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Sri Lanka vol.9 「 "輝く島" の人々 」

a0086274_21515856.jpg スリランカにいた時間は決して長くはなかった。

 元々、島国なだけに、復路の移動手段を確保してから入国をしなければいけなかったし、予想よりも蒸し暑く、その為に体調を崩してしまったり、、、 また食事も合わず、海外旅行者用のレストランでは高くついた、、、 そんなわけで、僕のスリランカ滞在は短くなってしまった。

 しかし、そんな短い滞在の中で、僕が一番感じたことは、「 この国の人々には笑顔が多い 」ということだった。 宿や食堂、パン屋さんにバスの車掌、、、 街行く人々も、戯れてくる子供たちも、幼子を抱く夫婦も、、、 みんな揃って、笑顔が多かった。 しかも、皆良い笑顔をしていた。


a0086274_21522242.jpg 聞けばスリランカの生活も大変だ。 街で出会った人や、浜辺で話かけてきた人たちがそう言っていた。 正直言えば、それは聞かなくとも察することが出来る程だ。 街を歩けば、人々の生活に勤しむ様子を見ることが出来て、そこからある程度は推測出来る。 他の発展途上国と呼ばれる国々と比べれば、少しはマシなようにも見えるが、、、

 市場には、まだ小学生から高校生ぐらいの子供たちが、家計を助ける為なのか、それとも学校に行くことが出来ないから仕事をしているのか、、、 それなりの数はいる。 それでも、子供たちは明るい笑顔で精一杯生きている。 皆、自分の出来る限りのことをして生きている感じだ。

 街には、きっと政府の援助を得られていないであろう体に障害を持つ人々が、街角やスーパーの前で物乞いをしている。 発展途上国にありがちな、食べ物をまともに得られない為に起こる病気や、不衛生が招いているであろう病気を抱える人々は多い。

 街中では、一見物が溢れているように見えるが、それは日本のそれとは全く違う。 決定的に違うことと言えば、生きる為に必要な物と、そうでない物の数だ。 生活必需品はたくさん目にすることがあるが、贅沢な品物なんかはハッキリ言って稀薄だ。 それなりの生活を送れる人々もたくさんいるようだが、、、

 「 きっと生活は厳しい。 」



 けれど、ここの人々には、、、



 「 どうしてそうなのか? 」

a0086274_2153130.jpg 僕は不思議に思っていた。

 僕の産まれ育った世界より、ここの世界は明らかに経済的に大変なのは、自分の目で見て来たから分かる。 耐え難い程、蒸し暑い中での日々の労働。 劣悪な環境下での重労働。 まだ勉学に励んでいるべき年齢なのに、仕事をしなくてはならない子供たち。

 ここスリランカでも、「 生きる 」ということは、僕の想像以上に「 現実 」で、やはり厳しいようだった。

 けれど、僕の脳裏に残るのは、、、 人々の笑顔だった。



a0086274_21532888.jpg 街中に物が溢れんばかりにある世界。

 思い描くことのほとんどはやる事の出来る世界。

 生きて行く上で、選択肢の「 ある 」世界。

 そんな世界から来た僕は、そんな世界ではなかなか出会う事のない「 良い笑顔 」に出会っていた。



 結局、経済的に裕福になることは、、、 たいして重要な事ではないのもかもしれない。



 それを、僕は「 輝く島 」の人々に、、、

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 「 Sri Lanka スリランカ 」=「 輝く島 」の意。






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by hitoshi280477 | 2005-08-24 18:57 | Sri Lanka

Sri Lanka vol.8 「 リゾート嫌い 」

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 超朝方人間である僕が、朝早く起きるのは大した苦ではない。 それがたとえ日の出前であってもだ。 他の人の中には、「 早寝早起き 」もしくは、「 遅寝遅起き 」もいると思うが、僕は「 早寝でも遅寝でも早起き 」なのだ。

 いつも通り、セットした目覚ましよりも早く起きると、まだ外が暗過ぎることに気付いた。 しかし、朝は早くに起きたのには理由があるのだ。 その為に起きたので、いてもたってもいられず、カメラを手に、とっとと外に出ることにしたのだった。

 昨日からの強風で、浜は寒々としていた。 椰子の木が強風に煽られてしなっている様子がよくわかる。 まだ早過ぎたのか、浜に人出は少なかった。 見上げれば、雲の流れが早く、またその雲がどこか不吉な色をしていた。 それでも僕は、その寒々とした砂浜を歩くことにした、、、 ある事が見たいが為に、、、



 「 ニゴンボに滞在することがあるのならば、朝はうんと早起きしよう。 海岸では地元の人々の漁や、地引き網をする姿がきっと見られることだろう、、、 」などという某ガイドブックの誘いに、まんまと引っかかってしまったのだった。 引っかかったと言っては、語弊があるが、実際その言葉に期待してここニゴンボまで来ていたのだった、、、



 しかし、いくら歩けど、視界に入るは寒々とした砂浜と怪しい雲行きの空のみ、、、 ぼつぼつ人が出始めて来ているのは確認出来るものの、期待していたような「 地元の人々の地引き網 」する姿なんぞはハッキリ言って、視界の届く限り認めることは出来なかった、、、 翌日にフライトを控えていたので、今のこの瞬間だけがそれを見るチャンスなのに、、、 がっくし。

 うなだれて砂浜を引き続き歩いていた。 どこかにまだ希望しつつ、歩いていたのだが、、、 やはり何所にも探していたその姿は無かった。 歩くのにも限界があるので、半ば釈然としないまま、今まで来た道を引き返すことにした。 「 来た道を引き返す 」、一番嫌な事ではある。 足取りは重く、どうしてもトボトボと歩いてしまう。 



 しかし、そうしていると足元に自分の陰が見えた。 そう、さっきまではハッキリしていなかった日の出だ。 空を見上げると、まだどこか怪しい面持ちをしながらも、さっきよりは確実に空に明るみが増していた。 そして、顔を上げて空を見上げ、また辺りを見渡してみると、、、 ???

 遥か海の彼方と言うまでは行かないが、水平線の上にポツンポツンと何かが並んで見える。 「 海に浮かんでいるからには、、、 」とそう思い、手にしていたカメラを思い出した。 最新の光学12倍、デジタルと併せて48倍のズームを誇る新しいデジカメだ。 35mmフィルムカメラに換算すると、およそ432mmだとか? まあ、バズーカーのようなレンズを搭載しているくらいの代物だろう。



 急いでデジカメで、その様子を見ることにした、、、


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 見える、見える。 実によく見えるのだ。 驚く程の望遠を備えたそのデジカメで、人々が沖で漁をしている様子を見ることに成功した。 荒波に乗る船の上で作業する漁師の姿がよく見える。 実に驚きだ。 何が驚きって、そんな第一次産業の代表とでも言える漁と、最新技術を駆使して作られたデジカメで覗き見することが出来るってことだ。

 まあ、そんなことはどうでもよい。

 夢中になってシャッターを切ってはいたが、心の中ではその漁師たちのことを感心していた。 レンズを通して見ると、彼らの船であるアウトリガーは波に揉まれまくっていて、時にはこちらからマスト以外はその姿が確認出来なくなる程だ。 それでも、彼らは仕事をこなしているようだった。

 漁師の世界はストイックだとは聞いていたが、確かにその通りだった。 僕は、僕がそのアウトリガーに乗っている所を想像してみたが、とてもじゃないが5分と保たないことだろう。 それほど、そのアウトリガーは波に揉まれていた。 そんなアウトリガーが水平線の上に無数に見える、、、 そこで働く漁師たちのことを考えると、何だかじ~っんと来てしまった。





 ハッキリ言って、僕はリゾートが嫌いだ。 しかも、一人となると最悪だ。 何せ、する事がない。 以前はスキューバーダイビングという一番の楽しみがあった為に、よくリゾートとまでは行かないが海には行った。 しかし、それも以前なった気胸のせいで、、、

 そもそも、リーゾトなる場所に、僕のような個人旅行者は来るべきではないのだ。 自分の旅に求める何かが全く持って違うのだから。 まあ、今回に限って言えば、それはしょうがないことなのだが、それもしょうがない。

 しかし、しかしだ。 頭では分かりつつも、リゾート特有の雰囲気、物価の高さ、環境、、、 などなど好きになれないことが多過ぎる。 そんな奴は間違いなくこういった所に来るべきではないのだ。 リゾート地が、いくら地元の活性化、雇用の増大に繋がると言ったって、それは一部の話だ。 環境破壊や地元の伝統や慣わしを変化・破壊してしまうことも多々あるだろう。 実はこのニゴンボも、リゾートホテルの為か、政府の方針か、ホテルの前での漁は出来なくなってしまったとか? そのホテルで仕事を見つけることが出来た人は良いが、元々漁師をやって暮らしている人々には少なからず悪影響を与えたことだろう、、、





 夕方、再び砂浜に出た。 日中は、「 リゾート嫌い 」爆発で、何にもせず、部屋にこもってゆっくりしていた。 日が傾きかけた頃を見計らって出た砂浜は、日差しも柔らかくなっていて、吹く風もかなり心地良くなっていた。


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 人の集まっている方に行ってみると、地元の人々が家族や友達と一緒に来ていて、中にはこの夕方に泳いでいる人もいた。 ほとんどの人は波打ち際で、寄せては返る波を戯れていた。 辺りが少し夕焼け色に染まる頃のその光景は、それはとても綺麗で、また人々の笑顔が夕日に照らされていて、、、 子供たちは飽きもせず、いつまでもその波うち際で遊んでいた。


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 友達と仲良さそうに遊ぶ若者たち。 子供を気遣いながらも、海で遊ばせる大人たち、、、 笑い声が絶えない若者たちの姿に、子供を抱きかかえる父親の姿に、手を離さない母親の姿に、この国でもやはり家族の絆、人と人の距離は近いのだと感じた。

 さすがのリゾート嫌いでも、その光景を目にすれば、、、






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by hitoshi280477 | 2005-08-23 18:56 | Sri Lanka

Sri Lanka vol.7 「 象の孤児院 」

a0086274_1815106.jpg 「 Elephanat Orphanage 」象の孤児院があるという。 基点にしていたキャンディの街からは、バスを乗り継ぐこと約一時間半。 何てことはない、何処にでもある通りの脇にその孤児院はあった。

 何でも、ジャングルで孤児になった象さんたちがここに引き取られて来て、何かの行事の時などには出番となるらしい、、、 孤児になった像さんたちは、きっと密猟などによる大人の象さんたち殺害による結果だろう。 それにしても、外国人だけ入場料が、500ルピー(=500円)とは、、、

 園内に入ると、象たちの姿は何処にも見られなかった。 それどころか、見物客の数もちらほらだった。 「 こんなもんなのか? 」と、思っていると、園内の少し奥から何だか騒がしい音が聞こえてくる。 少し高くなっている方を見ると、、、



 何処からともなく、象の大群が現れたっ! その数といい、その大きさといい、僕は圧倒されてしまった。 大人しい動物として知られる象さんだが、この巨漢を前にして、正直後ずさりする見物客がほとんだ。 足に付けられた鎖の音が悲しく聞こえるが、、、

 園内を出た象の大群は、バスの通ってきた道を横切ると、お土産屋さんとレストランの並ぶ間の未舗装の道を、砂埃を上げて歩いて行く。 道いっぱいに歩いて行く象さんたちの後ろ姿はどこかコミカルで、歩きながら糞をする象さんがいても、何だか愛らしく見えてしまう。



 しばしその埃の舞い上がっている道を歩いて行くと、その下には大きな川が流れていた。 どうやら水浴びの時間のようだ。 見れば、もう既にたくさんの象さんたちが水浴びを始めている。 少し高台から眺めるその様子は、何だかとても不自然に見えてしまった。 自然の中に、たくさんの象さんたちが自然の姿で水浴びをしているというのに、、、 これが自然のままの姿なのに、不自然に見えてしまう。



a0086274_18395713.jpg 水浴びする象たちの様子を眺めるのは面白かった。 彼らがどれだけこの蒸し暑さと、日差しの強さを感じているかは知らないが、どこか嬉しそうな顔をして水浴びする姿をしているのを見ると、こちらもつい目を細めて見てしまう。

 パタパタとその大きな耳を動かしながら、長い鼻を使って水を自分の体にかける。 たまに、奥にある土手まで行って、体をどろんこにしてくる。 それから、また水浴びだ。 遊んでいるのか、何なのかは分からなかったが、見ているこちらとしては、動きがあるので見ていて飽きることがない。

 大きな象さんたちの間に、小さな小象も見える。 一人では心細いのか、いつも母親か父親に一緒に付いて回っている。 「 本能 」というやつなのだろう、どちらの親にも子を気遣う様子がよく見られ、伝わってきた。



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 スリランカでは、仏教の影響も強いことから、象に対する思い入れは強いようだ。 だからこそ、こういった施設があるのだろう。 これだけの象さんたちが孤児になるということは、やはりそこに不自然的な要因があってのことだろう。 自然界の中だけで、これほどの孤児がいるとは思えない。 それが、象牙なのか、何なのか? 僕には知る由もないが、「 象の孤児院 」という施設の存在の裏には、何かそういった事情があることなのだろう、、、

 もしそれが事実ならば、この象さんたちは、ここでいくら手厚く世話してもらっているとは言え、可愛そうだ。 食べ物も、ミルクも、世話もしてもらっている代わりに、見せ物として生きている今の現状。 いつか自然に帰ることが出来るのだろうか?






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by hitoshi280477 | 2005-08-21 18:55 | Sri Lanka

Sri Lanka vol.6 「 セイロン・ティー 」

a0086274_1891884.jpg 「 スリランカと言えば、紅茶だろう? 」と、思った僕はその茶工場を見に行く予定を立てていた。

 ここスリランカでの、一番の紅茶の生産地は、ヌワラ・エリヤを中心とした丘陵地帯ということになる。 地理的にもスリランカのほぼ中央に位置していることになる。 しかし、丘陵地帯ということは、そこまでの道中、曲がりくねった道をあの忌まわしき「 TATA 」で三時間程行かなくてはならない。

 その時、体調がひどく悪く、熱もあったので、その丘陵地帯へ行くことは諦めた。 代わりに、観光案内所で勧められたキャンディからバスで約45分ほどの所にある茶工場へと行くことにしたのだった、、、


a0086274_1893269.jpg キャンディからの「 TATA 」が、そろそろ山道に差し掛かったと思われる頃、僕は車掌にバスを降ろされた。 見れば目の前にその茶工場らしき建物があった。

 警備員の格好をしたおじさんが「 中へ入れ 」と言う。 早速、中へ入るとそこには喫茶店のような所があった。 係の女性が早速案内に来てくれて、お茶を勧めてくれた。 まずは一杯と思い、頂くと「 ふ~っん、これがセイロン・ティーか、、、 」などと思うまではいかなかったが、まあ美味しい紅茶だった。




a0086274_1895256.jpg 工場内を係の女性が案内してくれる。 まずは早朝に摘まれてきた紅茶の葉を乾燥させることから始まる。 金網の上に無造作に広げられた紅茶の葉は、ここである程度乾燥させてから次の行程へと向かうのだそうだ。 次の行程へは、床に開けられた穴を通して階下に送られる。

 階下では、先程ある程度乾燥させた茶葉を挽いている。 見た目は飼料というか、堆肥のような茶葉になってしまったが、この後その辺に広げてしばらく置いて発酵させるとのこと。 そうして発酵が終わった茶葉は、再び乾燥させる。


a0086274_18104044.jpg 乾燥が終わると、はるばる日本からやって来た機械が茶葉の選別をする。 選考漏れした茶葉たちは、堆肥として再び土に返るのだそうだ。

 その後、梱包に入る。

 ここまで機械の力を借りているのは、茶葉を挽く時、乾燥させる時、選別する時のみだ。 その他の行程では、人の力だけが頼りだ。 工場内にはベルトコンベアーのような物は無いので、茶葉を次の行程に送る時でさえ人力だ。 この工場は24時間かどうしているとのこと。 相変わらず食べ物作りの最初の行程というのは原始的で、手がかかる。


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a0086274_18114171.jpg 工場を出て、工場の周りに広がる紅茶畑を見学しに行く。 傾斜のある紅茶畑は、鮮やかな緑で埋まっていた。 朝の柔らかい日の光がその緑を照らす様は、見ているこちらの心が洗われるようだった。 今まで紅茶の木というものを目にしたことが無かったので、思ったよりもしっかりとして大きいその紅茶の木々に僕は正直驚いた。 背の高さは僕の腰の高さ程で、葉の緑は薄いものから力強いものまであった。

 「 ほらっ 」と手渡された茶葉は、まだ薄い緑、少し柔らかかった。 新芽が真ん中に見える。 この頃が、摘み時らしい。 「 葉が二枚半の時が一番良い、、、 」とは聞いたが、その意味がよく分からなかった。 手渡された茶葉を見ると、正にそうなのだが、、、

 紅茶畑には、他にコーヒーや胡椒、それにジャックフルーツなんかもあった。 所々に大きな木々があって、そこにはリスが住んでいたりもする環境だ。 ちなみに、3、4年に一度この紅茶の木々は全て伐採されて新しい木を植えるとか? きっとそういう風にして、茶葉の質を保っていくのだろう。

 一つ残念だったのは、茶葉を摘み取る姿を見ることが出来なかったことだ。 あの絵葉書にあるような光景を期待していた僕は、正直がっかりした。 聞くと、それはどうやら早朝にしか行われないらしい。 それもその筈、日中は日の光が強過ぎるし、夜では暗過ぎる、、、 絵葉書にあるあの光景を思い出してみれば、背後には朝靄が見えたっけ?





a0086274_18115525.jpg スリランカのセイロン・ティー(セイロンとは以前の国名)は、世界でもかなりの消費量と知名度を誇る。 もっとも、イギリスが植民地支配した時に導入されたのだろうから、その歴史はそこまで古くはない。 事実、一番古い茶工場でも19世紀後半だ。

 残念ながら、日本ではその水質が異なる為に、セイロン・ティーの本質を楽しむことは出来ないとのこと。 というのも、「 日本の水は軟質であるから、、、 」と専門家は言っている。

 まあ、対して味の違いの分からない僕としては、街の食堂で飲むいわゆる「 ダスト 」と呼ばれるクズ茶でいれた砂糖とミルクたっぷりのミルクティーの方が好きなのだが、、、






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by hitoshi280477 | 2005-08-20 18:35 | Sri Lanka

Sri Lanka vol.5 「 シーギリヤ・レディー 」

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 スリランカのほぼ中央、樹海の中にひと際目立つ存在の大きな岩がある。 その姿は、絶海に浮かぶ船のようだと形容する人がいたが、一目見れば納得のいく言葉だ。

 シーギリヤ・ロック。 この大きな岩の名前だ。 人の住む地を遠く離れたこの地に、岩がど~っんとあるからといって、何なのか? 実はここには世界の歴史遺産を代表するようなフレスコ画「 シーギリヤ・レディ 」が存在しているのだ。



 時は五世紀後半、この岩に宮殿を建てさせた「 カーシャパ 」という王がいた。 側室の子供であった若きカーシャパは、正室の子供であり弟であるモッガラーナが王位に就いてしまうことを恐れ、実の父であるダートゥセーナを監禁・脅迫・王位剥奪・殺害したのだった。 その為、弟の復讐を恐れ、この地にあるこの大きな岩の上に宮殿を造らせた、、、 ということになっている。

 後に、弟によって攻めたてられ、遂には自害して果ててしまったと言われていて、その後のシーギリヤ・ロックは弟により仏教僧に寄進されたのだった。

 後年、イギリスがスリランカを支配する植民地支配時代の1875年になって、1400年という長い年月を経て、このシーギリヤの岩とレディたちは再び目覚めるのだった、、、


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a0086274_181266.jpg 断崖絶壁に描かれたその「 シーギリヤ・レディ 」たち。 見る者を魅了するには、ありあまる程の妖艶な姿と神秘的な表情をしている。 今日でも、それが五世紀の作品とは思えない程、その姿は輝いて見える。


a0086274_1814965.jpg 彼女たちが一体誰なのか? 彼女たちは何の為にここに描かれたのか? 学術的な研究や、幾つもの推測はたてられているものの、、、 まあ、そんなことは、僕にはどうでも良かった。 僕は一目見たその瞬間に、彼女たちの持つ何処か神秘的な容貌と雰囲気に吸い込まれていた、、、



a0086274_1821072.jpg ロックには、「 ライオンの足 」というのがある。 この大きな岩の宮殿に通じる階段の両脇にあるものだ。 実はこの足があることから察することがあるように、この岩には大きなライオンの装飾が施されていたと考えられている。 今日では残念ながら、その入り口である足の部分しか残っていない。

 崖にかけられた鉄製の階段を登っていくと、頂上に行くことが出来る。 今でさえ、この鉄製の階段があるからまだ登り易いようなものだが、それが無ければ正にロック・クライミングだ。

 頂上には、当時の宮殿の跡のみが残っている。 ほとんど土台の部分しか残っていないから、その当時の様子を知ることは難しい。 しかし、そこが隠れ家のような、中途半端な規模のものだったことでないことは確かだ。 こんな急な岩山の上に、宮殿を建てることはきっと困難だったことだろう。



a0086274_1833815.jpg 「 孤独な王 」と形容されるカーシャパ。

 何を思って、この地に宮殿を建てたのか?

 眼下に広がる樹海を眺めて、何を思っていたのだろうか?

 「 シーギリヤ・レディ 」たちは、その王を慰める為の従者なのか?

 はたまた、殺害してしまった亡き父への慰めなのか?

 今では瓦礫の山となった宮殿跡には、きっとあの頃と変わらない心地の良い風が吹いている、、、






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by hitoshi280477 | 2005-08-19 18:33 | Sri Lanka

Sri Lanka vol.4 「 YMCAに泊まる 」

a0086274_19112618.jpg キャンディにて、初めて「 YMCA 」という所に泊まった。 今までの旅路の中で、幾度か目にすることのあった宿泊施設だ。 しかし、個人の経営するゲストハウスや、それかユースホステルのようなもっと公共の施設の感じのする所ではなさそうなこの「 YMCA 」、、、 今までどちらかというと、避けていたのだった。

 その僕が、ここキャンディの「 YMCA 」で結局五泊することになったのには、理由があった。 まず第一に、他のゲストハウスや宿泊施設よりも街の中心地に近いこと。 第二に、宿泊代が割安なこと。 そして、施設には面倒な輩が皆無なこと、、、 の三点だ。

 街の中心地や、バスターミナル、鉄道の駅、そして見所であるキャンディ湖と仏歯寺などから歩いて10~20分程でありながら、この街で最も安い「 シングル・ルーム トイレ・バス共同 一泊400ルピー 」というのが、旅人して必要なこの宿の情報だった。

 僕にとっては、トイレ・バス共同などどいうのはどちらでも良い話なのだ。 別にバカンスで来ている訳でもないし、、、 僕としては、それ以上に他の人々、特に地元の人々、がその施設を同じように利用している時点で、その人々と同じ目線と言うか、同じ場所にいられることのほうが大事なのだ。 お金を多く払って、もっと環境の良い宿泊施設に泊まることももちろん出来るのだが、、、 ここでは敢えてそうする必要はないのだ。



 部屋そのものは至って簡素な造りだった。 しかし、ちゃんとベッドもあるし、机も、椅子も、木製の室内用物干しも、、、 そして、お決まりの天井の大きなファンだ。 光を取り入れる為だけに備え付けられた窓だが、それで充分だ。

 しかし、正直なところ、トイレとバスには困った。 はっきり言って、そういう設備があるということだけは間違いないと言ったところか。 何だか、収容施設に入れられているような気分になってしまうそのトイレとバス、、、 トイレにはもちろんトイレットペーパーなぞは付いておらず、バスと呼ぶのは明らかに間違いなシャワールームには電気は無く、何故かトイレ(小)と同じ区画になっている、、、 だから、シャワーとトイレ(小)を一緒に利用することは出来ないのだ。 かなりガサツな人間になってきているとはいえ、さすがにこれには「 うっ、、、 」と思わず言葉が出てしまった。 まあ、要は用が足せれば良いわけなのだが、、、

 しかし、朝にはミルクと砂糖いっぱいのお茶が出てくるし、つまらないことで誰も干渉してこないし、一階の多目的ホールでは何かクラブ活動のようなものが行われているし、、、 良い面も多々あるのだ。

a0086274_19114243.jpg 特にそのクラブ活動は見ていて面白かった。

 毎日の時間割が掲示板に貼られていて、いつも何かしらあるのだが、その活動内容は実に多岐に渡っている。 社交ダンス、バドミントン、ウェイトリフティング、ボクシング、体操、テコンドー、柔道、空手、、、 などなど。 社交ダンスは中年の夫婦に人気がある模様。

 恐らくスリランカ人に「 カンフー 」と勘違いされているかもしれないテコンドーは若い男の子たちに人気だ。 人気があり過ぎて、ホールはいっぱいになる程だ。 しかし、これが笑える、、、 彼らの目指す所がブルース・リーなのか、ジャッキー・チェンなのかは知らないが、まだ形もままならないような初心者でも、その顔だけは既に映画で見るカンフーのそれそのものなのだっ! 彼らも本気だから笑っては失礼なのだが、、、 ぷっ。



 空手、柔道になると、場の雰囲気はもっと引き締まった感じになる。 その先生たちがスリランカ人とはいえ、やはりそれなりに経験がある者が教えているのだから、講習そのものにも緊張感が感じられた。

 空手・柔道、そのどちらにも詳しくはないのだが、その両方がこんな遠く離れた国で行われていると思うと何だか感慨深くなってしまった。 僕が日本人であることはバレバレだったにも関わらず、「 お手本を、、、 」などと、誰かの旅行記にあるようなことは無かったので助かった、、、 そんなことになったら、僕のへっぴり腰を披露することになるのだから。


a0086274_19115742.jpg 従業員によると、「 YMCA 」とは、Young Men's Christian Association の頭文字から来ているのだと言う。

 その割には、仏教徒である僕が何の質問もなく宿泊することが出来るし、施設内にはこれといった宗教的シンボルは十字架が二、三個目に付くぐらいで他には何も無い。 今まで宗教的な活動に、少なからず参加しなくてはいけないのかと思っていたが、そんなことは皆無だった。 そういう懸念があったからこそ、今まで「 YMCA 」に泊まらなかったのだ。 思っていたよりもあっさりとしていたその環境に、僕は少し戸惑う程だった。



 観光案内所でもらった街の地図を見ると、面白い場所を発見した。

 「 YMBA 」と「 YMMA 」だ。

 明らかに、Young Men's Bhuddist Association と、Young Men's Muslim Assciation なのだろう。 実際、そこが宿泊施設を兼ね備えているかどうかは確認しなかったが、こういう施設が人々の活動や交流の場であることは確かだろう。

 しかし、「 YMHA 」Young Men's Hindu Association というのは見なかったな、、、






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by hitoshi280477 | 2005-08-18 18:12 | Sri Lanka

Sri Lanka vol.3 「 古都キャンディ 」

a0086274_1922036.jpg 紀元前から続いていたシンハラ王朝は、インドからの侵入者によって遷都を繰り返し、大航海時代のポルトガル・オランダには植民地支配され、遂にはその後のイギリスによってシンハラ王朝は2000年の歴史に幕を閉じた、、、

 キャンディはその最後の300年間以上、シンハラ王朝の都だった。

 その様子が今も知れるのは、そこに旧王宮跡や、人造のキャンディ湖、それに何よりも、いつの時代でも権力者の象徴だった「 仏陀の歯 」が、今もこの地にあるということだ。



 「 古都 」というと静かだが、どこか威厳のある街並を想像しがちだが、僕の目でみた「 古都 キャンディ 」はそんなことはなかった。 静かなのはキャンディ湖の周りと、街を外れた郊外のみ。 街中では、あの忌まわしい「 TATA 」のオンボロバスと「 三輪車 」がまるでレースに参加でもしているかのように走り回り、肉眼で確認出来る程の排気ガスを巻き散らしているのだっ! ハッキリ言ってうるさいっ!!

 かろうじて静かなキャンディ湖も、周囲3Kmくらいはあるのに、そこにあるベンチの数は数える程しかない。 綺麗な面持ちをした湖畔だが、何所にも座って休める場所もないのだから、わざわざ歩いて一周などいたくもなくなる。 残念だが、しょうがない、、、





 キャンディの街で一番驚いたというか、関心を持ったのは、一つの街に四つの異なる宗教施設がひしめき合っていることだ。

 仏教、キリスト教、イスラム教、それにヒンドゥー教。

 それぞれが、それぞれの宗教施設を街の至る所に建てているから、街の中はそりゃもう賑やかだ。 一日のうちに何度か流れるアザーンを始め、夜にはヒンドゥー寺院から怪しげな音楽が沸き起こり、日曜日には礼拝の為に教会へと集まる信者たち、それにスリランカを代表する仏教寺院「 仏歯寺 」に人が絶えることはない、、、 キャンディの街はそんな所だ。



 しかし、街の中心地を構成しているのは小規模の商業店舗ばかり。 他の街とちょっと違うのは、ここには宝石商が多いということだろうか?

 疑問に思ったことと言えば、あまり食堂といった感じの所はなく。 あると言えば、ベーカリーだ。 旅行者としては、慣れ親しんだパン食なので、有り難いと言えば有り難いのだが、、、 そして、たまにある食堂と言えば、外国人客は初めてのようなところしかない。 そして、あるものはと言えば、やはりカレーだ。 とは言っても、こちらのカレーはほとんどルーのないカレーなので、大盛りご飯の上にカレー味のお惣菜が何点か付く感じになる。 

 変わった食べ物と言えば、「 コットー 」なるものだ。 「 それは何なのか? 」と尋ねられると、説明がしにくいが、言うならば「 小麦麺の焼きそばカレー風味 」だ。 餃子の皮のような生地を、何度か織り込み、そしてそれを鉄製のヘラで細かく刻んでいくのだ。

 いろんな種類の香辛料を混ぜ合わせながら炒めていくわけだが、何せ鉄板の上で、鉄製のヘラを使っての料理。 物凄くうるさいっ!! しかし、料理人にとっては、どれだけリズム良く音を立てながらその料理を作れるかが自慢したいところなのであろう、、、 どの食堂でも、その音が静かなことは一度もなかった。





「 仏歯寺 」

a0086274_1925352.jpg 紀元前543年に没し、火葬された仏陀。 その後の4世紀に、インドのとある国の王子が頭髪の中に隠し持ってきたと伝えられる「 仏陀の歯 」が、今日現在祭られているお寺。 いつの時代からか、スリランカではその「 仏歯 」を王権者の象徴とし、「 仏歯 」の置かれている所が都と定められてきたという。

 そういう意味もあって、ここ仏歯寺ではいつも人陰が絶えることはない。 その光景は、ここが「 聖地 」と呼ばれてもおかしくない程だ。 もちろんスリランカを代表する仏教寺院だけに、外国人観光客の数も多い。

 しかし、その肝心の「 仏歯 」。 実際この目にするのは難しいようだ。 何か重要な儀式でもない限り、その実物を目にすることは出来ないとのこと。 毎年行われる「 ペラヘラ祭 」の時に、やっと登場するかしないかの代物だそうだ。 まあ、見てもそれが本物なのかどうかなんて誰にもわからないと思うが?



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 それにしても、ここスリランカの仏教徒たちは信心深い。

 それが、例えばタイ、ラオス、ミャンマー、チベットといった仏教が深く入り込んでいる地で、こちらとしてもその先入観の強い所なら話は別は早い。 しかし、インド人や、ネパール人、バングラディッシュ人に似た顔つきの人たちが、うやうやしく祭られている建物とかに、手を合わせて祈りを捧げているところを目にすると、正直ちょっとあっけにとられてしまう。 もちろん、皆大真面目である。 そんな僕の先入観とかで判断してはいけないが、とにかく僕の目には異様に写ってしまうというのが本音だ。

 しかし、その信心深さの裏には、やはり仏教に対する理解と尊敬といった裏付けがあるからなのだろう。 僕のように「 家族がそうだから 」などと言うにわか仏教徒には、その真意が分かることはないだろう。





「 キャンディアン・ダンス 」

 宗教儀礼というのが、事の発端だったキャンディアン・ダンス。 その最初の目的は悪霊払いだったと言われている。 それがキャンディに王朝があった時代には宮廷での踊りとして、そして今日ではその宗教儀礼的なものの中にスリランカ各地の民族舞踊を組み込んだものになっている。 また、「 ペラヘラ祭 」という年に一度の大きな祭の時にも、その踊りは披露されている。

 南インドの民族舞踊と音楽との共通性が見られるが、今ではスリランカを代表する民族舞踊となっていて、観光客にも容易に観ることの出来るものとなっている。



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 舞台そのものは、太鼓や笛などを中心に、十項目の異なる踊りで構成されている。 中には太鼓のリズムだけのシンプルなものもあるが、他にはコブラ使いや、衣装のド派手な踊り子たちが出てくるもの、それに皿回しなどもあり、それぞれちゃんとしたテーマがある。

 正直、それっぽくて僕は好きなのだが、その十項目の中に、何故か「 国歌斉唱 」と「 ファイヤー・ダンス 」なるものが入っているのが、イマイチ不可解だが、、、



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by hitoshi280477 | 2005-08-17 18:11 | Sri Lanka

Sri Lanka vol.2 「 コロンボの街角で 」

a0086274_18385732.jpg アジア独特の蒸し暑さと照り付ける日差し、それに砂埃っぽさと排気ガスの蔓延するコロンボは何処かインドの街に似ている気がした。

 もっとも両国との地理的関係も近いこともあるし、インドのあの悪名高きボロバス「 TATA 」もたくさん走っていることもある。

 何よりも人々の顔つきが「 インド人 」なのだから、そう感じてしまうのも無理はなかった、、、



 コロンボは活気ある街だ。

 街には、人や、車や、物が氾濫している。 正直、歩くのが大変なほどにそれらの数は多い。 というか、狭い道路に異常な程の車の数、狭い歩道に無理な出店の数と、場所によっては洪水ようなの人出、、、

 街を歩いていると、それらの量に圧倒され、また感嘆してしまう。 こんなに物が密集している所もそうないことだろう。


a0086274_18393611.jpg 街中で見かけた興味深いものが幾つかある。

 まずは、通称「 スリーウィーラー 」だ。

 英語でそのままかけば、「 Three Wheeler 」。 そのままで「 三輪車 」という意味だ。 要はインドにあるオート・リクシャであり、タイにあるトゥクトゥクなのだが、こちらではそういう名前で通っている。 その姿は可愛らしいのだが、相変わらず僕はそういった乗り物の運転手が好きになれないのであまり利用することはない。 



 その「 三輪車 」、何がどうかというと、驚くべきはその量だ。

 街中を所狭しと走り回っている姿は、それはあたかもバングラディッシュのダッカで見たサイクル・リクシャのよう。 それはインドのオート・リクシャやタイのトゥクトゥクなんかは話にならない程の量だ。 そう、それはその「 三輪車 」が洪水のように街を流れまくり、時には「 三輪車 」そのものが渋滞を引き起こしてしまうくらいかの量ではある。 その光景は、何かのヤラセで演じているように思える程の光景だ。

 しかしながら、ちょっと圧倒されつつも、どこか憎めない風体をした「 三輪車 」たちなのである。 まあ、その分、もちろん街はうるさく、空気は排気ガスと埃っぽさにまみれてしまっているが、、、


a0086274_1846159.jpg そして、こんな都会の喧騒のど真ん中だというのに、青空市場があったりする。

 こんな埃まみれの中で、きっと先進国から来た者におよそ想像もつかないことなのだが、事実この埃と排気ガスにまみれた空の下、それなりの規模で青空市場が存在しているのである。

 一歩そこに足を踏み入れれば、この国の食文化の一端を伺い知ることが出来る。 それは、今までそうだったように、何か新しい発見を伴うものだ。

 この土地の野菜や果物の豊富さに、正直驚かされた。 果物はある程度予想はしていたが、初めて見る変わった形の野菜たちには、その発見と存在そのもので、何だか嬉しい気分になってしまった。


a0086274_18462717.jpg また、街中でよく見られるものとして、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の宗教施設が点在している。 街を歩けば、その姿を見ないということはない。

 驚くべきは、この国ではこの四つの宗教が入り交じっているにも関わらず、表面的にはそれが何の弊害も産み出していないということだ。 もっとも、仏教界の上層部に君臨している者たちは、スリランカの宗教を仏教のみに一本化しようと目論んでいるらしいが、、、

 それでも、一般市民の間にはそんな宗教上の理由で敵対しあっているとは聞いたことはない。 本当のところどうなのか知る由もないが、こんなにたくさんの宗教が入り交じった所で、それこそ「 何か 」があったら、それはきっと想像を絶するものになることだろう、、、


a0086274_18464690.jpg 一風変わっているのが、「 宝くじ 」屋さんだ。

 それはスタンドを構えている所もあれば、移動式屋台のように街中をグルグルと巡回しているのもあり、また自転車に台だけ載っけているものいる。 それがオススメの宝くじなのかなんなのか、洗濯バサミで吊るしてある宝くじの姿には遊び心を感じてしまう。 そして、彼らもその宝くじをたくさんさばくことによって収入を得ているのだろう、マイクとスピーカーを使った「 営業トーク 」が街のあちこちから聞こえてくるのだ。

 なんだか物干し竿の販売車に、似て非なるものがある。


a0086274_1847618.jpg この下町のような界隈からも見つけることの出来るビルが聳えたっている。 ワールド・トレード・センターだ。

 以前、NYにあったのと同じ様に二つの背の高いビルという作りだ。 それはダウンタウンからアップタウンを見ているような形になるわけなのだが、それも別に悪い気はしない。 何故なら、こちらのダウンタウンのほうが、、、 面白いからだ。

 オンボロバスの唸る音、その排気ガスで曇る街角、バスの車掌の叫ぶ声に、物売りたちの連呼する声、背中とお腹がくっつかんばかりに押し寄せる歩行者たち、、、 ギラギラとした太陽の下、排気ガスと埃まみれの街で、久しぶりに本物の「 アジアの喧騒 」なるものに身を任せるのは、どこか気持ちの良いものだった。






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by hitoshi280477 | 2005-08-16 18:09 | Sri Lanka

Sri Lanka vol.1 「 深夜の右往左往 」

 21:15 バンコク発  → 23:30 コロンボ着

 それがバンコクのカオサンロードにある旅行代理店で買った航空券のフライトスケジュールだった。

 その航空券がいくらになるのかだけしか頭になかったので、あまり到着時間のことを考えずに買ってしまった。

 そして、それが結局、いくら旅をしていても嫌な「 初めての地への深夜着 」になってしまったのだった、、、



 荷物を拾い、税関を通り抜けると、そこは驚く程あっさりとした到着ロビーだった。 学校の体育館の大きさの半分もないくらいのスペースには、お決まりの両替所と、観光案内所が設けてあった。 そのあまりにも狭いスペースに、「 プランA 」を変更しなければならなくなってしまった。 時計を見ると、既に日付は変わっていた、、、

 計画した「 プランA 」は、何てことはなく、空港のロビーで夜明かしをするということだ。 そんなことは今まで数えきれない程やってきた。 バンコクでも、イスタンブールでも、ソウルでも、、、 空港の待ち合いロビー( 特に出発ロビー )は大概何処にもたくさんの椅子が並べてあって、特に大きな空港ではそれなりの数の旅行者が時間を乗り継ぎの時間を潰したり、深夜・早朝のフライトに備えていたりするものだからだ。

 が、しかし、、、 ここコロンボの空港に到着してやっと気がついた、僕の「 プランA 」は明らかに無理だった。 というのも、ここの到着ロビーには椅子が数えても8個しかないのだ。 そして、出発ロビーは、一度到着ロビーから外へ空港の建物を出なくてはならないようで、そうすると、中には戻って来れなくなる可能性が高いことも明白だった。  が~ん、、、



 「 プランB 」は、空港案内所にて格安の宿を紹介してもらうことだった。

 インド訛りの英語で聞き取りハッキリ言ってづらいが、係の者は親切だったが、、、 しかし、その紹介してもらった宿の料金は頂けない。 一泊$15。 朝食付きだというが、たった一泊の為に$15を支払うつもりはない。 そんなに高い宿は、しばらく記憶にない。 僕の中で一泊$15以上と言ったら、欧米諸国以外では経験のないことだ。

 それにもし仮に、その値段で今晩を凌いだとしても、そのままチェックアウトするのは間違いない。 二泊なんてとても無理なことだ。 とすると、朝までのたかだが数時間の為に、僕は$15も使うはめになってしまう、、、

 なので、却下。



 「 プランC 」。 真夜中のこの時間に気が引けるが、ガイドブックのコピーを持参してるので、実はそれとなく宿のメドを立てていた。 しかし、そこに今から直接向かうのは不確かで危険なので、まずは電話をかけることにした。

 両替所で小銭を仕入れ、くたびれた感じのする電話で試みるが、、、 うまく繋がらない。 使い方が間違っているとは思えないが、とにかく何度やってみても繋がらないのだ。 もう一つの古ぼけた電話で再度試みるも、こちらはコインさえ受け付けないときた。

 困り果てて、案内所に話をすると、そこの電話を貸してくれた。 早速、電話をかけると、今度はいとも簡単に繋がり始めた。 そして、やはりインド訛りの英語である、、、



 何とか意思の疎通がとれ、「 これから行くので、その空いているシングルルームを HITOSHI という日本人旅行者のためにとって置いてくれ、、、 一時間以内にはそちらに到着すると思う、、、 」と伝えることが出来た筈だ。

 、、筈なのだが、とても信用は出来ないので、その案内所の係の人にかわってもらいこちらの言葉で同じことを言ってもらうことにした。

 かくして、僕は今晩の寝床を確保出来たようだった、、、





 1500ルピー(=約1600円)。 空港からコロンボまで、約一時間の道のりを深夜タクシーで行くのだからこのくらいの出費はきっと仕方のないことなのだろう。 しかし、それにしても高い。 この先が思いやられるが、日本車タクシーだったのと、思いのほか道が綺麗そうだったので良しとすることにした。

 コロンボまでは約1時間。 どうやらドライバーはあまりコロンボを詳しくしらないようで、僕の行きたい宿まではあちこちで人に尋ねていた。 薄暗い車の室内灯の下、ガイドブックのコピーを頼りに僕らは辺りをぐるぐると走っていた。 そして、しばらく走り回った後に、やっとの思いで宿のある道路に着いた。

 その道路が、真っ暗だったことに僕は嫌な予感がした、、、

 「 やはり 」である。 アテにしていた宿の看板は消えていて、そのせいでその宿自体を見つけるのも苦労したほどだった。 勝手に門を開け、ガラス張りの正面玄関を叩いてみるも、誰もいないようだった。

 貧相で頼りなさそうなブザーを押してみるも、何の音もしない。 わざわざ空港から予約の電話を入れて、これから向かうこと、約一時間程で到着することを伝えたのは何だったのか? わざわざ案内所の係の者に現地の言葉で伝えてもらったのは何だったのか?

 そう「 やはり 」なのだ。

 時刻は午前1時に近かった、、、





 すぐ隣の「 YMCA 」に向かうことにした。 何はともあれ、今晩の寝床を探さなくてはならないのだ。 薄暗くて近寄り難いYMCAの玄関には、二人の人影が見えた。 一人は宿の番人、もう一人は怪しい風体の日本人旅行者だった。

 実は空港で見かけたこの怪しい風体の男、僕は近づかないようにしていた。 遠目で見ても明らかに日本人なのだが、頭はドレッド、髭はインドの修行僧サドゥーを思わせ、衣服はお約束のボロボロだ。 僕なんかは、入国審査で物言われぬ様に一応ポロシャツを選んでいるのに、、、 しかも、ここスリランカでは、「 葉っぱ 」いわゆる「 マリファナ 」などの所持者は「 極刑=死刑 」なのだ。

 そんなことから、僕はその男と関わらないようにしていた。 見た目で人を判断してはいけないが、すべき時は必要だと思う。



 とにかく、今夜の宿がない。 二人とも。

 話あった結果、二人とも彼の乗ってきたタクシーで宿探しをすることになった。 YMCAの宿番に聞くと、この近くにある駅前には数件の格安宿があるという。 タクシーの親父が勧める宿もあったが、そこは少々値がはるので、まずは駅前で探してみることにした。 この際何でも良いのだ。 一人ではないし、どうせ朝には新しい宿を探しに出るのだから、、、





 駅前は、深夜とはいえ少しの人出があった。 もちろんそういう人たちだろう。 行くアテもなく彷徨うその人影が少し不気味に写った。 その光の発信源となる簡素な食堂は、人が入っていないにもかかわらずまだ営業しているようだった。

 見つけた宿をノックすると、案外すぐに人が出て来た。 しかし、部屋はないと言う。 駅の目の前の通りだけに、ここに宿をとれれば良かったのだが、、、 それは誰しも同じようだった。



 辺りを見回していると、隣に「 HOTEL 」と書かれた看板のある食堂を見つけた。

 その食堂はまだ営業しているんだか、これから店終いをするんだかで、空っぽだった。 ともかく今晩の部屋を見つけなくてはならないので、一応全ての可能性にかけてみる必要があった。

 が、しかし。 しかし、だ。 その食堂の店員に尋ねるも、あまりに無反応だ。 やる気がないというか、全く取り合ってもらえない。 変な感じだ、、、 もう営業は終了しているのか? それとも今からでは面倒なのだろうか?? 



 そこで「 あっ 」と思い出した。

 そうなのだ。 ここスリランカでは、「 HOTEL 」は宿だけでなく、レストランを意味しているということを、、、 まだ手元にガイドブックそのものがあった時に、そのことを読んだことを思い出した。 「 な~んだっ。 これのことか。 変なの~っ 」と笑ってしまった。 笑っている場合ではにのに、、、



 結局、僕らはタクシーの親父の強く勧める宿に連れて行かれることになった。 もう他に選択肢がないのだから、しょうがない。 それに二人でいれば何かあっても何とかなるだろうし、宿代も安くつく筈、、、

 親父に連れてこられた宿は、あの観光案内所で紹介された所だった。 僕のガイドブックのコピーにも、「 政府観光局のお墨付き 」とある。 少しお金を積めばそう書いてくれそうなことではあるが、一応ガイドブックと政府観光局の紹介とあって安心した。 その分、値段もはったが、、、



結局、一人当り1100ルピー(=約1200円)となった。 時刻はもう2時近かった。 後数時間もすれば日が昇る程なので、正直僕は渋ったが、今の状況ではしょうがないことだった。 疲れていたことと、眠かったこともあったので、ここに落ち着くことになったのだった、、、

 よほどその宿泊料金に見合う部屋ではなかったが、とりあえず数時間後にやってくる朝に備えて眠ることにした。 ちょうどお尻の辺りが凹む感じになるベッドだったが、バンコクから深夜にここまで辺りを右往左往してきた疲れもあって、僕の体はそのくたびれたベッドに入ると、すぐに一体化してしまった、、、

 旅は順調なり、、、





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by hitoshi280477 | 2005-08-15 18:06 | Sri Lanka

Myanmar-2 vol.10 「 今日のビルマに生きる人々 」

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 今日のミャンマーはかなり特殊な状況にある。 一応、軍事政権というのは崩壊したことになっているらしいが、その時代に造り上げたビルマ式社会主義というのが今日も根強く残っているとか。

 ビルマ式社会主義、住民の民主化要望、少数民族問題、「 鎖国 」が招く経済の停滞、脆弱な社会基盤、、、 ミャンマーの抱える問題は多い。 そのどれをとっても、今後の国の姿を懸念させられるものばかりだ。



a0086274_2051592.jpg そんな中での人々の生活は苦しい。 政府は相変わらずで、態度を少し軟化させてはいるものの、民主化を認める訳でもなく、住民は今も政治に口出すことはタブーのようだ。 経済に至っては、人権問題のせいで先進国からの援助や投資は期待が持てず、今では中国など経済の伸びが良い所や、近隣諸国との繋がりを強化することでかろうじて混乱を押さえている感じらしい。

 それでも、一般の住民の暮らしは大変だ。 一日$1、一ヶ月$30というのが、ここミャンマーの平均収入らしい。 もっとも、ヤンゴンで働く人と、田舎の農村で働く者の間には、貨幣における極端な差があることは間違いないので、この数字はアテにならない。 それでも、以前からずっと続くインフレに労働者の賃金が追いつかないので、人々の暮らしは一層困難な様子だ。

 それに、この気候も大変なものだ。 この国に生まれ育った人でさえ、きっとこの雨期と乾期のギャップは相当応えることと思う。 あの雨の量に、あの湿度に、あの気温に、あの日差しの強さだ。 そんな中での暮らし、、、 僕には耐えられるかわからない。



a0086274_20513418.jpg それでも、人々は逞しく今日を生きている。

 そんな大変な状況下でも、その時、その時を楽しそうに生きている。 人々は毎日に「 生き甲斐 」や「 喜び 」を感じているようだった。 こんな大変な生活環境でも、人々の間には「 笑い声 」や「 笑顔 」が多く見られる。 直面している現実が大変だからこそ、もっと人間らしく生きることができるのだろうか?



a0086274_20593979.jpg この国に生きる様々な人々のことを想う。 国民のほとんどが信仰しているという仏教が、彼らを強く支えていることは間違いない。 その精神的拠り所が、彼らの「 強さ 」ということになっているのだろう。 それは、人々の高い道徳心にも非常によく現れていると思う。

 彼らの住む「 精神的世界 」、それは「 物質的世界 」に蔓延る「 物欲 」をより酷く醜いものに感じさせ、その反面、「 精神的充実 」は非常に尊いものだと僕は思う。



a0086274_20595815.jpg ミャンマーの将来は、今のところ予測するのは難しい。 正直、民主化に切り替えたところで、物事全てがうまく行く訳ではないし。

 それでも、今のように人間としての権利、いわゆる「 人権 」が侵されるようなことがあってはならない社会には早いとこなって欲しい。 その後、必ず来るであろう経済戦争に、人々は多少なりとも揉まれるかもしれないけど、、、

 豊富な人口に、広大な国土、それに豊富な天然資源、、、 それに加え、この勤勉で実直な国民性。 世界経済から見ても、きっと魅力的な場所に見えることだろうからだ。



a0086274_2102531.jpg きっといつか来る「 その日 」になっても、ミャンマーの人々が、今のように高い道徳心と親切な人々であって欲しいと僕は思う。

 そして、子供たちの瞳に見られるように、輝かしい未来を勝ち取って欲しい。

 この国のことを想うと、そう願うばかりだ。






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by hitoshi280477 | 2005-08-10 01:52 | Myanmar-2