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Argentina vol.2 「 ゆく年 くる年 」 -未-

 「 海外にて新年を迎える 」 これまで旅行の経験がそれなりにあるにも関わらず、それは僕にとって初めてのことだった。 別に海外で新年を迎えるためにわざわざ来ているわけではないのだが、今回の旅程ではそれは自然のことだった。 もちろん新年を迎えるにあたって、気持ちは少し浮ついていたが、、、

 きっと今頃は、何処の街でも盛り上がっていることだろうが、ここウシュアイアはどこかひっそりとしていたのだった。 もともと人口が多くなく、今のシーズン、どちらかと言えば旅行者の数のほうが多いのだろうから、街が盛り上がりを見せるのは旅行者にそういうイベントを催しているお店ぐらいなのだろう。 しかし、そのお店でさえどこにあるのか見つけられないほど、ウシュアイアの大晦日は静かだった。





 少し小高い坂の上にある僕の泊まっていた宿は、一歩外に出れば街を見下ろす格好になり、海や、そのまた先にある険しい山々まで見渡すことが出来た。 大晦日も更けていき、辺りは少し薄暗くなり始めていた。 空の明るみより、家の明かりのほうが明るく見えだす瞬間でもあった。

 ひっそりと静まりかえるウシュアイアの街を前に、僕は少し物思いに耽ってしまっていた。 ここまでの道のりを振り返り、今日ここにいることを不思議に思ったりもした。 そして、今後のことを考えたりもした。

 ふと、「 日本にいる母はどうしているのだろう? 」と思った。 距離的には離れていても、連絡のやり取りをしていないわけではないのだが、ふとそう思った。 思えば、いろいろと心配をかける息子である。 小さい頃から心配をかけてばかりのことと思う。 特に、「 事後報告 」をするようになって、その方がお咎めがあまりないことを知ってからは尚更だ。 もっとも今日ここにいることも、あの頃の延長線上と考えていてくれれば、それで良いのだが。

 そして、「 兄は、、、? 」、「 友達は、、、? 」。

 そう思い出すと何だか無性に寂しくなった。 ここから日本は遠い。 けれど、僕はその距離的な問題よりも、精神的なことのほうが心配になった。 忙しない昨今の世の中だ。 それは人と人の距離を物理的にも、精神的にも遠ざけていると思う。 寂しい限りだが、しょうがない。 それに人が、例えそれが親しい間柄であっても、僕と同じように思っているかと思ったら、それはきっと間違いなのだろう。 皆、きっとそれ以上の何かで忙しいのだろう。 「 自由気ままに生きている自分があまり言えることではないかな、、、 」とも思ったが、「 何はともあれ、人はそれぞれの道を行くのだ 」と思った。 それで良いのだ。





 自分の将来のことも考えた。 現代の社会では僕の行動がどう受け取られるかはある程度察しがつく。 もっとも社会的な何かや、経済的な何かを見返りにしていることではないのだから、「 自分が良ければそれで良いのだ 」と自分自身に再確認した。

 「 それが何につながるのか? 」

 「 将来は何がしたいのか? 」 そうよく聞かれる。





 明確な答えをまだ持っていない僕は、こう思うようになった。 「 まだそこまで達していない 」と。 「 その時がくれば、なるようになる 」とそう思うほか、僕の中に答えはなかった。 そして、思うのは、、、 「 いつかその答えが見つけられる日が来るまで、自分の思うように前進するべきなのだ 」ということだった。





 間もなく一年が終わり、新しい一年がやってくる頃だった。








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by hitoshi280477 | 2004-12-31 09:34 | 未- Argentina

Argentina vol.1 「 世界最南端の街 ウシュアイア 」 -未-

 チリのサンチャゴから、僕はウシュアイアまで$316という大枚をはたいて飛ぶことにした。 バスという交通手段、陸路でここまで行けば約一週間はかかることだろう。 その途方もない時間を移動に使うことと、ルートそのものに魅力を感じなかった僕は、最後の手段である飛行機を使うことにした。 実を言えばそのルート、うまく海沿いに南下して行けば、氷河とフィヨルドの合間を縫うようにして進む観光船があるとのこと。 もしバスで行ったとしても、パタゴニアの雄大な景色が拝める機会があるかもしれなかった。 しかし、僕には時間がなかった。 僕は何故か「 年末までにウシュアイア 」と決めていたのだ。

 世界最南端と言われる街、ウシュアイア。 そこに辿り着ければ僕は南米大陸をちょうど半周したことになるからだ。別に一周するかどうかは決めていないのだが、、、 そして、それが年末年始ならば、尚のこと「 キリ 」が良いように僕には思えていたからだった。 確固たる予定がない日々の中で、自分にしか理解出来ない根拠だけが先へと進む原動力なのだから。

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 ウシュアイアの街は静かで可愛らしい感じのする街だった。 どこかヨーロッパの地方都市を思わせる佇まいだ。 というのも、少し高台から街を見下ろせば、眼前には海が広がり、海を囲むように荒々しいシルエットをした山々が見える。 後ろを振り返れば、それがこの土地の名前の由来なのかどうかは知らないが(実はここをここいらを船旅する人たちが海岸沿いの地元の人々のキャンプ・ファイヤーを見てそう名付けけたか?)、「 Tierra del Fuego 」 火の大地 と形容されるのに相応しいように峻嶮な面持ちをした山々を目にすることが出来る。 英語で「 snow capped 」という言葉があるが、ここのそれは正にその言葉が形容するように、頂上付近のみ雪で覆われていた。

a0086274_1235415.jpg 街には「 世界最南端の街 」をうたい文句にした看板と、商品がこぞって並んでいる。 本当のことを言えば、この街は世界最南端の街ではないらしいのだが、もう世界中に声も高々とそう言ってしまっているので、そういうことにしておこう。 そういう意味では世界中が黙認している街という形容詞を付けることが出来る。 街を歩くとすぐに気付くことは、ここには変わった植物が咲いているということだ。 もっとも僕がただ単に他の地域で目にしたことがないだけなのか、将又パタゴイニアという特別な環境が造り上げた固有種なのか、植物に詳しくない僕には検討もつかない。 知っている人にこのことを知られたら、少し恥ずかしいが。

 それにしても、この植物はウシュアイアの街には良く似合う。 というのも、その特殊な雰囲気が、世界最南端という特殊な街にはぴったりではないか。 そして、街の随所に咲き乱れるその様子は何処かこの街の如く、微笑ましく感じられてしょうがないのだった。



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 この街の人々は、よくある地方都市の人々のように素朴で親切だった。 僕が宿を探す為に、街中を歩き廻っている中訪ねた宿は、その宿代に不服そうな僕を見るとわざわざ他の安い宿を教えてくれたのだった。 そして次に訪ねた宿の主人も親切な人だった。 年末前というわけでか、宿はほとんど満員だった。 ドミトリーにして、$8とは南米では破格に高いが、何せここは「 世界最南端の街 」なのだからしょうがないのだろう。

a0086274_126047.jpg ここでは台所を使わせてもらえるのが何処も当たり前らしく、この宿もそうだった。 僕は自炊するのが好きなので、毎日ここで料理した。 よく作ったものと言えば、野菜スープだ。 いつからか我が家で食卓に出るようになった野菜スープ。 いろんな野菜を食べやすい大きさに切って、火の通りの悪いものから順番に鍋に入れていき、最後はスープの素で仕上げるといった、至極簡単な料理なのだが、これが美味しいのだからしょうがない。 それに旅行者に不足しがちな野菜をたくさん摂れるとこともあって、ほぼ毎日これを食べていた。 たまにハムやソーセージなんかを入れると豪勢になるところが、実家のそれとは違うところで、それだけで豪勢に思える僕は幸せ者のように感じられた。 肌寒いウシュアイアの夜にはうってつけのメニューだった。





 この街の特別なことの一つと言えば、日照時間の長いことだろう。 この街は南極に行く起点の街になるくらい緯度が高い。 そのため、自然と日照時間も長くなるのだ。 朝は5時前頃から夜は11時過ぎまで、実に18時間は日が出ている。 実に不思議だ。 世界には白夜と呼ばれる日の沈まないところや(というかその場所である一定の時期だけだが)、日がほとんど出ないところがあると聞く。 以前、ヨーロッパで出会った日本人学生はフィンランドで「 光 」について勉強していて、その話をしてくれたが、向こうでは日照時間が短い時期には人々が「 うつ病 」になりやすいとか。 ここウシュアイアでも同じなのだろうか?

 それにしても、日照時間のあまりに長いのはやはり体には合わないようだった。 何せ、日もまだ高いうちからベッドに潜り込まなくてはいけないのだから、、、





 「 もう12月なのに、、、 」 そう思ってから、僕ははっとした。

 ここは南半球だということを思い出した。 そうなのだ、南半球の12月は夏真っ盛りなのだ。 日本にいれば、今頃はかなり冷え込む時期になっているはずなのだ。 しかし、僕は南半球にいるのだ。 そんなことは、エクアドルの赤道記念館に行って以来気にしたことがなかった。 そうのなのだ、ここは南半球なのだ。

 どうりで、南極への起点となるほど緯度が高い街に来てもそこまで寒くないわけだ。 もちろん寒いといえば、寒いのだが、それは心地良い程度の寒さだった。

 しかし、南半球にあるこの街ももうすぐ新年を迎えようとしていた、、、

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by hitoshi280477 | 2004-12-27 09:31 | 未- Argentina

Chile vol.3 「 駄目人間脱出!? 」 -未-

 「 いいんじゃないんすか? 駄目人間でも 」





 好きな物を、好きなだけ食って。



 好きな物を、好きなだけ飲んで。



 好きな時に、好きなだけ寝て。



 好きなことを、好きなだけやって。



 好きなことを、好きなだけ考えて。



 好きなことを、好きなように。



 やりたいことを、やりたいように。





 「 それで良いんじゃない? 」





 一人、旅に出ているのだから。



 一人旅なのだから。 それで良いのだと思う。



 結局のところ、一人なのだから。 やりたいようにやればいいのさ。 何かが僕を束縛するわけでもないのだから、僕を何かに束縛する必要はないのだ。 何かにこだわる事も必要もなく。 何かにしがみつく事も必要もなく。 自分勝手にやればいいのさ。



 結局のところ一人なのだから、それで良いんじゃないか?







 しかし、そういう時があっても、そういう時期があっても、そうはなりたくない。 一人なのだから、頼るべきは自分なのだ。 信頼するべきも自分なのだ。 そして、行動するのも自分なのだ。 それがわかったら、駄目人間になっている自分が嫌になった。






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by hitoshi280477 | 2004-12-15 09:22 | 未- Chile

Chile vol.2 「 クリスマスの頃、大都会の真ん中で、、、 」 -未-

 自身初の南半球入りしてから、早や2ヶ月。 季節は夏真っ盛りと言ったところだった。 もちろんここまでの道のりで通ってきたペルーやボリビアも暑いときは暑かったが、それはどちらかというと標高が高いため故の日差しのせいだと思っていた。



 サンチャゴは暑かった。 この街に到着するまでそんなには感じなかったものの、季節は夏になっていた。 日差しのキツさといい、気温といい、蒸し暑さといい、それは日本の夏を思わせるほどだった。 一人勝手に爽やかな街のイメージを持っていた僕は体が疲れていたこともあって、何だか到着早々浮かない気分になっていた。







 僕のそんな憂鬱な気分とは裏腹に、街はたくさんの人でごった返していた。 正確に言うと、たくさんの買い物客でごった返していたのだ。 無理もない、時はクリスマス。 家族や友達に渡すギフトやパーティー用の食事の材料なんかを買い揃える客で待ちは大賑わい、街を歩くのもままならないほどの混雑振りだ。 日本のように勘違いして、恋人たちの特別なイベント敵なクリスマスとは違い、こちらは本物のクリスチャン。 それこそ一年のうちで一大イベントなのだ。 人々のそれに対する入れ込みようは、その買い物客の買い物袋の数を見れば一目瞭然だ。



 僕は元来クリスマスやお正月というものをあまり派手にやらないほうだ。 というか、無関心だ。 バレンタインデーはともかく、、、 お正月は他の誰かが決めたこととは言え、今や全世界が同じ暦を一応は使っているのだからさすがに納得するのだが、クリスマスをクリスチャンでもない人間が盛大に祝っているのは馬鹿らしくてたまらない。 日本は特にその典型だ。 ほとんどの人間がクリスチャンでない日本で、世間やマスコミに踊らされて、本当に踊っている人間は何を考えているのか? 「 恋人たちの特別な日 」なんて言われたりもしているのは、完全に頭の中がおかしい。 商用利用されているだけだとさえ思う。 「 楽しければそれでいいっ!! 」 そう言われれば、まあそうなのだが、、、 兎にも角にも、僕はそういったのは無関心なのだ。







 しかし、ここチリにはクリスチャンが多い。 なので、街もクリスマス一色だ。 真夏だろうが、何だろうが、クリスマス直前のこの時期、街は本当にたくさんの人でごった返している。 家族のために、友達のために、恋人のために、、、 人も街も一体となっている様子が伺える。 それを見ると、さすがに心が動かされずにはいられない。 特に、お父さんお母さんが子供ために、お爺ちゃんお婆ちゃんが孫のために買い物をしてる姿は何故かよく目に付いた。 自分の子供や孫が喜ぶ姿を目を細めて見てるシーンなんかを勝手に想像すると、なんだか胸にジ~ンと来るものがある。 もちろん、僕の勝手な想像上の話なので本当にそうなのかどうかはわからない。







 時はクリスマス。 この地球上の誰にでもこの日は来る。 クリスチャンだろうが、何だろうが関係ない。 正直、家族が近くにいない人や、恋人がいない人にはちょっと辛い一日かもしれん。 しかし、街の浮かれているそんな様子に自分もちょっと浮かれて乗ってみるのも案外悪くないのかもしれない、と思わせるそんな真夏のクリスマスの頃だった。





 サンチャゴは本当に大きな街だ。 僕のお世話になっていた宿は、南米の街の中心に必ずある Plaza de Armas アルマス広場 の隣の区画にあった。 宿を一歩出れば、そこはもうサンチャゴのど真ん中だった。 そこを行き交う人々や林立するビルの真ん中にその宿はあった。 ボリビアの、しかも国境の荒涼とした土地を通ってきただけに、そのギャップは大きかった。



 そのアルマス広場に行くと、そこに集まる人の数に少し驚いた。 広場というか、いわゆる公園なのだが、そこではそこを通り過ぎる人の数と同じくらいそこで何かをしている人がたくさんいた。 近くに商業エリアがあることから、人の流れは激しい。 しかし、視点を「 そこを通り過ぎる人々 」から「 そこにいる人々 」に向けるといくつか面白いことが見えてきた、、、






 チェスに興じる人々がいる。 真昼間からアルマス広場の端っこにある東屋の下と周りで、たくさんの人々がチェス盤を挟んで勝負している。 その姿、ここが都会のど真ん中と言うことは関係の無いようだ。 それが日本で同じようなことがあるかと言ったら、そんなことはないと思う。 働いているはずの世代の人々が真昼間から、公園でチェス、、、

 もしかしたら仕事の休憩時間なのか? もしかしたら定年したのか? もしかしたら休職中なのか? そういう背後関係は置いといて、そこでのチェスの一勝負のためにこの人々はここへ集うのだ。









 広場の反対側には絵描きがたくさんいた。 それぞれが自分の絵を自作のつい立にかけて売りに出している。 風景画や肖像画、似顔絵に風刺画、、、 人々はそれぞれの才能を思い思いに発揮している。 そばを通る人たちは足を止めたり、それを横目でちらりとやっている。 

 僕はそれを眺めていた。









 そこから背の高い木々が植えられている場所を通ると、日向ぼっこをしている人がいる。 昼寝をしている人がいる。 散歩をしている人がいる。 近くで買ってきたサンドウィッチを食べてる人がいる。

 こんな都会の真ん中で、人々は思い思いの時を過ごしている、、、 そう思うと、何だか少し肩の力が抜けた。 というのも、都会の人ごみの中では誰しも肩に力が入るだろう? 人の目が多いところなら尚更のことだと思った。 しかし、ここの人々はそうは思わないようだ。 皆が思い思いにそれぞれの時を過ごしている、、、








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by hitoshi280477 | 2004-12-13 09:19 | 未- Chile

Chile vol.1 「 アタカマ砂漠~サンチャゴ 」 -未-


 サンペドロ・デ・アタカマ という街に着いたのはお昼過ぎのことだった。 ウユニ塩湖を二泊三日で抜けて来て、午前中にはボリビア・チリの国境に着いた。 他の大勢の外国人旅行者とバスに乗って来たこともあって、「 国境を越える 」という感じがしなかった。 幾つもの国境を越えてきたことで、国境を越えるという非日常的なことでさえも日常化してしまったようだった。



 チリの入国審査は少し厳しいと旅行者の間では評判だ。 といっても、いい加減なペルー、ボリビアとお互いに好きではないアルゼンチンと国境を構えているのだからそれも頷ける。 しかも、ペルー、ボリビアには多量に麻薬が出回っているし、コカの葉と呼ばれるコカインとして精製される前のものなんかはどこでも手に入るし、コカの葉で入れたお茶までもあるのだ。 そんなわけで、ここチリの国境では少し神経質になっているようなのだ。 そして、よくある事だが乳製品や肉類なんかの持ち込みも不可だ。 



 国境では簡単な荷物検査が行われた。







 街は酷暑と言いたいほど、暑かった。 元々、このエリアはアタカマ砂漠というのが広がっていて、聞いたところによると世界で最も降水量の少ない地域だそうだ。 なるほど、確かに乾いている。 日差しもキツいが、それは標高の高かったボリビアでも同じこと、ただ強烈に乾いているのだ。 さらに今朝は日が昇る前からの移動に加え、チリに抜けるバスに乗り換えたポイントは4500mだったのに、ここはすでに2000mも下ったところにある。 その標高差に、気温差に、乾燥した空気に、、、 僕はまいってしまった。



 「 こんなところにいたら干からびてしまうっ! 」



 そう思った僕が街でまず最初にしたことは、ここを脱出する手段を用意することだった。 すなわち移動の手配だ。



 オフィスに行けば、今夜の夜行で一応の目的地である首都のサンチャゴへ行けるという。 無論、下調べをしていたのだからある程度わかっていたが、下調べをしていた情報に間違いがないときは何故か爽快な気分になってしまう。 詳しく尋ねると、この先のカラマという街から、通常の座席とセミカマと呼ばれるリクライニングよりももっと快適な感じのものがあるとのことだ。 サンチャゴまでの24時間、出来ることならゆったりとした席で行きたいものだが、料金の差が二倍ほどあっては選択のしようがない。 しかも、座席でさえ$31する。 要はこれからすぐにサンチャゴに向かえるかどうかのなので、少々体も疲れていたが、安い座席のチケットを買うことにした。






 「 チリの道路は快適だよ 」



 と、ここを通った旅行者なら誰しもが口を揃えてこう言っていた。 確かにその通りのようだ。 今まで都市と都市を結ぶ高速道路でさえ、危なっかしいところが多かったが、ここは本当に快適だ。 もちろんバスも良いヤツだということはわかるのだが、やはり道路がしっかりしている。 それに付け加えて、あまりに久しぶり過ぎて交通規制がまともに機能しているということに気づいたのはもうバスがカラマの街に到着する寸前の頃だった。 車がちゃんと決められたレーンを走り、信号が変わるまで待ち、人を優先する、、、 そんな日本では当たり前だったことが、外国では当たり前でないことが多い。 そんな中で、チリのこの快適なバスに、整備された道に、ちゃんと尊守されている交通規制に、、、 僕は南米におけるチリの国としての水準の高さを感じた。







 快適なバスは順調にキチンと整備された高速道路をひた走っていた。



 窓の外に目をやると、たくさんの緑が見えた。 きっと葡萄だろう。 背丈よりは高く設置された網目状のネットにぐるぐると巻きつくようになっている。 僕のいつか見た写真の中の葡萄畑はたしかそんな感じだった。 それに、ここチリはワインの名産地として有名なのだからほぼ間違いなく葡萄だ。 バスの窓からは少し距離があるため、実がなっているかどうかまでは確認することは出来なかった。 バスが幾らか進んでも、その畑はまだ続いていた。 ふと、コロンビアでのことを思い出した。 コロンビアの車窓からはコーヒーの豆がなっている背の低い木がたくさん見えた。 その地の特産品とはこうも目に見えるものかとつい笑ってしまうが、本当にそうなのだ。 僕はコーヒーの国からアンデス山脈を越えて、ワインの国へと足を踏み入れたんだ。











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by hitoshi280477 | 2004-12-11 09:17 | 未- Chile

Bolivia vol.7 「 Salar de Uyuni ウユニ塩湖 」


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「 Salar de Uyuni 」 ウユニ塩湖、、、 世界最大の塩湖といわれる地。 学術的には「塩原」。

見渡す限りに続く真っ白な世界は、まるで別の惑星を訪れているかのような錯覚を引き起こす。

このような光景が、標高3700mを越えるアンデス山脈の一部だということに驚かされる。



富士山の頂上と同じくらいの高さにある、四国の半分くらいの面積の塩湖、、、 スゲェ規模の話。


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「 塩の山 」 小さな山を作って乾燥させている。

地元の人は、ここで生活に必要な塩分を手に入れることが出来る。

また、商売もしている、、、 ので、上ってはいけない!?

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乾季のこの時期、大地は真っ白に染まる。

それは、ここがかつて海であったことを教えてくれている。

この光景を前に、地球が生きていることを実感する、、、 感動。


ちなみに、雨季の時期にはこの塩湖一面にうっすらと水が張る。

その様子は映像で観たことがあったのだが、その水面に空が映って、、、

まるで空に浮かんでいるような不思議な光景。


次回来る時は、絶対雨季!!


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通称「 塩のホテル 」 実際に宿泊可能とのこと。

その全てがここの塩で出来ていて、内部にあるベッドから、テーブルから、何から何まで、、、

きっと塩による乾燥が酷いだろう、、、 が、ここに泊まると塩湖に浮かぶ朝日が拝めるとっ!?

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「 Isla de Pescado 魚の島 」 真っ白な世界に存在する普通、、、 でない異常な島。

遠くから見ると、その島の形が魚の形をしているからそう名付けられたそうな。

残念ながら、ここには魚は存在していない、、、 たぶん生物は無理。

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島にはたくさんのサボテンが生息している。

というか、この極度の乾燥地域ではサボテンしか生きられない?

高台に登ると、そこからウユニ塩湖の真っ白な世界を満喫できる♪

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ウユニ塩湖を離れると、今までのそれとは一風変わった雄大な景色が広がっている。

湖や山が多い。 ちなみに、手前の湖はたくさんのフラミンゴが生息していて、奥の山は活火山、、、

およそ人の住めるような環境ではなく、そこには自然界のありのままの姿がある。

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真っ赤に染まる湖。 きっと塩分濃度が高いとか、どうとかそういうことなのだろう。

ちなみに、緑の湖というのも存在する。 実際、そこまで緑ではないものの、やはり奇景なり。

この辺りも標高3500mくらいの筈。 つまり、非日常的な世界なのだ!

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アンデス山脈にはこういったラクダっぽい動物が多々生息している。

これは恐らく、「 ビクーニャ 」。 他種のリャマやアルパカも似たような感じ、、、 かなり大雑把だが。

ちなみに、このビクーニャの毛はかなりの高級品で、100%だとコート一着数百万円とも!?

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岩陰に潜むウサギ、、、 超可愛い! ちょっと居眠り中?

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「 albor de piedra 石の木 」という名のこの、、、 石? 木?

こんなんが大地に突き刺さっている、、、 というか、大地から生えている!?

高さは推定で約6mくらい、、、 自然はやっぱり妙だ。 

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朝一番で訪れた場所、、、 一体ここは何処!?

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地球の息吹を感じる光景、、、

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まるで地獄絵図のような場所。

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「 ウユニ塩湖 」の存在は旅人伝いに聞いていて、是非とも訪れてみたかった場所だった。

実際、塩湖にいた時間というのは2泊3日のうち数時間と短かったものの、結果としては大満足♪

それもこれも、ウユニの、、、 アンデスの、、、 地球の自然の姿を目の当たりにすることが出来たから。


標高4000mを越えるこの地が、かつては海の中だったことを教えてくれたり、

火山や湖や動物やらが教えてくれたことは、、、 他では学べないことだと思う。 猛烈感動!

そして、こんなとこで温泉に入れるということも!? ちなみに、付近には凍った水溜りが、、、







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by hitoshi280477 | 2004-12-07 11:13 | Bolivia

Bolivia vol.6 「 ウユニ塩湖ツアーに参加するまで、、、 」

a0086274_16584241.jpg 目が覚めるとそこには見渡す限りの真っ白な世界が広がっていた、、、

 どうやらここに来るまでの移動中、車の中で眠ってしまっていたらしい。 きっと昨晩の短すぎた夜行バスのせいだろう。 夜の7時半に「 ポトシ 」を出発したバスは、夜中に一度故障かなんかで止まったものの、まだ夜も明けきらぬ午前3時頃に予定通りに ウユニ の街に到着した。

 こういう時に限って予定通りに着いてしまうのがボリビアの不可解なところなのだが、、、 夜行バスで移動中の時間を睡眠時間と照らし合わせて考えていたので、下調べの段階で移動時間が短いことは知っていた。

 だからこそ、チケットを買ったポトシのオフィスで僕はウユニ到着後バスの中で寝れるかどうかちゃんと確認していたのだ。 にも関わらず、ウユニに着いた途端に「 バスを降りろ 」と言われたのだった。 



 こういった不可解で、不愉快な事件はこういった国ではよく起こるのである。

 そした、それは起きて欲しくないときに限って起きるのだ、、、

 今回のように!



 既に荷物が放り出されていた事もあって、とりあえずバスを降りて、荷物を確保することにした。 半開きの目で辺りを見廻すと、どうやらここで全員がバスを降りているようだった。

 よく見ると、そこはバス会社のオフィスの目の前だった。 時計を見ると、午前3時半頃だったのには正直驚いた。 、、、予定通りの到着なのである。





 とりあえずバスの運転手に抗議すると、「 オフィスの中で寝ればいい 」というではないか!? そんなこと知ったことか、という運転手の態度は気になったがそれ以上に眠くて、寒い。

 「 それなら、そうと、、、 」と思いつつ早速オフィスの中に入ると、そこには既に到着したばかりの人と荷物、更に5時半発のバスを待つ人と荷物でごった返していた、、、 眠る場所などないのだった。



 頭にきたので、オフィス内の机の後ろを他の日本人旅行者と占拠した。 場所取りを始めた時点で、オフィスのお姉さんは文句を言ってきたが、こればかりは譲れない。

 何せ時刻はまだ午前3時半なのだ。 外は暗く、そして冷たい風がびゅーびゅー吹いていたのだから。 お姉さんには気の毒なのだが、僕ら旅行者もお気の毒なのだ。

 ちゃんと事前に話しを着けていたのに、このザマだ。 ガンガンに文句を言ってくるお姉さんの話しをどうしてこちらがマトモに聞くことが出来るのだろうか?

 そんなこんなで夜が明けるまでのとりあえずの場所は確保出来たものの、やはりそんな状況下で眠れるわけはなかったのだった、、、





 朝6時半頃。 まだ早いとわかりつつも、オフィスを後にした。

 実はあの一悶着あった後、オフィスのお姉さんとは和解して、世間話を少ししていた。 しかしあまり居心地の良くないオフィスに留まる理由もないし、それ以上にしなければならないことがあった。 ウユニ塩湖へのツアーを探さなくてはならないのだ。

 明らかに何もなさそうなこの街で、2日も3日も潰すわけにはいかない。 それにはほとんどのツアーが出発する11時頃までには何としても見つけなければならなかった、、、



 オフィスを出ると、辺りにはそれなりの人の数が見えた。 ツアーを主催する旅行代理店は鉄道駅の目の前の広場のあたりにたくさんあると聞いていたので、とりあえずそこまで歩くことにした。 広場に近づくに連れ、だんだんウユニ塩湖へのツアーを記した看板が増えていくのがわかった。 そして、既に通りではツアー用と思われるランドクルーザーを目にすることが出来た。

 きっと何処のツアー会社での同じような内容だろうとタカをくくっていた分、何処にしようか迷ってしまった。 時として選択肢が多いのに困る。

 地元の人の評判はどうかと思い、オフィスのお姉さんに何処かお勧めのツアー会社はないか聞いていた。 他にアテのない僕は、とりあえずそこに行ってみることにしたのだった、、、



 「 RELI TOUR 」 そこが僕が聞いていたツアー会社だった。

 早速オフィスの目の前で勧誘され、奥の部屋でツアーについての説明を聞かせてくれた。 ここに来る旅行者の目的は唯一つ、ウユニ塩湖へ行くためだけなのだが、そこへは自力で行くことは出来ない。 出来なくもないのだが、自力で移動をしていない僕のような旅行者は皆こうしてツアーに参加を余儀なくされるのだ。 その分向こうは慣れているので安心できる。 ある意味、安心できない部分もあるのだが、、、

 用意されたツアーマップを元に、簡単な説明は終わった。 どうせ何処も同じなのだろうと思って聞いていたし、半分寝ていたのでほとんど聞いていなかった。 肝心なチリまでの所要日数と今日中に参加出来るかどうかだけは確認した。

 そして、残るはメインの「 ラスト・プライス・バトル 」だ。



 「 $65 」

 「 ふーん、でももう少し何とかならない? 」

 「 これは何処のツアー会社でもほとんど同じなのよ 」

 「 何処のツアーでも同じならそっちも確認しに行かなきゃ 」

 「 、、、 」



 「 あなた学生? 学生なら学割で$60にしてあげる 」

 「 学生ですっ!!( 偽学生ですが、、、 ) 」

 「 じゃあ、$60にしてあげるからいいわね? 」

 「 でもボリビアーノしか持ってないけど 」

 「 そしたら、、、 」 ピッ、ピッ、ピッ、、、



 484.8Bs



 「 んっ? ちょっとおかしくない? 」

 計算機を元にはじき出された数字は、ちょっとおかしく思えた。



a0086274_16585753.jpg どうやらお姉さんは$1=8.08Bsというレートで計算したいたらしい。 しかし、首都のラ・パスでは$1=約8Bsというか8を切っていた時もあった。 ここが為替レートの妙なところなのだが、US$から両替するときにはBsの数字が大きいほうが良い。 しかし、反対にBsをUS$にするときはBsの数字が小さいほうが良いのだ。

 至極当たり前のように聞こえるが、ここで注意しなくてはならないのは折角交渉して安くなっても、US$払いのものを、地元の通貨( ここではBs=ボリビアーノ )への換算レート次第では結局安くなっていない時があるのだっ!

 と、いうことで「 その端数を切った480Bsでっ!! 」とそのお姉さんを押し切ったのだった。 こちら側に選択権があるので、話はすぐに決まった。 むろん話しがまとまるという時点で、向こうにはちゃんと利益が出るのだから問題ないのだ。  勝つとわかっている交渉ほど楽チンなものはない。

 お姉さんも「 商談 」がまとまって、どこかニッコリ、、、



 これで、南米旅行のハイライトの一つというべき「 ウユニ塩湖 」へ出発できる、、、






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by hitoshi280477 | 2004-12-06 11:11 | Bolivia

Bolivia vol.5 「 ポトシ鉱山・・・3K以上@標高4000m! 」

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 ボリビアに世界最大規模の銀山がある。

 スペイン人の到来した16世紀半ばに発見され、今日ではボリビアの経済を支えるほど大きな産業へと発展している。 ポトシ という街はその鉱山で働く人々の為にあるような、そんな街だ。

 そしてここは標高4070mもある世界最高所の都市ということでも知られている。



 実はこの鉱山、旅行者たちもツアーで訪れることができる。

 ツアーといっても、作業服やらヘルメットやら長靴やらをしっかりと装着して鉱山の中に入るという実に本格的なものだ。 参加費用は旅行代理店によってマチマチだが、30-50Bs( 約500-600円 )なので参加費用だけは気軽なものなのだ。 各代理店によって訪れる場所が違うので、今回は高めの料金のところにすることにした。



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 ツアーは朝早くから始まり、まずは作業着を選ぶところから始まる。 作業着とはいっても、所詮観光客用なので簡単なもので、ただサイズ選びだけするといった感じ。

 続いて、自分たち自身と訪れる現場の鉱夫たちへの差し入れなどの買出しだ。 しかし、まずここで僕が買わなければいけなかった物といえば、防塵マスクだ。 何でも鉱山内は結構埃がすごいらしく、これがなくては危ないらしい、、、 そして、差し入れとしてガイドの勧める物を数点購入。 水やジュースといった飲み物類。 コカの葉。 96度あるアルコール。 そして、、、 「 ダイナマイト 」!?。

 飲み物の差し入れはわかるが、何故コカの葉なのか? 何故96度もあるアルコールなのか?? 何故ダイナマイトなのか???




 「 コカの葉 」

 鉱山労働者たちは鉱山内ではこれを口に含んだまま仕事をするのだそうだ。 何でも200枚ほどを一度に口に含むらしい。 一度口にすると効能が約4時間ほどもつとのこと。 なので、鉱山内では誰もが口をモゴモゴしていたり、口の中に溜めてあるコカの塊がたこ焼きのように他の者には見える。 ちなみにこのコカの葉をちゃんと精製するとコカインになるらしい。


 「 96度のアルコール 」

 これだけ度数が高ければ、もはや飲み物としてのお酒ではないのだろうが、どうやら鉱山内ではこれが必要になるらしい。 「 素面しらふではやってられねーっ!! 」ということなのだろうか?

 「 ダイナマイト 」

 鉱山内ではTVや映画で見たことがあるようなサイズの小さなダイナマイトを使って、ところどころ爆発させて鉱物を採る。 ここでは小さな商店でも購入でき、気になるお値段は、、、 なんと、120円! 


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 最初に訪れた場所は銀の精製工場。

 鉱山から採れた銀の混じった岩のような物体をここで粉砕機にかけ、水を混ぜて粘土状にする。 そして、軽くこして、、、 と、ここではここまでなのである。 驚くことにとても精製工場とは思えないほど簡単な作業しかここではやらないのである。

 やらないのか? できないのか? それはわからないが、銀を含んだ粘土状のものはここからチリへと運ばれる。

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 鉱山を背景に記念撮影をしたところで、入山準備に取り掛かった。



 現在の鉱山労働者たちはバッテリー式のヘッドライトを使っているのだが、どうやら僕らは旧式のものを使うらしい。 旧式のものとは、腰には鉄製の筒を付け、その中に硝酸?と水を混ぜたものを入れておく。 そして、その筒からヘルメットにあるランプの先端まで繋がれたチューブの中を可燃性のガスが通じているという仕組みだ。

 というわけなので、ヘルメットの先にあるランプからは火が「 ゴーッ、ゴーッ 」いいながら常時出ているのである。 何とも原始的で、恐ろしい装置だが、ガイドによると何でもこのほうが鉱山内で有毒ガスが出たときにすぐ察知できるから安全だとか、、、

 しかし、プラスチック一枚隔てたおでこのところで火が燃え盛っているのである。 落ち着けるはずはないのである。 


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 鉱山内部へはトロッコ用に用意されたレールずたいに進むことになる。 このトロッコは内部で掘り出された鉱物を外へ運び出すためのものだ。

 しかし、数台あるトロッコに対してレールは一つのみ。 どうやってすれ違うのかというと、空のほうの一台がレールの両側に逃げるスペースがあるところで、脱輪させよけるのだ。 空のトロッコとはいえ、見るからに重そうだ。 これを毎回やるのである。 大変な作業だ。

 鉱山内を蟻の巣のように走っているトンネルは全部で約4Kmあるとのこと。 それを3時間ほどかけて行くのだそうだ。

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 鉱山内部は相当厳しい環境だ。 薄暗く、蒸し暑く、空気が希薄で、埃っぽい。 その中で鉱山労働者たちは食事もとらずに、コカの葉のみを口に含んでの長時間労働となる。 確かに素面ではやってられない仕事のようだ。



 僕の見た鉱山労働者の多くはまだ十代後半の面持ちをしていた。 話を聞くと、みな12歳ぐらいからこの鉱山へ稼ぎにやってくるのだという。 早くから安定した収入を求めて、この劣悪な環境の仕事をしに来るのだそうだ。

 まずはトロッコ押しといった単純肉体労働から始まって、その後徐々に鉱物の探索・掘り出し、爆破物の取り扱い、重機械の取り扱い、、、 などとキャリア・アップしていくとのこと。

 単純に見えるが極めて過酷な仕事ばかりだ。 何よりもまず危険が伴うだろうし。



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 そんな鉱山労働者たちがそういった危険な作業を無事に、またより多くの銀を採掘出来る事を願って祀っているのが、 地母神である「 パチャ・ママ 」だ。

 何処の鉱山内部にもこのパチャ・ママの像を建てて祀ってあるらしい。 このパチャ・ママは見た目はとても訝しいのだが、地元の人々にとってはスペイン人に無理やり押し付けられたキリスト教以前からあるもので、今でもインディヘナの人々が多い地域には祀られてあることが多い。

 その神の目の前で僕らは先ほど購入した96度のアルコールを一口ずつやるのだが、、、 傍から見たらとても正気の沙汰には見えないことだろう。

 何せパチャ・ママは女性のおっぱいに、男性の性器を兼ね備え持ち、口には煙草を吹かしているのである。 そして、僕らはトンネルと呼ぶよりはむしろ洞窟のような場所にあるその神の目前で、喉が焼けるほど強いお酒を飲み交わしているのである、、、



 話で聞いていた以上にここで働く鉱山労働者の環境・待遇は大変そうだった。

 何でも、この過酷な労働の見返りとしてもらえるお給料は一日あたり$3くらい。 それでも、ボリビアでもらえるお給料としては良い方だそうだ。

 しかしながら、体を酷使し過ぎて壊す人や、50代で引退しても肺の病気で早くに亡くなる人が多いそうだ。 以前にはそんな状況の改善を求めていろいろと事が起こったらしく、鉱山労働者にも選挙権やなんやらかんやら認められたらしいのだが、それも昔と比べて別段に良くなったわけではないということだ。





 「 3K 」なんて言葉がいつか日本でも話題になったことがあった気がする。 それはここの鉱山で働く人たちにはどう見えるのだろう? まるで、自分の命を削るかのごとくで収入を得ている人たちが今日もここにいる。

 スペイン統治時代の搾取される時代は過去のことかと思われがちな今日この頃であるが、この現場を見ればそれは今もあんまり変わらないのではないか?と、思わずにはいられない。 もちろん昔と違うのは、昔よりは少し生き方の選択肢が広がったように思えるところだけである。

 しかし、日々の収入を得るための選択肢や、生きていく厳しさはそうあまり変わらないようだ。



 嗚呼、この世界はこうやって形成されているのだろうか?



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by hitoshi280477 | 2004-12-05 11:06 | Bolivia

Bolivia vol.4 「 インディヘナのおばちゃんたち 」

 アメリカ大陸に住む先住民族が「 インディヘナ 」と呼ばれるようになって久しい今日この頃である。

 元はと言えば、かの有名な「 クリストバル・コロンブス 」が欧州からアジアへの航路を探し求める旅路で偶然見つけたアメリカ大陸をインドと間違えて、そこの先住民族を インディアン と呼んだのが事の発端だ。

 先住民族にとっては甚だ迷惑な話だろうが、数百年経った今、その張本人はこの世にいなくても、インディアンという呼称は一般的になってしまった。 ちなみにスペイン語では「 インディヘナ 」という。



 「 インディヘナ 」と呼ばれる人たちの定義だが、いわゆる先住民族で、先祖はまだベーリング海が繋がっていた時代にアジアより渡ってやって来たモンゴロイドだ。

 「 日本人に似ているか? 」と聞かれれば、「 まあ、、、 似てるかもね? 」と答えてしまうくらいには似ていると思う。 そして、数千年経った後、スペイン人の到来・支配の時代がくる。 その時代、400年ほど続いたわけだが、スペイン人と地元インディヘナの混血化が進んだ。 カテゴリー分けすると、、、


 純スペイン人

 純スペイン人を親にもつ南米生まれのスペイン人

 メソティーソ = スペイン人とインディヘナの混血

 インディヘナ = 先住民族


 という具合になっている。 そして、ここボリビアは南米の国の中で他の国に比べてインディヘナの人口の割合が高い。



 武力で人を制していた時代の名残が、実は今も見ることが出来る。 街を歩けばそれがわかる。

 単純労働や、肉体労働、いわゆる3Kなんかはほとんどインディヘナの人々の仕事だ。 街に溢れている露天や屋台、庶民の台所と呼ばれる市場で働いている人たちだってほとんどインディヘナだ。

 逆に、銀行やオフィスワークなどの仕事、いわゆるホワイトカラーの仕事をしているインディヘナを僕は見た記憶がない。 これはどう考えてもスペイン統治の名残が今もあると言えるだろう?





 インディヘナとはどういう人たちなのか? わざわざ定義する必要はないが、僕が個人的に思うには、、、



 「 自分勝手 嘘を平気でつく 不親切 無関心  いい加減  がめつい 短絡思考 」



 こう書き出してみると、とても酷い人種のように思えるが、本当のことだと思う。 別に個人的にうらみがあるわけではない。 もちろんインディヘナの人々全員が全てに当てはまるわけではないのだが、でもほとんどの人はこんな感じだ。 特にインディヘナのオバちゃんはすごい、、、



 話に聞いていたのは、大型バスで移動中に突然通路で用を足す、隣に座っていた旅行者の服で食事で汚れた手を拭く、人の荷物を踏みつけたりする、などだ。

 そして、何でもすぐ口に出す、、、

 というか、逆に言いたいことはたくさんあるっ!?


 悪口や愚痴なんかを念仏のようにずっと言い続けるのはやめて欲しい。

 そして、ボッてくるのもやめて欲しい。

 オバちゃん同士、つまらないことでしょっちゅう口喧嘩するのもうるさいのでやめて欲しい。

 いつも「 チーノ、チーノ ( 中国人 )」とか言うくせに、何か物を買って欲しいときや、手伝って欲しいときだけ「 Joven ( 若者 若い人 ) 」とか呼ぶのは頭に来るのでやめて欲しい。



 と、まあこんな感じなのだが中には良いオバちゃんもいたりする。 ごく稀に。



 インディヘナの人々の今の暮らしを見れば、そういう風になってしまうのも致し方ないとも思える。 スペイン人到来以来ずっと大変な思いをして生きているのだろうか、しょうがないのだろう。 と、言えるくらいまでに止めておいて欲しい。



 インディヘナのオバちゃんたち、、、 僕の出会った民族の中で一番濃い印象が付いたのは言うまでもないわな。

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by hitoshi280477 | 2004-12-04 11:05 | Bolivia

Bolivia vol.3 「 ペーニャの熱い夜 」

a0086274_20145147.jpg 「 南米 → アンデス → フォルクローレ 」というのが、ここ南米に来るにあたって僕の頭の中にあった。 

 いつか何処かで聞いたような、あの哀愁漂うフォルクローレを本場で聞いてみたい。 それはここボリビアに来て、現実的になった。 というのはフォルクローレとは、どうやらボリビアの音楽そのものだからだ。

 実は本を読むまで、フォルクローレというのはアンデス山脈一帯に広がっているものと思っていた。 何故かそう勝手に思い込んでいたのが今日まで続いていたのだ。

a0086274_2015126.jpg ラ・パス到着後、調べてみるとフォルクローレはどうやら「 ペーニャ 」と呼ばれるライブハウスで行われるのが普通だそうだ。

 1時間半ほどの長い前座っぽいのが終わると、遂にここ「 マルカ・タンボ 」の看板スターがやって来た。 そう、、、 彼は見るからにスターなのだ!

 一人白いジャケットをまとった加山雄三氏タイプの人、、、 その格好が既にスター!?

 さっきまでのりのりで司会を担当していた人も、彼が登場してからは少し控えめになってしまった、、、


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 ここへは他の旅行者の誘いについて来ただけなので、あまり下調べをしていなかったので誰が何をどうやるのか何て何も分かっていなかった。

 そう、僕はわかっていなかったのだが、、、 彼の登場で最初の1時間半は前座に過ぎなかったことがわかった。

 そして、彼が本当にここのスターだというのは、他の観客の彼に対する注目の仕方から容易に察することが出来たのだった。


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 「 ぺぺ・ムーリョ 」

 このペーニャで活躍する長寿バンドのボーカル兼チャランゴを務める。 かなり年季が入った人だというのは、その余裕さえ感じられるにこやかな表情と、痛快なトークから誰でも感じられるところだろう。 良い顔をしているのである。

 聞けば、ここボリビアではかなりの有名人らしく、フォルクローレを学びたい人たちのための学校も経営しているとか?


 もちろんその腕前も、25年以上にわたるキャリアを裏づけさせるものが素人の僕にでさえ感じ取れるほどだったのは言うまでもない。

 挨拶程度のオープニング曲からでさえ、彼と彼らは圧倒的に本物だった。

 どうみても初老の人たち揃いなのに、あの迫力を見てしまえば、それは信じがたいところだ。 

 「 まだまだこれからっ!! 」というのを彼らから感じぜずにはいられないのだ。

 そして、パンチの効いたぺぺのトークが会場を更に盛り上げていった。 そして、、、




 宴もたけなわ、、、

 ぺぺがこちらを見て何かを言っている。 きっと「 今宵は日本からも観に来ている人たちがいるから、、、 」などと言っているのだろう。 そう思って、少し愛想笑いをしていた僕ら日本人旅行者は驚いた、、、 聞いたことがあるメロディーが流れてきたのであるっ!



 曲は「 上を向いて歩こう 」だった。



 しかも、ぺぺが出だしの部分を歌っているではないかっ!!





 異国を旅する旅行者にとって、とても嬉しくなる瞬間というのがある。 それは祖国日本の言葉や、食べ物や、Made in Japan製品や、国旗などを含む日本の文化を遠く離れた異国の地で接するときだ。

 「 愛国心 」というのが取り上げられる昨今の世の中だが、一人国を遠く離れたところで日本の文化に接した時のことを思えば、僕の中には愛国心というのものの存在を否定することは出来ない。



 う~え~を向~いて

 あ~~~るこうおうおうおう~~

 涙が~こ~ぼれ~

 な~いようおうおうおうに~~



 大声で歌っていた。 最初は突然の展開に戸惑っていたものの、元々好きな歌だし、あまりにも嬉しくて本気で歌っていた。



 本当に涙が出そうになった。 単純なのだ。



 曲はちゃんと最後まで演奏してくれた。

 歌っている途中に周りのテーブルに座っていた人たちが大声で歌っている僕ら日本人観光客を微笑ましい顔で見ていたのか、訝しい顔で見ていたのかは知る由もなかったが、終わった後の拍手を聞いて、きっと良かったのだと勝手に解釈した。

 終いには「 ありがとう、ぺぺッ!! 」という気分になっていた。



 その後もスター率いる長寿バンドの演奏は続き、他の色んな国から来ていた観客たちに、僕たちの時と同じようにその国ゆかりの?曲を数曲演奏した。 そして、ボリビアの音楽と続き、ぺぺの声はますます張りが出て、バンドのメンバーも一心不乱に演奏し、舞台は大盛り上がりとなった。





 ペーニャを後にする時、僕の心の中は何とも言い難い充実感で溢れていた。 正直言うと、僕が想像していたような「 あの哀愁漂うアンデスの音楽 」という感じではなかったというのはあった。

 しかし、そんなことはもうどうでも良くなっていた。 ぺぺや、他のバンドのメンバーのあの熱い演奏を前にしてはそんなことはどうでもいいのだ。

 長寿バンドと形容されるように、皆本当に初老の人たちばかりだ。 なのに、あたかも今が全盛期のようなあのバンドのメンバーを見て、僕は何だか少し勇気を分けてもらったような気になっていた。

 というのも、僕の知っているあの年代の人々の中で彼らほど精力的で、格好良い人はそういないだろう。 誰にでもいつかその年代に入る時が来る。 僕もこれからは体力的には衰える一方で、いつかはその年代になる、、、 正直、少し怖い気もする。 しかし、、、



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 僕は思った。


 人生の全盛期なんてものはいつなのかわかりゃしないもんだ。


 輝いている人は、輝いてる。







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by hitoshi280477 | 2004-12-03 11:03 | Bolivia