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Peru vol.8 「 チチカカ湖 」

a0086274_203393.jpg 南米大陸最大の規模を誇ったと言われるインカ帝国。 その一大帝国の初代皇帝マンコ・カパックは妹のママ・オクリョと共に湖に降臨したという伝説がある。 その伝説の真相はわからないが、そこに湖があることだけは確かだ。

 ティティカカ湖。 標高3890m、面積は琵琶湖の約12倍というとてつもなく大きな湖がアンデス山脈のど真ん中に存在する。

地元の言葉、ケチュア語でインカの神聖な生き物ピューマを意味するティティ。 カカは石を意味する。 要は大事な所ということだ。



 湖にはいくつか島が存在していて、実際に人々が今も住んでいるというから驚きだ。 実際、標高4000mに住むことは人間にとって容易ではない。 一般的には4000mを超す高度では作物が育たないとされているからだ。 しかし、ここアンデス山脈は少し話が違うようで、標高が高くても緑が豊富なことから伺えるように、高所での作物の栽培が可能なようだ。 もちろん高所に向き、不向きの作物というのはあるのだろうが、、、 しかし、島に住むという事は、隔離されているのと同じだから生活はきっと大変なのだろう。



 3つの島を1泊2日で巡るツアーに参加することにした。



 ・ウロス島

a0086274_20331715.jpg 世界中、何処を探してもきっとこんな島は他に存在しないだろう。

 この島は トトラ と呼ばれる 葦 を幾層にも積み重ねて出来ていて、そのトトラの浮力を活かしてこのチチカカ湖に浮いている人工の島なのだ。 厚みは結構あって、約3mくらいはあるんじゃないかと思う。 水に浸かっている部分が腐ったら新しい島を作る、ということなのだ。 もっともそんなに頻繁に新しくする必要は無いようだが、、、

 この葦は食べることも出来るが、さして美味しくもない、、、 しいて言うならば、ふ菓子のようではあるが。



a0086274_20332214.jpg この辺りに島はいくつか存在するのだが、その中でも一番大きいところには、小さいながらも一応の公衆電話や郵便局まである。

 そして、聞くにはかのフジモリ大統領がここを訪れた際にソーラー発電機を各家庭に備え付けたとか。 そんなわけで、各家庭の軒先には、その雰囲気には全く似合わないソーラーパワーシステムなるものの、パネルが見えるのだった。




 ・アマンタニ島  

a0086274_20332755.jpg 昼過ぎに島の桟橋なる場所に到着すると、すぐに島の住民に紹介された。

 というのも、このツアーでは各家庭にホームステイして一晩を過ごすものだからだ。 僕の紹介された家庭では、僕より少し若めの旦那さんと奥さんに、三人の幼いお子さんがいる家庭だった。

 質素ながらも、部屋は奇麗にしてあった。 ただ、地元住民用に作られているために、入り口やベッドそのものは少し小さめだった。 それが、可愛く見えたりもするのだが、、、 

 食事も充分用意してくれたのは有り難かった。 ある程度はツアー会社から指示がいっているのだろうけど、満足のいく食事を出してくれた奥さんに感謝したい。



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 幼い三人の子供たちのうち、二人はもうやんちゃな年頃にさしかかっていた。

 中でも、真ん中の女の子はなんだか恥ずかしがり屋のようで、しかし茶目っ気のある可愛い女の子だった。

 その透き通るような目がとても印象的で、つい写真撮影会に持ち込んでしまった。





 夕暮れ時、ツアー参加者たちは皆ここにある丘に登ることになった。 丘といっても、既にその頂上が見えるほどで、道も整備されているため、一見登りやすそうなのだが、、、 何せ、ここは標高約4000m!! 息が切れる、、、 ( もしここで肺に再び穴が空いたらどうしよう? )などと思いつつも、頂上まで辿り着いた。

 その頂上からの夕日は最高に奇麗だった。 きっと空気が乾燥しているせいで、透き通って見えるのだろうけど、こういう環境下では何か神秘的なものを感じてならない。 どうやって組んだのかは良くわからないが、そこにはイスラム建築に見られるような石を組んだだけのアーチがある。

 そして、その向こうに日が沈むのだ、、、 その光景を古代の人々はきっと崇めて止まなかったことと思う。

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 夜のなると、ダンスパーティーが開催された。 こちらの民族衣装と呼ばれる「 ポンチョ 」を頭から被り、パートナーと踊ったり、皆で輪になって踊ったりする。 何だか掴みどころのない地元のダンスだったが、楽しかった。 ただ、やはり標高が高すぎる、、、 皆すぐに息切れしていた。 

 あれや、これやと持て成してくれる島の人々には何だか有り難い気持ちでいっぱいになってしまった。 もちろんツアーのお客様、、、 ということはあるのだが。


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 翌日、この島を離れる時になって気が付いたことがある。 それはこの島の女性たちの着ている色鮮やかな民族衣装だ。  

 思えば、ここの女性たちは何処にいても、いつでも手にしている物がある。 それは手動糸紡ぎ機とでも呼ぶべき物で、女性たちはそれを内職をするがごとくいつもやっている。 外に出る時も、近所で井戸端会議をしている時でも、更には僕を他の旅行者との集まりに連れている時でさえもっ! 

 そして、その紡いだ糸で出来ているであろう民族衣装に身を包んだ女性たちはとても雰囲気があった。 何よりも、全て手編みで出来ているその民族衣装をまとっている時の表情が良かった。 着ている者たちに強い誇りを持たせるようだった。 それが顔に出ていた、、、





 ・タキーレ島

 朝早くアマンタニ島を出発すると、船は一路タキーレ島を目指した。 湖の上の移動なので揺れこそ少ないが、それでも船の移動は疲れる。 それが、小型のボートならなおさらだ。 また、標高が異常に高いこともあるのだろう、、、 ちょっと疲れていた。 

 ( 僕は船上の人にはなれないな、、、 )などと思っていた頃、目指すタキーレ島に着いた。 まだ昼にもならない頃だから、太陽の光が島全体を照らしている姿は奇麗だった。

a0086274_20333462.jpg 島はかなりの急勾配になっていて、その斜面いっぱいに畑が広がって本当に石を積んだだけの石垣で囲われている。 僕らが通る丘の上にある通り道からは青く澄んだチチカカ湖が良く見えた。 その光景は「 とても奇麗だ 」という以上には、表現しにくい。 

 聞けばこの島の人々にはちょっと変わった文化がある。 それは、一見しただけではわからないのだが、よく見ると確かにそうなのだ。 というのは、ここの人々は身に付けている服の種類や色、それに被っている帽子の色・形・さらには被り方によって自分の今の身辺状況を表しているという。 何だか、アフリカにでもありそうな文化だ。

 実際にそれがどうかと言うと、例えば親方には親方の着る種類の服があり、また未婚の女性には未婚のサインを示す色や装飾が施してある服を着て、彼女がいない男性は被っている長い帽子の先を決まっている片側に垂らす、、、 などなど、実に多岐に渡る。 きっと、「 結婚相手探してますっ 」とかもあることだろう。





 「 島に生きるという 」現実はやはり厳しいものだった。

 元々、島で自給自足の生活をしていたのだが、時代の変化によって産まれてしまった経済格差と「 経済活動そのものの違い 」を知ってしまった島民たちは大変だ。

 お金を手にすることすら少なかったであろう昔に比べ、今では全てお金で物事を計算しなくてはならない。

 それに何かあれば、やはり島外に頼らざるをえない、、、

 そして、聞けばこの三ヶ月ほどは異常気象なのか、島には雨が降っていないという。



 湖に存在する島という特別な環境が産み出したその文化はやはりどこか特殊だった。 しかし、それと同時に美しい文化であったことは、人々の表情に出ていた気がする、、、

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by hitoshi280477 | 2004-11-28 19:31 | Peru

Peru vol.7 「 ペルーレイル 」

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 次の目的地プーノまで列車で行くことに決めていた。

 時間的にも、経済的にも割安のバスという手もあったのだが、列車で行くことにしていた。

 その方がきっと楽しいから、、、 だ。

 いつもそんな感じでバスよりは列車に決めてしまうのだ。



 実はこのクスコープーノ間の列車での移動は旅行者の間では有名だ。 一応、そこには最高所の駅があるという事と、ゆっくり車窓からアンデスの、南米の景色が堪能できるといわれているからだ。





 朝8時。 列車が駅を発つ。

 買ったチケットは Turismo Class といういわゆる2等席の安いほうのやつだ。 それでも充分だ。 今まで中国やインド、ヨーロッパでも列車のチケットは安い席ばかりだったのだから、今回もそれで良し。 乗れるだけで良しなのだ。 それに加え、2等席が$14するのに対し、1等席はなんと$41するらしい、、、



 久しぶりのまともな列車での旅路だ。

 列車の移動の、何はなくともその独特なリズムに揺られているだけで気分が良くなっていた。 どういうわけか、結構横揺れがするのが難だが、何せここは南米のペルー、しかも標高4000mを行くのだ。 それも仕方の無い事なのだろう。 日本一高い山、富士山の上を列車が走っている事を考えれば、多少の事には目をつぶらなくては、、、

 窓の外に目をやれば、そこには既に南米独特の風景が広がっていた。



 思っていたよりもずっと緑の多いアンデスの山々に挟まれた所を列車は走っていた。 広大な大地を駆けていっている様子がわかる。 レールのすぐ横で畑仕事に従事する先住民インディヘナの人々。 ヤギのような格好をしているが、実はラクダ科のこちらの動物アルパカやリャマが放牧されていて、その大きな大地、透き通るような青い空の下、駆けていた。 いつか見ていた南米の風景はここにあったようだ。



 僕は列車の窓越しにその変わるようで、変わることのない風景を眺め続けていた、、、


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 とは言え、、、 プーノまでは10時間の長い道のりだ。

 夜行列車ならともかく、日中の移動で10時間は体力的にも、精神的にもちとツラい。 その時間を有効利用しようと、今回の旅を振り返ったり、日本や旅先にいる友達たちのことを考えてみたり、僕はこれからどうなるのか?などと一人思いにふけっていた。 そして、旅の記録を付けてみたり、これからの将来ことを具体的に書き出してみたりした。 書いたところで本人は南米旅行中なのだから、何がどうなるわけでもないことは知っているのだが、きっと人間あまりもの時間があると不安になるのだろう。

 更には最近疎かにしていたスペイン語の勉強をした。 日頃すぐに出てこない単語を辞書を使って下調べしておく必要がある。 基本的に全てをこなさなきゃならないのが、一人旅。 他の誰かを頼っちゃいけないし、アテにしてはいけないのだ。 自分で何事もやる必要がある。 今回の中米、南米の旅に限って言えば、こちらの言葉スペイン語がかなり重要になっているし、、、

 そんなこんなしていたが、それでも時間が余った。 思えば、南米は大き過ぎる。



 用意しておいた昼飯を少し早いが食べる事にした。 車内での食事は高いと聞いていたので簡単な物を持参していたわけなのだが、何もすることがなくなると腹が減ってしまうというな損な体質なのだ。 早く食べてしまえば後で腹が減るのは子供でも知っている事なのだろうけど、今腹が減っているのだからしょうがない、、、



 再び窓の外に目をやり、アンデスの風景を眺めていると、突然賑やかな服装をした人たちが、賑やかな音楽と共に2等車両に入ってきた。 どうやら「 フォルクローレ音楽演奏隊 」らしい。

 ギターを手にした男の人と、民族衣装?に身を固めた娘さん2人が通路の真ん中で演奏を始め出した、、、 かと、思えばそのうちの一人が僕の手を引っ張っているじゃないかっ!

 そして、気付いた頃には僕も舞台へと早変わりしてしまった通路へと出て、その娘さんに手に手を取られてその踊りを踊るはめになってしまった、、、



 まあ、それは良いのだが

 何せここは、、、

 標高4000mっ!!



 最近なれてきたとはいえ、低地人の体と穴が開いたことのある肺を持つ僕、、、

 なので、しんどい、、、 息が続かない。

 娘さんの軽快なリズムとは裏腹に僕の足元はたどたどしく、もつれていた。





 山に薄暗い雲がかかっている様子が見えた。 その雲合間から山の白い見え隠れしている。 きっと標高が高いのだろう。

 その山の麓では他の何処とも同じように「 リャマ 」や「 アルパカ 」が放牧されていた。

そんなのが見えた頃、標高4319m、世界最高所にあると言われる駅「 La Laya 」に到着した。

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 駅は驚くほどたくさんの人で賑わっていた。

 もっとも列車自体に用のある人は皆無で、どちらかと言うと皆列車に乗ってやって来た旅行者にようのある人たちばかりだった。

 まるで何処かの観光地のお土産屋さん街に来ているようだ。


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 ここが観光名所なことを考えれば納得の行く話なのだが、それでも列車が出発しても走って追いかけてくるインディヘナのおばちゃんたちを見ると、世界最高所の駅、、、 なんてそんな肩書きはどうでもよくなってしまう。

 はっきりいって興醒めだ、、、 その凄まじい商魂には感心させられたがね。

 世界最高所って生きていくのはきっと想像以上に大変なのだ、ということなのだろう。
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 夕方になると、ある街を通過した。 線路沿いにたくさん店が構えられていて、上から覗いていた僕も恐る恐る見る感じだった。 毎日ではないが、週何本も走るこのレール沿いにこんなに近くまで店を構えるってのはどういうことなのだろう? しかも、軒並み、にだ。

 上から人を見下ろすのはあまり良い気分ではないが、地元の人たちを見ると笑顔で手を振っているのは子供か赤ちゃんを抱いた人たちだけのようだ。 それ以外の人たちは、どこか悲しげで、寂しげで、このレールと列車そのものに良い印象を持っていないように見えたのは木のせいだっだのだろうか?

 きっとこの街の中心を走っているであろうこの列車。 そこを中心に街が出来たのか? それとも、この街を引き裂くようにして出来たのか? 何だかいわく付きの列車に乗って、行ってはいけない所に来てしまった気持ちに突然なってしまった、、、



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 夕方6時。 ほぼ予定通りにプーノの街に到着した。 承知していたとおり、体は疲れていた。 けれど、目的地には無事に着いたし、いつか想像していたアンデスの雄大な景色も眺められたし、何よりもここに生きる人々をほんの少しでも見れたことが良かった。





 列車で働く人、音楽を奏でる人、商魂逞しい人、埃が舞う街に生きる人、、、

 スペイン人が南米大陸を征服しに来てから、ここの先住民インディヘナの人々の生活は変わってしまった部分もあるし、そのまま残っている部分もある。 また、昨今ではこの地をたくさんの旅行者が訪れることになって、きっと彼らの生活を変えてしまった部分もあることだろう、、、

 昔ながらの生き方だけではやっていけないというのはここにも浸透しているようだった。

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by hitoshi280477 | 2004-11-27 19:37 | Peru

Peru vol.6 「 空中都市 マチュピチュ 」

 午前5時。



 「 ふーっ 」



 その急な勾配を登っていくのにはさすがに息が切れた。 しかし、以前穴の開いた肺の調子は良さそうだ。 どうやら、標高が3360mあるクスコの街でゆっくりしていたお陰で体がばっちり高度順応しているようだ。 それにしても、、、 見上げれば急勾配に依然として濃い霧が立ち込めている。



 ( 何とか霧が晴れてしまう前に登りきらなくては、、、 そうでないと意味がなくなってしまう、、、 )


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 道は険しく、登りはキツく、空気は冷たかった。

 けれどその先に用のある僕はそんなことを気にかけずに、、、

 もしかしたら心の何処かで気にかけていたとしても、それ以上にこの先での事に集中していた。



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 インカの反乱指導者たちがスペイン人から逃れる為に、隠れ潜んだとされている秘密基地 ビルカバンバ というところを探す過程で見つかった 空中都市。 そこに僕は用があった。

 アンデスの山奥深く、ウルバンバ川が流れるその麓からは急な勾配を400mほど登ったところにあるという事だ。 麓からは一見すると何の変哲もない山脈の風景が見えるだけ。 実際、そこを登っている時でさえ、その存在の真偽はわからなかった。 人間自分の目で確かめるまで信じられないものだ。







 ( 霧が少し晴れてきたかな? )


 午前7時。 僕の座っていた「 ワイナピチュ 」と呼ばれる山の頂上からはまだ見えない。 眼下に広がる底の見えない谷からは依然としてもうもうと霧が立ち上っていた。 太陽はこんなに高く上っているというのに、日の日差しはこんなに強いというのに、、、 

 「 空中都市 」そう呼ばれているわりには山の頂上に位置していない事はここから見下ろしている事からでもわかるし、そこを囲む山々を見ていればわかった。



 そこは実際に人々が住んでいた街だ。 その当時の人口が遺跡の規模から推定一万人というから街と呼ぶよりは、やはり都市と呼ぶのが最適なのだろう。 しかし、一方で、推定人口は最大でも750人。 街と呼ぶよりは避暑地のような場所だったともいわれている。 まだまだ解明されていない謎が多いということだ。

 しかし、標高は約2200m。 周囲は断崖。 下は密林となっている、、、 ちょうど山頂に孤立するような感じで存在しているということだ。 たくさんの家屋や、灌漑施設、神殿、宮殿、墓などがあり、中でも段段畑は今でもしっかりとその基礎が残っている。 その様子は今さっきそこの脇を通って来たからわかる。




 未だ霧がもうもう立ち上っていた。 しかしよく見ると、先ほどよりも霧の量が少なくなってきたかのように思えた。 日は依然として強く差していて、、、

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 霧の雲をじっと食い入るように見つめていた。

 霧塊は僕を嘲笑うかのように、絶えることなく形を変え続けていた。

 その様子を、ただじっと見つめているしかなかった、、、



 そして、その霧の雲の中に少し切れ目が見えてきたかと思うと、、、



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 それは、今まで僕が見た自然と人類が残していった遺産の中で一番調和が取れているように見えた。

 自然の中に人工の物が調和して見れること事体そんなにあるわけではないのに、ここでは自然と人工のその建造物が見事に調和している、、、

 きっとここに住んだ先人たちは自然を尊敬し、大事にしていたのだからだろう。



 インカでは「 太陽神 」というのが存在していて、ここマチュピチュにも太陽の神殿があり、夏至と冬至が正確に分かる窓があるなど、太陽を使った暦を観測、作成したとも言われている。

 先刻の霧中の世界を目にした者ならば、きっと誰でもその存在に納得することだろう。

 太陽の陽の下に曝されたその様子は、、、


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 マチュピチュ

 その姿、、、 想像以上に美しかった。

 まるで物語の中のような世界だ、、、






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by hitoshi280477 | 2004-11-26 19:28 | Peru

Peru vol.5 「 インカ帝国の都 クスコ 」

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 クスコ盆地の一部族だったに過ぎないインカ族の繁栄は、未だ解明されていないもののその卓越した軍事力を支える為の農業生産と社会組織に革命的な方式が導入されたことが要因とされている。

 段々畑による穀物の生産、反乱防止の為の人口移動、キープと呼ばれる縄の結び目による統計管理、発達した道路網、集団労働など、いずれも文明としての完成度は高かった。 とりわけ石材建築や頭蓋骨切開などの外科手術なだについては相当技術が高かったようだ。 コロンビア南部、チリ・アルゼンチン北部にまでの4000Kmに渡る広大な地域をしていた一つ南米最大の帝国、インカ帝国。

 クスコ、、、 そのインカ帝国の都だった街。





 この街には現在でもインカ当時の街並みが残っている部分が多くあるようだ。 橋やトンネル、灌漑用水路などに加え、「 Camino del Inca 」と呼ばれるクスコから延びるインカ道もある。 しかし、神殿として使われていた建物は征服者スペイン人によって教会や修道院となってしまった。



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 現在の街はよそのどの大都市とも同じようにアルマス広場を中心として、その周りをカテドラルや教会が囲んでいる。 人通りはいつも多いし、交通量も多い。 その広場へと通じる道は総じて石畳だが、大きさは大小様々で、人しか通れないものもあれば、車が通れる程大きいところもある。 もっとも車輪のない文明として知られるインカ。 通りの大きさは何を示しているのだろうか?

 少し小高い丘から街を見下ろすと、クスコがケチュア語で「 ヘソ 」を意味している事がわかる。 もっともそれは、アンデス山脈の奥深くに、この街が位置しているからかもしれないけれど。 そこからは緑の山々に囲まれた赤茶けたクスコの街並みを見る事が出来た。

 実はクスコの街の形はインカの神聖な動物「 ピューマ 」の形をしているらしいのだが、、、 ホント?



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 街中にある旅行者に有名なスポットの一つに「 12角の石 」と呼ばれるものがある。

 やはりインカ当時のもので、「 カミソリの刃一枚通さない、、、 」という( 実際そうは見えないのだが )うたい文句がある。 当時のインカの石材建築の技術の高さを知るにはこれで充分だ。 精密に切り出された石材は接合剤も使わず組み上げられたにもかかわらず、何百年もの間ビクともせず今もここにある。 これらインカの石組みはクスコを何度か襲った大地震にも耐えてきた程の代物だ。

 何処か日本のお城にあるような城塁に似ている、、、



a0086274_18114352.jpg 標高3400mにもなるこの街では、、、 なにをするのもしんどい。 確かこれくらいの標高だと、酸素濃度が地上の1/3くらいになっているはず。 息が苦しい、、、 それに加えて、宿までの道のりは急な上り坂!

 標高がそれだけあるとまずは高山病も怖い。 現に、標高がほぼ0mのリマから飛行機でやってきた若者は、、、 宿で3日もダウンしていた。 そもそも、日本→リマ→クスコと一直線にやって来た為に、疲れも出たのかもしれんが。 まぁ、若いので死ぬことはなさそうだが。

 そんな標高の高い場所では、、、 料理もしんどい。 それは、お湯を沸かすのも大変で、パスタなんか茹でた日にはのびのび麺で激マズ! お米なんか炊けたもんじゃない! というか、炊くもんじゃない。 慣れていない人には、ほとんど無理、、、

 よく食べたのが、このアボガドバーガー。 旅友に教えてもらったもので、確かに、美味。 その旅友は気に入りすぎて、わざわざ手製ののれんを作ってあげていたほどだ。 チーズ入りや、チリ入りなどもある! これで、1ソル(=30円)。

 他に食したモノといえば、、、 牛の心臓! 市場には、幻覚サボテンの身とかも売ってたなぁ。



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 現在のクスコの街は、旅行者にとりつかれたエリアを除いては、まだ雰囲気の残る美しい街だ。

 裏通りを一歩歩けば、石畳が敷き詰められていて( インカ当時のものかどうかは不明だが )、市場を覗けばインディヘナのおばちゃんの声がかかり、小高い丘から街全体を見下ろせば緑の山々に囲まれた赤茶けたクスコの街並みを目にする事が出来る。

 古都が好きな僕は気分が良くなっていた。






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by hitoshi280477 | 2004-11-25 19:27 | Peru

Peru vol.4 「 ナスカの地上絵 」

 「 ナスカ 」と聞いたら、「 地上絵 」と答えるほど、それは有名な話だ。

 今から千年も二千年も前に描かれたその地上絵は、、、 今日でも健在だ。 幾何学模様、動物、植物、魚、虫、空想上のもの、、、 などなど色々なデザインからなるこの地上絵の数々は、砂漠という広大なキャンパスに広範囲に渡って広がっている。

 しかしながら、その砂漠気候こそが今日に至るまでその地上絵の全容を保存していると言っても過言ではない。 地上絵そのものは大きくて、又一つ一つ離れている場所に存在しているので地上からの視線では目にする事が出来ない、、、





 「 誰が何のために、、、 」



 この地上絵には未だ解明されていない部分が多々あるらしい。 特にこれらた創造した人物、またその理由、用途などである。

 「 誰が造ったのか? 」という点については非常に面白い説が出ていて、宇宙人説、空飛ぶ人間説、鳥人説、熱気球説などが挙げられている。

 解明されている事と言えば、「 パンパ・インへニオ 広大な平原 」を覆っている黒い石や砂をどけて、白っぽい地面を出す事によって線を作り上げているということだ。







 「 実際は結構しょぼいよ 」

 「 がっかりするかもね 」

 「 あんまり期待しないほうが、、、 」



 と、数々の不評を聞いていたにも関わらず、僕はこの地上絵を見るには一番良いとされているセスナでの遊覧飛行に参加する事にした。

 実は、特別に設置された見晴台もあり、それは無料だということなのだが、、、 こんなトコまでやって来て、しかも人類史上類をみないほどの「 傑作 」を前に、そんな中途半端にしてはもったいな過ぎる、、、

 ここはいくらお金がかかっても、ベストな方法でその傑作を鑑賞するべきだと思った。



 朝早く街からタクシーに乗り込んで、飛行場を目指す事にした。 運ちゃんは僕がどこの航空会社とも予約をしてない事を知ると、一番良いとされている会社で降ろしてくれた。

 航空会社といっても、小さなオフィスに待合室があって、オフィスの向こうのほうにセスナらしき小さな飛行機が3、4台見えるだけだった。

 想像していたのと違ったのは、ここには飛行場にオフィスが集まっているんじゃなくて、飛行場にオフィスが点在しているのだった。 無論、飛行場は一つしかないのだが、オフィスと飛行場の間にはここいらの大動脈とも言うべき、パンアメリカンハイウェイが走っている。



 「 今のシーズンは$35だ。 」



 そう言われると、実際には聞いてみたものの、値引き交渉をする気にはなれなかった。

 実を言えば、料金が少しばかり安くなるかどうかなんてどうでも良いのだ。

 どちらかと言えば、高い料金を払ってでもまともに物が見れればそれで良いのだから、、、


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 パイロットと同乗者2名に僕を加えた4名を乗せたセスナが唸り声を挙げていくのと同時に加速からくる重力が伝わって来た。 事前にパイロットから受けた簡単な説明の時に手渡された地上絵の位置関係とフライトルートマップを強く握り締めた頃、、、 僕らは空上の人となった。



 エンジン音が大きい事から、 鉄の塊に乗って飛んでいると実感せずにはいられなかった。 小型で小回りが効くということは、よく揺れるということでもある。 それはまた、風の影響も受けやすいということでもある。

 外からどう見えるかは知らないが、中に乗っている人間が想像するには、強風に吹き飛ばされて今にも不時着しそうな体様の飛行機に乗っている感じだ。

 フライト時間はおよそ40分。 結構揺れがキツイ、、、 最後までもつのだろうか??


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 一つ目の地上絵が見えてきた。 山肌に寝っ転がるようにしているのが、宇宙飛行士だ。

 一見すると、宇宙人とでも言ってしまいそうだが、ここではどうやら宇宙飛行士で通っているらしい。 既に地上からかなり離れて飛んでいる為に、その絵が大きいのか小さいのかはわかりづらい。

 しかしながら、その山のような丘のようなところの大きさから判断すれば、やはり大きいのだろう。 パイロットは一度その宇宙飛行士の上を旋回すると次の場所へと向かった。



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 犬

 猿

 コンドル

 ハチドリ

 ペリカン

 オウム

 、、、などなどが続いた

 

 その一つ一つの上で写真撮影のためにわざわざ旋回してくれるわけで、こちらとしては有り難いのだが、、、 キツイのだ。 これまでの経験で、バス、列車、船、、、 と大概の乗り物は何とかなるのだが、このセスナとなると、今までの乗り物とは話が違う。

 何せ、空中にいるのだ!

 しかも、普段乗るような大型の飛行機のように揺れは少なくなく、というよりも小回りが利くように設計されているのだから次の動きってやつが全く予想出来やしない、、、


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 「 も、もう無理っす、、、 」


 そう思いかけた頃、最後の木と手が見えてきた。

 せっかくここまで来たのである。

 必死に写真に収めようと思い、シャッターを切りつつ、、、


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 飛行場に戻ってきた。 少し千鳥足の自分を笑いながら腰掛けた。



 振り返って思い出してみると、話に聞いていたよりも見応えがあったと思えた。 確かに地上絵のいくつかは見えにくかったりもした、けれどそれは地上絵を構成する線が薄いことや、自然の線に見えるような物が入り混じっているからだ。

 しかし、あの大きさと規模を考えれば、やはり古代の人たちの偉業に敬服せざるを得ない。

 更にあのデザインだ。 あんなに複雑かつお茶目な形をしたものをひしゃげることなく作り上げたのはやはり驚異に値することだと思うし、当時のことを考えると言葉が出てこない、、、



 「 誰がいったい何の為に? 」

 計算高くなって、損得勘定で物事を判断してしまう現代人には、およそ理解することは出来ないだろう。

 なんたって砂漠のように乾いた大地に、人の手でこんなことをしているのだから、、、 尋常じゃない!?






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by hitoshi280477 | 2004-11-24 19:22 | Peru

Peru vol.3 「 旅人の気持ち 」

 僕は正直気落ちしていた。

 今まで約二年に渡り、アジア、ヨーロッパ、中東、中米を旅行してきた経験があるのにも関わらず、まるで今まで海外旅行をしたことがないように、泥棒たちのつまらない小技にひっかかってしまい旅の全財産とでも言うべき、バックパックを丸ごと取られてしまったのだ。

 更にその中には本当にたまたまと言っていいほど現金やT/Cを全部入れてしまったいたのだ。 常識で考えたらそんなことはしないのはずなのだが、、、

 誰かが言っていた、、、



 「 そういう時に限って事件は起きる 」





 人に話せば、「 今までそういう事がなかったのが不思議なくらいなのだから、運が良いほうなんだよ、、、 」と言うかもしれないが、、、

 僕は旅をしてきた自分が少し信じられなくなり、これから先南米の旅はまだ続くのに何だか気が乗らなくってきてしまった。 正直、一度日本に帰ろうかと本気で迷った。

 帰ったところで盗られた荷物が戻ってくるわけでもないし、何か良い事があるわけでもないし、逆に往復の航空券代だけで10万円以上するし、それにそれは何だかここを逃げ去っていく負け犬のようにさ思えるのだが、、、



 迷っていた。





 買い物に出る事にした。

 気分転換と言えれば良いのだが、何せ替えの下着さえ持っていない状況だ。

 必要に迫られて行くことになった。



 買い揃えなければいけない物と言えば、替えの服に下着、洗面用具にコンタクト、サンダルなんかも必要だから、、、 そう言えば、それら全ての荷物を入れるバックパックもない。 何てことだ。 僕は荷物を入れるバックパックさえも持ってないのか、、、

 そういえば日本を発つ前、今回の旅行に備えてもう少し大き目のバックパックに買い替えようかと迷っていたのだが、せっかくあるのだからわざわざ買うのももったいない、もし仮に盗られたりしたら買い替えよう、、、 などと考えていたこともあったなぁ。



 さて、全てを買い揃えるのに何も質の良いものを買う必要はない。 要は事が足りればよいのだ。

 今までがそうだったように、必要な時に必要なものを揃えていけばよいのだ。 「 備えあれば憂いなし 」と、人は言うが、あれだけの損失を受けておいて全てをまた元のように揃えるというのはちと無理がある。

 それにここは日本ではないのだから、いくらお金を積んでも買えないものはたくさんある。 いくらリマが大都市といえどそれは無理というもんだ。



 目指すは中華街の隣にあるメルカド( 市場 )だ。



 まずは下着類から買う事に。 そして、Tシャツに靴下、サンダル、、、これから標高の高いところが続くからセーターも。 セーターっといっても、500円くらいのものを。 更に寒がりの為、布屋さんに行ってフリース地の毛布を購入。 1mが12ソルだから、2m24ソル( 800円 )をこれからの高地できっと約に立ってくれるだろうと信じて購入した。

 それらを入れるとりあえずのバック、中国製のレジャーシート地の袋を購入。 中国製だけに柄はセンスのかけらもなく、ひどく目立つヤツだが事が足りればとりあえずそれで良い。





 人に尋ね、値段を交渉し、何とか荷物を少しずつ揃えていく過程で、不思議とまた一人旅を続けられるような気になってきた。

 もちろんその為の買い出しをしているわけなのだが、何故かそう感じずにはいられなかった。 

 物事がまだ自分の思うように進む兆しが垣間見えてきたからなのだろうか?

 たかだか買い物をこなしたくらいでそんな気になってしまう自分がよくわからないが??





 「 大丈夫、これなら行ける 」



 まだ満足に荷物が揃ったわけでもないのに、何となくそう思った。



 結局、モノを充分に持っていなければ一人旅を続けられないかというと、そうでもないことに気付いた。 もちろん異国を単身旅していく中で自分の納得できる物や使い慣れた装備がないのは心細いことなのだ、、、



 が、旅は続けられるのだ。




 旅に対する「 勇気 」と、 「 好奇心 」と、「 情熱 」とさえ持ち合わせていれば。






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by hitoshi280477 | 2004-11-23 19:21 | Peru

Peru vol.2 「 Museo Amano 天野さんの博物館 」

 通称「 天野さんの博物館 」という名で日本人旅行者にも親しまれている博物館がある。 リマの名誉市民にもなっている故・天野芳太郎氏が長年に渡り研究し、収集してきた土器、織物が展示されている博物館だ。

 チャンカイ文化と呼ばれる西暦1000年頃、すなわちあの有名なインカ文明以前のものが氏の研究の対象で、氏の所有するものは個人のコレクションとしてはペルー最大とのこと。 その数3万点以上で、そのうち実際に展示されているのは約300点。 しかしながら見応えは充分だ。 というのは、なるべく多くの人の目に触れる事が出来るようにと、氏が展示の仕方にこだわっていて、ほとんどのものを直接目にする事が出来る。

 話に聞くところによると、そういったことは博物館では珍しく、特に織物なんかは直接空気に触れるとどんどん劣化が進んでしまうとの事なのだ。 また入場料が無料となっていることからも、氏のチャンカイ文化に対する姿勢が伺える。



 この博物の館内を見学するにあたって必要なことと言えば、予約だ。 というのは、ここではグループ制の見学を採っていて、そのグループには必ず日本人のガイドさんが付いてこのチャンカイ文化について説明を加えてくれるのだ。



 ☆ チャンカイ文化 ☆

 インカ以前のプレ・インカ時代の西暦1000年頃に現在のナスカの辺りに繁栄していたとされていて、あまり解明されていないことが多く注目されるまでに時間がかかった。 現在も砂漠となっている地域に文化が栄えていた事から今でも当時の土器や織物が良い保存状態で残っている。

 特に織物、編み物の精巧さは目を引くものがあって、それらがとても1000年も前のものとは信じ難い。 土器にいたっては、どちらかというグレーや白を基調としたとシンプルなものが多くて、それらは何度も製造を繰り返していく過程でそういうシンプルな色を使うようになったとか。

  しかし、その色合いとは裏腹に土器のデザインはというと、丸くて、可愛いくて、愛敬のある感じのするものが多く、当時の人々が使っていた「 とっくり 」でさえも、愛らしい形になっている。 中には病人や身体障害者をモチーフにした土器も数多く確認されている事から、当時には珍しい階級の無い社会だったのでは?と、推測されているらしい。

 また当時の技術の高さを証明する代物も多数。 例えば、顕微鏡で見ても明らかに小さいビーズに穴があいていて、そこに極細の糸が通っていたりと、、、





 見学は一時間半ほどで終了。 話に聞いていた以上の内容に大満足だった。

 チャンカイ文化のこともあるけれど、その博物館事体に天野氏の意気込みというか、入れ込みようが伝わって来た。

 博物館の入り口には天野氏の肖像画ならぬ、大きな写真が飾ってある。

 なるほど、、、 良い顔をしている。



 ☆ Museo Amano 天野さんの博物館 ☆

   Add: Calle Retiro 160  ( Av.Angamos Oeste Cdra.11 )  Miraflores

   Tel: 441-2909 要予約

   休) 土日祝 写真撮影は不可






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by hitoshi280477 | 2004-11-22 19:20 | Peru

Peru vol.1 「 リマ 」

 エクアドルのロハから二泊三日の夜行バスの旅を終えると、僕はペルーの首都である「 リマ 」に着いた。 久しぶりの夜行バス二泊の旅、体が軋んでいるような感じがした。

 当初の予定ではペルーの北部を少し見て周りたいと考えていたのだが、北部は既に雨季に入っていると聞いていたし、年末まで時間も差し迫っていたこともあったし、何よりも旅の相方であるバックパックを失ってしまったこともあって、国境からそのままリマを目指すことにしたのだ、、、



 リマは人口約774万人を数える南米でも有数の大都市だ。 他のどの都市とも同じく街はスペイン統治時代に形成された旧市街と、高級住宅地やデパートがある新市街とで構成されている。

 宿をとった旧市街であるセントロはそういったスペイン統治時代の建物、いわゆるコロニアル調、が今も数多く残っていて中には現役で活躍している教会や大統領府、宮殿なんかもあったりする。 いわば旅行者にとっての見所が集中しているところらしい。



 街を少し歩くと、なるほどさすがは700万人都市だと感じずにはいられなかった。 人の数に、交通量の多さに、物の豊富さに、、、

 ペルーと聞けば、先住民インディヘナの人々がアンデス山脈の段段畑でせっせと畑仕事をし、その周りをアンデス特有の動物なんかが放牧されている図を勝手に想像してしまいがちだが、どうやらここリマは違うようだ。 別に誰しもがスーツにネクタイをビシッときめて仕事をしているわけではないけれど、その忙しない様子を見ているとどうもここが僕の想像していたペルーとは異なるのだ。





 そして、ペルーといえば日本からの移住者が多いことでも知られている。 どういう経緯でそうなったのか詳しくは知らないが( 出稼ぎという以外 )、そういった事実が過去にあって今も移住して来た人たちやその子孫にあたる日系人が多い。

 実際、僕のお世話になっている宿も沖縄出身の日系一世の名幸さんというおじいちゃんが経営していて( その名もペンション沖縄 )、宿のテーブルについてお茶でもすすっていると、何処か懐かしさを感じさせる沖縄独特の楽器、蛇三線( 三針 )の音が聞こえて来たりする。

 電化製品を見に行きたいと言ったら、日系人経営のお店を紹介されたりする。 どうやら物作りだけでなく、物を取り扱う方面でも日本人は成功しているようだ。 お店に居並ぶ日系の商品や、お店の混み具合になんだか鼻高々になってしまったりもする。



 リマには中華街も存在する。 僕の地元横浜にある中華街とは規模といい、華やかさといい、はっきり言って劣るが、その混雑ぶりを見れば華僑の人々の力を感じずにはいられない程だ。

 普段は 「 チーノ、チーノ( 中国人のこと 中米、南米ではあからさまに中国人を軽蔑・差別する )」と言っては馬鹿にしているのに、ここではたくさんの人間が華僑の下、仕事を手に入れている。 この時ばかりは人のことを大した理由もなく「 チーノ、チーノ 」と罵る地元の人々より、異国で堂々と成功を収め、今も活躍している中国人の方がずっと立派に見えた。



 またここにはスラム街も結構近くに存在するようだ。 特に宿の河向こうのエリアには近づかないように言われていた。 一度、タクシーでそれらしきエリアを通ったとき、運ちゃんは怒鳴りっぱなしで、「 窓を閉めろ 」とか、「 ドアの鍵をかけろ 」とか言われた。 確か以前日本人の乗っていたタクシーに変な輩が乗り込んで来たとかなんとか聞いたことがあったな、、、





 一つの都市に旧市街、新市街、中華街、そしてスラム街が存在する街リマ。 何処か整然としていて、何処か混沌としている。

 不思議なところだ。 

 でも、あんまり長居はしないなぁ、、、






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by hitoshi280477 | 2004-11-21 19:19 | Peru

Equador vol.8 「 事故(自己)処理 」

 ペルー国境へと向かうバスの中にいた。

 順調に行けば夜中に国境を越え、翌朝にはペルー最初の街「 Piura (ピウラ) 」へと行く予定となっている。



 バスは静かで暗い道を順調に進んでいるようだった。

 僕は窓の外を見ていた。

 いや、、、 実際は窓の表面に浮かぶ様に見える先ほどの出来事を思い出していた。





 その場にいた警察官に言われるままに、僕は地元の警察署へと行くことになった。 署ではもう既に連絡がいっていたようで、すぐに二階の部屋へと案内された。 いろいろと質問をされるが、僕はあまり理解出来ず、また説明をしても僕の拙いスペイン語では相手がどこまで理解してくれているのかもわからない。

 手元に残ったていたバックの中から、スペイン語会話帳を取り出して説明するも、焦ってしまい、、、 果たして、何処まで説明出来て、また理解してもらったのかわからないまま、盗難証明書を作成することとなった。

 書類は既にひな形が出来ていて、そこに僕の名前と実際に盗まれた物を記述していくのみだった。 その担当官の用意のいいことと、作業の手慣れていることから、きっと被害者は数多く存在するのだろうと思い、少し肩の力が抜けた。



 「 きっと僕だけではないのだ、、、 」

 そう思うと、少し安心したような、落ち着いたような、、、

 しかし、その中の一人になってしまったことに落胆してしまった。



 手続きが終わると、この街にいる必要はなくなった。 

 街を出る前に日本にいる母と電話のやりとりを何度かした。 クレジットカードを止めたり、状況を報告したりと、、、

 そんな中での母の「 まあ、体が無事だっただけで、、、 それに、今回の件は授業料だと思って、、、 ね? 」という言葉が響いた。 遠く日本を離れた異国の地で馬鹿をやってしまった息子を気遣って、そう言ってくれたと思うと、、、 情けない気持ちでいっぱいになった。





 疲れているはずなのに、バスの中で眠ることは出来なかった。

 正直、気落ちしていた。 単身、もう二年近くも旅をしているのに、充分気をつけていたのに、わかっていたのに、、、 自分の馬鹿さ加減に嫌気がさし、何だかこの先旅を続けられるか急に心配になった。

 無理もない、旅の全財産とでも言うべき、バックパックを盗まれてしまったのだから、、、



 心配になったというよりは、不安になったというのが正直なところだ。 しかし、それ以上に自分に対する信頼が揺らいでいた、、、 こんな状態でこのまま旅を続けられるのだろうか? 僕は迷っては、悩み、そしてまた不安になっていた、、、





 しかし、そんなことでは困るのだ。



 何に対して困るのか?



 自分自身に対してである。



 旅の全財産とはいえ、所詮は「 モノ 」なのだ。

 満足に物が無ければ、このまま旅を続けられないかと言うと、そうでもないと思った。 それに何が起きても、「 こんなことくらいでっ 」と思えるようにならなくては、僕の思い描くなりたい自分にはなれないだろう。

 それ以上に、「 いや~、盗まれちゃいましたよ~ 」と笑って話せるくらいにならなくては駄目だ。

 こんなことぐらいで揺らいでいては、「 この目で世界を見る 」どころか、自分自身すら見えなくなってしまう。



 そう思い直すと、何だか少し力が出てきた。 この事件を機に、僕は旅をするのに必要な何かを再認識することが出来た、と思う。 それは、旅に対する好奇心であり、勇気であり、情熱であるのだ。 それらが続く限り、「 僕はまだ先へ進める 」とそう思ったのだった。





 ちなみに今回の盗難にあったものと言えば、、、

 ・バックパックそのもの
 ・愛機 iBook (ノートパソコン)+周辺機器
 ・中米~コロンビア間の写真入りCD
 ・旅友(恵美さん)の手書きのアフリカ情報
 ・↑そのお礼にこっそり買っておいた「モラ」x4枚
 ・衣類(つい先日$70分も買い足したのに、、、)
 ・サンダル(一万円もしたのにっ!)
 ・旅の日記
 ・現金
 ・T/C (旅行用小切手)
 ・クレジットカード
 ・愛用していた鍋や包丁
 ・愛用していた毛布
 ・愛用していた「その他の小道具たち」



 今回の被害総額は驚愕の50万円強だった。

 これまで二年ほど旅をしていて、そんなに盗まれたヤツは聞いたことが無い、、、

 自分の中での、強盗被害総額ランキング堂々の第一位に乗り上げてしまった。






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by hitoshi280477 | 2004-11-18 19:35 | Equador

Equador vol.7 「 大、大、大、大、大失態!!  」

「 仁さん、、、
バッグが無いですよっ!! 」







 そう旅友が叫ぶ声が聞こえ、今聞こえたのが何なのか頭が理解する前に、僕はもう駆けていた、、、







 クエンカ を昼過ぎに出発したバスは夕方の6時頃「 Loja ロハ 」という街に到着していた。

 どうやらここからペルーまでの国際バスが乗れるらしく、実はバスを乗り継いでいったほうが割安なのだが、ついその利便性に負けてそこからペルー最初の街 ピウラ まで行くことにした。

 バスは夜の10時半出発で、明け方にはその次の街に着いているとのことだ。



 バスのチケットを手に入れた僕らは、キトから連日の移動で疲れていたこともあってバスターミナルを出ると目の前のロータリーの片隅に腰掛けた。 それまで背負っていたバックパックを地面に置いたとき、ドスンッと思いがけないほど大きな音がしたのは、きっと体が疲れていたためなのだろう。





 旅友が煙草に火をつけた。



 僕は煙草を吸わないが、多くの旅友との「 一服の時間 」に、どうやら僕も一呼吸をいれるタイミングを何時の間にか覚えたらしい。 急に体の底から「 ふっ 」と息を吐いてしまった、、、





 ほんの少しの沈黙の後、僕が話し始めた、、、

 「 ここから先のペルーとボリビアは何でも泥棒とか、強盗とかが多いらしいから気を付けないとね。 宿に荷物を置いている時や、バスに荷物を預ける時も信用出来ないから、このプラスチックのコードとか付けたら良いと思うんだけど、どうかなー?  」



 南米、特にこれから先のペルー、ボリビアはそういった事が多いと聞いていた。

 それは、世界でも稀にみる旅行者に対する犯罪多発地帯なのだ。

 だから僕なりに心の準備も、荷物の準備もしていたつもりだった、、、





 そんな事を話していると、一人の男が僕らの会話に割って入って来た、、、



 「  ♯◎・☆・※  」



 何と言っているのかほとんどわからない。 が、どうやら僕の隣に座っていた旅友の足元に何か落ちていると言っているような気がしたのは、その男が足元から何かを拾い上げるしぐさからわかった。 見ると男の手には小さく折り込まれた「 紙切れ 」があった。

 僕ら二人、目を丸くして、しかしいぶかしげにその様子を見ていると、男はその紙切れを旅友に手渡した。 旅友がそれを広げると、それは「 $1札 」だった。 本物かどうか確認したり、又それが誰の物なのか二人で話をしている間にその男はいつの間にか何処かへ行ってしまったようだった。





 その様子を見ていた近くのおばさんが、僕らに声をかけてきた。 これまた何と言っているかわからない。 バスターミナルの前のロータリーでの事、騒音があって聞き取りも出来やしない。

 おばさんが二回目に口を開いたときには、誰かが何とかかんとか、「 もち~ら 」とかなんとか、、、?

 その言葉を聞いたその瞬間は、僕はおばさんがほかの誰かがその$1札を落としたのを目撃したのかと思っていた、、、





「 仁さん、、、
バッグが無いですよっ!! 」




 振り返ると、ほんのさっきまでそこに有った筈の僕のバックパックが消えているではないかっ
!!

 刹那、僕は無意識のうちに立ち上がり、無我夢中で駆け出していた。

 いや、頭の中に一つだけあったことといえば「 僕の荷物 」、それだけだった。





 僕らの座っていたところと、声をかけてきたその男、そして、そのおばさんとの位置関係から僕は迷うことなく、僕の荷物が持ち去られたであろう方向を瞬時に計算し、駆けていった。

 「 まだ近くにいるはずだ 」

 そう思うのは先ほどの怪しい男がいなくなってから、まだ1分ほどしか経っていなかったからだった。



 その泥棒が逃げていったと思われる方向は左手には建物が、右手にはたくさんのタクシーが客待ちしているロータリーとその向こうには市街へ通じる道があり、そして正面にはバスが往来する場所があった。

 直感で建物の角を左に曲がると、僕の視界には10段ほどの階段があり、何人かの男たちが世間話をしている様子がちらりと見えた。

 その階段を駆け上っていくと、その建物の中から二人の軍服のような物を着た男たちが現れた。 どうやら警察のようだった。

 この時になって僕は初めて「  Ladron, Ladron!!  Mi equipaje!! ( 泥棒、泥棒!! 僕の荷物!! ) 」と騒ぎ出したのだった。



 「  Verdad !?  Donde?  Donde??  ( 本当かっ!? 何処だ、何処?? ) 」



 その警官らしき二人を連れて、その現場まで戻ってみるも僕の荷物が戻ってくるわけがないので、二人の警官が何やかんやと僕に聞いてくるのを無視して、僕は辺りを駆け回った。



 その泥棒が僕の荷物を持ち去ったであろう方向へ、、、 建物の周り、積み荷の積み下ろしをやっている車両や、その荷物の保管庫、客待ちしているタクシーたち、停車している大型バスたちの陰、反対側の道路に渡り向こうからは死角になりそうな建物の脇、、、



 5分。



 10分。



 15分。



 、、、、、



 ( もう無理だな、これ以上は、、、 )



 息が続かなくなった頃、そう思った。

 気が付けば、肩で息をし、鼻息が荒くなっていた。

 目を閉じて、何故か天を仰いだ。













Oooooh~ ,Noooo!!



 それ以上は何も頭に浮かんでこなかった。






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by hitoshi280477 | 2004-11-17 19:36 | Equador