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Indonesia vol.7 「 最後の楽園? 」

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 バリ島は、人口2億人を越えるインドネシアの一万数千程ある中のうちの一つの島だ。 「 最後の楽園 」、「 豊饒なる島 」、「 サーファーズ・パラダイス 」、「 バックパッカーの聖地 」、、、 などなど数々の肩書きを持つ島、、、

 人々にそう言わしめ、人々を魅了する島、、、

 赤道にほど近い南国の島として、独自の文化を育んできた島、、、

 そこを訪れたことがある者ならば、皆きっとそう感じてしまうのは何故なのだろうか?



 そもそも、インドネシアそのものはいわゆる大航海時代から、今日に至るまで欧米列強の前に散々な思いをしている。 特に、オランダの支配に、イギリスの横やり、第二次世界大戦時における日本の進駐、、、 近代でも、その政治腐敗、産業の鈍伸から、経済的には厳しい状況を強いられており、いつぞやの「 アジア金融危機 」では大打撃を食らった国のうちの一つだ。

 もともと、強い地盤産業などは農業以外は存在せず、農業で自給自足をしていた国なのだ。 石油がある程度採れるらしいが、その原油をちゃんと最後まで精製する技術がないと言う。 そして、その人件費の安いことに目をつけた外国企業の進出や増え続ける外国人観光客のお陰で、人々の生活は大きく変わってしまったようだ。

 しかし、いつしかその外からの経済力に頼ってしまっていたインドネシアがコケるのは、想像するに難しくない話だ。 特に、スハルト統治時代の政治の失敗、アジア通貨危機やなどがもたらした外国企業の撤退、通貨ルピアの大幅な下落と尋常でない早さで進んだインフレーション、、、 外の力に頼ってしまっていたインドネシアとその人々は、大変な思いをしてきたことだろうと思う。

 これは、「 バリ島然り 」だ、と思う。


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 僕が思うに、きっとここを訪れる多くの観光客はそんなことに目を向けはしないだろう。

 観光客は「 最後の楽園 」とか、「 魅惑のバリ・リゾート 」とか、そういった第三者がどこからか盗って付けたようなうたい文句に釣られて来ていると思われる。 この島にもともと存在しない、「 リゾート・ホテル 」とか、「 スパ 」とかに行って、「 バリ島って素敵な所ねっ! 」とでも言っているのだろう?

 それで、ここは本当に「 最後の楽園 」たるべき場所に成り得るのだろうか?



 そういった類いの観光客は、ここで暮らす人々の生活の苦しさを(あんまり表情からは読めないが)感じたりすることはきっとないであろう。 あれだけ街に溢れるお土産物屋さんに、バイクタクシーの運転手たち、、、 ゴミ拾いをしている子供たちだって、実はたくさんいる。

 そんな現状の島に、人々は何故「 最後の楽園 」などと、至極勝手なネーミングをするのだろうか?




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 しかし、「 豊饒なる島 」とは本当のことだ。

 バリ島に走る整備された道を行くときだって、その村や街の内外に、力強い緑の田んぼが広がっている。 特に、「 ライス・テラス 」と呼ばれる棚田は見るものの心を奪う程に美しい。


 燦々と降り注ぐ太陽の光が、まだ若い稲穂を照らす様子は言葉にするのは難しい。

 その束の間の自然との一体感に、人は心が和み、癒されることと思う。

 それと同時に、自然そのものの素晴らしさを再認識するときでもある。





 バリ島の内部をバイクで移動すれば、その緑の多いことに驚かされずにはいられない。 稲穂や椰子の木、バナナの木などはもちろんだが、熱帯性気候独特の植物が、そのバリの自然を構成しているのは言うまでもない。 実に清々しい気分にかられる。 


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 バリ島独特の文化の中のでも、「 アニミズム(精霊崇拝) 」というのは実に興味深い。

 バリ島の人々が自然に限りなく近い暮らしを近年でもしていたのは、このアニミズムが根底にあることと思う。 人々は、自然を崇拝している(はず)だし、またこの世界に潜む精霊、物の怪、悪霊、地震や火山の噴火などの超自然界への恐怖、、、 それらに宇宙を統べる神の存在と、災いの元凶である魔物の存在を意識した日常生活ないでの行いは本当に興味深い。



 それらに対して、人々はお供え物や祈りを絶やすことは無く、毎日常にそういう行いをしているのだ。 玄関や家の隅、庭先、敷地の端っこ、はたまた電化製品にも悪霊や物の怪が取り憑かないようにお供え物が置かれることもある。

 島であるが故に、そういった独特な文化を持つことは充分理解出来る。 また、これだけの緑、すなわち自然の恵まれている場所ならば、その「 アニミズム(精霊崇拝) 」文化の成立も、説明が要らない程理解出来る話だ。





 結局、三週間程バリ島にいたが、何がどう「 最後の楽園 」だったのかはわからずじまいだった。

 もっとも、何処かの誰かがそううたっているいるだけで、何をもってそう定義するのか、誰をもってそう言うのかは、個人の勝手な判断なのだろう。 それも、ここを訪れる者にとっての「 最後の楽園 」なのか、ここに住む者にとっての「 最後の楽園 」なのか? 僕にとってみれば、それはもうどうでもよくなっていた、、、



 僕が思ったことは、バリ島の独特な文化は、僕を魅了するに充分だったことは間違いなかった。

 それは、自分の目で見てそう感じたからだ。

 「 最後の楽園 」とかそういうことは置いといて、この独自の文化が今後も続いていってくれるのであれば、僕はまたバリ島に魅了される為に、ここを訪れてみたいと思う。

 その頃も、そうであって欲しいものだ、、、

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by hitoshi280477 | 2005-06-19 09:25 | Indonesia

Indonesia vol.6 「 ウブドな日々 」

 インドネシアに来るにあたって予定していたことと言えば、まずはバリでの舞踊鑑賞に、寺院巡り、そして出来たらボロブドゥール遺跡に行くことだった。 もう一つしようと思っていたことは、「 バリ島で少しゆっくりしよう 」ということだった。

 世間一般の人が聞いたら、これを何と思うのだろうか? 特に毎日朝から晩まで働く人々や、働きたくても仕事のない人々が、こんな言葉を聞いたら、、、 まあ、しょうがない。 こちらはこちらで事情があるのだから。

 南米より帰国後、台湾、韓国と周り、そして中2日でインドネシアに飛んできた。 まるで、世界を股にかけるビジネスマンのようなスケジュールだが、特に義務というものが僕の中には無かた。 が、しかし、「 この目で世界を見る 」という至極個人的な使命はあるのだから、、、





a0086274_1012627.jpg バリでは、今までの旅の記録をまとめ、自作しているHPを更新しようと愛機「 iBook 」を持参していた。 半年以上前に、南米はエクアドルで、先代の「 iBook 」を盗まれてしまって以来、思うようにHPの更新が出来ていないのがずっと気がかりだったからだ。

 そのHPは僕にとって、旅の記録である以上に、僕がその日、その時に、自分の目で見たこの世界のことを綴ったものなのだ。 それを、ここバリに来て、ゆっくりじっくりやろうと思ったのだ、、、



 が、しかし、、、 バリ到着後、3日目にして「 iBook 」はダウンしてしまった、、、

 今自分が一番にやるべき事(やりたいことでもあるが、、、)は、「 この目で世界を見ること 」であり、その次に来るのは「 少しでも多くの人に、自分の見たこと、経験したこと、感じたことを伝えるためのHP作成 」であるのに、「 iBook 」がダウンしてしまった以上、そうすることが出来ず、「 ああ、なんたることだ、、、 」と思い、、、 僕は腐ってしまった。  





a0086274_1013877.jpg ウブドの村は、思っていた以上に発展していた。 これが村と呼ぶに相応しい大きさなのかどうなのかは知らないが、村の規模は大きく、バリ舞踊を容易に観ることが出来ること、バリアートに触れることが出来ること、そして村の内外に存在する「 田んぼ 」などが、ここを訪れる者を魅了し、またその数も増えてきている。

 ウブドの村にはたくさんの寺院があって、その幾つかの寺院と、集会所などで舞踊を練習している様子が見られたりする。 その数以上に存在するのが、軒並み建ち並ぶお土産屋さんに、外国人旅行者用のレストラン・カフェなどだ。

 バリの人々はどうやら手先が器用らしく、竹や木材、バティックと呼ばれるろうけつ染めの布など、こちらの天然素材を使用した様々なお土産物が多々有る。 そもそも、ここを訪れる外国人観光客の主な国籍である日本や欧米諸国といった先進国からみれば、インドネシア自体の物価が低いので、お土産は総じて買い求め易い。 もちろんバリ独特の素材やデザインが一番に来ることは間違いないのだが、それでも物価の安さが非常に目立つ。 街を歩けば、両手いっぱいに買い物袋を下げている外国人の姿がよく見られる。

 そんな訳で、ウブド村の中心はいつも賑やかだ。





 僕は、知り合いになった旅行者の勧めで、通り一本向こうの「 プリアタン村 」に滞在することにした。 いつもは面倒で「 ウブド 」と一括りに呼んでしまっているが、実は観光客の言う「 ウブド 」は、幾つかの村だったりするのだ。 この「 プリアタン村 」に滞在することにしたのは、ウブド村の中心にあるような、猥雑な雰囲気のところには行っても良いが、滞在したくはなかったからだ。

 プリアタン村は、外国人観光客用のお店は極端に少なく、地元の人々の民家が多い。 その分、もちろん落ち着いているし、雰囲気があった。 それでも、数年前には存在しなかったアスファルトの道路に、常にスクーターや車が行き交っていたりもする。 まあ、ウブド村の中心地のように、誰かれ構わず「 トランスポート? 」とバイクタクシーに勧誘してくる輩が少ない分、それだけで居心地が良いが、、、

 日差しは強いが、人影の少ない道路を歩く時、僕は何だか小学生ぐらいの時の夏休みに戻ったような錯覚をした。 あの頃、僕は何に追われること無く、気ままに夏を楽しむだけで、むしろその当時は毎日の強い日差しや、暑さそのものを楽しんでいたことと思われる。 ここを歩けば、ふとそんなことを目を細めて回想してしまう、、、 まあ、今も僕自身は大して変わらないようにも思えるが?





 毎日、何をしていたかと言うと、朝6時頃に鶏の鳴き声と伴に起床すると、8時くらいに朝食が運ばれてきて、昼までは旅の記録をノートにまとめ、いつもの昼飯を食べに行き、午後になると再び旅の記録をまとめ、夕方には散歩に出る。 夜、6時から8時の間に夕食をとるか、もしくは舞踊鑑賞だ。 そんなことを三週間もしていた。 もっとも、バリに着いた当初は、旅の疲れと暑さの為に、そこまで精力的に動けなかったが、、、



 宿では、友達の紹介とあって、一泊朝飯付きで40000ルピアと破格の料金で泊めてもらった。 バリでは、外国人は高くつく。 というのも、レストランでとる食事の値段が、そこで働く従業員の日給を超えることもしばしばあるからだ。 そういう国が他に無い訳ではないが、ここはそれが顕著な所とはっきり言えるだろう。

 宿自体は、家の敷地の奥にあるシャワー・庭付きの部屋だ。 朝早くから、6匹の子供と母親からなる鶏の家族が辺りをウロウロとしているのが気に入った。 三週間もいたお陰で、雛鳥たちの成長が見ることが出来、中には鶏冠の出てくる雛鳥も見ることが出来たのは、何だか嬉しいことだった。 日本では普段見ることの出来ない日常の風景が、ここでは日常の風景として当たり前のように見ることが出来た。





 毎日何を食してしたかと言えば、昼は「 とりそば 」、夜は「 ナシ・チャンプルー 」だ。 食事に関して、僕はかなり無頓着なので、毎日同じものを数日は間違いなく食べることが出来る。 旅行中とは言え、個人の自由なのだから好きな物を食べれば良いのだが、僕はことのほかこの二つの料理が好きになってしまい、ほぼ毎日同じものを食べていたのだった。



a0086274_1052723.jpg 「 とりそば 」は僕の泊まっていた家からは、日差しのキツい中を十分程歩かなくては行けないのだが、それでも行く価値のある味の「 とりそば 」なのだ。

 日本の中華麺のようなそのそばは、ハッキリ言えば鶏肉の端っこの部分だけで、鶏肉自体はさほど入っていない。 入っていたとしても、それはあくまで端っこの部分で、ダシのようなので骨がごつごつしていて、ちょっと食べにくい。 ほうれん草のような野菜と、ミートボール、それにニンニクを揚げたものなどがトッピングされている。

a0086274_105593.jpg 単純な感じのするこの「 とりそば 」だが、これがかなりいけるのだ。 さっぱりとしたスープに濃いめに味付けされた鶏肉や、ニンニクが香りと味を添える。 少しチリを足せば、さらに味が良くなる。 これで一杯3500ルピア(=約40円)なのだから、有り難い。 旅行者がレストランで普通にピザなんかを食べたら、大概20000ルピア(=約230円)くらいになってしまうからだ。

 そんな「 とりそば 」なわけだが、僕はこれにハマってしまい、毎日食べに行ってしまった。 お店を賄っている若い子たちも僕が毎日行くものだから、何だか僕に少し興味が湧いたらしく、行く度に会話を交わしたり、たまに他のお客よりもオマケしてくれたりもした。





a0086274_1065593.jpg 「 ナシ・チャンプルー 」とは白いご飯に、野菜や肉といった数種類のおかずが付くもので、値段は「 Mama's Warung 」という小さなレストランで9000ルピア(=約100円)。 一見定食のようなこの「 ナシ・チャンプルー 」、僕はことのほか好きだった。

 というのも、その数種におかずの中の何点かはかなり目新しく、そして美味しかった。 特に、大豆とピーナツを揚げたピリ辛のものと、ココナッツのふりかけは美味しかった。 聞けば、いわゆる「 変わりダネ 」のようなもので、普段は食わず嫌いの僕もこれは美味しく頂いてしまった。

 ここ「 Mama's Warung 」は、宿もやっているのだが、僕は近くの違う宿にお世話になっていた。 にも関わらず、ここに毎晩通うことになったのは、「 ナシ・チャンプルー 」のその味そのものと、ここのおばちゃんたちだ。 なんと表現すれば良いのか、言葉に困るが、まあ「 味のある地元のおばちゃんたち 」と言えば人はわかってくれるだろう。

 毎晩食べても飽きなかったのは、その味がきっとバリの「 家庭の味 」に近かかったのかもしれない、、、

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 ウブドはゆっくり出来る所だ。 なんだかんだで三週間もいついてしまった。 確かに見所も多い、バリ舞踊が見れることや、近くに点在する田んぼや棚田、、、 それでも、ウブドの中心を一歩離れれば、そこにはバリの日常を垣間見ることが出来る。

 しかし、それ以上に感じていたこと言えば。 ある時、家と家の間にある細い小道を歩いていた時に、そこで聞こえる、母の声、子供の笑い声、料理の音と香り、鶏の鳴く声、、、 そんなものが、僕がウブド村を少し近く感じるきっかけになったことと思う。






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by hitoshi280477 | 2005-06-18 09:24 | Indonesia

Indonesia vol.5 「 踊り子志望 」

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 プリアタン村の集会所では、日曜のお昼前に子供たちが踊りを習っていると聞いた。 せっかくだから、その様子を観ようと集会所へと行ってみる事になった。

 その集会所では、歳の頃3~10歳くらいの女の子たちがたくさんいた。 行った頃には、もう練習は始まっていて、みんなそれに集中していたためか、外国人である僕をあまり気にかける様子はなかった。 ぱっと見てわかったことは、踊りの上手なお姉さん組は舞台の上で踊っていて、その他の女の子たちは舞台下の場所で、皆見よう見まねで踊っていた。



 驚いたのは、その女の子たちの年齢だ。 明らかに3歳くらいの女の子も、他のお姉さんたちに負けないように、一生懸命踊りについていこうとしている。 英才教育なのか、なんなのか? こんなにたくさんの女の子たちの全員が、皆ちゃんとした踊り子になれないのは明白だ。 それでも、きっとここバリで、女性の一番の見せ場であり、花形の職業でもあるのだろうから、それを目指す女の子は多いのだろう。



 中には、小さくてもしっかりとやっている子もいるが、一心不乱にがんばっても、ついていけない子もいたりする。 どうして良いのかわからずに、ウロウロ、オタオタしている様子は、そう言ってはかわいそうだが、とても可愛い。 つい、目を細めて観てしまう。 きちんとやっていける子は、それはそれで凄い事だと思った。 何せ、バリ舞踊はことのほか難しいのだろうから、、、


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 皆が、それこそ「 明日の踊り子 」を目指して、練習に励む様子に、僕は正直心を打たれた。

 その女の子たちの純粋な姿に、がんばる姿に、踊る姿に、、、 彼女たちの練習に望む態度から、それは伺うことはもちろん出来るのだが、それ以上に、彼女たちの綺麗で澄んだ瞳が、それに対する思いを物語っているような気がしてならなかった。 いつか自分も持っていたかもしれない、「 何か一つのことに一生懸命励む 」ということの素晴らしさを思い出してしまった。

 彼女たちの澄んだ瞳の奥底に、きっと焦がれる様にある「 踊り子になる 」ということへの希望と熱意。 現実的には難しいのかもしれないが、いつまでも絶えること無く持ち続けて欲しいと、僕は願わざるにはいられなかった。



 夜になれば、お姉さん分である10歳くらいの女の子たちにも出番がやってくる。 知らなかったことだが、彼女たちの何人かは、既にちゃんとプロの踊り子として人前で踊っているのだった!

 所属する団体は、「 ムカール・サリ 」。 なんと女性だけでガムランの演奏をしている。 日中振り付けを指導していた先生は、今度はガムランの中でも重要な部分である「 クンダン(革張りの木製太鼓) 」をやっている。

 しかし、踊りをするのは、あの女の子たちなのだ。 正直、僕は驚いた。 女性だけでガムランを構成しているとは聞いていたが、踊り子たちも女性。 正直、女性と呼ぶには些か早過ぎる年頃の女の子たちが、ちゃんと衣装に髪飾りをして、堂々と舞台の上で踊っているではないかっ! 


 僕にとってその光景は、何だかとても眩くて、心の中に希望と言うか、勇気と言うか、、、 何かに火が灯された感じを受けた。

 まだ年端もいかないような子供たちが、もちろんまだまだ手直しする点は多々あるが、一人前の踊り子として踊っている、、、

 その様子を目の当たりにして、僕は無性に嬉しくもあり、「 僕もがんばらねばっ 」と刺激されずにはいられなかった。





 バリ舞踊と言えば、今ではかなりの知名度があるものになっている。

 観光客用に演じられることがほとんどになってしまったのは本当のことだ。 しかし、だからといって「 バリ舞踊 」というものに対して、外国人である僕が物申す気は毛頭ない。 それどころか、僕はそれらを観させてもらうことによって、充分愉しませてもらい、またバリの文化の一端を理解したような気がする。

 僕は、そこに「 愉しい 面白い 」ということと同じ様に、もしくはそれ以上に、そこにある他の何かが感じられたことを嬉しく思う。 

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by hitoshi280477 | 2005-06-17 19:03 | Indonesia

Indonesia vol.4 「 バリ舞踊鑑賞 」

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 バリの舞踊と音楽は独特な世界感から産まれてたと言われている。

 バリ島民が古くから信仰してきた「 アニミズム(精霊崇拝) 」が、その中心にはある、、、 と。

 精霊、物の怪、悪霊、地震や火山の噴火などの超自然界への恐怖、、、 それらに宇宙を統べる神の存在と、災いの元凶である魔物の存在。 バリの舞踊と音楽は、こうした神に祈り、悪霊をなだめる為に産まれたと言われている。



 古くは呪術的要素が強かったが、現代では演劇的要素の方が強いのは、バリの舞踊と音楽が進化してきているから、と人々は考えている。 宗教儀礼的なものと、物語性の強いもの、そして娯楽性の強いものに分かれるが、今日人々がそれらを目にするのはそれらを混ぜ合わせた観光用のものがほとんどらしい。





 「 ガムラン 」

a0086274_1994424.jpg バリ舞踊には欠かせない音楽のこと。 昔は雨乞いの儀式に演奏されていたそうだが、現在ではその種類や編成は様々で、舞踊や演劇によって異なる。

 青銅製の鍵盤打楽器「 ガンサ 」、小型の銅鑼「 ゴング 」、牛革張りの木製太鼓「 クンダン 」、それに笛などを使用して、総勢25~26名による演奏だ。 その響きの耳に心地好いことは、表現がしにくいほど。 きっと、人がその音色を聞けば、ガムランの産み出す透明感のある音色に、驚きと癒しを感じることと思う。 驚くべきは、実はこのガムラン演奏。 楽譜が存在しないと言う。 なので、演奏者たちは全てを体で覚えなくてはならないのだ。

 その分、練習もたくさんしなくてはならないのだろう。 日が落ちる頃ともなれば、村の寺院や集会所なんかで練習している姿を目にする事が出来る。 日中の蒸し暑さを忘れたいが為、夜散歩がてらに村を歩くと、何処からともなく聞こえてくるガムランの音色に、僕は心奪われずにはいられなかった。 その音色は、他の全てのことを頭の中から洗い流すかのような感じだ。

 ちなみにこのガムラン、竹製のものもあり、それは「 ジェゴック 」と呼ばれている。 大小様々な大きさの竹を組み合わせて、それを木琴の様に叩いて音を造り出す。 特に、重低音はかなり心地好く聞こえる。 鉄製のガムランよりも、竹製のガムランのほうが自然に近い分、柔らかい音を産み出しているようだ。




a0086274_19102017.jpg 観光客である僕が、バリの舞踊と音楽を観るというのは、今の時代では至極簡単な事だ。 というのも、特に「 ウブド 」では、毎夜のごとく、何所かしらで何らかの舞台が演じられているからだ。

 チケットを購入する必要があるわけだが、それも村のいたるところで買える。 大概のものは夜7時頃に始まるので、その頃に村に無数にある会場付近を歩いていれば、間違いなく買える。 値段は50000~75000ルピア(=約550~800円)。

 ちなみに演じる団体と会場は様々なのだが、それもチケット売りや観光案内所で簡単に調べる事が出来る。 席は早いもの順になっていて、人気団体の場合には観客の数が150人ほどにもなる。 観客が多いと、駄目だと言われているのに、フラッシュを使った写真撮影をする人が多くて、興醒めしたが、、、



 そして、大概のものは、序奏、前奏( 楽器の演奏のみ )から始まり、続いて歓迎の舞となる。 その後は、それぞれテーマに沿った演目が続き、最後に締めの演奏をして終わりとなる。 

 その演目には、

 バリス  戦士の舞い。 戦場に向かう戦士の勇敢さを表現したもの。
 レゴン  とある王が、婚約者のいる王女に求愛し、戦うもの。
 タルナ・ジャヤ  若い男性の戦いの勝者を讃えるもの。 女性が演じる。
 トペン  仮面を付けた愉快な踊り。
 バロン  聖獣バロン(獅子舞?)が出てくるもの。

 と、いうものがある。

 また、ジェゴックの舞台では、白鷺や鴨をイメージしたものに加え、「 ゴパラ 」と呼ばれる田んぼで働く農夫の踊りが滑稽で観ていて愉しい。





 「 ケチャ 」 

 恐らく観光客の中で一番観てみたいのが、この「 ケチャ 」だと思う。 それは、上半身裸で、腰布を付けただけの数十人の男たちによる奇怪な踊りだ。 

 もともと、サンヒャン(悪魔払いの踊り)の伴奏音楽だったケチャ。 「 チャッチャッチャッ 」という独特な音とリズムの合唱に、「 ラーマーヤナ物語 」が取り入れられた。 声のガムランとも言えるこの呼吸法が、人々をトランス状態(神がかり的、また忘我状態)へと誘う。 演目中、火を使ったり、演じる者がどこまで正気なのかわからないまま踊りは進んでいので、ある意味ちょっと危ない踊りではある、、、 



 このケチャ、今では週三回村のいつもの集会所で観れたりもするのだが、「 満月・新月 」にはもっと良い形で観れるという。 聞けば、ここバリでは、満月・新月の日には、少し大きめのお寺にお参りに行ったりもする。 そういう訳で、満月・新月のケチャはちょっとひと味違うと言われているが、残念ながら僕は一回しか観たくないので、比較は出来ない。

 それでも、満月の日に観たケチャに僕は満足だった。 寺院の背後から昇ってくる満月が、ケチャの独特な雰囲気に、さらに神秘的な何かを思わせる印象を加えていた。 まあ、観るなら村の集会所よりも、新月よりも、満月なのは間違いない。

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by hitoshi280477 | 2005-06-16 09:22 | Indonesia

Indonesia vol.3 「 バリ人の信仰 」

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 今から千数百年前、インドより徐々に広がったヒンドゥー教は、遥か遠く離れたこのバリ島で、独自の風習を付け加えた形で「 バリ・ヒンドゥー 」として人々の生活に深く関わっている。 もともと、「 アニミズム(精霊崇拝) 」が古代バリ島民の間にあったこともあって、世俗習慣から産まれたヒンドゥー教も広まったのだろう。 もちろん、バリ島にヒンドゥー教が進出してくるには、移民や貿易などというちゃんとした過程を踏まえての話だ。





 それにしても、バリ島民の信仰はかなり独特だ。 話に聞くと、宇宙創造神話や、ナワ・サンガと呼ばれる独特の方位感、誕生・結婚・葬儀などにおける宗教儀礼、神々や祖先に対するオダランと呼ばれる祭りと儀式、悪霊に取り憑かれないように数えきれない程のお供え物、、、 そのどれをとっても、独創的と思う。

 例えば、バリ島民にとって、山は「 神々の住む神聖な場所 」ということになっている。 そこから流れ出す水は、大地に豊饒をもたらすとされ、高い場所=山の上や、川の上流は聖域とされている。 一方、海は「 魔物の住む場所 」とされ、低い場所は不浄の地と考えられている。 その為、以前はバリ人は魚をあんまり食さなかったという。





 結婚に関しては、バリ社会では早く結婚し、子供を設け、家系を繁栄させることが求められるという。 まあ、それは村社会ではよく聞く話で、もちろんいろいろと決まり事も多いらしい。

 結婚の儀に際しては、それを取り仕切る「 バリアン(呪術師) 」を中心に行われる。 それは、いつかネパールで参加した結婚式に似て非なるものがあったのは、やはりヒンドゥーによるところが多いのだろう。

 それにしても、花嫁・花婿の晴れの日の衣装ときたら、、、

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 赤ちゃんについてもいろいろと決まり事が有り、何でも生後42日間はハイハイをしてはいけないそうだ。 というのも、四つ足で歩くのは獣と同じと考えられているからだ。 そして、赤ん坊は悪霊である豚から身を守る為に、赤タマネギのお守りを持つそうだ。





「 オダラン 」 

a0086274_943999.jpg バリでは神々や祖先に対してのお祭り・儀式が多い。 バリ島自体には、大小合わせて数えきれない程の寺院が存在している。 というのも、村単位や、地域単位だけでなく、各家庭にも寺院が設けられているので、その数は本当に数えきれない程多い。 そして、バリ人は日常生活の中でも、きちんとそれらに対してお供え物を欠かせない。 しかし、特別な日には更にお供え物や行事が増えるのだった。



 宿にいると、宿の主人が「 今日は特別な日だから、ちょっと遠くのお寺にお参りに行くけど、行きたいか? 」と聞いてくる。 そんなチャンスは滅多にないのだから、もちろん僕は連れて行ってもらうことにした。

 車に乗ること、約1時間半。 気が付けば、ここバリ島の最南端に位置する寺院「 ウル・ワトゥ寺院  」に着いていた。 道中、聞いた話によると、「 満月・新月 」の日には少し遠出して、大きなお寺に行くのだそうだ。 確かに、寺院にはたくさんの参拝客が来ていた。 皆、寺院参拝には欠かせない正装を着ている。 正装を貸してもらった僕以外は、皆ばっちりとキマッっていたように思えた、、、

 仏教徒である僕が、ヒンドゥ寺院に入って良いものか尋ねると、主人は「 別に問題ない 」と言っていた。 他宗教に寛大なのか、ここがバリだからなのかはわからないが、僕は他の地元の人々に混ざりつつ儀式に参加することになった。





a0086274_945876.jpg 適当なお供え物のやり取りと、小さくちぎった花びらを人差し指で挟んで、それを頭上に上げて三度お祈りをし、聖水を振りかけてもらったり、飲んだりする。 僕の動きはきっとかなりギゴチなかったであろう。 他の参拝者の気分を害さないか、心配でならなかった。

 思ったよりも、「 簡単で、すっきりと終わってしまった 」というのが、本音だ。 わざわざ車で一時間半もかけてここまで来た割りには、参拝自体は15分くらいで終わってしまった。 まあ、他宗教のことなのだから、何も言うことは無いし、何も言うべきではないと思う。





 数日後、今度は家で「 オダラン 」があるから、それまではここに滞在したほうが良いと言われた。 今度のは家のお寺様の儀式で、半年に一回のペースでやるそうだ。 確かに気が付けば、家の女性陣がもくもくとその準備をしていた。

 



a0086274_962362.jpg バリでは、各家庭でお供え物「 チャナン 」を作るのがどうやら当たり前のようだ。 必要な物は、椰子の葉に、竹を細く切ったもの、それにたくさんの花だ。 もちろん、時間と技量が必要とされるが、、、

 お供え物が作られていく過程は、見ていて実に興味深い。 というのも、幅3~4cmほどの椰子の葉を、巧いこと何度も折り返して、細く切った竹で串刺しにして小さな箱を作り上げていく。 そして、その中にきちんと分けられた色とりどりの花が入れられていくのだ。 お供え物と呼ぶには、実に可愛い物である。

 普段の日も、この「 チャナン 」は家の敷地の至る所に供えられる。 村を歩けば、どこの民家の玄関前にも置いてあるのがわかる。 しかし、誰も掃除はしないのか、人は手を触れてはいけないのか、犬や鶏に荒らされてしまうのがオチだったりもする、、、





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 そして、オダラン当日の朝。 僕が目覚めた頃には、もう儀式は始まっていた。 家の敷地の真ん中にある寺院では、祭壇や、門、石像までも装飾されていてた。 寺院の中には、家族の皆がもう何やら始めていて、バリアン(=呪術師)の指示に従って動いていた。

 僕が、ちゃんとした正装をしている限り、誰も僕のことは気にしなかった。 ただ、それを眺めて、写真を撮り、儀式には参加しないのに。 一言、「 やるか? 」と言われたが、別に心からそう思ってもいないこと為に、参加はしなかった。

 普段はひょうきんな主人も、掴みどころの無い家族の面々も、さっきまでジタバタしていた男の子たちも、この時ばかりはきちんとバリアンの指示のもと、きちんとした態度で儀式に参加していた。

 しかし、今回もまた、僕の思っていたよりも早く儀式は終わってしまった。 皆、祭壇の脇で昼寝をしていたりする。 「 まだ後であるんだよっ 」とは言っていたが、何だかそこまで厳粛なものではなさそうだった。

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 ブサキ寺院

 バリの人々に「 マザーテンプル 」と呼ばれるバリ・ヒンドゥーの総本山である「 ブサキ寺院 」というのが聖峰アグン山の南にある。 実際はブサキ寺院というものは存在せず、大小30に及ぶ独立した寺院の集まりだ。

 地元の人にとって重要な場所であることは間違いないが、それと同じ様にバリ島に来る観光客にも外せない場所でもある。 僕はウブドでバイクを借りて、そこまで行くことにした。 ウブドからは、途中道を間違えつつも、約1時間半ほどで到着した。




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 背後に堂々とそびえ立つバリの聖峰アグン山の前に、ヒンドゥ寺院独特の幾層にも重なっているお寺のシルエットが良く見えた。 午後になると、アグン山には雲がかかっていまうことが多いと聞いていたので、午前中にその姿を無事に拝めることが出来て良かった。

 早速、面倒な輩が声をかけてくるのには参った。 いかにも不良みたいな怪しい風体をした若造が、なんだかんだと難癖を付けてくる。 僕もさすがに地元の文化を尊重したかったから、始めのうちは彼の言っていることを聞いていたが、すぐにそれがただの嘘であり、彼が僕から仕事=お金をもらいたかったのは明らかになった。

 というのも、彼は「 寺院の中に入るな。 個人では入れない。 グループツアーに参加するか、個人でガイドを雇わないと入れない。 これを尊重してくれ 」という。 僕は、そこに立つ看板にも同じようなことが書かれていたので、彼の言った言葉を鵜呑みにしそうになった。



 が、しかし。 「 グループなら入れる? 個人では入れない? ガイドを雇え? 」 正直、僕は「 何だそりゃ? 」と思った。 至極勝手な言い分だと思わざるにはいられなかった。 もし本当にそうだとしたら、ここは一体どんな聖地なのだろう? よくよく考えてみると、そんなことは無いと思った。 というのも、彼は「 寺院の中に入るな 」と言った。 そして、看板には「 参拝が目的でない者は、寺院の中に入らない様に、、、 」と書いてあるではないかっ! カラクリは解けた。 何故なら、ここブサキ寺院は、大小無数の寺院から成り立っていて、その寺院は小道を挟んで存在している。 すなわち、寺院に入らずに、その脇道を歩いて行けば良いだけの話なのだ。 皆、そうしているのだから、、、

 何たることだ。 地元の文化を尊重しようとする観光客の気持ちを逆手にとって、そんな嘘をつくとは、、、 しかも、彼が崇拝しているであろう神を祀る目の前でっ!! 全くひどい話だ。





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 知らなかったが、至る所に立ち並ぶ塔の屋根の数は、11層なら「 シヴァ神 」を、9層なら「 ヴィシュヌ神 」、7層なら「 ブラフマ神 」が守護神となっている。 

 その屋根付きの塔はどこか日本のお寺を思わせるところがあり、またその塔のシルエットは青い空に良く映えていた。







 バリ人の信仰はかなり独特なものだった。 そして、人々の信仰は今も厚く、日々の生活の中で実践していることが多かった。

 外部の者が見れば、その儀式や行いの中に矛盾や非科学的なものを見いだすかもしれない。 しかし、バリの人々にはそれは全く関係ない。

 今日で、これだけ実践されているのならば、今後も続いて行くのだろう。 そうして、今の時代から、次の時代へと時を越えて行くものだろうと僕は思った。






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by hitoshi280477 | 2005-06-15 09:20 | Indonesia

未-Iran vol.0 「 とりあえずの写真 」

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by hitoshi280477 | 2005-06-13 04:37 | Iran (写真のみ)

Indonesia vol.2 「 ボロブドゥール遺跡にて 」

a0086274_1873664.jpg 遥か遠くインドから海を越えて渡ってきた「 仏教 」。

 ジャワ島のほぼ中央に位置する世界三大遺跡と呼ばれるうちの一つ「 ボロブドゥール遺跡 」。

 インドネシアは世界で一番イスラム教徒の多い国で、またバリ島などは「 バリ・ヒンドゥー 」で知られている。 にも関わらず、世界文化遺産にも登録されるほどの規模の仏教遺跡がここにある。

 出土した石碑の碑文から824年頃の建立と考えられているが、千年以上も密林の中で火山灰に隠れて眠っていた為に、その多くは謎のベールに包まれたままであると言われている。 その名前「 ボロブドゥール 」でさえも、サンスクリット語の「 ボロ(僧房) 」と「 ブドゥール(高く盛り上がった所) 」を複合語して、「 ボロブドゥール=丘の上に建つ僧房 」と解釈する説があるだけだ。

 まあ、前置きはさて置き、その「 ボロブドゥール 」を自分の目で確かめるべく、ジョグジャの安宿に勧められた「 ボロブドゥール日の出ツアー 」に参加することにしたのだった、、、


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 遺跡の一番高い所に昇ると、既に日は昇っていた。 

 下からは良く見えなかったのでわからなかったが、遺跡の頂上では仏像が日の昇る方を向いていた。

 その姿は何処か神々しく見えてならなかった、、、



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 インドを遥か遠く離れたこの土地でも、仏陀の姿がそれに近いのは何故なのだろうか? 今の世の中のように情報の伝達が簡単ではなかった時代に築かれた物だけに、僕はそれが不思議でならなかった。 同じ言語を話す者同士でさえ、簡単な「 伝言ゲーム 」すら難しいというのに、、、



a0086274_189137.jpg 頂上にはストゥーパが林立していた。 驚くべきことにこのストゥーパ、石を組み上げただけなのだ! しかも、その石はただのブロック状のもので、しかも外から中にある仏像が見ることさえ出来る。

 こんな高度なことを、今から千年以上も前に造り上げるその「 力 」は、やはり「 人の何かを信じること=信念 」からきているのだろう。 いつもながら、宗教の持つ特殊な力に驚かされる。



a0086274_18105684.jpg 聞けば、この「 ボロブドゥール遺跡 」、実は数回の修復工事がなされている。 きちんとした国家プロジェクトとして、ちゃんと工事をしたそうだ。 そのかいあって、今ではかなり綺麗な姿で見ることが出来る。

 驚くことに、この遺跡は自然の丘に盛り土をし、その上に安山岩のブロック100万個を接着剤などを使わずに、ただ積み重ねた「 空積み 」の状態で造られている。

 4層(4階分)からなる回廊には、仏教にまつわる物語のレリーフが施されている。 その様子、カンボジアの「 アンコール・ワット 」に良く似ている。 そこに登場する人物は1万人以上で、それが2500面以上のレリーフになっているのだ。

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 「 写真を一緒に撮ってください 」

 そう声をかけられて振り返ると、そこにはまだ若いインドネシア人の女の子がいた。 何故だか、何だか、よくわからないが、「 一緒に写真を撮ってくれっ 」と言われているのだから、撮ることにした。 すると、今度は矢継ぎ早に「 写真を撮ろう! 」という声があちらこちらからしてきた。 皆、まだ高校生ぐらいと思われる女の子ばかり、、、

 聞けば、同じクラスの女の子たちで、学校の「 卒業遠足 」でここに来ていると言う。 どうやら「 ツアーリズム学科 」なので、外国人である僕に少し興味があったのと、彼女たち曰く「 ロジャー 」というインドネシアの映画俳優に似ているとのこと、、、

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 太陽も朝日と呼べない高さになっていた頃、僕はもう遺跡見学には疲れていたので、その「 クラスメート 」たちとしばし談笑することになった。 歳の頃はやはり18、19歳とあって、皆こちらに興味のありそうな面持ちをしているが、自分からは何も言おうとしない。 僕は皆のためを思って、「 英語で何でも聞いてくれっ 」とは言ったものの、なかなか会話は進まなかった。 が、しかし、僕の行動が気になるらしく、それこそ一挙手一投足に皆が注目し、笑いの対象になっていた。 「 箸が転げても、可笑しい年頃 」というのは、実に万国共通の言葉だ。



 記念に写真を撮ってもらうことにした。 僕がカメラを設置する時に、わざとおちゃらけてみると彼女たちは大笑い。 なんだか彼女たちの心の純粋さというか、人懐っこい性格に、僕は心和む気持ちになってしまった。

 ほんの少しの「 出会い 」であったにも関わらず、何だか心が嬉しくなるのと同時に、寂しさを覚えてしまった。

 思いがけず、ただのボロブドゥール遺跡見学に終わらなかったが、また旅の想い出が一つ増えたことと、また先へ進まなくてはいけないことを再認識しつつ、僕はボロブドゥール遺跡を後にした、、、






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by hitoshi280477 | 2005-06-12 09:16 | Indonesia

Indonesia vol.1 「 ジョグ・ジャカルタ 」

 「 ジャワ島にある古都のような所だよ 」と、そう話を聞いていた。

 そして、行ってみたい場所でもあるボロブドゥール遺跡に行く為に、まずはその「 ジョグジャカルタ 」にバリ島からタクシーと夜行バスに乗って行くことにしたのだった。



a0086274_17402518.jpg ジャワ島はバリ島の隣に位置し、その距離約3Km。

 バスごとフェリーに乗り込む形になるわけなのだが、そのフェリーターミナルからはもう対岸にあるジャワ島が見える。 バス自体もちゃんと空調の利く「 ビジネスクラス 」だったお陰で、僕は道中18時間という長い距離も苦にはならなかった。 朝起きれば、そこはもうジョグジャカルタだった。  簡単に思えたバスの移動、最後にターミナルから街までの「 アシ 」がなかったのは面倒だったが、、、 早朝から!

 そんなこんなで到着した「 ジョグジャ 」は、なんだか忙しない所だった。 久しぶりの都会に少し戸惑ったのもあるが、蒸し暑い中での都会の雑踏はキツい、、、 人の数も、車の数も、建物の数も、、、 その数と熱気に、少し圧倒されてしまった。



a0086274_174036100.jpg ジョグジャの街には「 ベチャ 」と呼ばれるサイクル・タクシーが溢れていた。 どうやらこのベチャは庶民の乗り物としてちゃんと機能しているらしく、裏路地や大通りで地元の人が値段交渉しているところや、実際に乗っている姿も目にする。

 しかし、こと外国人になると話は全くの別物だ。 それが日本人である僕ならば、話はもっと面倒だ。 簡単に言えば、ボラれて終わり。 下手したら、なんか面倒な話になるか、面倒な話を持ち込まれることだろう。 それは、彼らドライバーの顔にそう書いてある。 被害妄想などと言った話ではなっく、ほぼ間違いなく起こり得ることだと僕は思った。

 下町風情溢れるこの乗り物も、外国人が実際利用するとなると、後味の苦い想い出になりそうだ、、、





 ジョグジャに来るにあたって、新たにロンリープラネットのインドネシア版を手に入れることになった。 というのも、友達から借りてきたガイドブックでは、ここジョグジャやボロブドゥールはカバーしていないからだった。 

 そして、そのガイドブックによると、ここジョグジャの見所に「 クラトン 」、「 バードマーケット 」、そして「 ウォーターキャッスル 」とある。 果たして、、、?



クラトン

 廃墟?



バードマーケット

a0086274_17411823.jpg 昔懐かしい「 カラーひよこ 」がいた。



ウォーターキャッスル

 水の城? プールと何が違う?



 、、、というのが、率直な「 ジョグジャの主な見所観光 」後の気持ちだ。

 それは「 何処かで何かを間違えたのか? 」と自問してしまうほどの物だった。

 異国の文化に、よそ者である僕があれやこれやと批評するのは正直気が引ける。 が、しかしガイドブックには文句を言いたい。 「 あんまり人に勧める場所じゃあないよね? 」と。

 暑い中、散々歩き回った結果はそんなとこだった。



a0086274_17413538.jpg 宿の近くに戻れば、仕事してるんだか、休憩してるんだかわからないドライバーたちがこぞって「 トランスポート?(乗り物か?) 」と聞いてくる。 中には客席にふんぞりかえったまま、偉そうにそう言ってくる輩もいる。

 ほとんどの人は、この業界の大元締めにその「 ベチャ 」を借りて仕事しているそうだ。 商商売道具であるべチャを買うことも出来ないでいるのだ。 それが、タクシーのように自動車ならまだしも、ただの改造自転車なのだから、ある意味驚きだ。

 それにしても、お客人に向かって、たいそうな口のきき方は何事かっ! そんなことで、仕事が賄えるのか知らないが、まあ、難しいことと思われる。 そんなことだから、「 その辺にバナナのなっている国は、、、 」と北側の人間に言われてしまうのだ! 他の人が言わなくても、僕はそう言いたいが!?





 古都・ジョグジャでの時間は、実りが少なかった様な、、、






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by hitoshi280477 | 2005-06-11 09:14 | Indonesia