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Senegal vol.7 「 セネガル人 」

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 国境を越える前から思っていた事だが、セネガルの人々は結構フレンドリーで親切だ。 もちろん、そう発言するのには他の誰かと比べての話なのだが、今までの旅行を通して考えても、比較的良い感じの人が多いというのが僕の印象だった。

 もちろん国境で餌を欲しがる役人とかもいるし、ダカールの街では物売りがやけに馴れ馴れしいし、バス乗り場に行けば子供の物乞いがひっきりなしにやって来る。

 ただ、そういう点を含めても、僕の出会ったセネガル人は結構感じの良い人だった気がする。





 それが国民性というヤツなのか、皆結構簡単に声をかけてきたり、話かけたりしてくる。 もしかしたら北アフリカを除く地域のアフリカ人は皆そうなのかもしれないが、これが最初のブラック・アフリカの国である僕にはその事はまだ分からない。 しかし、ああもフレンドリーに挨拶をしてきたりというのは、なかなか無いように思える。

 それが若い暇な奴とか、本当にすることのないおっさんに、物乞いの子供たちだけなら分かるが、普通のマダムたちともそんな挨拶をしたりするのだ。 それまでイスラムの国にいたことから、どうもそればかりが強調されてしまう。 しかし、それは他の国でもなかなか見られないことだと思う。

 まあ、人がフレンドリーで親切なことに越したことはなく、そのお陰でセネガル滞在中は特にこれといった問題はなく、嫌な思いもせず(相変わらず「 中国人っ! 」とは言われたが)、なかなか楽しい一時を過ごした事と思う。





 セネガル人といえば、そのスラリとした容姿に加え、服装にかなり気を遣っている事でも知られている。 西アフリカでは当たり前のことなのかもしれないが、見るも鮮やかな色合いの服に身を包んでいる女性が多い。 そして、髪型にも気を使っていたり、頭を巻く布も全体の色合いに協調するように選んでいるものと思われる。

 それは実に老若男女を問わない。 街で見かける人のほとんどは色鮮やかな服を身に付けていて、オフィスで働く女性も、街角で話している兄ちゃんも、乗り物を待つマダムたちも、新聞に目を通すおじさんたちも、、、 皆がそれぞれに服を着る事を楽しんでいるかのように思われる。 しかし、バス乗り場にいる男の子の物乞いは除くが、、、





 それは見ていて飽きない光景ではある。 僕にはファッションセンスとか、着飾るということは全く縁のないことであり、また気にしたことのないことであったが、ここセネガルに来て僕はそういうことにももう少し気を遣った方が良いのではないかとも思うようになった。

 人に聞けば、それはセネガルの文化に深く根付いているとのことだ。 普段の生活にそういった楽しみと誇りに思える部分があることは良い事だと思う。 特に女性たちの色鮮やかな服に身を包んでいる様子やその誇りらしげな表情を見ていると、何だかとても素敵に思える。





 セネガル人はフレンドリーで親切な人が多かった。 その国を尋ねる者にとって、これほど嬉しいことはない。 残念だったのは、僕がこちらの言葉をあまり理解出来ない事だ。 もし仮に、もっと理解出来ていたら、セネガルでの短い滞在ももっと実りの多いものになっていたことだろうと思う。

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by hitoshi280477 | 2006-01-31 14:10 | Senegal

Senegal vol.6 「 休憩したい、、、 」

 結局、ダカールの街から「 タンバクンダ 」というセネガルのほぼ中央に位置する街に着いたのは、もう日が暮れてしまいそうな夕方だった。 その間、ブッシュタクシーと呼ばれる乗り合いタクシーの狭い後部座席で移動しっぱなしだった。

 時間にして約8時間。 距離にして、、、km。 タクシーの中では、後部座席に座る僕に窓開閉の権限はなく、ただひたすら蒸し暑くなる車内で耐えていた。 しかも、日の当る側に座っていたから、その分暑く感じたし、後部座席はあまり背の高くない僕でさえも時折頭をぶつけてしまうことがある。 更に、僕の座っていた場所の天井の内装が破れていて、常に頭に垂れ下がってしたのでイライラさせられていたのだった、、、



 タンバクンダに着いた時、実際「 とんでもない所に来てしまったな、、、 」と思った。

 乗り合いの乗り物が集まる場所と言えば、ダカールのそれと同じなのだが、ここのは今朝ダカールで見た様な壮観な光景などなく、その辺りから拾ってきたかのような枝とビニール袋で造られたオンボロ小屋とオンボロの車たち、それにすることがあるんだか、ないんだか分からない輩がたくさんいる場所だった。 それに、とてもつもなく埃っぽかった。 今になれば、ダカールが如何に都会だったのかが分かる。



 とりあえず、泊まりたい場所の名前は分かるものの、その宿が街の何処にあるのかは全く分からなかったので、タクシーで行くことにした。 疲れている事もあって、着いたばかりの土地で、思いに持つと疲れた体を引きずって宿を探す程馬鹿な事はない。

 高いんだか安いんだか分からないがとりあえず値切ってみたタクシーで宿に向う。 運転手はあたかもその宿を知ったかのような態度で僕を乗せたが、もちろん知っている筈はなく、タクシーは街を人に尋ねながらその宿を探した。





 部屋というよりは倉庫のような宿の一室だったが、疲れている事もあって、即決でそこに泊まることにした。 値段はやはり一人で一部屋を貸し切る形になるので高くついた。 まあ、そのことばかりを考えていたら、西アフリカでは一人で旅を出来ないかもしれん。

 早速、部屋の中のベッドの位置を調整して、自前の蚊帳を付ける。 そして、一日の汚れを落とした所で、夕飯の時間になった。 たまたまそこにいた外国人旅行者に誘われて、馬車で行った食堂の「 ヤサ 」という玉ねぎを炒めたソースを載せたご飯は美味しかった。 選んだ鶏肉は、何故かとても食べにくい形になっていて、残念な事にかなり痩せた鶏の肉だった。 そもそも、ここはアフリカなのだから、あまり食事には期待してはいないし、期待してもいけないのだが、このヤサは美味しかった。





 宿に戻って、蚊帳を張ったベッドの中に転がり込んで思った。



 「 もう一泊だな、こりゃ 」



 明らかにする事ないこの街で、そう思った理由はただ一つ、、、 疲れていたのだ。

 西アフリカでの旅を始めて以来、何処の街にも二泊くらいのペースでここまでやって来ていて、しかも砂漠から蒸し暑い場所、日差しのキツい場所へと移動をし続けているのだから、体が疲れていない訳がないのだ。 更に、これからマリのバマコへと向うのに、まだ800km近い距離の移動もあることだし、、、

 そういう訳で、体の訴えに耳を傾けて、とりあえずこの街でもう一泊だけする事にした。 やはり体が資本なのだから、この決断が後々正しかったと思うことだろう。






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by hitoshi280477 | 2006-01-30 14:09 | Senegal

Senegal vol.5 「 西アフリカの移動事情 」

 次の目的地であるマリのバマコへは、列車で行くことに決めていた。 列車の旅が好きな事もあるが、面倒な乗り合いバスを乗り継ぐだけの旅に少し飽き飽きしていたからだ。 なので、ダカールーバマコ間を繋ぐ国際列車があると聞いては、それを逃す手はないと思っていた。 僕はその為にわざわざダカールへの到着日を合わせて移動をしてきていたのに、、、





 宿のある地域から、鉄道駅までは歩いて行ける距離だった。 明後日には列車がバマコに向けて出発する予定と聞いていたので、早速その乗車券を押さえに行く事にしたのだ。

 構内は国内線を利用する一般客が乗車券を買い求める為に賑わっていた。 そこは明らかに近距離の乗車券しか取り扱っていなかったので、辺りにいる警備員に尋ねると国際線の売り場は違う所にあることを教えてくれた。



 早速、事務所に入って明後日にあるであろうバマコ行きの乗車券のことを尋ねると、、、

 嫌な予感は的中してしまった。

 なんと列車がないのである。

 いや、実際あるのだが、正確に言うと列車のスケジュールがないのである。 少し分かりにくい話ではあるが、英語の話せる係の者が出て来て説明してくれたことによると、以前は週に2便あった国際列車も今では週1便になり(それは事前に知っていた)、その一便の運航状況もすこぶる悪く、バマコからここダカールにやって来て、それから次の出発日を決めるとの事なのだ。



 冗談ではない。

 この列車に乗りたいが為に、西アフリカの旅を始めた時からわざわざ日にちを合わせてきたのに、、、

 やはりアフリカの移動はそういう意味でも大変なのだ。





 ダカール市内にある航空会社を尋ね回っていた。 というのも、話によるとバマコまでの航空券は、列車の一等の乗車賃とさほど変わらないと聞いていたからだ。

 しかし、実際は違っていた。 セネガルの航空会社が一番便が良いのだが、それで110000CFA(=約25000円)もする。 列車の一等だったら、58200CFA(=約13000円)。 二倍近くもしてしまう。 もう一つの選択肢としてあったのが、隣の国のガンビア航空のものだが、それは朝の5時前には空港に向わなくてはならないので現実的ではなかった、、、

 少ない国際便なので、きっと競争がないから高くついてしまうのだろう。 それに、昨今の原油高も少なからず影響していると思われる。



 散々迷ったが、飛行機は諦めることにした。




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 「 Gare Routiere 」とはこちらで言う長距離移動の乗り場だ。

 それは西アフリカ全般でそう呼ばれていて、この場所から各地への乗り物を探す事になる。

 そして、ここダカールのそれはかなりの規模で、その光景はちょっと異様とも壮観とも言える程の賑わいを見せていた。

 一応、各方面へ向う乗り物が集まっている場所は同じなのだが、乗客には車種の選択が出来ることがほとんどだ。 まあ、バスか乗用車。 場所によっては、四駆車もある。 大概は、フランス製のボロい乗用車に、ドイツ製のボロいバス、それに日本製の四駆だ。

 ハッキリ言ってフランス製の乗用車と、ドイツ製のバスはオンボロで、日本だったらとっくの昔に廃車になっているのは間違いなく、走っているのが不思議なくらいの代物ばかり。

 「 車は走って、曲がって、止まれれば、それで良いのだっ! 」という車の三大原則を地でいく話だ。 ちなみに、日本製の四駆は、それらに比べると気のせいか輝いて見える。



 こちらのシステムがしっかりとあって、通常運転手と乗客が料金の交渉をすることはなく、その仲介をする親父が常にいる。 その親父と車種や料金の交渉をすることになる。 実際は交渉の余地などなく、ほとんどの場合はその親父の提示した料金を払う事になる。

 まあ、ほとんどの場合、料金について嘘をつかれることはなく、そういった場合でも他の乗客に尋ねれば正規の料金というか、相場くらいは確かめることが出来る。



 ただ、料金について厄介なのは、荷物代だ。 今まで行った事のある他の国々で、荷物代をとられた記憶などないのだが、ここ西アフリカではかなり一般的に荷物代を請求される。 もちろん地元の乗客も支払っているので、騙されているということはない。 ただ、その料金に差が出る時もある。

 この時も、明らかに高い荷物代を請求されたが、自分一人その車に乗る事を決めたら、今すぐにでも出発する事、親父が何処かへ行ってしまう事、それに次の車がいつ出発するか分からない事などなどを検討した結果、その法外な荷物代を僕は払う事にした。 まあ、たかが知れているが、、、



 いつも問題になるのが、出発時間だ。 いくら親父に聞いても、周りの乗客に聞いても、こればかりはラチがあかない、というのも、こちらのシステムでは車が乗客でいっぱいにならないと出発しないからだ。 それが乗り合いの乗り物では当たり前なのだ。

 なので、大型の乗り物になればなる程、出発までのその待ち時間は長くなる。 それに行き先がマイナーな場所になればもっと時間がかかる。 7人乗りの車でさえも、2時間以上待つことは普通なのだ。 25人程乗れる中型のバスなんかは、その移動がほぼ丸一日かかると思って良いと思う。



 そんなこんなでやっと自分の選んだ乗り物は出発することになる。 出発してしまえば、親父にも少し感謝の念が湧いて来るから不思議だ。 ただ単にこちらの立場が弱いことにつけ込まれているとしてもっ!

 それでも、旅が順調に進むかどうかは別の話。 親父にはそのことは全く関係なく、エンジンをかけるのに車を押そうが、タイヤがパンクしようが、車が壊れようが、、、 目的地にちゃんと辿り着くかどうかさえもっ!! こちらの移動事情はそんなものなのである。





 出発してしまえば後は快適だったり、不快だったりする移動を、地元の人々と触れ合いながら束の間の時を過ごす。 それは、それなりに楽しい旅路ではある。

 道はそれなりに整備されているので、その面で心配はないが、ただ車内は非常に狭い。 体もギュウギュウ詰めだし、足を動かす場所すらもほとんどない。 時に乗客が降りたとして、束の間のゆったりスペースを楽しんだとしても、すぐに次の乗客が乗ってくるのが当たり前なのだ。

 移動中はかなり暇なのでいろいろと考えたりするが、いつも思う事は、「 一体いつまでこんな事をしているのだろう? 」とか、「 いつものこの繰り返し、、、 」とか少し消極的になりがちではる。



 いや、実際いつまでこんな移動を繰り返していくのだろうか、、、?






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by hitoshi280477 | 2006-01-29 14:06 | Senegal

Senegal vol.4 「 ゴレ島に行く 」

a0086274_1916131.jpg ダカールからフェリーに乗る事約30分、、、 小さな島がある。

 ゴレ島だ。

 何故この島に来たのかと言うと、実はこの島は以前は西アフリカからの奴隷の積み出し港で有名だったからだ。 今ではその当時の使われていた建物なんかが世界文化遺産に登録されていて、セネガルでは観光の目玉となっている場所なのだ。 そこに行けば、少しは当時のアフリカ人奴隷の歴史を少しは知れると思い、僕も他の観光客に混じってやって来たのだ。




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 短いながらも爽やかな船の旅が終わると、そこは以前は奴隷貿易で重要な中継地点とされていた島なのだ。 見ればダカールの街の高層ビル群が見える。 それ程近いこの場所は、奴隷証人たちが捕まえてきた奴隷たちを逃がさないように捕獲しておくには最適の場所だったのだろう。




a0086274_19163416.jpg その当時の様子を伝える建物として一番有名なのが、「 奴隷の家 」と呼ばれる館だ。

 少し変わった面持ちをしたその建物の中では、以前は奴隷たちが年齢・性別分けされて閉じ込められていた部屋が、現在では当時の様子を紹介する展示物が置いてある。 それによると、特に18~19世紀にかけては奴隷貿易が最高潮に達していたとされ、何百万ものアフリカ人が奴隷としてヨーロッパ、北米、中米、南米、そしてカリブ海などに連れ去られていったと記されている。

 悲惨な運命を辿った当時のアフリカ人奴隷のことを思うと、何ともやるせない気持ちになった。




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 島は静かで、感じの良い所だ。 もちろんダカールから日帰りでやって来る観光客の多さから、それと比例するようにお土産物売りの数も多いのだが、それを差し引いても少しゆっくりの出来る所ではある。 特に、ダカールのあの人と物と建物で密封されたような環境からやってくると、尚更そう思ってしまう。

 それに、島の高台から見下ろす街の景観の良い事や、視界を遮る事のない海の広さは言うまでもなく心地良くて、少し気分転換をする事が出来る。



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 そののんびりとした景観と雰囲気からは、とてもここが以前奴隷貿易の拠点として成り立っていたとは信じ難い。 何故かこういう所に限って、そういった悲しい過去があるものなのだ。

 今後、この地がこれからの人類に対してどうあるべきなのか、何を伝えていくのか、、、 そんな事を思うと、ちょっと気軽にやって来た自分の気持ちをどこか引き締めるような気になった。

 僕にとっては、ここを訪れた事が今まで本や教科書で読んだだけの出来事から、もう少し現実味を帯びたものになったし、歴史を知ることの大事さを改めて学んだ気がする。 それに、僕自身に「 ブラック・アフリカ 」にいることを強く認識させるきっかけにもなった。



 今後、もっとたくさんの人がここを訪れて、その歴史の過ちから何かを学びとってくれることを願う。 人類が同じ歴史を繰り返さない為にも、、、


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by hitoshi280477 | 2006-01-28 13:35 | Senegal

Senegal vol.3 「 長居は無用 ダカール 」

 ダカール。

 セネガルの首都であり、西アフリカを代表する大都市だと聞いていた。 旅行者にとっても、ここが一つの基点になることは間違いない。 街中にこれといった見所があるわけでもないが、交通の基点になることや、ここでこれから先のビザを取得するなど、やはり旅行者には外せない場所ではある。 というわけで、好むと好まざるとに関わらず、ほとんど選択肢のないまま、僕もダカールに来てしまった、、、

 西アフリカ随一の大都市とあって、なるほど街中で目にするビルは背が高く、道路には車や人が多く、軒先にはたくさんの品物が並んでいた。 都会だ。 あの都会独特の落ち着かない程感じのする人と物の流れがあって、どこか雑で尖った雰囲気のする所だった。





 別にダカールに特別な用は無かった。 ここでビザを取る予定もないし、飛行機に乗る予定もないし、特に観光を予定にはしていなかった。 それでもここに来た理由はあった。

 これから目指すマリのバマコへは、ここダカール発の列車が最適な選択と聞いていたからだ。 そして、わざわざ下調べをして、土曜日発の列車に合わせてここに来たのだ。 結局、その列車は乗れなかったのだが、その予定がなかったら、別にここに来ようとは思わなかったかもしれない、、、





 ダカールの物価は高い。 街中のレストラン、と言っても安食堂のような感じの所、ですら他の街より遥かに高くつく。 例えば、300mlの炭酸ジュースで700CFA(=約150円)もする。 普通なら、恐らく250CFAくらいだろうにっ! 好物であるシャワルマだって、1200CFA(=約260円)もする。 サン・ルイだったら、それが700CFAで食べれたのにっ! まあ、それも大都会の真ん中で食事をしているのだから、しょうがのないことだが、、、



 宿代だって、ここは旅行者泣かせで有名だ。

 特に西アフリカは一人旅には宿代が高くつくと言われていたが、ここ程それを痛感した事はなかった。 というのも、元々、西アフリカにはドミトリーやシングルベッドの部屋はあまりないと言われていて、その為に一人の旅行者たちは一部屋分を一人で支払わなくてはいけないので、高くついてしまうのだ。 そして、旅行者の少ない西アフリカ、実際西洋人はそれなりにいるが、部屋をシェアする人は見つからないのだ。 それに、ダカールには安い宿はないことでも知られている。 「 きっと皆グルなのだっ!! 」と、そう思いたくなる程なのだ。

 そういうわけで、アテにしていた宿に転がり込むと、一人で二つベッドのある部屋を取るしか選択肢はなかった。 実際、既にその話は聞いていたからある程度は覚悟していたものの、部屋代は10000CFA(=約2200円)もしたっ!! そんなに高い部屋代をまさかアフリカで払うハメになろうとは予想以上だった。 

 少々悩んだものの、結局ダカールには長居をしないと決め込んでいたので、しょうがなくその部屋に滞在する事にして、その分出発日は絶対厳守の2日後にすることにした。



 泊まっていた宿のある界隈は、ガイドブックによれば日本の銀座のような所であると書いてある。 僕の感想としては全くそんな感じはしないが、人と物の量が多い事だけは確かだ。 それとビルの背の高さがここを「 都会 」と言わしめる理由なのかもしれない。

 後は馴れ馴れしい物売りが道に氾濫していることぐらいで、特にこれと言って楽しい事や目新しいことは僕には見当たらなかった。 もっとも、たかだか2泊したくらいではその街のことなんかが分かるわけがないし、ある街に対して自分の期待感や先入観をぶつけることは間違っているのだが。



 ずっと感じていたことは、「 早くダカールを出たい 」ということだった。

 もちろん物価高のせいで落ち着かないのもあるが、それ以上にここに興味を惹かれなかったからだろう。 わざわざアフリカまでやって来て、長居したい場所ではなかった。

 もちろんこれも「 アフリカのある一面 」として捉えられれば良いのだが、、、






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by hitoshi280477 | 2006-01-27 13:33 | Senegal

Senegal vol.2 「 サン・ルイの街 」

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 朝起きた時には、まだ迷っていた。 別にここにもう一泊しても、しなくても良かった。 今後の予定を考えてみても、ここにもう一泊出来たし、次の街ダカールは宿代が高くつくという事もあって、もう一泊したほうが良さそうなのは分かっていたが、、、

 とりあえず街に出てみる事にした。 午前中だけ街を見て、もしそれからダカールに向けて出発しても充分日中には到着出来るからだ。 そう言う訳で、まだ日が昇りつつあるサン・ルイの街を歩いてみる事にした。

 サン・ルイはかつてフランス植民地時代に栄えた街で、セネガル川にある中州が特にその当時の雰囲気が建物に見られるそうだが、実際のところはそこまで味のある街ではないそうだ。





 細長い中州にいるので、とりあえず川の様子でも見ようと思って街の外れまで歩いて行くと、すぐに川にぶつかった。 ちょうど東進していたので、朝日が昇って行く様子が見えた。 セネガル川の水面がキラキラを輝いていて、その向こうには昨日の夜に歩いて来た橋が見える。

 少し路地に入ると、確かにコロニアル風の家や壁がある。 ただそれ以上は何もないというのが最初の感想だ。 しかも、コロニアル風といったって、ただの西洋風の家があるだけだし、、、



a0086274_1935037.jpg それでもしばらく歩いていると、子供たちがサッカーをやっている所に出くわした。 川と建物に挟まれた道路で、何人もの子供たちがサッカーをしている。 その光景はなかなか絵になるものだった。 それに皆結構上手なのだ。 ボールと言えば、何かボールっぽいものを蹴っているだけなのだが、それはどうでも良かった。 彼らが楽しそうにそのボールっぽいのでサッカーをやっている見ていて、何だかこちらも楽しくなる気分になった。 いつだか自分もそんな風にして遊んでいたものだから、、、

 一体学校にはこれから行くのか、もう行ったのか? よく分からなかったが、いつまでも続くサッカーを眺めていてもしょうがないので、もう少しその先へと行くことにした。



a0086274_1942778.jpg そしたら、今度出会ったのは中学生くらいの女子たちだった。 通りの反対側からこちらにフレンドリーに手を振って来る様子を見て、「 これは少し何かあるかもしれない、、、 」などと思っていたが、彼女たちは本当にフレンドリーだった。 他のガキンチョのように何かをねだる様なことはなかった。

 僕が何人なのか、ここで何をしているのか、何歳なのか、、、 などとそんな会話を、つたない仏語を全開にして話をした。 実際、仏語はほとんど出来ないのだが、言葉がそこまで出来なくてもいつも何とかなるもんだ。 それに、そこまで重要な会話を女子中学生とするとも、したとも思えないし。



 「 写真を撮らせて欲しい 」 そう願い出た。



 いつも写真を撮る時には、なるだけ少し話をしたり、接点があった時だけにしていて、それ以外は写真はあまり撮らない事にしている。 彼女らの場合は、話をしているうちに彼女らの無邪気な所が気に入ったので、ある意味記念に写真に収めたかったのだ。 が、それからが大変だった。

 逃げる、逃げる。 ほとんど「 逃げ惑う 」という言葉がピタリと当てはまりそうな程、彼女らはそこいら中を逃げ回った。 これじゃあ、僕がまるで悪い事をしているのか、変態扱いされているようだ。 実際、逃げ惑う人を写真に収めたいとは思わないのだが、肌の色が違うとはいえ、彼女らも普通の女子中学生だと思うと、何故か微笑ましく思え、俄然写真に収まって欲しかった。

 何とかなだめたり、カメラを使わせてあげたり、また違う話をしたり、、、 まるでごまを摺っている様な状況だが、まあしょうがない。 若い女の子はよくわからんからっ!



 結局、別れ間際に皆が集まっている写真が撮れた。 後で落ち着いてから良く見てみると、なかなかよく撮れていた。 彼女たちの表情もまた良かった。 写真として思い出にもなったが、彼女たちとの出会いもまた素敵な出会いではあった。

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 中州の街を闇雲に歩いていたら、今度は中州の先端部分へと出た。 その向こうに何かが見えるので、僕は自分の好奇心にそそられるままにそちらに歩いていった。 たくさんの船が見えたので、どうやら船着き場のようだった。

 対岸にあたるその場所には数えきれない程たくさんの船が並んでいた。 その幅約2km程に渡って岸に上げられた船の様子が見える。 見ると、船からは投網が降ろされたりしていた。 よく見ると、小さな子供たちも手伝っている。  更によく見ると、辺り一帯はゴミの山だった、、、

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 まだ3~5歳くらいの子供たちが、たくさん集まってその投網を船から引きづり出している。 普段なら微笑ましい光景だが、こんな環境では少し考えてしまうのものがあった。 明らかに劣悪な環境だ。 別にそこで仕事をしているわけでもなく、ただ家族の手伝いの為に呼び寄せられているのだと思う。 きっと小遣いもご褒美もへったくれもないことだろう。



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 それは、何とも言えない光景を目にだった。 というのも、僕はセネガルはもう少し裕福な国だとばかり思っていたから、、、





 結局、ダカール行きは翌日に延ばした。 特にこれと言った理由もなかったが、午前中に出会った人々、見た出来事を頭の中で消化するのにしばし時間が欲しかったからだと思う。

 そういうことで、サン・ルイには二泊したのだが、後から考えるとそれで良かったのだと思った。 そうすることで、セネガルのある一面を見る事、知る事が出来たのだし、僕の先入観というか、勝手な想像を覆す貴重な経験をしたことになるのだから。

 そう捉えるようにしたい。







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by hitoshi280477 | 2006-01-26 13:32 | Senegal

Senegal vol.1 「 噂の腐れ国境 セネガル側 」

 船がセネガル側に到着した。 やけに慌てて降りる地元の人のことは放っておいて、ゆっくりと船を降りる事にした。 これでセネガルに到着したことになる。 特に感慨深いものは何もなかったが、何はともあれ次の国に進んだのだ。

 船を降りる間際、パスポートは回収された。 他の人の身分証明証も一緒だったので、とりあえず心配はなさそうだが、回収したイミグレ担当官のぶっちょう面が気になった、、、



 目の前にある小屋がどうやらイミグレのオフィスのようだ。 何の変哲もないただの小屋だが、ここが噂の腐れ国境セネガル側なのだ。 辺りには両替屋がウロウロとしていた。 とりあえず先程のモーリタニア側で問題は特になかったので、今回も僕はただ黙って、じっと待つことにしていた。



 周りにはたくさんの人がいたが、そのほとんどが小屋の窓口に詰め掛けていた。 中にはすぐに身分証明証を受け取れる者もいたが、ほとんどの者は先程のモーリタニア側同様、ある程度はアピールしないと駄目なようでもあった。

 しばらくして、窓口の空いたスペースに飛び込んだ。 これでやっと中の様子が見える。 がらんっ とした小屋の中には、ただ机が置いてあって、その上にパスポートやら身分証明証やらが無造作に散らばっている。

 隣に並ぶ人たちのアピールは凄いものがあって、皆口々に何かを言っている。 中には伸ばした手の先に、まるで餌のようにお金をぶら下げている人もいて、その餌を与える人の身分証明証は比較的すぐに戻されるのだった。

 黙って見ていたが、、、 というか、気が付けば口を開けたままその様子を見ていた。 押し寄せる人たちからは、次々にお金が担当官の手に渡り、事は済まされていく、、、 金額自体は大した事はなかったが、驚いたのはそのお金のやり取りの量だっ! しかも、中には100ユーロ(=約14000円)を出している人もいた。 フランスのパスポートを持っていたから、きっと出稼ぎでもして来たのだろうけど、それにしても100ユーロは多過ぎるっ!! もちろんお釣りなんかある筈はない。



 先程のモーリタニア側とは違い、こちらのお金のやり取りは凄過ぎる。 正直、少し圧倒されてしまって、やはり幾らかの餌を与える必要があるのか考えてしまった。 ほとんど手持ちの現地通貨はなかったが、いざとなったら靴下に折り込むようにして隠してあるウーギアを掴ませれば良いやとさえ思い始めていた、、、

 そんなこんなの内に、机の上にあった赤いパスポートに担当官の手が伸びた。



 「 Japan !! 」



 そう呼ばれると、ただ返事だけをして、何も知らないフリをしてニコニコとしていた。 担当官はこちらをちらりと見ると、特に何も言わずに入国記録ノートに僕の事を記入し始めたっ!

 先程と同じく、何も言わず、ただじっと待っていたのが良かったのか、とりあえず無事に入国出来そうだった。 担当官がノート記入中はドキドキしていた。 担当官が作業中に横から話しかける奴に対しては、つい ムカッ としてしまった。 何せこの人たちは、一度に二つのことは出来ないし、集中力がないのだから、それを邪魔する奴はまるで敵だった。

 サラサラと動くペンを食い付くように見ていたが、どうやら何の心配もないようだった。 ただ、入国のスタンプを押す時になって、モーリタニアの出国スタンプを探しているようだったので、先程あった二つの出国スタンプ事件を世間話のようにして、餌のことは何とかはぐらかそうと努めた、、、





 船を降りて約20分。 また難なく入国審査を終える事が出来た。

 振り返ってみれば、慌てず、何も言わなかったのが逆に良かったのかもしれない。 事実、ここではたくさんの外国人、もちろん日本人旅行者が賄賂でもめている国境なのだ。 なので、ある程度心の準備だけはしていた。 まあ、別に何ら難しいことなく、彼らに餌さえあげればそれで話はそれで終わりなのだが、他の旅行者、特に日本人はそういった曲がった事が嫌いな性格が災いしてもめるそうだ。





 噂の腐れ国境。

 思ったよりは歯ごたえがなかったように感じられるが、それは後になってからだから言える事なのかもしれない。 これから先はブラック・アフリカなのだ。 きっとこういう事が少なからずあるのだろうな、、、






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by hitoshi280477 | 2006-01-25 13:30 | Senegal

Mauritania vol.10 「 噂の腐れ国境 モーリタニア側  」

 正午前、国境のロッソという街まで行く車はすぐに見つかった。 乗り場とは言われていたが、そこはただの交差点だった。 二台並んでいたベンツの運転手同士が話し合いで決めて、一台のベンツにお互いの乗客を集めることで、僕らはすぐに出発することになった。 少しお金がかかり過ぎている様な気もしたが、疑い深く他の乗客の支払いを見ていると、僕も皆と同じ金額だった。

 目指す国境はヌアクショットから約200km。 予定では、2時間半後の午後2時半に着く計算だ。

 驚く事に道はかなり快適だった。 これほど快適な道を想像していなかったが、それは同時に人々のモーリタニアとセネガルの交通量が多い事も指し示しているのだろうと思った。 嬉しい誤算は、その道を小型とはいえベンツで行けた事、それと車窓から眺める景色の中にはすぐ近くに砂丘が常に見え隠れしていたことだ。 道中、ずっと快適だったのは言うまでもない。





 「 腐れ国境 」 そう旅行者の間では呼ばれている国境が、このモーリタニアとセネガルの国境だ。 何がどう腐っているのかと言えば、話は簡単で、イミグレ担当官がまともに仕事をしてくれないのである。 彼らにまともに仕事をしてもらうには、ある何かが必要になるのだそうだ。それは、もちろん「 お金 」だ。 まあ、アフリカらしい国境ではある。



 僕らを乗せたベンツはロッソの街に午後2時に到着した。 降りてすぐ顔を上げると、ワラワラと群がって来る汚い恰好をした子供たちの向こうに人々が集まっているのが見えた。 きっとあそこが国境なのだろう。

 そこまで歩いて行くと、たくさんの人々が門らしき前で座り込んで何かを待っている様子が伺えた。 そして、大きな門の横では、軍服を来た男が小さな門の開閉を操っていた。 時折、数人が通るものの、その他大勢の人々はその目の前で座ったままだ。 察するに、まだ開門の時間ではないのだろう。

 ある軍服を着た男が、すぐに僕を見つけてやって来た。 こんな所に東洋人が一人で、しかもバックパックを背負っているのだから見つけ易いのは分かる。 男は挨拶もなしに、「 スタンプが欲しいのなら、2000UM(=約800円)だ 」と言って来た。 話を知っていた僕は、軽く笑っていた。 そしたら、すぐに「 1000UMでどうだ? 」とも言って来た。 馬鹿らしい。 元々、払う必要のないお金をまけてもらったからといって払う筈がないし、それにこちらは時間があるのだ。とりあえず、周りはたくさんの人がいたので、彼らとしばしの運命を伴にする事にした。







 30分程して、それまでただじっと座っていた人々に動きがった。 どうやら開門の時間のようだ。 話に聞いていた通りに、彼らの休憩時間というものがあって、その間に国境を渡りたい者には、彼らに少しばかりのお土産が必要でありそうだった。 人々が押し合いをする中、僕は何とか小さな門を通った。

 「 my friend ! 」とか、言って来る若い奴が門の内側にいて、勝手に着いて来て、そして僕をイミグレのオフィスまで連れて行こうとする。 彼の案内なんかなくても、人々が群がっている方向を辿って行けばすぐに見つかる訳なので、彼が最後に欲しがっていた お土産 はもちろんあげなかった。



 人々が密集するオフィスの窓口では、たくさんの身分証明書や運転免許書、それにパスポートがたくさんの手を介してやり取りされていた。 たまにオフィスの中でちらほらと見える現金にはあまり気を取られないようにして、僕はじっと待ち続けた。 時間はあるのだから、焦って事を面倒にする必要はないのだから。

 そのたった一つの窓口には約20人以上の人間が、自分の身分証明書を取り戻そうと躍起になっていた。 押し合いだけならまだしも、皆が口々に自分の名前を言ってたり、自分のを早くするように促していたりするので、もう大混乱だ。 何故、待てないのだ?



 しばらくすると、僕のパスポートが担当官の目にとまった。 もちろん一人だけ色が違うのだから、気付かない筈がないのである。 そして、恭しく僕のパスポートをチェックし始めた。

 ハッキリ言えば、出国のスタンプをもらうだけなのだから、何の問題もない筈なのだ。 そのスタンプを押す事ぐらい子供ぐらいでも出来る。 というか、あまりグダグダ言うようなら、僕はもらう必要もないとさえも思っていた。 一体何処の誰がモーリタニアの出国スタンプのことなんか気にするのだろうか? そう思っていた。 それに、僕のパスポートには既に数えきれない程のビザやスタンプがあるのだから、自分ですらすぐに見つける事は出来ないのだ。 それ程なのに、、、



 彼が恭しくチェックする最中に、事件は起こった。 その時まで、いつ剥がれてもおかしくなかったパキスタンビザが、彼がページをめくった際に完全にとれてしまったのである。 僕はさも大きな問題が起こったかのように、「 あ~っ! 」と大きな声を立てて周囲の関心を集めようとした。

 焦った担当官は、僕に謝り、急いで出国のスタンプを押すと、隣のノート記入係に僕の出国を記入するよう言って何処かへと逃げてしまった、、、



 またしばらく待った。 というのも、このノート記入係は、鶏のような奴で、一度にたくさんのことが出来そうもなかったからだ。 なのに、目の前には身分証明書の山、そして脇からは誰かからのお土産を手にした他の担当官が彼の仕事を急かすのだ。 こちらは時間があるので、別に黙って待っていた。

 彼と目が一瞬あった時、僕は「 mon passpore 」とだけ言った。 彼はすぐにノートに僕の出国を記入してくれたが、その記入が終了後、またスタンプを押そうとしていた。 何のスタンプかは見えないので僕は黙っていたが、後で見てみると先程の担当官が押したスタンプと全く同じものが、全く同じページに押してあったっ! どうして同じページにあるスタンプが見えないのか? しかも、ページの半分はありそうなくらい大きなスタンプで、更には綺麗に平行になるように押されているっ!!



 「 こいつらは何者なんだ? 」



 本当にそう思った。 自分の仕事も満足に出来さえしないのに、人からお金を奪う事ばかり考えている。 とんでもなく最低な奴らだ。 もっとも、こちらは一銭もあげなかったから被害はないが、これがこの国の役人たちなのだ。 まあ、しばらくモーリタニアを旅行してきて、それは納得出来る話だったが、、、







 ゼネガル側の国境へは、小さな船か、車を運べる程大きな船でセネガル川を渡る事になる。 大きな船の方が、人が多かったので、そちらで行くことにした。 小さい船では厄介になると話を聞いていたからだ。

 船の真ん中へと行き、辺りに人がいる所で荷物を降ろした。 「 ふ~っ 」と一息ついた所で、先程から荷物代を払えと言ってくる輩に気が付いた。 乗る前からしつこい奴だったが、乗れば諦めるだろうと踏んでいた僕の予想とは違い、奴はしつこく食い下がって来た。 元々、どちらでもお金を払う事に対しては良かったのだが、嘘を言って来る奴も多いので、本当にここで荷物代を支払う必要があるのなら追っかけて来るだろうと思って放っておいたのだ。 そして、実際奴は着いて来た。

 それでも何だか怪しいので、辺りにいる人たちの関心を集め、その皆に聞くと「 払うのが普通だ 」というような素振りを皆している。 僕は「 皆が荷物代なんか払う訳ないだろっ! 」と言ったが、彼は頑として荷物代を請求して来る。 そして、ここまであのベンツで一緒に来た女性がたまたま近くにいたので尋ねると、やはり「 払うのが普通 」と言っている。



 100UM(=約40円)。



 それが僕の荷物代だった。 一応、ちゃんとしたレシートをくれたが、それでもやはりうさん臭かったので、再度周りにいた連中に尋ねてみると、やはり嘘のようだった。 あまり仏語がわからないのでしょうがないが、やはり頭に来た。

 そして、今朝習ったばかりの嘘という言葉をメモした紙を見せて、「 お前らの国はこれ(嘘)ばっかりだっ!! 」と大声で言ってやった。 そして、「 自分の国、日本ではそんなことはないんだぞっ!! 」と日本語で思い切り言ってやった。 皆、もちろん日本語は分からないので、唖然としていたのが笑えて、気分が すっ とした。



 船は間もなくセネガルへと到着しようとしていた、、、





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by hitoshi280477 | 2006-01-25 12:30 | Mauritania

Mauritania vol.9 「 両替問題再燃  」

 出発の日の朝、やはりこれから先のことを考えて、少し手元に(西アフリカではかなり有利な)ユーロを持っておくべきだと思った。 西アフリカに飛んで来る時からずっと考えていた事なのだが、出発したアルゼンチンではまだ検討中で、経由したイタリアではATMが故障中で出来ず、モロッコではレートが悪かったので両替しなかった。 しかし、これから先のことを考えれば、ユーロの方が圧倒的に有利だし、いざという時になって便利だろうからだ。 そういう訳で、ヌアクショットの銀行へと向った、、、

 がっ! これが大失敗だった。



 ヌアディブの街で両替をした時には、明らかに銀行の方がレートが良かった。 なので、ここヌアクショットでも同じだろうと思い、また街の私設両替屋があまり好きでないことから、やはり銀行で両替することにした。

 レートを確認して、$100現金を両替する。 銀行員が僕に手渡した両替証明書には、先程のレートとは違う合計金額が記してあった。 手数料だ。 もちろん事前にそんな事を話してくれる訳がなく、手数料がかかるのかどうか尋ねなかった僕が悪いという事になる。 まあ、それは良しよう、、、



 再び街へ出た。 今度は私設の両替屋にて、ユーロを購入する為だ。 昨日、何となく調べておいた両替屋を数件廻るが、困った事になんと両替が出来ないそうなのであるっ! こちらは$100分ものモーリタニア通貨であるウーギアを手にしているのである。 こちらの物価を考えれば相当なものだし、何よりも今日にも出国するつもりなのに、、、

 半分パニックになって、話を聞いていみると、何と同じ両替屋か銀行でしか再両替、もしくは外貨の購入は出来ないそうなのである。 その為には先程銀行でもらったような両替証明書が必要になるとか、、、 大問題だ。

 急いで銀行に戻り、銀行でユーロ購入が可能かどうか尋ねたが、予期していた通りに答えは NO だった、、、



 何たることだ。 こんなに大量のウーギアを持っていてもしょうがない。 一度外国に出てしまえば、この国の通貨なんかただのゴミに等しい。 それは言い過ぎかもしれないが、実際それほど価値はないのだから、もし仮に$100分のウーギアを全額を国境で再び両替出来たとしても、国境の両替屋のレートが良いわけはないのだから絶対に損をしてしまう、、、 それも、かなりの額をっ!!



 冷や汗をかいている自分に気付いた。 もう出発予定時間まであまりない。 あまり早過ぎてもしょうがないから、こうして両替をする時間があったわけだが、このままでは出発出来ない。

 困った。本当に困った。 久しぶりに頭の中がいっぱい、いっぱいだ。

 とにもかくにも、手元のウーギアを何とか米$かユーロなどの他の使える通貨にしなくてはならない。 焦る気持ちを抑えて考えていると、そこに白人旅行者2人が現れた、、、 もちろんその白人旅行者2人に飛びついた! そして、事の次第を説明した。



 彼らの宿泊している宿に行くことになった。 先程の銀行で両替レートを確認してもらい、こちらは作成したての両替証明書まである。 きっと彼らが再両替してくれるだろうという期待と、ある種の確信はあったが、それは最後まで分からなかった。

 両替をしてくれそうだったのは、おじさんの方だった。 一緒にいた若い女性の方は、まるで通訳のようにして間に入っていてくれたが、彼女曰く国境でも両替には何ら問題はないそうなのである。

 しかし、そんな良い話がないのを知っているのは僕の方だ。 両替屋というのは、ほんの少しの為替レートの差額か、もしくは手数料で利益を上げているのだから、それを$100分もしてしまったら、大損するのは目に見えている。 しかも、場所が悪い。 国境なのだ。 国境を過ぎてしまえば、為替レートは更に悪くなってしまうのが通説だ、、、 状況は圧倒的に悪かった。

 それに、その宿で働いている人の友達が国境の街に住んでいるから、その人に両替してもらった方が良いとか、その人の電話番号を持って行けだとか、わいわいと言っていた。 こちらはそんな下策は獲れる筈がないのだ。

 しかも、宿の従業員の友達? 電話番号? こちらはまともに仏語を話せないのにっ!?

 彼女の言う事は、放っておく(無視)しかなかった、、、



 しばらくすると、おじさんが部屋から戻って来て、手元には$20を5枚、$100分を持っている。 そして、お互いに金額を確認し合うと、おじさんは快く両替を承諾してくれた。

 助かった。

 しかも、$20を5枚でくれたので、今後の両替やビザ代を支払う時には細かいお金があって助かる。



 おじさんに何度も感謝をし、出発予定時間までも時間もないことから、早々にそこを後にした。



 しかし、結局、自分の宿に戻って宿代を清算する時に、やはり手持ちの現金が少ないことから、もう$10だけ両替を宿にお願いした。 もう頭がこんがらがってしまっているが、現金がなくて困るのは自分なのだから、用意だけはしておくべきだと思った。

 自分で考えて、行動をして、そして問題を抱えてしまい、何をやっているのか意味が分からなかったが、一人旅の事情は皆こんなものだろう。 特に、お金に関しては、いつも問題になってしまう。 不思議と、それが「 持っている 」と、「 持っていない 」とに関わらず、、、

 後になってみれば、それも旅の一部と笑えるのだろうが。






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by hitoshi280477 | 2006-01-24 12:28 | Mauritania

Mauritania vol.8 「 魚は採れるんですが、、、  」

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 「 砂漠の国 」とばかり思っていたモーリタニア。 そこには意外な事実があった。 アフリカ大陸の一番西にあって、大西洋に面しているのだから当たり前だが、実は魚がかなり豊富に獲れるそうなのである。 その事実を確かめるべく、「 port de peche 」という漁港に行くことにした。



 ヌアクショットの街中から、およそ5kmほどしか離れていないその場所は、ガイドブックで紹介される程の場所だ。 もっとも、観光客にとっては見所の少ないヌアクショットだけに、そんな場所までも掲載されているだけなのかもしれないが、、、

 タクシーでそこまで行くと、その界隈の賑わいに、その漁港の大きさを感じた。 実際、ガイドブックに載っているからといって、限りなく寂しい漁港であるかもしれないと危惧していた僕にとっては嬉しい事だった。

 タクシーを降りて、海の臭いのする方向へと歩いて行けば、そこには大きな石で出来たテーブルの上にたくさんの魚が並んでいた。 どんな魚なのかを確かめる前に、行商のおばちゃんたちの観光客に向ける嫌な視線が気になったので、とっとと浜へ出た。



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 日はまだ高かったが、サングラスをしているせいで、水面がギラギラと光る大西洋の海に浮かぶたくさんの船を見た。 少々、波がキツいようだったが、それでも海にはかなりたくさんの船が出ていた。 そして、思ったよりも岸に近い場所で漁をしていることに驚いた、、、



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 砂浜には、もう今日の漁を終わって帰って来たのか、それとも今日は漁へ出なかったのか、数えきれない程の船が並んでいた。 その姿は壮観で、またそのどれもが派手で独特なデザインのペイントが施されていた。 きっと大漁や安全を祈願してのものなのだろう。



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 しばらく砂浜でそんな様子を眺めていると、今度はちょうど浜に戻って来たばかりの船を見た。 もちろんエンジンなど付いていないのだから、その辺りにいる人たち総出で波打ち際から船を砂浜へと押し上げるのだ。

 その様子はあくまで原始的であったが、それがここのやり方なのだろう。 十数人の男たちが、やっとの思いで船を砂浜へと上げると、今度は船の下に丸太を幾つか敷いて押し始めた。



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 見ていて思ったが、思っている以上に漁獲量は多いようだ。 小さくもなく、大きくもない船だが、どうやらその船底にはたくさんの魚があるように思えた。 傍らで待機するロバ車の数が、そう思わせただけなのかもしれないが、、、



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 すぐ真横では、そこで直売でもするつもりなのだろうか、よく見るおばちゃんたちの行商人が座っていた。 こちらにはあまり関心もなく、また何処かへいく様子もなく、ただ単に魚が運ばれていく様子だけを注視していた。




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 聞いた話、モーリタニアの漁業権は今現在はEUのものらしい。 何でも、モーリタニアはEUに借金だかなんだかがあるそうだ。 という訳で、こんなに地元の人がせっせと働いていても、実際にその恩恵に預かるまでには、一度EUに輸出して、加工品を輸入する様な変な過程を経てらのことだとか? 具体的な話はよく分からないが、事実、今日獲れた獲れたての魚が、彼らの家庭のテーブルに着くのには少々時間がかかるそうだ。



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 詳しい事はうよく分からなかったが、今現在でも欧州にいいように搾取されるアフリカの現状を垣間見た気がした。 搾取されていると言えば言い過ぎかもしれないが、自分たちの国の資源がまず他の国の利益になっていることを考えれば、やはりそれは事実なのだろう。 一般労働者たちは、分かっているが、きっと何も出来ないのだろう。

 そして、その陰で私腹を肥やしているお代官様みたいのがきっといるのだろう、、、 と思った。






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by hitoshi280477 | 2006-01-23 02:30 | Mauritania