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Myanmar-2


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by hitoshi280477 | 2007-12-05 01:59 | Myanmar-2

Myanmar-2 vol.10 「 今日のビルマに生きる人々 」

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 今日のミャンマーはかなり特殊な状況にある。 一応、軍事政権というのは崩壊したことになっているらしいが、その時代に造り上げたビルマ式社会主義というのが今日も根強く残っているとか。

 ビルマ式社会主義、住民の民主化要望、少数民族問題、「 鎖国 」が招く経済の停滞、脆弱な社会基盤、、、 ミャンマーの抱える問題は多い。 そのどれをとっても、今後の国の姿を懸念させられるものばかりだ。



a0086274_2051592.jpg そんな中での人々の生活は苦しい。 政府は相変わらずで、態度を少し軟化させてはいるものの、民主化を認める訳でもなく、住民は今も政治に口出すことはタブーのようだ。 経済に至っては、人権問題のせいで先進国からの援助や投資は期待が持てず、今では中国など経済の伸びが良い所や、近隣諸国との繋がりを強化することでかろうじて混乱を押さえている感じらしい。

 それでも、一般の住民の暮らしは大変だ。 一日$1、一ヶ月$30というのが、ここミャンマーの平均収入らしい。 もっとも、ヤンゴンで働く人と、田舎の農村で働く者の間には、貨幣における極端な差があることは間違いないので、この数字はアテにならない。 それでも、以前からずっと続くインフレに労働者の賃金が追いつかないので、人々の暮らしは一層困難な様子だ。

 それに、この気候も大変なものだ。 この国に生まれ育った人でさえ、きっとこの雨期と乾期のギャップは相当応えることと思う。 あの雨の量に、あの湿度に、あの気温に、あの日差しの強さだ。 そんな中での暮らし、、、 僕には耐えられるかわからない。



a0086274_20513418.jpg それでも、人々は逞しく今日を生きている。

 そんな大変な状況下でも、その時、その時を楽しそうに生きている。 人々は毎日に「 生き甲斐 」や「 喜び 」を感じているようだった。 こんな大変な生活環境でも、人々の間には「 笑い声 」や「 笑顔 」が多く見られる。 直面している現実が大変だからこそ、もっと人間らしく生きることができるのだろうか?



a0086274_20593979.jpg この国に生きる様々な人々のことを想う。 国民のほとんどが信仰しているという仏教が、彼らを強く支えていることは間違いない。 その精神的拠り所が、彼らの「 強さ 」ということになっているのだろう。 それは、人々の高い道徳心にも非常によく現れていると思う。

 彼らの住む「 精神的世界 」、それは「 物質的世界 」に蔓延る「 物欲 」をより酷く醜いものに感じさせ、その反面、「 精神的充実 」は非常に尊いものだと僕は思う。



a0086274_20595815.jpg ミャンマーの将来は、今のところ予測するのは難しい。 正直、民主化に切り替えたところで、物事全てがうまく行く訳ではないし。

 それでも、今のように人間としての権利、いわゆる「 人権 」が侵されるようなことがあってはならない社会には早いとこなって欲しい。 その後、必ず来るであろう経済戦争に、人々は多少なりとも揉まれるかもしれないけど、、、

 豊富な人口に、広大な国土、それに豊富な天然資源、、、 それに加え、この勤勉で実直な国民性。 世界経済から見ても、きっと魅力的な場所に見えることだろうからだ。



a0086274_2102531.jpg きっといつか来る「 その日 」になっても、ミャンマーの人々が、今のように高い道徳心と親切な人々であって欲しいと僕は思う。

 そして、子供たちの瞳に見られるように、輝かしい未来を勝ち取って欲しい。

 この国のことを想うと、そう願うばかりだ。






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by hitoshi280477 | 2005-08-10 01:52 | Myanmar-2

Myanmar-2 vol.9 「 やっぱりシュエダゴォン!! 」

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 「 パゴダの国、、、 」と呼ばれるだけあって、実際ミャンマーの至る所にパゴダは存在する。 その数が一体どれ程になるのかは検討も付かないが、人々の仏教に対する信仰の度合いを指し計るものにはなるだろう。

 そんな中で、やはり一番に来るのがこの「 シュエダゴォン・パゴダ 」だろう。 ヤンゴンの少し小高い丘にあるこのパゴダは、それが首都にあるからという理由もあるが、そこを訪れる人の姿が絶えることはない。 それが、早朝でも、暑くて日差しのキツい昼でも、夜遅くでも、、、 また、雨が降ってもだ。


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 このパゴダの歴史は古く、約2,500年前に2人の商人がインドで仏陀から8本の聖髪を貰い、紀元前585年に奉納したのが始まりなのだそうだ。 何度も拡張された結果、中央の仏塔の周りに60以上もの塔を有する巨大パゴダとなった。 仏塔の高さは99.4m、基底部の周囲は433m、金箔は約9,000枚も使われている。

 さらに、塔最頂部には76カラットのダイヤモンド、他に5,451個のダイヤモンド、1,383個のルビー、それから翡翠等の多数の宝石、、、

 偉大なる鐘という意味を持つマハ・ガンタの釣鐘は、18世紀に造られたもの。重さは23トンもあり、戦争の際にイギリス軍が持ち出すのに失敗して川に落としたものを、後にミャンマーの人々が引き上げたという。



a0086274_21261534.jpg 前回来た時も感じたことだったが、ここには「 何か 」が宿っているような神秘的な感じを受ける。

 金箔が貼られた大きくて立派なパゴダがあることや、八曜日の動物たちが祭られていること、また様々な仏像やら何やら大事な建物、像があることなどなど、「 何か 」を感じさせられるものはある。

 しかし、そこにはもっと言葉では説明し難い雰囲気がある。

 しばし、タイルで綺麗に仕上げられた回廊を歩き、そこにある仏像や、仏塔を眺めていると気付くことがある。 それは、ここに集まる人々の信仰の厚さだ。



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a0086274_21283640.jpg その姿が目に留まらないことはない。 

 キツい日差しの照り付ける中や、雨風の吹く中でも、人々はお祈りを止めることはない。 何をそんなに熱心に祈っているのか、、、 その心中を察することは出来ないが、その姿から人々の仏教に対する気持ちの現れを目にすることが出来るのには間違いがない。

 手を合わせ、心静かに何かを想い、一心不乱に祈り続けるその姿、、、 それを見る者を魅了する必要は何処にもないが、しかしその様子を見る者が「 何か 」を感じぜずにはいられないほど、人々の祈りを捧げる様子は神秘的だ。



 何だか、えらく場違いのような気がしてならないが、それでも人々はここを訪れる者には寛大だ。 こちらが好奇の眼差しで見ていることや、写真の被写体になっていることに、気付いているのかどうかは知らないが、特に気にする訳でもなく、特に無視する訳でもなく、至って自然体でいることに気付かされる。

 何処ぞの国の、「 それ 」を売り物にしか考えていない輩たちとは偉い違いだ、、、

 ああ、そう言えば、ここも外国人観光客には入場料$5が必要だったっけ?


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by hitoshi280477 | 2005-08-09 01:51 | Myanmar-2

Myanmar-2 vol.8 「 日本人戦没者の碑 」

 「 大東亜戦争 」 普段はあまり耳にしない言葉だが、これはすなわち「 太平洋戦争 」、もしくは「 第二次世界大戦 」のことだ。 真珠湾港攻撃を境に始まったこの戦争。 東アジアの支配を目論んだ当時の日本は、当時は「 ビルマ 」という国名だったここミャンマーまでも侵攻していた。 

 日本のビルマ支配は約三年間に及ぶが、日本の敗戦を機に再び以前の英国領に戻った。 そして、後の交渉を通じて、当時のビルマは独立を勝ち取ったのだ。

 言葉にしてみれば、その実感が正直湧かないところだが、当時の状況は想像を絶することだろう。 その証拠に、遠く祖国を離れたこの酷暑の異国で約19万人に及ぶまだ若い日本人兵士たちが亡くなっていったという、、、 その多くが、食料不足による飢餓だったと伝えられている。



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 ヤンゴン郊外、25Kmの地点にある「 アウンミンガラー 」という長距離バスターミナルがある。 その近くに、「 アジア地域戦没者慰霊協会 」の建てた慰霊碑がある。

 マンダレーに行く際に寄りたかったのだが、当日は今まで見たことも無い程の雨が降っていた為に諦めた。 しかし、バガンからヤンゴンに戻って来た際に、僕は立ち寄ることが出来た。 少し小雨の降る中、朝もやに包まれた慰霊碑と対面することとなった、、、





a0086274_12195538.jpg マンダレー・ヒルにも同じ様に日本人戦没者の為の碑が建てられてあった。 頂上へと続く参道の途中、ちょっと目立たない所にあるので見つけにくい。 たまたま写真を撮った赤ちゃんのお父さんが、僕を日本人と知ると参道を外れた寂しい所にあるその石碑まで連れて行ってくれたのだった。 もしそうでなければ、僕はきっとそれを見つけることは出来なかっただろう。

 そこの碑は、日本人戦没者のみに限らず、その時犠牲になった地元ミャンマー人や英国人、その他大勢の戦没・犠牲者たちの霊を慰めるものとして建てられていた、、、



a0086274_1220721.jpg それらの碑を前にして、僕は言葉が出てこないどころか、頭の中にさえ何も浮かんでこなかった。 あの戦争と言えば、きっかけはどうあれ日本が始めたものという認識を僕はしている。 そして、それはただ単にアメリカや西側に対抗するものではなく、特に東アジアにとっては侵略的な戦争だった。

 当時の日本の様子は正直あまり理解していない。 しかし、知っている範囲内でも理解出来ない部分や、共感出来ない部分はたくさんある。 「 正しい歴史 」など知っている訳ではないけれど、祖国をこんなに遠く離れ、地元の住民たちに多大な迷惑をかけていたことは「 真実 」だ。 日本側の主張がどうであれ、それはまぎれもない「 真実 」だ。 その当時の地元住民たちのことを考えると、さぞ大変な思いをされたことだろうと思う。

 また、当時の日本人兵士たちにも、何だかやるせない気持ちになる。 「 そうすることが、祖国日本のため、、、 」と思っていた人々。 「 他に選択肢は無かったのか? 」と問いたいが、今では地下に眠る白骨の身。 まだ若くして亡くなっていった日本人兵士たち、他の人生もあったであろうに、、、 ただただ、そのご冥福を祈るばかりだ。





 思うことがある。

 現代の日本はそれら犠牲となった国々に対して、もっと積極的に行動するべきだ。 それなくしては、お互いの関係の更なる前進は難しいだろう。 それは「 日本 」という単位であって、「 日本政府 」だけの問題ではないと思う。 そもそも国は、「 人をもって国を成す 」のだからだ。

 現代に生きる日本人がこれらの役割を担っていくべきであると思う。 別段、そこまでややこしいことをしなくてはいけないわけではない。 当時犠牲になった人々のことを思い、今を生きる人々との交流を出来るだけ深めるだけでも良いのだと思う。 それが、「 侵略者 」としてやって来た日本人兵士たちの慰霊碑を掲げることを許してくれる今のビルマの人々に対するせめてもの役割であり、お礼だと僕は思う。



 冷たくなってしまった「 碑 」は、何もすることが出来ないのだから、、、

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by hitoshi280477 | 2005-08-08 01:50 | Myanmar-2

Myanmar-2 vol.7 「 パゴダで会いましょう 」

 背中から伝わるほんのりとした暖かさが心地良かった。 少し体が汗ばんでいる感じがしたが、時折吹く風がそれを紛らわせてくれた。 どうやら日もかなり傾いてきたようで、何だか気温も少しは落ちてきたようだった。 音の無い、静かな中、小鳥たちのさえずりだけが、、、

 はっとして起き上がると、夕焼けに色にそまりつつあるパゴダがたくさん見えた。 僕はどうやら昼寝をしてしまっていたようだ、、、 パゴダの上で。 辺りをよく見ると、先程までとは比べ物にならない位に地面に写るパゴダの陰は伸びていた、、、

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 初めてこの景色を目にした時はそこまで感じはしなかったが、起きてからもう一度見てみて、ここから見渡すことの出来るバガンの風景が一番だと思った。 バガンの赤茶けた土地と、緑の中に点在する無数のパゴダたちを一望することも出来るし、またその向こう遥か遠くまで見渡すことも出来る。 今では、それら全てが夕焼け色にそまり、うっすらと頬を染めるような色合いを見せていた。





a0086274_1262821.jpg 一人の女の子が、僕のいる場所であるパゴダの一番高い所まで上ってきた。 聞けば、ここの管理を任されている男の妹だと言う。 笑顔の素敵な娘で、その瞳には「 しっかり者 」特有の静かだが、力強さを感じさせる何かがあった。

 ニュー・バガンに住む彼女は、日中は兄の作品である仏教をモチーフにした絵を売り歩いているらしく、夕方になるとこのパゴダに来て、少し営業をしつつ兄の仕事が終わるのを待つのだとか。

 彼女の口調は20歳の若い娘にしては、とても落ち着いていた。 こちらが外国人ということなどは一切関係なく、それでいて外国人慣れしている訳でもなかった。 それほどまでそうしっとりされていると、何だかこちらも拍子抜けしてしまうが、、、 まぁ、自ら商売をしているのだから、それくらいは当たり前なのかもしれないのかも。

 名を「 MIA 」と言った。



a0086274_1263890.jpg それに比べて、四つ上の兄である「 KOKO 」はここの管理を任されているのに、僕と一緒になって昼寝をしているのんきな男だ。 何でも、以前、何処かのパゴダの上で写真を撮ろうとしていた外国人観光客が、誤って転落し、死亡してしまった為に、ここ「 MI NEYIN GONE 」パゴダの管理人としての仕事が出来たとか?

 ここはビルにして、4~5階分くらいの高さの一番上まで上れるとあって、お決まりの「 Sunrise 」と「 Sunset 」を観に外国人観光客が来るらしい。 その為、彼は日の出前の出勤となり、日没後までここにいなくてはならない。 とはいえ、ガイドブックには載っていないので、僕の様に偶然ここのことを見つけた人、もしくは人伝いに知った人以外が来ることはない。 パゴダの中に布団を用意している所を見ると、そこまで大変な仕事のようではなかった。

 少しひょうきんな兄と、しっかり者の妹、、、 典型的な「 兄妹 」ではある。



 何だか話をしているうちに、彼女が売っている兄の作品を見てみることになった。

 始めのうちは特に興味もなかったが、彼の作品はなかなかユニークと言うか、仏教のことがモチーフになっている割には可愛らしい絵柄が多かった。 普段から、あまり必要でない物を買わないことにしている僕だが、この時ばかりは何故か「 買い気 」になっていた。 実際、必要な物と、欲しい物の区別をするように日頃から心掛けているので、特に衝動買いをすることもないし、買うなら日を変えて何度もその物を見ることにしていたのだが、、、 それに、お土産はほとんど買わないのに。


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 「 これはいくらなの? 」

 「 6000チャット 」

 「 、、、じゃあ、それで 」



 6000チャットと言えば、$6になる。 こちらミャンマーではそれなりのお金だ。 とは言え、僕はあまり考えることなく、その「 言い値 」のまま買うことにした。 あまり「 値切り交渉 」は好きではないのだ。 なので、即決。 ただ一つ頭の中にあったことと言えば、、、 「 コレは欲しいかも 」 という直感のみ。

 購入した品物自体にはかなり満足している。 こちらミャンマーの伝統歴「 八曜日 」の動物たちが描かれている何とも可愛らしいものだ。 久しぶりの旅の記念品としては、ちょうど良いところだろうと思う。





 まだ日が沈むには時間があった。 英語の堪能な妹となんとなく話をしていたが、話は家族のことについてになっていた。 どうやら、父親は早くに亡くなったそうで、今は母親一人に兄、自分、そして弟と妹がいるとか。 その為に、兄と自分が働かなくてはならないと言う。 「 彼氏はいないの? 」と言う僕の問いに、彼女は「 弟と妹を食べさせていかなくちゃいけないからね 」と言っていた。 その言葉を聞いた時、僕はさっき購入した兄の作品を、無理に値切らなかったことを「 良し 」とした。

 もうそんなに幼い訳でもないから、仕事をするのは当たり前だし、家族を助けるのも、特にこういった国では当たり前のこと。 しかし、実際その話を聞くと、何だかやるせないような気持ちになる。 今までたくさんの生きる上での「 選択肢の無い人々 」を見ては来たが、やはり現実は厳しい。 僕の様に思うがままに生きられる人は、世界中でほんの一握りだ。

 夕焼けに照らされた彼女の少し寂しそうに写る表情が、、、 心に残る。





a0086274_1273265.jpg 翌日、何処となくオールド・バガンの辺りをウロウロしていた僕は、何となく彼らのいるパゴダに行くことにした。 そして、今日もやはり昼寝をするのだった、、、 KOKOと一緒に。

 夕方まで寝ると、今日も天気が良かったせいで綺麗な夕焼けが見える。 一人、ぼ~っとしていると、そのうちにMIAがやって来た。 外国人観光客を数人連れてきている。 彼らがより高い所へと上っている間、兄と妹は二人で営業の準備をしていた。 仲の良い兄・妹ではある。 その姿が何だか微笑ましかった。

 結局、連れてきた観光客たちには売れなかった。 単純明快だが、実にシビアな世界ではある。 何せ、目の前の作品を、お金に替えなくてはならないのだから、、、

 それでも二人は、「 いつものことだよ 」的な表情をして僕を見ていた。





 夕焼け色に染まるバガンの地を背景に、兄と妹は一緒になって遊んだりしている。 きっと小さい頃から仲が良いのだろうが、この歳になってもその姿は小さかったあの頃ときっと変わらないように思えた。 それほど仲の良い兄と妹だ。 正直、弟と妹のことを考えると協力しなくてはいけないことばかりだと思う。 自分のやりたいことなど二の次どころか、考える余裕もないかもしれない、、、



 そんな二人と記念に写真を撮ることにした。

 出会ったバガンの地を背景に、、、

 そして、僕はその写真に気持ちを込めた。

 「 またいつの日か、パゴダで会いましょう 」と。

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by hitoshi280477 | 2005-08-07 01:49 | Myanmar-2

Myanmar-2 vol.6 「 灼熱のバガン 」

 宿を出て、待ち歩きをしようと思った頃にはもう夕方5時近くだった。 ほんのり暑さの残る中、僕は旅行者が「 バガン 」と思っているが、実は「 ニャンウー 」という名前の村の辺りを歩くことにした。

 自動車やバス、馬車に自転車がひっきりなしに行き交う大きな通りを挟むようにしてあるこの村を何処となく歩いていると、ここまでの船の中で一緒だったスイス人カップルに再び出くわした。 「 シュエズィーゴォン・パゴダ 」に行くと言う彼らに、僕は付いて行ってみることにしたのだった。



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 その黄金色に輝くパゴダは実に荘厳だった。

 特に夕日に照らされたパゴダの黄金色は、そこに何か不思議な力が宿っている様にさえ思わせるところがある。 これがどの位ここにあるのかは知らないが、このパゴダの姿を目の前にして、それが旅行者と言えども何かを感じぜずにはいられない。 そこにはこのパゴダに安置されている仏像に向かって、熱心に祈る人々の姿があった。

 パゴダを去る頃に、近くにいた住人らしき人が、僕らに向かって「 Sunset !! Sunset !! 」と遠くを指差して言っている。 少し思ったが、何となくそちらの方に行ってみると、そこは小さな集落のようになっていて、夕日に照らされた広場のような所で地元の人々がサッカーをしたりしていた。

 結局、何処でその「 Sunset 」が観れるのか分からないまま、右往左往していると、近くにいた住民が、その集落の外れにあるパゴダまで案内してくれて、尚かつパゴダの内部にある階段を通ってパゴダの上まで案内してくれた。 その住民は、特に見返りを求める訳でもなく、軽い会釈と笑顔を残すと、すっと立ち去ってしまった。



 パゴダの上から観た「 Sunset 」は、そこまで綺麗に見えた訳でもないが、それでも少し高台から眺める風景は良かった。 マンダレーからずっと下って来たエーヤワディー川も見ることが出来る。 その向こうには山脈が連なる様子が見えて、、、 内陸の方に目を向ければ、そこには平坦な大地が広がっていて、僅かだが点在するパゴダの姿が見える。

 地元の人に教えてもらった所だけに、ひっそりとしていて、ゆっくり出来る所ではあった。

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 翌日、自転車を借りた。 一日600チャット(=約60円)で良いという。

 自転車には「 JAPAN 」とか、「 HOKAIDO 」と書いてあった。 近所のガキンチョが、「 これは日本から来ているんだっ! 」と譲らなかったが、少年よ、残念だが日本製なら安っぽいシールで下品に「 JAPAN 」とか貼らないだろうし、「 HOKAIDO 」は、正しくは「 HOKKAIDO 」だ。

 しかも、果たして、遠い日本から遥々ミャンマーのバガンくんだりまで自転車を持ってくるだろうか? 世界一生産コストがかかりそうな国から、「 鎖国 」状態のミャンマーへ、、、 恐らくこれは「 Made in China 」ですよ。 何故なら、何よりもその安っぽい作りがそれを物語っている、、、



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 ニャンウーの街から、ここの見所である「 パゴダ 」たちはまっすぐな道を約3Kmほど進んで行くと、そこに「 オールド・バガン 」というここでの見所のパゴダたちがある場所に着くことになる。 畑の合間を突き進むその道を、僕は自転車をこいでいた。

 炎天下の中を自転車で移動するのはことのほかキツい。 道自体はなかなかしっかりしていて、道中特に目立った起伏も無いことから、別段そういう意味ではキツくはないのだが、ただ、、、 この日差しがキツ過ぎる。

 それは想像していた以上で、今までの経験の中で、これほど日差しのキツかった所を思い出すのには苦労するほどだった。 顔にベタベタに塗りたくった日焼け止めも、果たして効いているのだろうか?



 ある時、僕は午後二時の日差しの中、とあるパゴダに登ってみようと試みた。 そこは旅行者にも「 Sunset 」で有名な所。 夕方の混雑を嫌って、少し早めに登ってその景色を独り占めしようと目論んでいたのだ。 そのピラミッドのようになっているパゴダは、7~8段からなる階段を五階分の造りで出来ている。 そこをぐるっと一周回ってみたものの、どの階段にも日が差していたので、僕は諦めて一番正面にある階段を登ることにした。

 正直、その一歩目どころか、そこへ辿り着くまでの砂地の所と石床の時点でもう熱かった。 それでも、意を決して登って行ったのだが、、、 二階分登ったところで、早々に諦めた。 というのも、足の裏がその石床に張り付かんばかりに焼けるのだっ!! 今までこんな熱いものの上を歩いたことはない。 あるとしたら、「 インドの黄金寺院 」くらいだ。 それでもあそこには蓆が敷いてあったからまだ良い方だ。 こちらは何もなく、あるものと言えば、同じく熱くなっている鉄製の手すりだ。



「 うわぁ~っ! あっちぃ~っ!! 」



 そう叫ぶ僕を見て、笑う者は物売りのおばちゃんのみだった、、、



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 そもそも「 パゴダ 」とは何なのか?

 詳しいことは知らないが、どのパゴダにも仏像が祭ってあることから、仏教における祭壇なのだろう。 大小様々、また形も微妙に違ってはいるものの、その存在意義は仏陀と仏陀のその教えに従うと言うことと、それに対する敬意の表現方法なのだろう、、、 と思う。

 それにしてもこのパゴダの数は多い。

 ここが「 カンボジアのアンコール・ワット 」、「 インドネシアのボロブドゥール 」と並んで、「 世界三大仏教遺跡 」という肩書きを与えられていることからも、その規模や様子をある程度は知ることが出来る。 もっとも、ここに住む人たちにとっては、「 バガンこそが一番っ!! 」と思っているだろうから、それは言うまい。





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 パゴダの上から、バガンの全域が見れる所は他にもある。 40Km四方という広大な地に広がる大小合わせて3000以上ものパゴダを眺めるのは圧巻だ。 周囲を畑の赤茶色や、木々の緑に囲まれていて、視界の先には、、、 あの白装束のパゴダは特にその色が映える。 パゴダそのものの姿にもうっとりしてしまうが、それと同じか、もしくはそれ以上に、それを取り囲む自然の優美さに魅せられずはいられない。 

 視界は遥か遠い山脈までも見渡せる程広がっており、そこには夕日に照らされたパゴダに、雲に、大地があった。 これまで自然の凄さに感動させられたことや、人類の造り出した傑作を前に感嘆させられることはあったが、今、正に目の前にその完璧な調和を保った「 傑作 」の作品がある。 相変わらず言葉を使った自分の表現力の無さに呆れるが、人は一番最高のものを前にした時、いかなる言葉を発することは出来ないことだろう、、、 そう思う瞬間だった。

 ほんのり暖かいパゴダの熱を体で感じながらも、僕の頭はその「 傑作 」を記憶の中に留めようと必死に稼働していた。 日中のあのキツい日差しのことなんかは、もうどうでも良くなっていた、、、






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by hitoshi280477 | 2005-08-06 01:48 | Myanmar-2

Myanmar-2 vol.5 「 エーヤワディー川下り 」

a0086274_10361695.jpg 午前6時半。 まだ朝もやの中、マンダレー発エーヤワディー川下りの出発だ。

 乗り込んだ船はどうやら外国人専用のものらしく、地元の人は一人として見かけなかった。 もっとも、デッキ席で乗船料$16という高額料金なのだから、地元の人々には到底支払える額ではない。

 聞いていた話では、料金の違いこそあるものの、外国人はロープで区画された中にいることが条件で、地元の人々と同じ船に乗ることが出来ると聞いていたのだが、、、 まあ、しょうがない話ではある。

 船自体は思ったよりも立派なものだった。 以前、バングラディッシュで乗ったようなオンボロ船を想像していたので、その立派さと川を下る速度には感心した。 さすがに$16を出しただけのことはあると思った。

 船は一路、川下にある「 バガン 」を目指す。



a0086274_10363662.jpg 甲板に出てみると、まだ朝早いとはいえ、肌寒くなる程の風が吹いていた。 マンダレーでの暑さが嘘かのように冷たい風が吹き付けてくる。 上着なしにはいらないほどだ。

 日が昇り始め、辺りが明るくなるに連れて、周りの景色もしっかりとし始めた。 茶褐色のエーヤワディー川の先には、平坦ながらも緑豊かな大地が見える。 その景色の中に見え隠れするのが「 パゴダ 」だ。 白く化粧されたパゴダの姿は、緑の多い中では目立つ存在ではあるが、何よりもそれが見え易い小高い地にあるのだった。 しかも、そのパゴダの先端は必ずと言って良い程、金で装飾されているのだから目立たない筈が無い。

 それなりに速い速度で川を下る船からでさえも、そのパゴダの姿ははっきりと目にすることが出来るのだった。 そして、その数の多さには驚かされた。



a0086274_10364597.jpg 昼近くになると、陽もかなり出て来て、甲板にはいたくないほどだ。 この先のバガンの日差しの強さを思わせる程に強かった。

 それでも、白人は甲板に出て本を読んでいる。 何故、白人の連中は船に乗ると必ずと言って良い程、甲板に出て本を読みたがるのか? この日差しの中では間違いなく日焼けをするし、本が照り返す日の光もきっと目には良くないだろう。 彼らの肌は間違いなく日差しに弱いのに、どうしてそう率先して日に焼けたがるのか? しみやそばかすで肌が醜くなると言うのに、、、 たまに白人のすることの理解に苦しむ。 まあ、いいや。





 想像以上に船は順調に航行していった。 何の不具合もないのは、少々つまらないとも言えるが、まずは目的地に無事に辿り着くことが先決なのだから良しとしよう。

 それにしても、船の中の従業員のサービス精神は旺盛だ。 それは日本のそれとも変わることはないと思われる程だ。 元々、ミャンマー人のホスピタリィティには定評があるが、さすが外国人観光客専用の船のクルーだけはある。 「 しっかりしているもんだ 」と感心してしまった。





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 ある時、何かを知らせる汽笛のような合図が船の中から聞こえてきた。 「 これは何かあるな 」と思い、カメラを手に甲板に出てみると、どうやら着岸するようだった。 船は何故か着岸寸前に反対方向に向きを変えてから、着岸した。 何の為の寄港なのかは分からないが、そこには地元の人々が集まっていた。

 集まった人々は、商売をする者たちとただ何となく暇つぶしに来た人たちに別れていた。 前者の方は、バナナなり食べ物なりをカゴに入れて集まってきている。 中には自作の布製品を持って来る人の姿もあった。 子供たちは何故か必死に「 Hello ! Hello !! 」と叫んでいた。

 甲板の上からだと、地元の人々をちょうど見下ろす感じになるわけだが、そこからの外国人勢の写真撮影は凄かった。 かく言う自分もそうなわけだが、その姿を見るときっと何とも言えない気分になるのだろうと思った。 それはまるで「 動物園での写真撮影 」のようなのだから、、、





a0086274_1038579.jpg 数時間後、また寄港する時があった。

 今度の時も、前回同様たくさんの地元の人々が集まっていた。 正直、どちらが「 見物 」されているのか、もう分からない程だ。

 相変わらず物売りと、子供の「 Hello ! Hello !! 」と叫ぶ声、それに外国人勢のシャッターを切る様子は変わらなかったが、今度は外国人観光客の数人が、地元の人々に向かって何か物を与えようとするから、現場はもう大変。

 誰もそんな物をくれとは言っている様子は無かったように思えたが、彼らがそうし始めたことで人々は「 我先に 」と争い始めてしまった。 中にはホテルの備え付けなんかにある「 アメニティーセット 」を分けるもんだから、母親たちが子供を抱きかかえたまま石鹸やブラシを争うことに、、、

a0086274_1039517.jpg きっと「 物の無い生活は大変だわっ 」とかいう考えからの行動なのだろうけど、彼らの生態系を壊そうとしているアンタたちはマズイと思った。

 というのも、彼ら地元の人々に今まで無かった「 物を所有・物に依存 」するという観念を植え付けかねないからだ。 相変わらず白人は浅はかで、押し付けがましいと思う。

 それがいくらその時だけでも「 手助け 」になるとしても、、、





a0086274_1039255.jpg その後も船は無事に航行した。 相も変わらず茶褐色に濁ったエーヤワディー川だが、それも旅の一場面を担ったと思うと悪くはなくなった。

 寄港することによって、地元の人々の生活をほんのちょっぴりだが知ることが出来たのは良かったと思う。 まあ、白人たちの一連の行動に「 物言い 」したくはなったが、そうしたところで何も変わりはしないだろう。 何だかちょっと寂しく、虚しい気持ちになってしまったが、船は無事に航行を終えた。

 視界の中に今まで以上に大きくて、たくさんのパゴダが認められた頃、船は目指す「 バガン 」に到着していた、、、






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by hitoshi280477 | 2005-08-05 01:45 | Myanmar-2

Myanmar-2 vol.4 「 マンダレー・ヒル 」

a0086274_9334914.jpg 「 参道をずっと登って行けば、頂上に出ることが出来る 」

 そう聞いていた僕は、とりあえず麓にある乗り物の集まっている場所から頂上の方へと続いていると思われる参道を選んで登って行くことにした。 目指すマンダレー・ヒルの頂上は標高236mの地点にあるという。 まあ、大した登りではないと思うが、、、

 どうやら参道も、お寺の中やパゴダのある所と変わらないらしく、素足で行かなければならない。 しっかりとしたコンクリートで造られている参道は、少しヒンヤリとしていて、どちらかと言うと気持ちの良いものだった。 特に、暑いこのマンダレーでは足の裏だけでも涼しくなれるのは良かった。

a0086274_934342.jpg 結構急な階段を上る人の数は多く、それはこのマンダレー・ヒルがまだ「 生きている場所 」だということを伝えてくれていた。 というのも、外国人旅行者にとって有名な観光スポットでも、地元の人が誰も訪れず、「 死んでいる場所 」というのはよくあることだからだ。

 それを思うと、何だか階段を上るペースが少し早まる気持ちになっていた。

 参道の階段は緩やかとは言え、やはりそれなりの傾斜に造られている。 所々に休憩出来るような場所が設けられているのは有り難く、そこからはこれまでどのくらい上ってきたかも分かるし、これからどの位上れば良いのかも分かるようになっている。 というか、参道自体細くて、その上を覆う屋根も幅が狭く、またウネウネと曲がっている部分から、外の様子が良く見えるだけの話だが、、、



a0086274_9341443.jpg 更に上ると、今度は眼下にマンダレーの旧王宮が見える。 外壁の一辺が2Kmを越え、水を張った外堀も合わせると2.5Kmほどになる。 とてつもなく大きな王宮の亡骸だが、話によるとこの王宮は現役としては25年程しか実際に使用されなかったらしい。 当時の王朝が、大英帝国による侵略を受けたからだ。

 参道を上って行くと、その途中に幾つも仏像が祭られているのに気付く。 大小様々で、また形も違うが、その中でもここで一番有名な仏像と言えば「 予言を与え給う仏陀 」だ。 背の高いその仏像は、脇に弟子のアーナンダーを従えて、高々と上げた指は旧王宮の方角を指している。 果たして、一体どんな予言を与えてくれるのか? 残念だが、言葉の分からない僕には今イチどうして良いのか分からない、、、


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 そういった幾つもの仏像の祭ってある場所を越えて行くと、やっと頂上に辿り着ける。 途中、そういった仏像を見たり、休憩を挟んだので、時間にしてみれば一時間半くらいはかかっていることだろう。 

 頂上にはこれまた様々な仏像があったが、どれも似たようなもんだった。 「 何ぞ、この罰当たりめがっ! 」とでも言われてしまいそうだが、同じ仏教徒と言えども、ミャンマーの仏教徒と日本の仏教徒はあまりにも違う。

 はたまた、チベットの仏教とも違う。 そもそも、仏教も今ではかなり広範囲に広がり、その分「 宗派 」というのも出来てしまったくらいだ。 なので、僕が仏像に詳しかろうが、なかろうがあまり関係ない、と思う。



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a0086274_9361595.jpg ミャンマーで少し変わっていることは、伝統歴「 八曜日 」というのがあるところだ。 これは産まれた年と月から算出した曜日といもので、誰しもにもこの八曜日は当てはまる。 何日に産まれたか、というよりも何曜日に産まれたかが重要だと言われている。

 この八曜日が西暦の七曜日制と違うことは、「 月火水木金土日 」の「 水 」を「 水・午前 」と「 水・午後 」に分けている点である。 何故そうなのかは良く分からないが、まあそういうことなのだ。 そして、その八曜日はそれぞれのシンボルともマスコットとも言うべき「 動物 」がそれぞれにあてがわれている。 同じく「 星 」と「 方角 」もある。

 このマンダレー・ヒルの頂上にもそれらの祭壇があり、人々は自分の属する曜日の動物たちを水で清めている。 その姿、何とも滑稽に見えてしまうのだが、こちらの人々は真剣そのものだ。

 ちなみに僕は「 木曜日 」で、動物は「 ねずみ 」ということになっている。



a0086274_9363930.jpg 途中から一緒に登ってきたミャンマー人の一行ともお別れすることになった。 言葉は一言も通じなかったが、それでも「 一緒に登ろうっ 」というような振る舞いで僕を招いてくれた。 ミャンマーの人々の人懐っこい一面をこの女の人たちに感じたが、一緒にいた一人の男には正直困惑した。

 「 言葉が解らない 」と何度も言う僕を無視して、何度もビルマ語で話しかけてくる。 正直、ろれつがおかしい気もした。 この男の何が悪いのかと言うと、コイツは一緒にいる女の人たち5人を代わる代わる引っ叩いたり、首根っこを掴んだりするのだ。 それも、日本人漫才師のような引っ叩き方だ。 いくら親しい間柄とは言え、コイツの態度は度が過ぎる。 見ていて頭に来たので注意するも、コイツはヘラヘラとしている。 ミャンマー人男性は「 素朴で、真面目で、優しい 」としか頭になかった僕は、正直この男に驚かされた。 とんでもない輩ではある。 

 まあ、そんなこんなも楽しい旅の思い出。 嫌がる彼女らを、無理矢理記念撮影させた僕も大して変わりはないのかもしれないが、、、






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by hitoshi280477 | 2005-08-04 01:43 | Myanmar-2

Myanmar-2 vol.3 「 バスでの深夜移動 」

 第二の都市「 マンダレー 」まで、バスで移動することにした。 他の選択肢としては列車もあったが、現時点でのミャンマーでの列車の移動には「 外国人料金 」という厄介なものが存在する。 故に、好きである列車の移動を諦めて、利便性の高いバスでマンダレーに向かうことにした。



 まずはヤンゴン郊外にあるアウンミンガラーというバスターミナルに行かなくてはならない。 そこまで行くのに、タクシーでまず3500チャット(=350円)かかる。 マンダレーまでのバスの運賃が6000チャット(=600円)なのに対し、この距離でその半分以上の値段は腑に落ちない。 そもそもヤンゴンの中心地から24Kmも離れている場所にバスターミナルを造るなんて、、、 と、言ってもしょうがない。

 そこまで路線バスで行くという手段もあったが、この大雨の中、そんな悠長なことは言ってられない。 そうなのだ。 実際、バスターミナルに向かうべくタクシーに乗り込んだ頃、今まで見たことない程の量の雨が降っていた。 内心、「 判断はあっていた 」と笑みを浮かべつつ、路線バスの運賃の数十倍するタクシー料金を良しとしたのだった。



 ヤンゴン~マンダレー間は、国の二大都市を結ぶ幹線道路とあって、概ね道路のコンディションは良好だと聞いている。 競合するバス会社も多い為にバスの本数自体も増えるので、旅行者としては助かる。 ただし、途中のトイレ休憩やら食事休憩やらは、言葉が解らない為にきっと不自由することと思われた、、、 そして、やはりにそうなったのだが。

 夕方出発の翌朝着の予定で、時間にして約17時間とか。



 バスそのものは日本からの中古車だ。 それは街中を走る他の車たちと変わることはない。 ここミャンマーには、信じられないくらいの数の日本の中古車が今日も現役で走っている。 乗用車はもちろん、バスにトラックまでもだ。 空港内のシャトルバスでさえ、良く見慣れた地元横浜の神奈中(神奈川中央交通)のものなのだ。 そう言えば、以前エジプトで会った日本中古車販売業の社長さんを思い出す。 確か彼はミャンマー人の従業員を使って、ミャンマーに日本の中古車を輸出していると言ってたな、、、

 乗ったバスは正にその日本の中古のバスだった。 以前は学校の遠足やら、会社の慰労温泉旅行なんかで活躍したと思わせるタイプのバスだ。 80年代を思わせるこのバスは、ここミャンマーでは高級クラスに属しているのだからきっとバス自身も満足しているに違いない。 ただ、日本人の標準的な体系である僕にしても少し狭いのが難点か、、、 そして、どうやらサスペンションにガタがきているらしく、車体が右に左によく揺れる。





 話には聞いていた。 しかし、実際体験してみると、それは聞いていた話以上だったのにすぐに気が付いた。 マンダレーまでの約17時間、バスの車内は正に「 冷蔵庫 」と化した。

 今まで散々極寒のバスを経験してきたが、これほど寒いのは果たして僕の記憶の中にあったのだろうか? これまでバスで一番寒い思いをしたのは、タイでの外国人観光客用のバスと、チベットで夜中に標高5500mを越えていった時だった、、、 が、この寒さはこれに負けず劣らずだ。 何故そこまで車内の温度を下げる必要があるのか問いただして、問い詰めてやりたいが、それは誰しもがしないこと。

 まあ、車内が蒸し暑いよりは、寒い方がまだマシなのかもしれん。 ただ、こっちは車内にて「 遭難 」しそうだが、、、 最新のGORE-TEXのジャケット(二万円相当)を車内にて使うことになるとは思いもしなかった。





 途中のトイレ休憩は比較的簡単な関門だ。 性別が同じ人の群れに付いて行きさえ出来れば、用は足せる。 しかし、食事休憩はそうはいかない。 いつもなら、何かしらの非常食ならぬ食料を準備しておくのだが、久しぶりに外国でのバスの移動、それも途上国であるミャンマーでのことだということを忘れてすっかり油断してしまっていた。

 特に、旅行者にとって最大の難関は食事なのだ。 しかも、ここミャンマーでの食事は、世界中を回ってきた強者旅行者にも評判は悪い。 それは食事が美味しいとか、変わったものを食しているとか、そういった次元ではないのだ。 何がどうかって? 「 油っこい 」、ただそれだけなのだが、、、 しかし、そのせいで何人もの旅行者が調子を苦しているのを僕は知っている。 何かを口にしなくてはいけないが、、、 旅行者にとってはちょっとした正念場ではある。





 寒さに震えながらの移動。 睡眠をとるのも難しい。 足も満足に伸ばせないし、腰は丸まったままだし、、、 GORE-TEXと毛布に身を包んでいても、尚寒さに耐えられないこの「 冷蔵バス 」、、、一体何物なのだろう?

 一晩中、意識が遠のいては、またはっきりと目が覚めてしまう状態が続いた。 やっと少し寝れたのは、朝方になって体力の限界によってくたばったからだった、、、





 マンダレーまでもう少しの距離にいると思われた時に、チェックポストがあった。 全員の ID を確認するようだった。 一列に並び、順番を待っていると、僕の前の人が軍人風の係の者から執拗な質問を受けていた。 見るからに嫌な感じのする男だった。 僕の番になり、その係の男は僕が外国人旅行者だと分かると、「 こっちに付いて来い 」と言う。

 少し離れた所で、ノートに僕のパスポートの記録を写している。 写し終えると、僕の予想とは裏腹に、パスポートはすぐに手元に戻ってきた。 そして、「 Thank You ! 」と言っている。 僕はその係の男の態度の急変ぶりに驚いた。 先程の男に対する態度とは打って変わって柔軟に対応しているつもりだろうが、それを目の当たりにした僕がとても嫌な気持ちになったのは間違いない。





 「 もうそろそろキツいな、、、 」とそう思っていた頃、バスはマンダレーのバスターミナルに到着した。

 ヤンゴンを出発して、予定通りの15時間後のことだった、、、






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by hitoshi280477 | 2005-08-03 01:43 | Myanmar-2

Myanmar-2 vol.2 「 ヤンゴン 曇り時々大雨 」

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 ヤンゴンは活気のある街だ。 ミャンマーの人口4600万人のうち、230万人程が暮らしている。 大英帝国統治時代の建物が建ち並ぶ中で、ロンジーと呼ばれる腰布をはいた男性たちに、タナカと呼ばれる黄色い粉を頬に付けた女性たちがいそいそと歩き回っている。 街を行き交う車のほとんどは日本からの中古車なので、その光景はかなり異様だ。 「 西洋と東洋が混じる街 」と言えない事もないが、それは言葉で表現する場合のみだ、、、



a0086274_19381751.jpg ミャンマーには雨期(5~10月)と乾期(11~4月)がある。 今は雨期の真っ最中だ。

 毎日、感心する程忠実に雨が降る。 しかも、その量、勢いとも東南アジア特有の「 スコール 」を思わせるのは間違いない。 街の空を見上げ、西南にあるヤンゴン川の方を見ればいつ雨が降り出すか分かる程パターンは決まっている。 西南の空が薄暗くなり、湿り気のある風が強く吹き出すと、街はすぐに大雨になる。 降り出してから、本降りになるまでが早いので、外にいる人やその一連の雨の降る過程をしらないと、この大雨の餌食になる。 そして、ヤンゴンの街は水はけが悪いので、道路や交差点には少し臭いのする水が溜まってしまうのだ。

 前回来た時もやはり雨期で、その雨によく悩まされていたが、今回は何だかその雨が僕にとってヤンゴンのイメージそのものになってしまい。 宿のリビングから、その様子を眺めては楽しんでいた。 それにしても、よく雨が降る、、、







a0086274_19382996.jpg ヤンゴンの街にはたくさんの人出がいつもある。 そして、屋台や露店の数も多い。 生活用品はもちろんのこと、果物や男性の腰布ロンジーなどもある。 たまに見かけて面白いのは、古本屋さんだ。 これも、露店として営業しているので、晴れの時のみの営業となる。 テレビやインターネット、新聞などあらゆるメディアが規制されている中で、人々はよく本を読む。 その分、この「 青空古本店 」も多い。

 街外れにある市場も活気のある場所だ。 僕の経験上、正直に言って経済状況の芳しくない所程、街の市場には活気があるもんだ。 というのも、そこにはスーパーといった大型商業店があまり無いことや、単に家に冷蔵庫が無いからという単純な理由からでもある。 その分、その日その日の食料を毎日買い出しに行かなくてはならないのだ。



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a0086274_20332326.jpg 「 市場に行けば、その国の様子を知る事が出来る 」とは良く言われたもんで、地元の人々が何を食べているのか、何を好むのか、それよりも何が手に入るのかを知る事が出来る。 ヤンゴンの場合は、近くに川があるし、比較的海も近いことや交通の便が発達しているお陰でいろいろな物を買い求める事が出来ると思われる。 野菜、果物、魚、、、 どれも新鮮に見えるが、それがどれ程新鮮なのかは良く見てみないと分からない。 日本のようにパックされて、賞味期限が書いてある筈がないし、、、

a0086274_2033331.jpg 誰しもが、実際のお金の価値以上にというか、そのお金の価値いっぱいいっぱいのやり取りを求めている市場には、やはり活気がある。 「 変な物を売りつけられないように、、、 」、「 なるだけ高値で売れるように、、、 」 そんな思惑が行き交っている所を、第三者である僕がただの傍観者としてそれらのやり取りを見ているのは非常に楽しい。





a0086274_20335079.jpg ヤンゴンにはたくさんの映画館がある。 地元ミャンマー映画もあるが、アメリカの「 Hollywood 」から来ているものと、インドの「 Bollywood 」から来ているものもある。 拝観料はと言うと、これが少し変わっていて、座席によってその料金が違うのだ。 どちらかと言えば、日本のように一律なほうがおかしいと言えるが、、、

 座席の前の方、スクリーンに近い方から200チャット(=約20円)、300チャット、400チャットとなり、二階席は500チャット、600チャットとなっているのが基本だ。 二階席があること自体面白いのだが、中には「 カップル席 」なるカップル向けのシートもある。 一見すると、男女間の表立った交際はタブーの様な感じを受けるミャンマーだが、実際恋人同士はこちらが見ているのが恥ずかしくなる程ラブラブなのだ。 ちなみに、カップル席を使用したことはないので、値段の詳細はわからないが、きっと値のはることだろう。

 ミャンマーの人々の一番の娯楽ともいえる映画鑑賞。 観ている時の人々は穏やかではない。 特に笑い声と、食べ物を食べる音がうるさい。 それでも、映画の中の少しの事で大笑いする人々を見ていると、何だか素朴に感じてい、微笑ましく思えてしまう。 言い方を変えれば、心がすれていないと言うか、、、 ただ、感傷的になることもなさそうで、映画が終わると、最後のキャストの部分を観ながら余韻に浸る様子はなく、皆とっとと帰ってしまうのだった。





 そんな環境の中、人々は暮らしている。

 それが当たり前の人々にとっても、この雨の量は億劫に成らざるを得ないと思う。 それでも、いつもと何も変わること無く、ヤンゴンの街をいそいそと歩き回る人々の姿がそこにはあった。

 今日も雨のヤンゴン、、、 僕にとって、それはそれでヤンゴンらしかった。





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by hitoshi280477 | 2005-08-02 01:41 | Myanmar-2