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Guatemala vol.5 「 ペンション田代 」










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by hitoshi280477 | 2004-09-25 18:31 | Guatemala

Guatemala vol.4 「 チキンバス 」

チキンバス
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by hitoshi280477 | 2004-09-24 18:30 | Guatemala

Guatemala vol.3 「 旅先で再会 」

 「 世界は広いようで、狭いのかもしれない、、、 」



 そんなことを思わせる出来事の一つが旅先で出会った人に旅先で再会することだ。


 実際はどこを旅するにもルートがそれなりに限られてしまうこともあったりで、旅先で再会は少なくはない。 治安の良くない地域や、日本人宿が行く先々に点在する地域なんかではその確率はグンと上がる、、、 否応なしに。

 例えばアジア横断(インド・トルコ間など)はやはりルートが限られてくるので、旅行者にとっては抜きつ抜かれつの旅路となることが多い。 中東も中米もそうだし、まだ僕にとって未開の地、南米・アフリカも宿とルートの両面でどうやらそうなるようだ。 ヨーロッパに限っては何処からでも何処へでも行けることから、確率はかなり下がるようだけども。





 カンボジアのバッタンバンという辺ぴなところで出会った一戸さんとはその後、チベットのラサ、インドのカルカッタ、トルコのイスタンブールで再会した。 時には一戸さんが僕を待っていてくれたり、僕が一戸さんを待っていたこともあるけれど、特に前もって約束していたわけではなかった。

 チベットの田舎のほうで出会った英国人 IVAN とはインドのダラムサラに会いに行ったり、僕がヨーロッパ旅行中に彼が帰国していたこともあって、ロンドンでは家に泊めてもらった。

 中国雲南省で出会ったスウェーデン人の Fredrick には2003年のタイはバンコクの屋台で全くの偶然で再会し、その後のヨーロッパ旅行の際に立ち寄らせてもらって、家に泊めてもらった。

 中国の敦煌で出会ったスイス人の Fabienne 嬢とはベルギーのブリュッセルで再会した。 相手は彼氏連れで現れたけど、、、



 と、言う感じで、旅先で出会った人には何処かで再会出来たりするものだ。

 そんな中で一番印象に残るのが「 藤原夫妻 」なのだ。

 総司と恵美からなるこのボケとツッコミのような、ちょこっと年上の夫婦とは何故か良く気が合い、一緒に行動を共にさせてもらっていた。



 出会ったのはうだるような蒸し暑さの中、インドはデリーだった。 三人とも暑さのせいか、旅の疲れかで体調を崩しているときだった。 そこからダラムサラ、黄金寺院を経てパキスタンのラホールまで一緒だった。 ラホールからは別行動だったものの、それから約4ヶ月後にエジプトのカイロで再会することになった。 僕は何故かこの二人に再会することをやけに楽しみにしていた。

 カイロでは約3週間も一緒に過ごした。 長期旅行者の旅先での時間とは言え、お互いの決められた時間でこんなにも長く一緒に居るもの珍しいものだ。 ましてはあちらは二人、こちらは一人なのだ。 それでも年が近くて、気があったこともあり、気付けばなんだかんだでそんなに長い時間を一緒にいたことになる。

 チャキチャキしている恵美さんに、マイペース派の総さん。 二人ともいわゆるオモロいタイプで話をしていて面白く、それでいて僕にとって兄さん姉さんであり、話をしていて飽きないし、又一緒にいてたくさんのことを教わった。



 カイロにいた時は宿で自炊が出来た為、よく買出しに付き合った。

 商店や、八百屋、肉屋、卵屋などなど行く先々での買い物の手慣れたとこなんかは見上げたものだった。 僕はそばでこっそり見ている程度で、荷物運びはするけれど、食事の準備もほとんど二人にお任せだった。 なので、皿洗いを含む後片付けは積極的にやらせてもらうことにしていた。 食事が終わっては夜が更けるまでみんなでいつも談笑していた。 お茶にしようかと思えば、総さんがやってくれ。 食事にしようかと思えば、恵美さんがやってくれた。 そんな風に一緒に過ごした時期も僕の帰国で終わってしまった。

 二人はこの後、アフリカ、南米と当初予定にまったく無かったものの、見事に切り抜けて来た。 そう、この夫婦はなかなかやる旅人夫婦になっていたのである。





 そして月日は流れ、僕ももう一度長い一人旅へと出る頃だった。 昨今の世の中は便利なもので、インターネットにアクセスさえ出来れば世界中何処にいても連絡が付かないことは無い。 そんなんで、南米旅行中の彼等と中米のどこかで会おうじゃないかということになったのだった、、、





 夜遅く、待ち合わせ場所になっているアンティグアの「 ぺンション田代 」に到着すると、懐かしい顔がそこで待っていた。 一日中移動しっぱなしだったにも関わらず、僕は再びの再会の喜びと興奮のため止めどなく話しをした。 それからはカイロと同じだった。 懐かしい感じがする。

 たった一年前のことなのに、なんだか三人でいるその空間がやけに懐かしく、そしてどこか心地良かった。 前と同じように買出しに付き合い、食事をして、夜が更けるまで談笑だ。 そう聞くと何だか成長していないように聞こえるが、僕はその空間がただ嬉しかった。



 インディへナの村を訪れに行ったときも一緒に付いて行った。

 この夫婦+一人で4泊したのだ。

 まるで邪魔なこぶのようにくっ付いて行った僕なのに、二人は良く接してくれた。 暇さえあれば、話をした。 色んなことを。 そして、いろんなことを学ばしてもらった。 もちろん何かそういった見返りを求めて一緒にいたわけでは無いのだが、ただ話をしているだけでカイロ以降の二人の成長ぶりが伺え、それを聞く僕がそこから何も得ない筈はないのだった。





 「 世界を旅する夫婦 」

 二人は言っていた「 夫婦は強い 」と。 間違いない。 アジア、アフリカ、南米等、、、旅先での幾多の経験を積んで来た二人は、お互いのことがもっと良くわかりあえるようになっていたようだった。 僕もいつかそうなりたいと思わずにはいられず、また羨ましくなったりするのだった。





 僕を乗せたサンペドロからパナハッチェル行きのボートが岸を離れて行く。

 二人は重い荷物を背負ったまま、僕が行くのを見送ってくれていた。

 ボートが進むに連れ、二人の姿が小さくなる、、、

 僕は出来る限り手を振り続けた。 何度も、何度も。

 それに応えてくれている二人の姿は更に小さくなっていった、、、



 「 旅先で再会 」



 それは感動的なものだった。

 頭の中では二人に対する感謝の念と、想いが駆け巡っていた。

 頬をつたわって落ちる何かを感じながらも、僕はただ強く思うようにした、、、



 「 再びの再会をしよう 」と。

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by hitoshi280477 | 2004-09-23 01:22 | Guatemala

Guatemala vol.2 「 アティトラン湖辺り~インディヘナの村々 」

a0086274_19533917.jpg グァテマラは先住民「 インディへナ 」の人々がたくさん住んでいることでも知られている。

 先住民、その名の通りここにずっと昔から住んでいる人たちのことだ。 中米、南米に跨がる地に住むこの人々は今も民族衣装を着て、都会の喧騒とは遠く離れた所に住んでいる。

 とはいえ、近年都会に住む人たちも増えているようで、先のアンティグアで目にすることは至って普通のことのようだ。 メルカドで買い物をするのにも、このインディへナの人々のお世話になる。 また民族衣装を着ていない若い世代もいるであろうから、一旅行者にその判別は難しいように思える。





 ここグァテマラには「 アティトラン湖 」というのがアンティグアの西にバスで約3時間の距離にあり、その湖畔にはインディへナの村々が点在している。 アンティグアからのバスの旅、道は綺麗に整備されているが、山道を行くこともあってそれなりにしんどい。

 右に左に容赦なく曲がりくねるその山道を運転手は遠慮することなく飛ばす。 これがラテンの血なのか、給料が歩合せいなのか、何なのか? よくわからんが、キツいカーブを一般人には曲がりきれなさそうなスピードで行く、、、

 道路もまた道路で、日本では有り得ないような長さの急カーブが普通に多々存在する。 チキンバスと呼ばれるこのバスには両側に三人掛けの椅子があって、つまり一列六人で進んで行くことになる。 時にはその座席と座席の少しのスペースに人が立つことも有り、一列七人というぎゅうぎゅう詰めの状態に陥るときもある。 そんな中でのこの移動、、、 ぐっ





 このアティトラン湖で基点になる街は「 パナハッチェル 」と呼ばれ、基点の街だけに予想以上にツアーリスティックで、もちろん旅行者で街は賑わっている。 街の中心になる交差点とそこから延びる道路には何処の地と同じように旅行者向けの宿、お土産物屋、レストラン等々が並んでいる。

 その「 お土産物屋街道 」とでも名付けたくなるような道は交差点から湖へと続いていて、その道の両端は数えきれないほどのお土産物屋で埋まっている。 取り扱っているのもが軒並み同じなのにこれだけのお店がここに存在するのは誠に理解に苦しむが、誰もが皆ここで商売が成り立つと信じて営業しているのだからしょうがない。 ぱっと見でも、明らかに在庫過多なのが伺える。 ここを訪れる旅行者が増えた為に彼ら先住民の生活環境も変わってしまったかのように思えた。

 パナハッチェルはこの湖の基点の街だけに、バスや車の往来が激しく、とても落ち着ける街ではないようだ。





a0086274_19535668.jpg 湖畔から船で小一時間、「 サンチャゴ・アティトラン 」という湖畔で最大の村に市が立つ日に行ってみた。

 ここの女性は「 ウイピル 」と呼ばれる美しい織物を着ている。 小さな点や動物の模様が入っていたり、襟は花柄の刺繍が施してあったりして、目にも鮮やかな服をほとんどの人が着ている。 年配の女性は頭を帯のようなもので捲いているのが印象的だった。 綺麗な分、値段もそうとうするらしい。 全て手作業で出来ているのだからしょうがないのだが、何処の女性も事情は同じのようだ。

a0086274_1954582.jpg 男性もいろんな刺繍が入った(時には可愛らしい)半ズボンをはいていて、これまた細かい刺繍が施された帯をしている。 何故か上着はシャツで、爺さま方はその上に襟の着いたジャケットを着ている。

 市そのものの規模も大きく、中心部では人混みのせいで歩くのも大変な賑わいだ。 売られているモノといえば、もちろん生活必需品なのだが、どちらかというと経済発展途上国なので食べ物が多かった。

 中でも目を引いたのは、、、 アボガドの山! 山なのだ、山! 少し開けた広場に積み上げられたアボガドの山は、一見すると何か果物のように見えた。 その濃い緑の山はちょっと見た目は不気味だが、ここの人々には、、、 やっぱり美味しそう!?

a0086274_19541888.jpg 大概の先住民たちがそうなように、ここの人たちも背丈はあまりなく、この僕でさえ頭一つ抜き出ていて人混みの中でも遠くまで見通すことが出来る。 こじんまりとしている分、子供を始め、女の人、爺婆は可愛らしく見える。 また、顔立ちや目が大きいことから美人やら可愛い人はたくさんいた気がする。

 子供たちもいわゆる民族衣装を纏っている。 それが学校の制服なのかどうなのか? みんな同じような絵柄。 それでも、その姿はどこか可愛らしくもあり、どこか凛々しくもある、、、

 ちなみに、写真撮影は「 有料 」だとか、、、





 もう一つ、「 サンペドロ 」というこれまたパナハッチェルからスピードボートで行ける村に行ってみた。 旅行者にとってここはのんびり出来ることで知られていて、そのせいか若い欧米人が目立った。 こういう特に何もなさそうなところで何もしないのが若い欧米人はお好きなようで、そのせいか何なのかここもツアーリスティクな部分は真新しいホテルの数の多さから伺えた。

 幾度となく、手織りの布を買おうかと迷った。 まず手織りということの惹かれたのが一つと、その色調が僕の好みだったからだ。 しかしながら、値段は思っていた以上で、買うならベッドカバー用に大きめのを考えていたので、どちらの点からも負担になることは避けられない為、購入を見送った。 いつか後悔するかもしれんが、その時はその時だ。 これから先もまだ長いし、、、


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by hitoshi280477 | 2004-09-22 01:24 | Guatemala

Guatemala vol.1 「 古都アンティグアに着いてみて、、、 」

 国境を越えてからは簡単だった。

 イミグレーションオフィスで、道ばたで、市場で、人に道を尋ねながら首都グァテマラ・シティ行きのバスを探した。 市場で食べたフライドチキンとポテトの屋台の兄ちゃんに尋ねると、どうやらグァテマラ・シティへの直行バスがあるとのことだった。 しかも、思っていたよりも安かった。

 まだどこか危なげなスペイン語を駆使し、話しに間違いがないことを確認するとバスのチケットを手に入れた。 グァテマラ・シティまで40ケツァール=約500円。 グァテマラを横断するほどの距離にも関わらずこの値段、物価が安いという話はどうやら本当らしい。

 見た目はデラックスだが、今ひとつな空調のバスに揺られ、グァテマラ・シティまで約6時間。 途中の景色はネパールを思い出させるような感じだった。 緑が多く、山が多く、何にしてもどこか粗野な造りに見えるところなんかがそうだった、、、 



 昼の12時に出発したバスはうっすらと暗くなり始めた午後6時過ぎに首都である「 グァテマラ・シティ 」に到着した。

 ここグァテマラではどうやらバスターミナルというものは存在するものの、各バス会社ごと、行き先ごとにバスターミナルはあるらしく、目的地である「 アンティグア 」まで1Kmほど離れたところまで行かなければならなかった。

 グァテマラ・シティを走る道路の沿いにはおびただしい数のお店やらレストランやら屋台がひしめき合っている。 それを裏付けるかのような人混みに揉まれながら、今にも出発しそうなアンティグア行きのバスに飛び乗った。

 帰宅ラッシュとも重なってバスは超満員、道は大混雑。 遅々として進まぬその状況に、ここ二日間の移動の疲れがどっと感じられた。 更に、もうすぐ目的地へと辿り着く前のほのかな興奮も、夜の山間部を走るバスでは冷めずにはいられなかった、、、





 「 古い街並が、、、 」「 街を走る石畳が、、、 」というのがウリのアンティグアとのことで、着いた街が薄暗いことと、バスがガタガタ揺れだしたことが到着の報を僕を含む乗客に知らせることとなった。

 そして、そのバスターミナルから頭に入れておいた地図を頼りに今夜の宿を目指した。

 日本人の方が経営するというその宿は薄暗い路地を一歩入ったところにある。 宿兼自宅に入れてもらうと、そんなに大した行程でなかったはずなのに、その明かりのせいかほっとしている自分に気付いた。

 標高がいくらかあるせいか、夜は肌寒く感じられ、ここ何日か寝苦しかったこともあってベッドに入るとぐっすりというかぐったり寝てしまった。





 翌朝早く、二階にある大部屋から抜け出て屋上にあるテラスに登った僕は驚いた。 正確に言うと、その階段を上りきると、、、だが、そこにはアグア山という標高3766mの休火山が威風堂々とあった。


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 そのアグア山は富士山に似て非なるものがある。 標高も同じくらいだし、何と言ってもその姿がそっくりだ。 明確な違いと言えば、こちらのグァテ富士には緑が多いといったところか。 もちろん登れるとのこと。





 「 アンティグア 」という街は( アンティークという言葉が語源? )古都を感じさせる可愛らしい街だ。

 その古都を走る石畳は整然と整備されていて、歩きにくいのは否めないものの、その景観はどこか情緒ある。 区画整備もしっかり行われていることから、道は何処もまっすぐで、上空から眺めると街はきっと碁盤の目のように見えるのだろうというのは地上からも察することが出来るほどだ。

 街の中心部にはやはり広場があって、そこには何故か裸体の女像の噴水があり、あるところから水が吹き出ている。 凝視するには恥ずかしいものの、しっかりと写真に収めるのは旅行者の性(サガ)なのだろうか?

 街には旅行者とお土産屋さんがひしめき合っていた。 中にはヨーロッパ並みのお洒落なカフェまであったりする。 聞いたところによると、ここで余生を過ごす欧米人も多いとか。 確かにカフェやレストランで年配の欧米人を目にすることが多かった。


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 スペイン語の学習が他のスペイン語圏に比べて安価なことから、色んな国の人がここで学んでいるとのこと。 実際、目にしたのはその学校の看板やチラシたちだったが、その多さが裏付けしていた。

 メルカドという名の市場はかなり大きめではっきり言って何でもそろう。 特に野菜が豊富で、軒先やテーブルからはみ出るほど多い。 また、洋服やら日用品やら、、、食肉やらがざっくばらんに陳列されている様子は、ここら中米ならなのだろうか? メルカド内で他に気がつくことといえば、、、 背が低いこと? 先住民たちが作ったであろうこのメルカド、やはり背丈は低いように感じられた、、、

 アンティグアにて少し特筆すべきことと言えば、その先住民「 インディへナ 」の人々を目にする機会が増えたというところか。 街を歩く、若者やそうでない人たちは普通の格好なのだが、インディへナの人々はとてもとても華やかな服を着ている。 目につかない筈はないのだが、、、



 古都の街並、過ごし易い気候、インディへナとの出会い、物価安、治安の良さ、、、

 思っていたよりも物価が高く、治安の面でも気の抜けない中米にあって、どうやらこの地アンティグアが旅行者にとって恰好の「 沈没の地 」なのは間違いなさそうだ。

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by hitoshi280477 | 2004-09-21 01:18 | Guatemala

Belize vol.3 「 進路は南へ 」

 迷っていた。

 ベリーズ・シティから西進して国境を越えてグァテマラに入国するか、もしくは南進してベリーズの最南端から船で国境を越え同じくグァテマラに入国するか、、、 迷っていた。

 というのは西進すればマヤ文明の遺跡として知られるティカル遺跡を目指すことになり、南進すればもう少しこのベリーズという国を見れるからだ。

 ティカル遺跡とは数あるマヤの遺跡の中でも保存状態が良いことで知られていて、ほとんどの旅行者はここを訪れる。

 一方、ベリーズの南の街ではもう少しガリフナの音楽に接する機会があるかもしれないからだ、、、



 正直、遺跡見物には飽きてきたところだったし、ガリフナの音楽に興味があったので、散々迷った挙げ句、南進することに決めた。







 ベリーズ・シティの無愛想な街中からローカルバスターミナルをなんとか見つけ出し、「 Dangriga ダンリガ  」という太鼓で有名?という街までとりあえず来てみたものの、、、 街は僕の想像していたのとは違い、そうとう寂れているような気がした。 バスターミナルを出ると体が溶けそうなほどの日差しが待ち受けていた。 早くもこの街に対して僕の中で嫌悪感が増していくのが自分でもわかったが、念のため街の様子を探ってみる、、、



 南へと下るバスに乗っていた。 ガンガン音楽をかけながら進むバスに乗るのは久しぶりだった。 赤ちゃんが乗っていようが、婆ちゃんが乗っていようが、その道中音楽は止むことはなかった。 ノリノリの若い運ちゃんはバスをジェットコースターのごとく飛ばして行く。 カーブのきつい山道を、勾配の激しい未舗装路を、飛ばした。


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 ベリーズは思ったより田舎なところだった。

 ベリーズ・シティはそれなりに大きな街だったけど、そこからは草原のような、森のような、緑の多いところがほとんどだった。 しかも所によっては藁葺き屋根ならぬ、椰子の葉屋根の家がある。

 そんな中にあって驚いたのはその名も「 大草原の小さな中国人の家 」だ。 郊外に広がる草原の中にポツンとあるその家はかなり奇妙に見えた。 中米のこんなところにも中国人は住んでいる。 なんとも奇妙かつ驚きなのだ。



 結局のところ目指していた港の街には暗くなってから到着した。

 バスの助手の兄ちゃんがバスターミナル近くの宿を紹介してくれた。 かなり怪しい風貌の宿だったが、一泊だからということでしょうがなく泊まることにした。 何とか腹を満たし、シャワーを浴び、一日中暑い中を移動して来たこともあってとっとと寝ることにした。 微風の吹く外とは違い、室内の蒸し暑さと蚊に悩まされ、更にダニに刺されることを恐れた僕は小汚い板床にシーツを敷いて寝ることにした。

 思えば何だか忙しない一日だった、、、





 翌日、これまた驚くほど小さいボートで国境を越えて、グァテマラへ入国することになった。 ボートで国境を越えるというのは、ある種「 一興 」ではあったが、言うなればそれは「 一驚 」に限りなく近かった、、、

 なにせそのボートのサイズときたら、、、 「 コレ違法越境じゃないよね? 」

 目指すグァテマラはもう少し、、、






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by hitoshi280477 | 2004-09-17 18:49 | Belize

Belize vol.2 「 驚きのカリブ海、、、  」

a0086274_19244315.jpg シュノーケリングツアーに参加することにした。

 以前の気胸という肺の病気の為にダイビングが出来なくなってしまったので、「 シュノーケリングで我慢するか、、、 」ぐらいで参加したのだが、、、 驚いた。



 何に驚いたのか?

 「 海そのもの 」にである。



 こんなに爽やかな海はないような気がした。 あの海のグラデェーションに加えて、透き通るような空、照りつける強い日差しが造りだすのそのシチュエーションは最高だった。 海中も素晴らしかった。 久しぶりに目にする水面下の世界は僕の海に対して冷めていた心を踊らせるほどだった。



 ツアー自体はボートで移動しながら三カ所でシュノーケリングするというものだった。

 1)深度3mくらい 珊瑚や大小様々な海の生き物が見れる 
 2)深度2m以下  大型のエイや2m級のサメがたくさんいる
 3)深度10m以上 主に地形

 朝から昼過ぎまでのツアー+機材3点セット込みで$15。 はっきり言って安い。



 二番目のスポットが凄かった。

 こんなスポットは今まで見たことがなかった。 

 何がどうって?



 ガイドが「 今飛び込んだほうがいいぞっ!! 」というから、喜び勇んで一番乗りでボートから飛び込んだ、、、

 なんとそこには巨大なエイと2m級のサメがうじゃうじゃいたのだった!!

 足が届くか届かないかのこの深さで、エイは座布団が飛ぶがごとく舞っていて、サメはそこいらじゅうを這っている、、、 恐ろしくなるほどに!!

 しかし、こちらが狼狽しているのはおかまいなしにその大物たちは気持ち良さそうに辺りを泳いでいた。



 「 こんなところがあるのか、、、 」



 正直にそう思った。 今までそれなりに色んなところで潜って来たけれど、こんなところはなかった。 しかも、シュノーケリングで見れる範囲で、だ。 

 とういか、サメがうじゃうじゃいる中に飛び込ませるツアーというのが存在するとは、、、 それも驚きだ。 実際、サメも相当大きいのだ。 ただ単に、ホオジロザメのように歯がむき出しでないから食べられることはないが、それにしても、、、 ?





 海から上がってボートに戻る。

 眼下には今まで一緒に泳いでいた大物たちの陰がひらひらと、顔を上げれば目の届く距離に島が見える。

 なんだか現実離れした経験に少し狼狽している。



 厳しい日差しの下、心地良い風が吹いていた、、、 






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by hitoshi280477 | 2004-09-16 18:46 | Belize

Belize vol.1 「 Caye Caulker 」

a0086274_19252753.jpg Caye Caulker ( キーカーカー ) 。

 それは、ベリーズという国の沖にある島。

 そもそもベリーズとはメキシコの南、カリブ海に面する国だ。 以前、英国領だったこともあって公用語は英語。 紙幣にはエリザベス女王が今も健在。 中米には珍しく$25のビザが必要、しかも出国税なるものを設けているし、物価はそこそこ高いために個人旅行者には魅力的には映らない。



 しかしながら、ここにはカリブの島がある。

 そして世界で二番目に大きい「 ベリーズ・バリアリーフ 」なるものがある。 更に一番魅力的なのはここに住む人たちだ。 俗に言う「 黒人 」がここ中米の国に住んでいるのだ。

 「 ガリフナ (黒人とカリブ海諸島の先住民との混血)と呼ばれるその民族が奏でるガリフナ音楽なるものに接する機会があればなぁ、、、 」と思って来ることにしてみた。





a0086274_19254083.jpg 目指すキーカーカーはベリーズ・シティより船で小一時間。 イスラムヘーレスで見た同じような蒼い海が広がっている。 強い日差しの中、25人程が乗れるサイズのボートでその蒼い海を突き進んで行く。

 日差しが強すぎて、目を開けているのどうにもしんどい、、、 乗客の中の白人は、島に到着するまでに既に日焼けで肌が真っ赤に染まってしまっていた。

 カンクンから一緒に来た他の日本人旅行者と宿をシェアすることにした為、いかにも南の島という感じのする宿に泊まった。 部屋から続く廊下からは桟橋が見える。 その桟橋の先には綺麗な海が続いている、、、 完璧なロケーションだ。





 島の時間はゆっくり過ぎる。

 どこの島でもこれは同じだ。

 やはりその分ここに住む人々がどこかゆっくりしてたり、子供たちがのびのびしている。



 ここに住む人たちがそんなことを僕と同じ様に感じているかどうかはしらないが、とにかく僕にはそう思えた。





 島には何軒かツアーリスティックなレストランがあるものの、やはり地元の人たちが食べる地元の料理を食べてみたい。 そう思い、夜の島を徘徊しているとおばちゃんの屋台をビーチ沿いの道で発見した。 屋台といっても自転車の前の部分がテーブルのようになっていて、そこにいくつかの鍋がのっかっている。 いかにも地元の屋台風のその屋台は間違いなく地元の人たち用のものだったのは、それを取り囲む人たちから容易に察することが出来た。

 聞いてみると、一皿約330円。 思ったよりも高いのだが、迷うことなく一つ頼んでみた。 手渡されるとその量は半端でなく多いことに気付いた。 皿が見た目よりも重いのである。 これがいつもの量なのか、はたまた外国人旅行者に対するサービスなのかはわからずも、その量は間違いなく多かった。



 少し薄暗いビーチのそばに腰をかけて、、、 がっつく。 赤飯の様に見える赤いご飯と豆からなる主食とポテトサラダに僕の選んだミートボールからなる晩飯は美味しかった。 その晩飯にがっつきながらおばちゃんの屋台に目をやると他にもお客さんが何人か来ているのがわかった。

 おばちゃんとこで食べることにして良かった。

 味も、量も、値段も、雰囲気も、、、 全てが良かった。





a0086274_1928533.jpg 宿までの帰り道、どこからともなく聞こえて来る音があった。

 歩を進めるに連れてその音は大きくなった。 その正体はおそらく「 ガリフナの音楽 」と呼ばれるものだった。 太鼓を独特の調子で叩き、英語だか地元の言葉かで歌う。

 何について歌っているのかはわからなかったが、その独特のリズムはとても聞くに心地良く、その人たちの太鼓を叩く様子は楽しげだった。

 しばし僕が見ているのを気にかける様子もなく、小銭をせびるわけでもなく、ただ自分たちが楽しむためにやっている。 当たり前のように聞こえる話だが、こんな観光地で久しぶりに自分が楽しむためにそういうことをしている人たちに会った。

 そんな太鼓の音が響く、キーカーカーでの夜だった、、、






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by hitoshi280477 | 2004-09-15 18:44 | Belize

Mexico vol.7 「 イスラムヘーレス  」

 うだるような暑さのカンクンを嫌って「 イスラムヘーレス 」という島に行くことにした。

 「 IVAN 」という名前が付くほど大きいハリケーンがいわゆるカリブ海に来ていた為にキューバにも行けず、気胸のせいでその憧れの海にも潜れず、独り者には特にすることもないリゾートに僕は戸惑っていた、、、





 島行きの船着き場からその海の青さに驚かされた。

 久しぶりに見る海だったということも手伝ってカリブの海は僕の目によりいっそう蒼く映った。

 「 青 」といっても、イメージ的には「 蒼 」だ。


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 白浜のように淡いところや深海のように濃いところがある。 その濃淡が創りだす自然の蒼いグラデーションは目に優しく映っているように思えた。 道中ここに来るまで見た風景は大地の赤茶と森の緑が主だった。 それはそれで僕の想像していたメキシコらしい風景だったけど、カリブの海の蒼さはそれ以上だった。 

 その海を船で行くこと30分、島に着いた。 この島も他の島と変わることなく桟橋は宿やの客引きやタクシー運転手がわんさか待機していた。 それにカンクンから着いた旅行者が加わって桟橋は大混雑。 その合間をぬって、他の旅行者が教えてくれた地元の食堂なるところを目指す。



a0086274_12111224.jpg 4件軒を連ねたその食堂はなるほど地元の人で賑わっていた。

 何の気なしに一番手前のお店に入ってみることに。 見慣れぬメニューの中から何となく聞いたことのありそうな食べ物を頼んでみる。 注文した料理を待つ間、なんとなくその働く様子を見るのが面白い。 特に急ぐわけでもなく、他の従業員と世間話でもしつつ、ゆっくりとしたペースで料理は進む。 僕からするとその遅々とした作業は( まあ、島だからね )というのがありありと出るものだった。 天井で廻るファンのもと、あちらのペースで待つことにする、、、



a0086274_12113880.jpg 予想していた通りに、頼んだバナナシェイクは忘れられていて、イメージする島の雰囲気に間違いはなかった。

 その割には食べ終わった食器、飲み終わったグラスなんかはすぐに片付けに来る。 何をそんなに焦ることがあるのだろうか、と思わせる。 料理には時間がかかるし、注文を忘れたりくせに、片付けに来るのはやけに早い。 「 島人の妙 」だ。

 支払いを済ませる時になって、ここのおばちゃんの表情が気に入ったので、写真を一枚撮らせてもらうことにした。 他の従業員が野次馬のごとくなんやかんや言う中で撮ったおばちゃんの笑顔は、僕にとってこの島での最高の一枚になった。





 食事を終えると僕は島の北に位置するビーチを目指して歩いて行った。

 共同墓地と民家の間の砂浜で出来た道を通って行くと、そこには先ほどの蒼い海が待っていた。 元来ビーチがあまり好きではない僕も、この海の蒼さには惹かれるものがあった。 淡いところと濃いところの造りだすその自然のグラデェーションに惹かれない人はきっといないだろう。

 驚くほど遠浅なその海は遠くで見るのと近くで見るのとでは大違いで、ひどく濁っていた。 といっても、白い砂がある程度混じっているくらいなので泳ぐのにはなんの支障もない。

 ただ、、、 塩が濃い。 死海を彷彿させる。 ちょっと潜っただけでもその濃さのせいで目が痛くなる。 ほんの少しでも口に入ってしまえば一瞬にして喉が唸る。 しかしながら、その塩分の濃さのお陰で泳ぎ易い。





 ハリケーンが迫って来ている為に「 もしかしたら、夜には船が無くなっているかも 」と聞いていたにも関わらず、僕はここイスラムヘーレスで噂の夕日を見る為に残った。

 待つこと、、、 4時間。

 午後6時半頃になってやっと太陽が僕の見たいそれへと変わりつつあった。 


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 雲の橋が架かっている。

 その橋に一時は隠れてしまったものの、刻一刻、明日へと落ちて行くその赤裸々な丸い物体は綺麗だった。 雲の橋と今は黄金色になった白浜にある桟橋との間でそれはよりいっそう綺麗だった。

 「 今日も良い日だった 」 そんな言葉が似合う瞬間だった。






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by hitoshi280477 | 2004-09-07 05:30 | Mexico

Mexico vol.6 「 マヤ遺跡 パレンケ  」

 鬱蒼と生い茂る熱帯雨林の中にあるパレンケ遺跡は、その存在が約800年もの間人知れずひっそりと眠っていた、、、

 7世紀にその最盛期を迎えたにも関わらず9世紀には都市は段階的に放棄されたことや、どのように巨大なピラミッドを建設したのかなどの謎は今も解明されていない、、、



 パレンケの街から Ruinas (遺跡)行きのバスに乗ること20分。 その遺跡は話に聞いていた通りにジャングルの中にある。 遺跡までの道はかなり整備されていて、ここがこの辺りの一大観光地ということに気付かされた。 メキシコの道路事情はどこでもかなり良好なのだが、それでもこれだけのジャングルの中に道路を建設するということは容易ではないことは確かなのだ。

 入り口より遥か手前で自然保護という名目で少しばかりのお金を支払うことになったのだが、何故外国人観光客にたかるようなマネをするのか腑に落ちない。 これに加えて遺跡の入場料だって、ちゃんと存在するのに、、、 高額ではないにしろ、何度もお金を払うのは気に入らない。 きっと、他の旅行客も同じ思いをしていることだろう。

 ぶっきらぼうに手渡された入場券を手に入り口を探す。 どうやらここはあまり親切なところではなさそうだ。 入場券をチェックするおばちゃんでさえ渋い顔をしている、、、 入り口を通り過ぎてからは 闇ガイド が寄って来る、、、 そんな程度のところなのかと少し気持ちが冷めてきた。





 うだるような蒸し暑さの中、( なんでこんな不快なおもいをしなくちゃならんのか?)と思いつつ、整備された遺跡内の道を進んで行くと、先に見える木々の間から日の光が漏れてきた。  遺跡の登場だった。

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 一体どうやったらこんな熱帯雨林のど真ん中にこんな巨大な建物を造ることが出来るというのだろうか? 今の技術をもってしても、この環境の下では相当な労力を必要とされるに違いない。 しかも、このサイズ、この規模のものを作り上げるのは想像を絶するとこだろう。 当時の権力者の力なのか、はたまた何かに対する信仰・服従の証なのか、、、 古代の人々の人間力とでもいうべき何かを成し遂げる為の力には感動させられるものがある。

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by hitoshi280477 | 2004-09-06 05:29 | Mexico