヒチなどといった人が住む主だった場所からは4000Kmというとてつもない距離があること、そんな場所で人々は生活し、独自の文化を持っていたこと、それにいろんな研究が成されているに未だ謎の残るモアイ像のことはもちろんだし、その後人々が行っていた鳥人儀式の話なんかも興味深い。

 しかし、それ以上に僕が興味深く感じてならなかったのは、この島の生い立ちと歴史だ。 というのも、こんなに大陸や他の島々から離れた場所にあるこの島は、間違いなく自然の造り出した賜物なのだ。


a0086274_1852219.jpg この島は300万年前から4000年前の間に起こった三回の海底火山が爆発したことによって産まれた。 三角形の形をした島のそれぞれのでっぱり部分が、それら三回の火山であり、今現在は休火山になっている。

 起伏に富んだこの地形はそこに理由があり、また海岸沿いのゴツゴツとした岩がそれらを裏付けしている。 そして驚くべきことに、長さ約23km、幅は約10kmという狭く小さな島の割に、その豊富な地下水脈が移り住んで来た人々の生活を下支えしている。 それに一時は木々が生い茂る緑豊かな土地だったのだ。

 その後、部族間同士の対立や、奴隷として連れ去られた事、疫病が持ち込まれた事などから島民の数は一時111人にまで激減したとか、、、

 そんなことが今までにこの島であったのだ。 今では年間約2万人の観光客が訪れるといわれているイースター島。 こんなに遠くまで来る人も来る人だが、それだけの魅力がこの島には間違いなくある。 もちろんモアイたちもそうなのだが、、、


a0086274_18522155.jpg 南太平洋のど真ん中、やはりここでも陽は上り、そして陽は沈むのだ。 夜になれば、今にも落ちてきそうな程の満天の星を空に見る事が出来る。 それはこの島が産まれた頃と何ら変わりはないのだ。 遥か昔、人々が渡って来た時代に彼らが見た太陽や星空は、今日僕が目にした太陽と星空と何ら変わりはないのだ。 それはとても不思議なことだ。

 人々がこの島に渡って来た事によって、この島の運命は大きく変わった。 もしあの頃の人々に、この大海原をカヌーで旅する勇気がなかったら、この島を見つける運命になかったら、大変な労力をしてあのモアイたちを造らなかったら、、、 それら全ては神のみぞ知る所なのだろうか? しかし、実際はその当時の人々の生き抜く事への挑戦によって全ては成されてきたのだ。

 あの頃の人々がきっと見ていたであろう朝日を、夕日を、そして星空を、同じように僕も見ているのだ。 そう思うと、何だかとても特別な思いにかられ、この島の存在そのものが神秘的に思えてならないのである、、、

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by hitoshi280477 | 2005-12-02 07:36 | Easter Island

Easter Island vol.4 「 ポリネシアのDNA 」

 世の中の人々で、歌と踊りを愛する人は多いことと思う。 人によっては、それが人生そのものだったりもする。 もちろんそういった事に無関心な人もいることだろう。 今まで訪れた世界の中で僕が感じたのは、人には時として歌や踊りが必要であり、またそれらが歌う側、踊る側にも、またそれらを観る人々にも影響する事は多い。 それに、その歌と踊りそのものが彼らの神様、宗教儀式、お祝い、習慣、伝統、、、 すなわち文化そのものを表している事もある。 特にポリネシアの文化圏では、それらが顕著に見られると思う。



 ポリネシアの島々からカヌーでここイースター島に移り住んで来た人々は、やがて繁栄し、皮肉にも繁栄した分食料不足を起こし、それが部族間の対立を招く事となった。 その後、諸外国からの労働力としての搾取が始まり、病気も持ち込まれ、終いには島の人口は100人程になってしまったことがある。

 そういった経緯を踏まえると、島の伝統や文化が残されている可能性は極めて少なくなってしまう。 しかも、あまり文字で物事を残す文化があったようにも思えず、ロンゴ・ロンゴという文字があったとは言われているが、今現在ではその文字を読める人はいないとか?

 こうして文化は失われていくのだろうか、、、





 ハンガ・ロアの村のインフォメーションセンターで見かけたポスターに、「 KARI KARI - Ballet Cultural Rapa Nui 」というのがあった。 Kari Kari という名のダンスチームが、週三日、夜に村で一番のホテルで踊りを披露していると書いてあった。 値段も$20とそこまでしなかったが、その値段どうこうよりも僕は地元の歌と踊りを観る機会に恵まれてたことを嬉しく思った、、、


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 賑やかな音楽と歌と半狂乱の叫び声の中、Kari Kari のダンスショーは始まった。 その音色から察するに、ウクレレのような小さな楽器と太鼓、それと男性陣の図太い声に、女性陣の甲高い声、、、

 ポリネシアのダンスの特徴は、その激しく腰を振る部分だと言っていいと思うが、それに加えその音楽や歌声も素晴らしい。 そして、その踊りの一つ一つにはちゃんと意味があって、部族が異なる部族を相手にするものだったり、花、風、鳥といった自然をモチーフにしたもの、それに恋物語などもある。 題目が何にしろ、情熱的な踊りであることは間違いない。




a0086274_1858819.jpg 話に聞けば、このダンスグループは立ち上げてからまだそんなに長くはないそうだ。 現責任者であるまだ30代に満たない若い男の人の呼びかけによって97年に結成されたそうだ。 また歌と踊りはポリネシア特有のものが多い事から、きっと他の島から教わったり、その島の人がこちらに移住して来て教わったのかもしれない。 何にせよ、観ていて楽しくなる踊りではある。

 踊り子たちや、演奏者たち、それに歌い手たちの姿見れば、その顔には楽しんでいる様子でいっぱいだ。 プロとしてやっていくには、それは何よりも大事なことではある。 しかし、それ以上に彼らが本当に楽しみながら踊っている様子。 僕はそこに彼らが自分たちの文化を誇りにしているということを感じぜずにはいられなかった。




a0086274_18595268.jpg 一度は失われかけた文化の一面、いやもしかしたら本当に途絶えてしまっていたかもしれないポリネシアの文化の一面。 それが今日こういった形で目にする事が出来るのは非常に有り難い話だ。

 それには大変な労力を要したと思われるが、何よりも大事なことはそれら文化を誇りに思う事であり、何よりも一番必要なものは、、、 DNAだ。 僕はそう思う。

 いくら練習をしたからといって、他の人種が、他の文化圏の人間が、彼らの造り出す特別な世界を真似することは不可能のように思える。 もし仮に同じ様なモノを造り上げる事が出来たとしても、やはりそれはどこか違うモノになっていることだろう。

 彼らの血の中には、先祖代々、タヒチやハワイ、そしてここイースター島といった広範囲に渡るポリネシアの島々に、カヌーで渡って来た人々の血が、DNAが今も残っているのだ。 それ無くして、この歌と踊りは完成しないと思う。 きっとそうなのだろうと思う。 実際はチリ本土から移住して来た人たちだったりして、、、 






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by hitoshi280477 | 2005-12-01 07:35 | Easter Island

Easter Island vol.3 「 逃したくない瞬間 」


 「 一生に一度しかないかもしれない機会を逃す手はないですよ 」



 僕は一緒に車を借りていた日本人旅行者たちにそう言った。 出発時間のことで少し納得出来なかったからだ。 時間はある程度は分かっていたが、それも定かではないし、また島の反対側まで車でいったとしてもそれなりの距離もあるし、何よりも早めの行動をすることが望ましいからだ。 何よりも、その瞬間を逃す手はないのだから、、、





 午前6時。 僕はその二人の同乗者と宿を出た。 そんなに早く宿を出たのは、もちろん島の反対側まで行って日の出を観る為だ。 昨日一日車を運転した結果、僕が一番車の運転が安定していたこともあったし、運転したかったこともあって、僕が真っ暗闇の島の道路を運転することになった。 左ハンドルの車を運転するという事、早朝に車を運転するのには少しばかり慣れているのもあって、人任せにするよりは自分でやりたいと言うのが本音のところだ。

 島内を巡る道路はほぼ一本道。 その大部分は舗装されてはいるが、道がウネウネと曲がりくねっているし、街灯のない道は真っ暗で、しかもその時に限っては、かなり強風と大雨が降っていた、、、





 6時半。 到着した頃のアフ・トンガリキはまだ真っ暗で、雨が吹き荒れていた。 そんな中では日の出どころか、15体いる筈のモアイの姿も見えない。 適当な所に車を停め、前日に買っていおいたクッキーで簡単な朝食を済ませる。 昨日の夜も遅くまで、その日に行った場所のこと、見たモアイのこと、今日の予定などを話し合っていた為に皆少し眠い。 あれだけ移動と観光を一気にやって、はしゃぎ過ぎ、疲れているのもある、、、

 しばらくして、窓の外に目をやると少し明るくなってきたのが分かる。 同時に雨も弱くなって来た。 辺りを見回すと、どうやら先程まで荒れるように吹いていた風も静かになっていたので、とりあえず外に出てみることにした。 まだ、寒い。

 15体のモアイがいるであろう海の方を見ると、確かにもうモアイの姿がうっすらとだが確認出来る程にはなっていた。 そう思うと、小雨も、風も、寒さも忘れて、僕はカメラを持って車を飛び出した。 日中の日差しの強さと暑さはなく、少し顔や手先が冷たかったが、それはあまり気にならない。 そんなことはどうでも良いのだから、、、

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 陽が上り始めると、それまでぼんやりと見えていただけのモアイの姿がよりくっきりとしてきた。 15体もあるのだから、その全容を見逃すことはないのだが、その一体一体に注視出来る程、陽の光は強くなって来た。

 それまでは何処からのアングルが良いのか場所選びや、「 ちょっと凝った写真を写真を撮ろうか? 」などと考えていたが、陽の上る様子を見て、僕は結局真っ正面からその15体からなるモアイ像たちをカメラに収める事にした。 余計な技術などは必要としないほど、その光景は素晴らしかった。





 しばらく太陽が雲の中に隠れていたが、僕は待っていた。 再び辺りが薄暗くなってはいたが、「 まだ何かある 」、そう思って僕はじっと待っていた。 モアイの向こうにある空を見ると、さっきまでの暖かみを帯びた空の色はなく、今では灰色がかっている。

 再び小雨が降り出し、風が吹き出してはいたが、僕は待っていた、、、 その瞬間を。


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 再び陽の光が現れたころのその光景は実に、、、 神々しい。 それまででも確かに存在感のあったモアイ像たちではあるが、雲の上から降り注ぐ陽の光が絶妙な演出を施していて、その姿がまるで他の世界からの使者のようにさえ見える、、、





 この瞬間を僕は待っていた。

 こんな光景を予期してはいなかったが、、、 早起きして良かった。



 「 一生に一度しかないかもしれない瞬間 」

 そんな瞬間を見逃す手はないのである。






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by hitoshi280477 | 2005-11-30 07:33 | Easter Island

Easter Island vol.2 「 眠る巨人・モアイ 」  

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 イースター島と言えば、島内に点在する石の巨像「 モアイ 」だ。 大きいものでは10mを越え、その重さは小さいものでも2トンくらいになるという。 石を削って造られたというのがとても信じ難いほど、その大きな石像は巨大だ。 近くに寄ってみると、その大きさに驚き、またそれが人造だということに感嘆せずにはいられない代物だ。

 このモアイ像、島内で確認されているのは1000体にのぼる。 現存しているだけでそんなにたくさんの数のモアイが存在している割には、モアイにはいくつかの謎があるのだ、、、





「 ラノ・ララク 」

a0086274_2010249.jpg モアイの名産地であるこの山では、今でも切り出し途中のモアイ像を見ることが出来る。 なので、実際にモアイがどのような過程を経て世に産み出されてきたのかがよく分かる。 少し離れた所からでも確認出来るその切り出し山は、大きい割に、その石の成分は柔らかいようで、実際触ってみるとすぐに欠けてしまう程だ。 

 西暦700年頃から始められたと言われるモアイ像製作。 当時使っていた道具は黒曜石と玄武石で、それら硬い石を使ってモアイを削りだしていたそうだが、それらの道具で10m級のモアイをこしらえるとなると30人掛かりで一年以上かかるそうだ。



a0086274_20105239.jpg 切り出し中のモアイを見るのは非常に興味深い。 山の一部であるモアイたちは、まだ生命が吹き込まれる前なので、ちゃんと出来上がったモアイを見た時の様などこか不思議な感じというか、神秘的な印象を受ける事はない。

 ここには、まだちゃんとした形にもなっていないが、もし仮に完成していたら最大のモアイになっていただろうと言われている未完成の超巨大なモアイ像がある。 20mを超え、その体重は数十トンにもなると言われている。



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 ちなみにモアイの石の質はというと、溶岩が固まって出来ただけの石なので、非常に脆い。 もちろんモアイを触る事は出来ないが、それと同じ素材でる石切山の一部を触ればそれが実感出来る。 それを注視すると、ただ単に砂利と砂が混じり合って出来ただけの石という事が分かる。 そうなると、実際に原始的な道具だけを使って切り出すのものそう難しくはないように思える。

 ただ、その分、雨と風による浸食はきっと避けられない事だろう。

 その素材の脆さから、運搬途中に頭がもげてしまい、そのまま放置されてしまった無惨なモアイの数も多い。 それに、特に風と雨が強いこの島では、モアイは永遠のものではないことだろうと思われる。



 少し離れた場所から切り出し途中のモアイや、運搬途中のモアイを見ると何だか不思議な感じを受ける。 正直、モアイが産み出される所を目にしない方が、モアイの神秘的な印象だけ心に残るから良いとも思うが、まだ制作途中のモアイや土に埋もれているモアイたちが不思議に見えるのもこれまた事実なのである。





「 プナ・パウ 」

a0086274_20113529.jpg 「 プカオ 」を切り出した小高い丘のような所。 モアイ像には、1300年頃から頭の上に帽子のように見えるものを載せるようになった。 これは実は当時の人々がまげを結っていたということから、頭の上にプカオを載せるようになったとか? 現存しているモアイの中で、実際にプカオを載っけているのは極僅か。

 素材は赤色凝灰岩と呼ばれる赤色 scoria で造られている。 実際目にしてみると、確かに赤みがかっている。 ただ、その大きさはこれまた大きい。 人の背丈よりも大きいものがゴロゴロしていて、島内のほぼ中心部にあるこの場所から島の端っこまで運んだといのは大変な苦労だ。 この小高い丘の上からは、きっと転がり落ちて、運搬途中に壊れてしまったものも多々ある事だろう。





「 アフ・トンガリキ 」

 ここにはイースター島最大のアフ、すなわち「 祭壇 」がある。 その祭壇の上に15体にもなるモアイ像が建ち並んでいる。 ほとんどのモアイ像たちが「 フリ・モアイ 」と呼ばれる部族間の争いの中で倒された為に、現存するモアイのほとんどは無惨にも倒れたままだ。 しかし、ここアフ・トンガリキのモアイたちは、91~95年にかけて日本の某クレーン会社と某建設会社の協力もあって、今こうして堂々と立っているのである。


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 実際は60年のチリ沖地震の時にも相当な被害を受けたらしく、その修復作業はそれら破壊された石を一つ一つ拾い集めて、時間をかけて丁寧に行われたらしい。 やはり日本が手伝っているとあって、その姿は立派に見える。 もし島民やチリ政府がそれを有り難く思っているのならば、日本の旗の一つも置いて欲しいものである。 実際、ここがモアイを観る島一番の名所になっているのだから、、、

 ここのモアイたちは、その全体風景も然ることながら、一つ一つもまた威風堂々としたものがある。 もちろんこんな大きな石像が15体も並んでいれば当たり前かもしれないのだが、ただその一つ一つを注視すれば、モアイに宿る何かを感じることが出来る。 比較的大きなモアイ像、彼らが村に住む部族の人々の心の中に、守護神として存在していたことだろう。





「 アフ・ナウナウ 」

a0086274_201245100.jpg アナケア・ビーチというのが島の西北にある。 綺麗な白浜と椰子の木を背景に、モアイたちが数体存在している。 ここのモアイは一見すると、やけに小綺麗な印象を僕は受けた。 その容姿があまりにも綺麗すぎるので、まるで最近造られたかのような気がしてならなかったし、その分雰囲気に欠けるような感じがしたが、実はここのモアイたちはこの砂浜に埋もれていた為に保存状態が良かったとか?

 7体あるうちの5体はほぼ完全な形で修復されていて、背中の微妙な線もよく見える。 そのうちの4体にはまだ角もしっかりとしているプカオも載っている。 残りの二体は見るも無惨な形となってしまっている。 それが、モアイ倒し戦争の結果なのである。 しかし、首なしモアイや、下半身だけのモアイは何とも言えない、、、

 少し離れた砂丘からその様子を見ると、まるで何処かのテーマパークか五つ星ホテルのプライベートビーチに用意された感じを受けるが、ここのモアイたちが一番自然に近いのかもしれない。 まあ、その綺麗な砂浜と、透き通った蒼い海、それに計画的に植えられた椰子の木に囲まれたモアイ像たちを見るのも悪くはない、、、





「 アフ・コテリク 」

a0086274_20131087.jpg 現存するモアイの中で唯一「 目のあるモアイ 」として有名なのが、ここアフ・コテリクのモアイだ。 他にもモアイが数体近くに並んでいるのだが、やはり目のあるモアイは何処か違うのである。

 モアイの目は赤色凝灰岩という黒目に当る部分と、珊瑚を砕いて造った白い部分からなっている。

 今では、本物は博物館に保管されているのみであり、他のモアイたちには目がない。 正直目がないのが当たり前だと思っていたのだが、本当は目が入っている筈なのである。 目が入っていると、かなり奇妙な感じと滑稽な感じがするが、実はそこにはちゃんとした理由があるのだ、、、



 一般的に、モアイ像は祖先の姿を形にしたものであると言われているが、モアイ像を立てた理由というのは、部族の力を示すものとされているが、きっと村やその部族を守る役目があったのだろうとも言われている。 というのも、説に上がっているのは「 マナ 」と呼ばれる神通力を目から発していたとされている。

 確かに、その目を見れば、何処か不思議な感じを受けずにはいられない。 そして、その目を見る人々が口々に「 目からビームでも出そうだね、、、 」と思う事だろうが、実際当時の人々にはそのように信じられていたようなのである。 実に不思議でユニークなモアイの存在ではある。



 島にはまだまだたくさんのモアイ像が存在している。 現存するものは1000体以上と言われる中で、実際に当時の姿形をしているものはかなり少ない。 それに運搬途中で壊れてしまったものや、交通の面からアクセスしにくい所、唯一海に面して立っているもの、女性の形に近いもの、祭壇がペルーのインカ文明の影響を受けたかのようにぴっちりと石組みが成されているもの、、、 実に様々ではある。 ちなみに空港でも、トランジットの乗客用にモアイが一体置かれている。





 、、、ポリネシアから渡って来た人々は、それらポリネシアの島々で見られるように酋長を中心とした部族社会があり、その社会の中で「 マラエ 」と呼ばれる祭壇を持っていた。 イースター島では、「 アフ 」と呼ばれる祭壇を同じ様に持っていたが、部族間の力を示す為に造っていたが、それに拍車がかかり、更に力を顕著に示すように人形の石像を造る様になったと言われている。 ポリネシアでは木像が一般的だったが、風が強いこの島では石が適していたからと考えられている。

 結局、モアイが何の為に造られたのかというのは、そういった部族間の力を示すとか祖先や神、王をかたどったと言われているが、祖先の像というのが一般的になったようだ。 そして、それらモアイ像たちが海を背にして立っているのは、村を守る為と言われている。

 ラノ・ララクから切り出され、島の色んな部分に運搬され、目から神通力を出し、村の住民を守ると言われているモアイ像、、、 様々な言い伝えや憶測、それに科学の力を持って研究・調査が勧められて入るが、最大の謎はその運搬方法だ。 というのも、モアイは小さいものでも1トンはする。 大きいものでは数十トンもあるのだから。



 今現在、説として有力なのは、、、

1)たくさんの木々を並べて、その上を転がして行くという方法。

2)顔をした状態で木のソリに載せ、そして並べた木々の上を転がすという方法。

3)立たせたまま、腰の所にロープを付けて左右交互に引っ張る方法。

4)木のソリに載せ、それを公園のブランコのような装置を使って運ぶ方法。



 実際に実験も行われたそうで、4番が有力とされつつも、2番の方法が一番早くことが出来たそうなのである。 3番の方法は、島の伝説による「 モアイは一人で歩いた 」というところからヒントを得ているそうだ。 僕としては、モアイが一人で歩いたという説が良いのだが、、、



 眠る巨人「 モアイ 」。 その存在感はその大きさのせいでだけでなく、大きい。 人々がモアイを造る事によってその当時に何を思い、何を願っていたかを知る良しもないが、こうして威風堂々と建ち並ぶモアイを見れば、なんとなく、、、 それとなく、、、

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by hitoshi280477 | 2005-11-29 07:30 | Easter Island

Easter Island vol.1 「 絶海の孤島 」

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 タヒチから約4000Km、南米大陸からは約3700Km、人が住む最も近い島からでも約1900Km離れている島、イースター島。

 地元の言葉で「 Te Pito O Te Henua 地球のヘソ 」と呼ばれるこの島は、南太平洋に浮かぶ正に絶海の孤島だ。 そんな島が世界中の注目を集めるようになったのは、1000体にも及ぶ「 モアイ 」と呼ばれる石像の存在があるからなのだ。





 西暦500年頃にポリネシアから渡って来た人々は、600年頃には畑で農作業をしたりして安定した時期があったことなどから、人口の数は急激に増えていった。 700年頃になるとモアイ像の製作が始まったとされ、その分、それが島の限られた資源である森林を大量に伐採にするきっかけになってしまったのだった。 1000年頃には人口が6000人から10000人増え、森林伐採が加速していたことから更に土地が痩せ、また木材の不足から船が作れない為に漁業もままならず、それらが食料確保の困難に繋がり、それが飢餓をまねき、そして最終的に部族間の争いへと繋がっていった、、、



a0086274_1914249.jpg 外部からの記録では、1722年にオランダ人が復活祭の日にちなんで名付けられ、その頃はまだ豊かだったと記されている。 1770年にはスペインからの領有宣言書に「 ロンゴ・ロンゴ 」という特別な文字でサインをしたり、1774年にはかの有名なジェームズ・クックが訪れた時に目にした住民の姿は物乞い同然だったと記録されている。

 19世紀に入ると、この絶海の孤島も悲惨な運命を辿る事になる。 捕鯨船やアザラシ狩猟船が西側諸国からやってきて、島民を奴隷として連れ去ったり、虐待したり、伝染病を持ち込まれたり、、、と。 最も悲惨だった時代は、フランス人のキリスト教宣教師たちによるロンゴ・ロンゴ表記による文化財を布教を妨げるとして焼き払ったことだ。 その行為によって、それ以前の時代背景を知る事は難しく、またロンゴ・ロンゴの文字も現在では目にする事がない。



 イースター島は火山で出来上がった島だ。 その為、島には小高い丘や、噴火口の後に水が張っている火口湖がある。 辺りに大陸もなく、島に大きな山もなく、大きな森などはかなり少ないので、常に風が強い。 実際、島の東北の空を見上げると、それからの天気の流れを読む事が出来るのだ。 また辺りに視界を遮るものは何もないので、夜になれば空には満天の星空が現れる、、、


a0086274_19142823.jpg 他の大陸や島から、こんなに離れた島にやって来た人々はいったいどういう人だったのだろうか? 最近のDNA鑑定の結果によると、彼らは南太平洋ポリネシアの人々ということになる。 実際、そんなことをしなくても、タヒチの言葉の中にあった「 Mauru マウル 」が「 Mauluru マウルル 」という「 ありがとう 」という意味の言葉がある。 彼らは何かの間違いや強制的にこの島に来た訳ではなく、星や海の様子を見ながら進む航海術を使ってこの島を発見したとされている。 航海術や乗り物が発展した今日でさえ「 絶海の孤島 」と揶揄される島へ、人々は大型のカヌーに乗って来たのだから、そのバイタリティーには驚かされる。

 またこの島の文化が、他のポリネシアの島々の文化と共通している事も、DNA鑑定だけでなく、彼らがポリネシアから渡って来たという事実を裏付ける。 そのうちの一つが、「 マケマケ 」と呼ばれる天地創造の神だ。 これはモアイ像とは異なり、ポリネシア文化圏ではよく目にする事が出来るそうだ。 特にイースター島では、島のあちこちにマケマケの石像が点在している、、、とか。






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by hitoshi280477 | 2005-11-28 07:27 | Easter Island