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Ghana vol.6 「 抜け出せない迷路 」

 西アフリカでは大都市と言えるアクラで忘れることが出来ない場所が、「 ジェームズ・タウン 」だ。 アクラの街を海に向って歩いて行くと、そんな場所がある。 そこは、「 アクラの本当の地元の人が住む街、、、 」と、ガイドブックには紹介されている所であり、小さいながらも灯台があるそうだ。

 マコラ・マーケットの先へと歩いて行き、少し西へと進むとそこがその「 ジェームズ・タウン 」。

 特にこれと言った見所があるわけではないことは承知の上なので、とりあえずその灯台とやらに向う。 道中、横から「 チンチョンッ(中国人の意味) 」とか、「 ジャッキー・チェン 」とか、しょうもない言葉を投げかけてくる奴らがいる。

 しかも、通り過ぎる時になってコソッと言う奴が多い。 振り返って見てみて、小さな子供がカンフーのマネをしているくらいなら可愛いもんだが、大の大人がそんなことをしているのである。

 ただのアホだ。

 終いには、「 こっちに来いっ!! 」とかエラソーにふんぞり返って呼んでくる奴がいる。 用があるなら自分から来いってんだ。 実際、「 こっちに来いっ 」と言い返すと、笑って誤摩化したりしやがる。 本当にどうしょうもない奴らだ。 ここには、そんな奴らが多過ぎるっ!!


a0086274_22132684.jpg 何の変哲も無い灯台を、そのままやり過ごしてしまうのもなんだか悔しいので、とりあえず写真に収める。

 すると、タイミングを見計らったかのように誰かが文句を言ってくる。 何だか意味が分からないので、始めのうちは相手にしなかったものの、なんだかんだと言ってくるのに頭に来たので、こちらも散々言ってやった。

 始めは威勢がよかったクセに、こちらが引かないことを知ると急に弱腰になるのが黒人だ。

 「 写真を取るなっ 」とか、「 金を払えっ 」とか言ってたクセに、最後には「 俺は仕事が無いんだ、、、 」とか訳の分からん事を言ってくる。 そうやって同情を引いてお金を恵んでもらいたいのだ。 とんでもないヤツがいるもんだ。





 波止場の方からアクラの街並を拝見出来ないものかと思い、埃とゴミと汚臭にまみれた所を歩いて行った。 やはりここでも東洋人が珍しいらしく、皆がそろって「 チンチョンッ! 」とか言ってくる。 皆、暇過ぎるのだろう、、、

 大西洋が見えるかと思い、その波止場に登って驚いた。 その波止場がゴミにまみれているのは遠くからでも伺えたが、実際そこに立ってみると、そこには数えきれない程夥しい数の「 人糞 」があった。 実に、足の踏み場もない程の数だ。

 中にはまるでミイラのようになった風化寸前のものもあったが、目の前で人が用を足しているのも確認出来た。 これまで旅行して来て、ここほど酷い場面を目にした事は無かった、、、



 波止場の内側には、たくさんの小さな漁船があった。 漁師であろう男たちが船の手入れなり、網の手入れなりをしている様子が伺えた。 その奥には恐らく彼らの家であろう、屋根のあるような無いような、壁のあるような無いような、廃屋のような建物があった。

 日が傾きかけ、彼らのそんな様子が逆光になりだした頃、何度かシャッターを切った。 きっとそれなりの絵になるだろうと思って構図を考えながらシャッターを切っていた、、、

 そしたら、先程まで目の前で座って用を足していた男が近付いて来た。 そして、こう言った、、、



 「 ここで写真を撮ってはいけない 」

 「 何故だ? 」

 「 、、、ここは写真を撮る場所ではないからだ 」

 「 何故? ただ風景を撮っているだけだろう? 」

 「 、、、金を払えっ 」

 「 何故、お金なんだ? 」

 「 、、、ブラック・マンのルールだ 」

 「 何だ、そりゃ? お金を払えば良いのか? 」



 そこで頭に来た。



 「 大体、なんでお前らはお金のことばっかりそう言うんだ? お金を払えば全てが解決するのか? なんだ、そりゃ? 結局は、お金なのか? お金さえ払えば、それで良いのか? お前らのルールってのはお金なのかっ? 」



 この辺りに来た時から、なんだか頭に来る事が多かったので、大声を張り上げて言いたい事を怒鳴り散らしてしまった。 相手は英語が分かるということもあったのはもちろんだが、、、

 そんな僕の怒鳴る様を見て、男は しゅんっ としてしまっていた。 どこかしょげていて、あたかも反省しているような、そんなつもりではなさそうな態度になっていた。 そして、こっそりと謝っていた。

 黒人には、ビビる奴が多い。





 日が沈む前にジェームズ・タウンというこの不快極まりない界隈を出たかった。 さすがに夕闇の中で黒人とやり合う気はない。 しかも、こちらはアウェイで一人、向こうはホーム。 それに加えて、暇な奴は腐るほど無数にいるのだ。

 足早に歩いていても、辺りから「 チンチョン チンチョン 」と聞こえてくる。 そして、振り向けば「 こっちに来いっ 」とエラソーに言ってきやがる。 そういう輩は、大概何もしてないくて、暇なものだからこちらに声をかけてくるのだ。

 暇な奴ほど面倒な奴はいない。 





 途中からみすぼらしい少年二人が話しかけて来た。 ボロボロでダボダボの服を着ていて、頭にはカビのような白い無数の点がある子と、その連れ合いの似たような感じの兄弟分だ。

 二人とも少し頭がおかしいのか、ヘラヘラとしていた。 まるで乞食のような恰好をした彼らが話しかけてくるのを無視するのは、可愛そうだとつい思ってしまったのが間違いだった、、、

 何処までも付いてくるのだ。



 始めのうちはしょうもない会話をしていたのだが、そのうち「 小遣いを頂戴っ 」とか言って来た。 もちろん、そんなことは予期していたので、「 ほら、あの人にもらえっ 」とか言いながら、地元のおばさんや警察官を差していたが、彼らはただヘラヘラとしていた。



 10分程歩いて、マコラ・マーケットの辺りまで戻って来ても彼らは付いて来ていた。 予めハッキリと「 お前らにお金はやらんからなっ 」「 人にお金をせびるヤツは最低だっ 」とか言ってあったので、彼らの存在を気にしてはいなかったものの、彼らの存在を気にしていたのは周囲にいた大人たちだった。

 まるで、「 汚いゴミをみるかのよう、、、 」なんて表現は文章の中だけかと思っていたが、実際辺りにいた大人たちの視線は冷たく、また一緒に歩く僕を見て驚いてもいた。



 「 小遣いを頂戴っ 」とまたせがんでくるので、傍に座っていた乞食の親父を差して「 あの人にもらえっ 」というと、「 エ~ッ 」と言って変な笑みを浮かべていた。 その乞食の親父は先日、「 おいっ、チンチョンッ 金をくれっ 」と言って来た奴だった。 彼らとこの親父の間には、何の違いもない同類だ。





 「 ホテルに帰るんだ 」

 「 一緒に来ても何もやらないよっ 」

 「 中に入って来たら警察を呼ばれるぞっ 」



 道中、そう彼らに僕は何度も言った。 その度に、「 エ~ッ 」と言いながらヘラヘラとする男の子たち、付いて来たジェームズ・タウンのあの場所からホテルまでは、早足で歩いて小一時間はかかり道のりだ。 それを彼らはずっと付いて来たのだ。 実際、驚きだ。

 途中で無理矢理にでも追い返すか、走って逃げるか、それとも少し小銭を掴ませるか考えたが、結局ホテルまで着いてしまった。 しょうがないので、彼らに再びこう言った、、、



 「 さっき言ったよな? 何にもやらないって それに、ホテルに入ったら警察を呼ばれるって言ったよな? 言ってる事、理解出来るよな? 大丈夫だよな? 嘘付いてないからなっ 」



 二人はウンウンと頷いてはいたが、僕がホテルに サッ と入ってしまうと、また「 エ~ッ 」と言っていた。 明らかに彼らを見捨てるような感じになるので、どこか心が痛む気持ちがあったのは事実だった、、、

 しかし、しょうがないのだ。



 ホテルの人がどうしたのか尋ねて来たので、事の次第を話すと、ホテルの人もやはり僕と同意見で、「 何もやるべきではない 」と言ってくれたので、少し心のつっかえが和らいだ気がした。 とはいえ、根本的に何も解決してはいないのだが、、、 ただ、彼らが「 人に物をねだれば、無償で何かがもらえる 」という甘い考えが通用しないことを理解してくれればと思う。





 部屋に戻って考えた。



 ジェームズ・タウンで出会った人々には、久々に考えさせられる何かがあったのは間違いない。

 人からお金を奪おうとする人々、人を小馬鹿にするだけの人々、人に自分の問題をまるで責任転予しようとする人々、、、 とんでもない人々がいた。 そして、そんな人々が実際に住む世界があった。

 僕にとっては、この世界をまた知る良い機会になったと言える事と思う。



 ただ、その一方で、何とも表現し難い気持ちになった。

 そして、思った、、、



 「 人間は平等かもしれないが、不公平だ、、、 」と。



 どう言葉にすれば良いのか分からないが、ふと頭にそんな言葉が浮かんだ。 自分自身にでさえも説明出来ない程、僕の頭の中ではジェームズ・タウンで出会った人々の事が消化・整理出来ないでいた。

 あそこで暮らす人々のほとんどは、今日僕が目にしたような日常や生活環境でこれからも生きていくのだろう。 そして、あの男や漁師たちが、彼らのような子供たちを産み、彼らのような子供たちがあの男のようになったり、漁師なり、なんなりに日々の糧を求めては、次の世代を産んでいくのだ、、、 そんな中で、人々は人生を模索していくのだろう。

 それが別の世界なら話は別だ。 しかし、ハッキリ言って、ここは「 陽の当ることのない世界 」だ。 人々はそんな闇の中で生きているのだ。 それはまるで、抜け出す事の出来ない迷路 のようでもある。

 もちろん、人々がそれで満足していれば話は別だが、、、



 というのも、彼らあそこで暮らす人々を見ていると、彼らの生き方にその陽の当らない世界を、抜け出せない迷路を、脱出しようと努力しているようには思えなかった。 それは、ただ単に僕がそう見出す事が出来なかっただけなのか? やはり現状に満足しているのだろうか? それとも、人々は既に諦めてしまったのだろうか?

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by hitoshi280477 | 2006-02-28 08:56 | Ghana

Ghana vol.5 「 とりあえずアクラ 」

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 西アフリカの旅を始めて、約二ヶ月間という時が過ぎようとしていた。 あまりにも突然に西アフリカ行きを決定した割には、想像以上に物事が順調に進み、また、時がすんなりと経っていた。

 そして、当初、西アフリカの最終目的地と決めていたガーナの首都アクラに着いた。

 それは、あまりにも順調過ぎる旅路ではあったかのように思われた、、、



 そんな思いが頭の何処かにあったが、いずれにしても、アクラは何をするにも便利で、且つ活気的な街ではあった。 英語圏ということもあったし、一段落着いたということで、少し休憩したり、荷物を日本に送ったり、諸々と必要な物を買い足したりし、また、これから先のことを検討するのに情報収集を、今では欠かす事の出来ないインターネットへの日本語でのアクセスが可能なこともあった。

 それに、西アフリカへの基点となる街だけに、久しぶりに日本人が4人も集まる機会があった。

 西アフリカへの旅行といえば、日本人だけでなく、世界中からの旅行者の数はかなり少なく、いると言えば仏語圏からの旅行者が異常に多い事で知られている。

 無論、仏語圏からの旅行者は仏語で話すので、仏語を理解出来ない旅行者には歯がゆい思いをするのみだ。

 その為か、日本人旅行者は西アフリカでは寂しい思いをする事が、他の地域に比べかなりある方だと思う。



 マリのジェンネから一緒でアフリカ制覇を目指す人と、何故かガーナにもう二ヶ月もいる旅7年目の人と、そして去年ブラジルで会った事があってエジプトのカイロから飛んで来た人と、そして自分を含めた4人だ。

 さすがに西アフリカともなれば、出会うのも濃い面子になる。 その旅友同士で、特に内容のない話をしたり、旅の情報交換をしたり、太鼓やゲームで遊んだり、カレーを作ったりをしていた。 



 そんなわけで、アクラではいつの間にやら2週間も過ごしてしまっていた、、、


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 アクラは大都市とはいえ、ただのだだっ広い街ではある。

 街の中心街というのが掴みにくく、強いて言うならばマコラ・マーケットの辺りだろう。 この市場がどれくらいの規模なのかを数字で知る事は出来なかったが、実際そこに行ってみれば、そこはきっと西アフリカでも随一の大きさを誇る市場だという事は分かる。

 いや、規模でさえ知る事も出来ないが、密度だけは間違いなく肌で感じる事が出来る。 それほど、マコラ・マーケットは人と物に溢れている所であり、活気のある所だった。



 所狭しと形容するには足りない感じがする程、市場は人と物とでごった返している。 何が売られているかと言えば、、、 まあ、生活に必要なものは全て売られている感じだ。 製品のおよそほとんどは同じ物を取り扱っているものだから、そんなに辺りをウロウロしてもしょうがないように思えるのだが、明らかに違うのは「 値段 」だ。

 もちろん 言い値 なんかは軒並み違ってくるので、同じ商品を、違う数件の店で聞き回らなければ適正価格が見えてこない。 ほんの少しの買い物の為に、辺りのお店を人に揉まれながら歩いて行かなければならない。

 地元の人が皆そうやって毎日生活しているのだと思うと、ある種の尊敬の念を抱いてしまう。 それほど、この辺りをウロウロするのは疲れるのだ。 何せ、人と物の量が半端ないのである。

 歩道も、道路も、店と店の間も人と物で埋め尽くされているのだっ!!



 市場の裾野は広く、何処までが市場で、何処からが普通の街なのかは検討つかない。 市場の喧騒から逃れるように足早にしばし歩いて行くと、いつの間にか市場を出ている感じだ。 それでも、路上での販売や、歩道での屋台が至る所にあるので、その全貌を知る事は出来ない。





 「 OSU 」という街がある。 宿からは乗り合いバスで20分程離れた所にある。 そこは、ガイドブックによると、「 青山のような、原宿のような、、、 」と言われている所ではある。 また、近くに大使館も多い。

 確かにオスは少し華やかな場所には見えた。 大きなスーパーや、デカデカとしたネオンサインを掲げるレストラン、それにファースト・フードのお店などもあるくらいだ。 とはいえ、それもそこまで大規模なものではなく、また目新しい何かがあるわけでもないというのが本音だ、、、 辛口ながら。





 用事を済ませる為に、何度か市バスなり、乗り合いバスなりに乗ったが、アクラの街はよく出来ているようで、交通網が酷いことに気付いた。 何せ、街の至る所にバスターミナルがあり、所によってはそれが大きなラウンド・アバウト(ロータリー)のすぐ横や、マコラ・マーケットに隣接している建物の脇だったりする。 それに一方通行が多い。

 郊外に行くのには、大きなバスターミナルがあるのだが、街中からそこに行くのには、小型の乗り合いバスやら何やらに乗って行かなくては行けないし、行き先によっては何故か街のど真ん中から出ている。 それらが、街を縦断したり、周回する市バスやら乗り合いバスやらとゴチャ混ぜに走っているのだから、もうその様子は散々だ。

 特に、夕刻時のラッシュ・アワーは酷いものがある。 街中から一斉に人が帰宅するものだから、いくら車線がある所でさえも渋滞は免れない。 全く車が進まない中、乗客は砂埃と排気ガスにまみれているのだ、、、





 アクラでも散々屋台飯のお世話になった。 ちょっとまともなレストランで外食すると、約30000セディ(=約350円)程してしまうのに対して、屋台での赤飯のような豆ご飯に、ゆで卵とピリ辛の魚のソースだけをかけてもらっての飯(約50円)や、鳥の唐揚げとちょっと野菜の付いたチャーハン(約100円)はほぼ毎食お世話になっていた。 その分、体力も充分回復した。

 屋台でのご飯を侮っていた僕には、そのギャップが嬉しくもあり、また経済的にも助かった。 それに、一応ガーナの味に少しは触れることが出来た事と思う。 もっとも、チャーハンは別物だが、、、 それでもそのチャーハンだって、ちゃんと中華鍋を使って、ガーナ人が料理しているのだ。

 それと、赤飯のような豆の入った飯とあの魚のピリ辛ソースは、アクラの蒸し暑い中食べるご飯としては食欲を刺激する面でも、栄養の面でも、大助かりだった。





 そんなこんなで、日々、旅行における作業なり、遊びなり、観光なりをしていく中で時は経ち、行きつけの屋台もあったことから、「 まあ、とりあえず まだ アクラで、、、 」となってしまっていた。

 そして、最終的には、ガーナ滞在三週間のうち、二週間をアクラで寝泊まりしたことになった。 まあ、アクラはそんな所ではあった。


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by hitoshi280477 | 2006-02-27 19:03 | Ghana

Ghana vol.4 「 ケープ・コースト要塞 」

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 ガーナの大西洋に面する海岸沿いに、昔建てられた砦がある。

 かつてここを次々に侵略しにきたヨーロッパの国々が残した建物であり、最終的には英国のガーナ植民地における総督府が置かれた場所である。 その建物が、今日でも一応当時の形を残していて、そして博物館として機能している。



 何故、英国なのか?

 アフリカの西海岸で、何故ヨーロッパや英国の話になるのか?

 そこには、西アフリカとヨーロッパの深く暗い歴史があるのだった、、、



 当時ガーナにあったアシャンティ王国は、周りの王国や部族を既に征服していて、現在ではトランス・サハラと呼ばれる当時サハラを縦断していた貿易で、黄金や塩などの取引によって栄えていた。 その規模は当時のヨーロッパの街と比べても遜色ない程だったと言われてる。

 それが、ヨーロッパの大航海時代の幕開けと伴に、西アフリカとヨーロッパの接触に繋がっていったのだ。 始めの頃は、ヨーロッパの西アフリカ進出の目的は、金や塩といった物の貿易とキリスト教の伝道であったとされている。

 しかし、ポルトガル船によって始まった西アフリカとヨーロッパの貿易は、大航海時代という時代も合い重なって、英国、フランス、オランダ、スウェーデン、デンマークなどを巻き込んだ争いとなっていった。 その度に、最初17世紀に建てられたこの砦は、改築・増強を重ねて今日の姿になっていったそうだ。



 そんな中で、ガーナを含む西アフリカの歴史が大きく動いたのが、ヨーロッパとの「 奴隷貿易 」だ。

 始めのうちの極一般的な貿易とは異なり、こういった人身売買が莫大な富を産む事に気が付き、特にアメリカ新大陸発見以後、向こうの土地での大規模農園経営の為に必要とされた労働力にこうした黒人奴隷はうってつけとあってからは、奴隷貿易の数は着実に増え続けていった。



 ヨーロッパからやって来た商人たちは、奴隷買ったり、モノを交換したり、また時には狩りなどをして奴隷を集め、そしてその奴隷たちをここからブラジルやカリブ海、それにアメリカなどに向けて輸出したそうだ。

 向こうで奴隷を売りさばいた後は、そのお金で綿花や砂糖、煙草、コーヒーなどを購入してはヨーロッパに戻って商売をしていた。 これは、大西洋を舞台にして、西アフリカとアメリカ大陸とヨーロッパの三点で行なわれた「 三角貿易 」と呼ばれているそうだ。



 しかし、その後の19世紀に奴隷貿易の時代は終了し、それによって西アフリカの人口は減少していたことから、当時の権力者であった王国は衰退し弱体化していた。 というわけで、最終的に英国に植民地化され、その総督府がこの ケープ・コースト要塞 と呼ばれる砦なのだ。

 そして、その要塞は今日では当時の様子を物語る博物館として一般に公開されているのだ。


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 当時の様子を少なからず残した立派な建物の外観とは異なり、案内された地下の部屋は真っ暗で湿っぽかった。 先程までの太陽の輝いた海沿いの風景のことなど頭から瞬時に消え去り、一瞬にして暗闇の中に「 絶望感 」だけが感じられた。 そこは当時の奴隷たちが収容された部屋だった。 見上げると、小さな天窓が海の方角に2、3あるだけだった。



 大きさにして5m X 10mもないだろうか? そんな部屋が4つ続いている。 どの部屋も薄暗く、あるのは少しばかりの光が入り込む天窓兼空気穴のみだ。

 そんな狭い部屋に、当時多い時で1000人もの奴隷を留置していたそうだ。 もちろんトイレなどない。 それどころか、水へのアクセスもなく、光へのアクセスもないのだ。 あるのはあの小さな天窓と、反乱や自殺などが起こらない様に監視する為の窓だけだ。

 それに、奴隷たちは鉄製の枷を二人一組とかで手足にはめられていた。



 時として、天窓から降り注ぐ雨水は、この狭い部屋の中に流れ込んだそうだが、それはただ単に、奴隷たちが余計に糞尿にまみれたことを示している。 水へのアクセスがないのだから、排水の機能などはある筈もないのだ。 膝よりも上にまで、その汚水が来る事もあったそうだ、、、

 そんな状況で、奴隷たちはいつか来る「 出発の日(=輸出の日) 」まで、ここに閉じ込められていたのだった、、、



 展示室にある資料を読むと、ここから連れ出された奴隷たちは遠く大西洋を渡って、ブラジルやカリブ海の島々、そしてアメリカへと連れ出されていった。

 当時の航海技術では、大西洋を渡るのに約2~9ヶ月もかかったそうだ。

 その間、奴隷たちは船底に裸で枷をはめられたまま、ギュウギュウ詰めの状態。

 航海中、満足な食事など与えられなかった。 とはいえ、商品ではあるので、痩せこけないように運動させられたり、目的地が近くなった時だけ食事がそれなりに与えられたそうだ。



 もちろん航海中、そんな船内での過酷な状況に耐えかねて死亡する者も多数いたそうだ。

 その数は1~3割くらいだったと言われている。

 そして、そんな劣悪な移動を生き抜いた者だけが、新しい地を踏んだ事になる。

 もちろん、奴隷として、、、 


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 そんなことが、ここケープ・コースト要塞では知る事が出来る。



 「 Point of No Return 」という門がある。

 建物からここをくぐって外に出ると、そこには大西洋の海が広がっている。 キラキラと輝く綺麗なその海面を見ていると、とても当時ここをくぐって連れ出された人々の気持ちを伺い知る事は出来ない。

 この大西洋の海が、その当時と何ら変わっていないとしても、それは無理だ。

 人々は、ここから遥か遠くの見知らぬ土地へと連れ出されていったのだ、、、



 この門には余談があって、近年になってここを訪れた西アフリカを自分のルーツと信じる人々によって、門の外側、つまり入り口に「 Point of Return 」と記されたそうだ。





 奴隷貿易の話にはほとんど知識がなかったが、今回ここを訪れることによって少なからず知識を得る事が出来たと思う。 以前、セネガルで訪れたゴレ島よりも資料が充実していること、館内ガイドが付いたことなどもその要因だ。 しかし、そこに「 歴史を学びたい 」という気持ちが根底になければ、やはり駄目なのだろうとも後々思った。

 ここで何を学んだかと言えば、「 人類の歴史とその残忍さ 」だ。

 それは、「 人間社会の厳しさ 」とも言えるかもしれない。

 過去に起こった人類の歴史とはいえ、それは過去という程遠いものでもない気もする。 それに、それは間違いなく過去にあった事実なのだ。 それを思うと、人間というものは、酷く恐ろしく思える。



 植民地に関しては、それによって政治・法律・教育・医療・インフラなどという面が大きく発展してということもあるから、それは少し置いておこう。





 僕はここケープ・コーストを訪れることによって、

 「 奴隷になる 」ということは、

 「 人生を奪われる 」ことだと学んだ。






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by hitoshi280477 | 2006-02-26 19:02 | Ghana

Ghana vol.3 「 クマシの街 」

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 ガーナ北部にあるタマレという街から、乗り合いバスである「 トロトロ 」に乗ること約6時間半、、、 「 クマシ 」に着いた。

 ちょうどガーナの真ん中あたりに存在するこの街は、その地理的理由からか人と物に溢れていて、非常に混雑している街だった。 狭くて、蒸し暑くて、埃まみれの6時間半の移動の後には、少々キツい街ではあった。 しかも、街にはやけに坂道が多いし、、、



 ガーナを南北に走る大動脈的な道路の中継地点ということもあって、クマシは今でも大きな都市である。

 もともと、ここは16世紀頃に栄えていた「 アシャンティ王国 」の首都であり、その当時のクマシは交通の要所であると供に、ガーナ湾岸部への交易路を押さえていたことから経済的にも繁栄していたそうだ。 その都会ぶりは、当時のヨーロッパの都市と比べても遜色が無かったと言われている。

 実際、街を歩いてみて当時の名残を見ることは出来ないが、ただ単に発展している街であることは分かる。 というのも、街のどこにいても、人と物に溢れ過ぎていて、バケツがひっくり返った様な印象を受けずにはいられない。 それほど、クマシの街はある特有の雰囲気を醸し出していた。



 ここに来るまではあれほど乾燥していたのに、ここクマシではそれが嘘だったかのように耐え難い湿度がある。

 タマレからの道中、確かに緑が多くなり、場所によっては南国を連想させる程たくさんの椰子の木がある所もあった。 ほとんどの場所はまるでジャングルの様であり、今まで通って来た場所のように、乾ききった大地や、灌木が生い茂るだけのなんとなく冴えない感じのする土地とは明らかに違っていた。

 道中、見てきたことを思い出せば、そこはジャングルの真ん中を切り開いた道だった。 それを裏付けるかのように、クマシは極度に蒸し暑い。 酷だ。 数日前までは、あれほど乾燥に悩まされいたのに、ここに来て一気に湿度が上がったのだから、体も大変だ。 はっきり言って何もする気にはならない程だ。





 こんなゴミゴミしていて、蒸し暑いだけの街はとっとと出たかったが、バスの出発時間まではしばらくあったことと、旅友に促されて街を歩くことになった。 目指すは、西アフリカ最大 と言われている市場を見に行くことになった。

 これまで市場なんて散々見て来ているので、正直もう飽き飽きなのだが、そんな眠たいことを言う僕の目を覚まさせる程、クマシの市場は大きかった。 特に、高い場所から見下ろすクマシの市場のトタン屋根は、排気ガスで濁った空の下、何処までも続いていきそうな程大きかった。

 近付くに連れて、人とモノの密度が急激に上がっていった。 実際は、人もモノも市場の敷地に入りきれず、市場の周りでも商売をしていた。 それも、まだ市場から距離がある所からだ。 ちなみに、そこでは商売人は手に品物を持って立っているのが普通だった。 というのも、人出が多過ぎるので、お店を持っていない人は洋服なり雑貨なりを手に持って商売しないと、その地域の交通の邪魔になってしまうからなのだろう。



 やっと市場の内部へと潜入出来る場所へ来た時、少し嫌な気持ちがして歩を止めてしまっていた。 嫌な気持ちというと聞こえが悪いが、何だかその市場の内部へと行くことは躊躇ってしまうのだった。 第一、何も買いたいモノが無いので、ただ単に冷やかしで市場に行くことは、なんだか一生懸命商売をしている人に申し訳なく思ってしまうからだ。

 まあ、それは置いといて、結局市場の中へと歩を進めたのだが、、、



 実際、この市場はすごかった。 人々の活気が産み出すある種のオーラが吹き出ているような気がした。 当たり前だ。 ここにいる誰しもが、商売に熱心になっているのだから。 そんな所にいて、何も感じないわけが無い。 その場の雰囲気に少し圧倒されながらも、人の波に揉まれながら歩いて行った。


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 確かにここでは何でも手に入りそうだった。 野菜や果物、日用品から衣類や農作業道具などなど実に多岐に渡る品揃えだ。

 それは見ていて飽きないものがある。

 もちろんそれらに加えて、商売人に食事や飲み物を売る店もあるし、商売をもっと円滑にする為の道具なんかもあるし、更には大八車ならぬリアカーにたくさんの荷物を載せて人の波を掻き分けていく人もいる。 更には、所狭しと並んだトタン屋根の軒先には、たくさんの婆ちゃんたちがトマトやら、玉ねぎやら、干し魚なんかを路上に座って売っている。 はっきり言って邪魔なのだが、皺くちゃになっている婆ちゃんの手を見ると、何も言えなくなってしまう。

 何だか一体利益があるのか、無いのか分からない様なモノを手に、市場の中を売り歩いている人もいる。 中には子供に乳を飲ませながら路上の店番をしている女性もいる。 それほど誰でも商売をしているのだ。


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 そんな中を歩いていると、もちろん思うことは多々ある。

 そこで一番感じたことは、、、 頭の中で理解しているつもりでも、ちゃんとまだ言葉にする事が出来ないのだが、そこで何が買えるとか、安いとかの話ではなくて、現代の経済中心的世界の縮図がそこにはあったと思う。 もちろん生活に必要な物を買い求めるのは何も悪いことではないし、それらを提供するのも悪いことではない。 しかし、ただ単に人々は商いをし、またその利益で他の何かを買い求めているだけなのだ。



 ここでは、右から仕入れたものを、左に少しばかりの付加価値(手間賃のようなもの?)をつけて売っているだけなのだ。 特に何も生産はしていない。 皆がそうやって幾らかの利益を上げ、そしてそのお金でまた違うモノを買うだけのサイクル。 いつまでたっても抜け出せない、経済を中心にしただけの生き方のように見えてならなかった。

 もちろんそこで多大な利益を上げることが出来れば、もう少し違った人生を歩めるのかもしれないが、そこにいるほとんどの人が、そこにいるほとんどの人と同じ様な人生を歩むしかないようなサイクルにいる筈だ。

 一見すると、誰しもが商売に精を出し、それはそれで良い様に思える。 しかし、ここでは、しかもこの規模で、それはいつまでも続いて行く単調なサイクルのように思えてしょうがないのだ。 いや、実際そうだろう。 ここにいる人たちが、ただ単に右から左、左から右への商売をしているだけなら、この人たちの人生はもう決まったようなもんだ。



 酷な話ではあるが、本当にそうだと思うし、実際にそうなのだろう。

 人々はそれを知ってか、知らずか、いつまで経ってもそういう日々を過ごしていくのだろう。 いつの間にやら、人々は抜けることの出来ない経済中心社会に浸かり切ってしまっているのだ。 そんなことが、ここではあまりにも露骨に見えてしまう、、、






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by hitoshi280477 | 2006-02-25 18:59 | Ghana

Ghana vol.2 「 歩くサファリ@モーレ国立公園 」

 「 動物が見たい、、、 」 アフリカの旅を初めて以来、心の中で何かが欠けているような気がしてならなかった。 もちろん、ここまでの道中いろいろと大変なこともあったが、それなりに楽しんでいて、満足もしていた。 ただ、アフリカを旅しているというのには、決定的な何かが欠けていた様な気がしてならなかった。

 北アフリカの玄関口であるモロッコから、サハラに埋もれるモーリタニアを通り、そしてブラック・アフリカであるセネガル、西アフリカ随一の観光地であるマリ、、、 そしてここガーナとやって来ているわけだ。 サハラを越え、ブラック・アフリカに入り、広大な大地や、辺りに点在するバオバブの木々、大きな夕陽など、時を変え場所を変え、目にしていたものの、やはり何かが足りなかった、、、



 「 ど・う・ぶ・つ 」



 そうだ、動物なのだっ! アフリカに来て、この広大な大地に生きる野生の動物を見ない事には、アフリカの旅も旅らしくはないのだ。 もちろんそんな定義はなく、それは僕の勝手な判断だ。 しかし、アフリカにやって来る者ならば、誰しも野生の動物を見てみたいものだろう?

 いやいや、他の人のことは置いといて、僕は動物が見たいのだ。 そう思うと、その「 動物を見たい 」という感情を押さえきれず、日々その思いは募るのであった。 そして、もう動物みたいな人間を見るのには飽きたのだ、、、

 終いには、いつからか「 ど・う・ぶ・つ、ど・う・ぶ・つ、ど・う・ぶ・つ、、、 」と呟き、念じ始めていたことと思う。





 砂埃の舞う道を走る事、数時間。 目的地である「 モーレ国立公園 」に到着した。 既に辺りは暗くて、園内がどうなっているのかは分からなかった。 入場料が格安の25000セディ(=約330円)だったので、道中西日のせいで暑かったこと、汗と砂にまみれたこと、そしてバックパックが段ボール詰めされた冷凍魚たちと一緒だったことは良しとしよう。

 荷物を部屋に降ろしてレストランに向うと、そこではイノシシの親子が歩いていた。 向こうは暗闇でも見えるし、ここに住んでいるのだから普通なのだろうが、こちらはその平然と歩くイノシシの親子の様子に驚いた。 それが、園内での最初の出来事であった。 どうやら人間と動物の距離は近いようだ、、、





 夜も明けた頃から、身支度をして部屋を出た。 というのも、ここでは「 Walking Safari 」という、実際に野生の動物たちが棲息する所を歩くことが出来るのだ。 今までに聞いていた話では、普通サファリというのは、いろんな理由から、サファリ・カーという特別に改造された4WD車で行くらしいのだが、それがここでは歩くことが出来るのだ。 そして、その歩くサファリは朝7時に出発するとのことだったので、早起きをきめこんで出て来たのだった。

 数人の参加者が集まったところで、いざ出発となった。 こちらはもう興奮して、昨晩でさえもワクワクドキドキしながら寝たくらいなのだ。 楽しみだ。 早く動物が見たい。


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 ロッジは崖の上にあるので、そこから少しずつ崖下を目指して降りていく。 まだ朝とはいえ、もう日差しがキツかった。 崖上から見る景色の印象は、緑が多く、大地が平坦ということ。 まだ肉眼では如何なる動物も見えなかった。

 とりあえず緑の合間を歩く事自体、気分が良い。

 少し乾いた地面なので、少々歩きづらいが、逆にいえばそれがこの歩くサファリの醍醐味なのだ。 野生に住む動物たちと、僅かながらその感覚を共有していると思うと、既に気分は上々だった。 辺りで鳴く鳥の声がまた心地良いのだが、茂みで何者かがガサゴソと音をたてると、ついそちらに意識がいってしまい、またある種の緊張を胸に抱いたまま歩を進めることになる。


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 しばし歩いた後、最初に目にした動物はどうやら鹿の仲間のようだ。 草食動物なので、もの静かにちょこんと草地に座っていた。 雄なので、立派な角を従えていた。 こちらの行動には目もくれなかったが、レンジャー曰く、彼らの領域を侵してはならないのだ。 もし僕らが彼らの領域、つまり接触限界線に踏み込んでしまうと、向こうは逃げてしまうのだ。 そうすると、全てがパーなわけだ。 そして、野生に住む彼らに心理的抑圧を加えてしまい、最終的には彼らの生態系を変えてしまいかねない。 というわけで、「 彼らの領域を侵さない 」、それがこの歩くサファリの守るべきルールでもある。

 その後に出会ったのはきっと雌だ。 角も無いし、先程の雄に比べて、もっとおしとやかな目をしていた。 草食動物特有の優しい感じのする目だ。 こちらもおとなしくて、その目つきから、こっちを警戒しているようでも、観察しているようでもあった。



 またしばらく歩くと、足下には人間の足跡のような何者かの足跡が見え始めた。 そんなことに興奮を覚えつつも進むと、突如前方に大群の猿が見えた。 家族同士が固まって、大群を引き連れて歩いている。 大小合わせて、約50匹はいるだろう。 聞けば猿ではなく、「 ヒヒ 」なのだそうだ。

 こちらの様子に気付いたのか、何なのか? 彼らは一斉に動き始めた。 その様子、正に獣が野を駆けている。 しかもかなり速くて、とても人間の足では追いつかない。 もっとも彼らは手と足を使っているのだから、二足歩行の人間よりは速いのかも?

 ザザザーッ と、木々の間や枯れ葉の上を走る音が聞こえてくる。 聞こえてきたと思ったら、彼らは既に遥か遠くに遠ざかっていってしまった。 辺りの茂みに隠れてしまい、肉眼ではもう見ることは出来なかった。 彼らの走る速さに、僕はあっけにとられてしまった、、、


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 溜め池に出た。 見上げれば、そこにはロッジのレストランが見える。 つまりロッジとそのレストランは、崖上からこの溜め池を見下ろせる絶好の位置に軒を構えているのである。 この溜め池が自然のものなのか、人工のものなのかを聞き忘れたが、まあ自然のものってことは無いだろう。

 そこには象が水浴びに来ていた。 アフリカ象だ。 もう何度も見たことがあるから、「 夢にまで見た、、、 」というのは嘘になるが、それでも初めて見るアフリカ象は大きかった。 今までアジアで見た象よりも大きく感じられた。

 池の周りにはたくさんの木々があって、それがどうやら象の好物でもあるらしく、辺りにいる間にどんどんと集まってきた。 大きくて、黒くて、立派な牙を持つ象たちだ。 それらが、力任せに バリバリッ と草木を引っ張っては、なぎ倒していた。 その迫力といったら、、、





 その他にも、鳥やクロコダイル、それにイノシシなんかにも出会った。 ただ、ここで見た動物の中で、一番印象深かくなったのは、アフリカ象を差し置いて、ヒヒ だろう。

 初めて見た時から、何だか面白い生き物だとは思っていたが、歩くサファリ終了後に見かけた彼らの行動は僕にはかなり鮮烈に映った。 というのも、人間以外の生き物で、ここまで頭の良い動物を、僕は実際に目にしたことが無かったのだっ!





 ロッジの辺りにはたくさんのヒヒがうろついているのは知っていた。 なので、その様子を写真に残さんと思い、僕は彼らの後を付け回していたのだった。 やはり手と足の両方で歩く彼らをつけることは容易ではなく、少し先回りをしないと彼らの姿を目にすることは出来なかった。

 そんな中で目撃したことといえば、、、

 ゴミ箱を漁るヒヒと、高さ5mはあろう水タンクから水を飲むヒヒ、そして木陰で休むヒヒたちだ。



 ゴミ箱を漁るヒヒは、それは人間のようでもあった。 というのも、ロッジの部屋の外に置いてあるゴミ箱の一つ一つを点検するように、その一つ一つの蓋を開けては中を確認し、中に何も無ければ次のゴミ箱を見に行っているのだ! ちゃんと蓋を開けることもすごいが、それから中をちゃんと目で確認する様子は、まるで人間のようでもあった。 思わず感心してしまった。

 ポリタンクの水を飲むヒヒは、高さ5mはあるであろう台座を軽々と登って行く。 そして、頂上であるタンクの上から、悠々と水を飲んでいるのだ。 蓋をしない人間も悪いが、そこに水があることを知っているヒヒもすごいと思った。

 木陰で休むヒヒは、どこかリラックスした表情をしていて可愛かった。 その辺の草木をバリバリとやるのはやはり動物だが(アフリカ人もよく枝を噛んでいるが、、、)、その様子がそれらしくて良かった。 やはり動物なのだから、動物らしくしていて欲しい。



 しかし、その後に衝撃的な事件が起こった。



 それは、僕が観察していたヒヒの様子を、他の人に話そうとレストランに行った時だった。 レストランはオープンスペースになっていて、真ん中にプールがあり、すぐ傍に崖があるが、柵はない。 その為、よくヒヒが辺りをうろついているのは知っていた。

 突然、キッチンの方で声があがったと思ったら、一匹の大きなヒヒが手に何かを抱えてプールサイドに走ってくる。 最初は何が何だか分からなかったが、彼の手に持つ何かを良く見て、思わず吹き出してしまった。

 手にはケチャップ・ボトルが握られていたのだ!



 そこまではまだ良かったのだ。 ねじ込み式の蓋の付いているボトルなのだから、そう簡単には開けることが出来ない筈だ。 ましてや、その中身であるケチャップなんか知りもしない筈だろう? 僕はそう思っていた、、、

 ところが、そこで彼は僕を含む辺りの観衆の度肝を抜いた。 なんと口で蓋を開けてしまったのだっ!! そして、おもむろにボトルの先端からケチャップを舐めているではないかっ!? しかも、「  そのくらい知ってるよっ 」とでも言いたげな顔をしているように見える。



 僕らは皆唖然としていた。 もちろん、「 もしかしたら、、、 」とは思っていたものの、実際その様子を目の当たりにするとはほとんどの人が思っていなかっただろう。 しかし、目の前でヒヒが美味しそうにケチャップを舐めているのを見れば、何も言うことが出来ないのだった。



 それは衝撃的な出来事だった。

 まさかヒヒがそこまで頭が良いとは知らなかった。 辺りにいる人全員を驚かせ、そして動物が人間に言わしめた、、、 「 頭が良い 」と。
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 結局、まる一日という短い時間しか費やすことが出来なかったが、それでもここモーレ国立公園での滞在は有意義なものになった。 野生の動物をサファリで見るということは、どうしても東アフリカが有名なのだが、ここ西アフリカでも同じようにアフリカの大地に生きる動物たちを見ることが出来るのだ。

 わざわざ埃まみれになりながらもやって来て良かった。

 ちなみに、歩くサファリは2時間で一人につき15000セディ(=約200円)。 ガイドであるレンジャーにチップをあげても300円ちょっとだった。 実際、それが一番衝撃的なことではあった、、、






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by hitoshi280477 | 2006-02-24 18:56 | Ghana

Ghana vol.1 「 幾何学な家 」

 正直、行くことを躊躇っていたものの、一緒にいた日本人旅行者が行きたいということと、またその日は市が立つ日なので交通が容易になるということが大きかった。 もしそうでなければ、何十kmかの距離をタクシーをチャーターして行かなくてはならなかったからだ。 いくら物価の安いガーナとはいえ、それでは結構費用がかさんでしまい過ぎる。

 結局は、宿の兄ちゃんが教えてくれた通りに、街のメインバスターミナルから、目指す村まで行くことになった。 ターミナルで朝飯を食べている間に、一台目のバスは満席になってしまったので、乗り合いタクシーで行くことになった、、、


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 ガーナに入ってから気が付いていた事、その一つは国土がやけに 平ら だと言う事だ。 もちろんガーナから突然そうなったのではないのだが、今まで通ってきた所と比べると、何だか平らな大地がよく見えたような気がした。 いわゆるサバンナ気候という地域に来たのだから、これがそうなのかもしれないが、大地には灌木の数が多い。 緑が多いが、それでいて土地は乾燥しているので、車を飛ばせばすぐに大量の砂埃が巻き上がる所ではあった。

 そんな所に「 シルグ 」という村がある。 何故この村に来たかと言うと、その家屋の壁に施されるペイントがとても見事なのだそうだ。 話によると、全て周辺で採れる天然の原料だけを使用して描かれているそうだ。

 乗り合いタクシーに乗って、そういった装飾が施された家並みが見えた事が、僕らがシルグの村に入った証拠だった。 少し遠目からでも見えるその家並みは少し変わっているといえば、変わっていた。 魔除けなのか、幸運祈願なのか、何なのか? よく分からなかったが、確かにそういった独特なペイントを施した家屋が点在している。





 「 市場のある日だから、、、 」とは聞いていたが、とりあえず市場の規模も明らかに小さいことから、それは大して気にも留めなかった。 気になったことといえば、こんなガーナ北部の小さな村に、大量の日本の自転車があることくらいだ。 その経緯は全く分からなかったが、ちらりと一目見れば、それは間違いなく日本製だということが分かる。 中にはまだ盗難登録や駐輪場のシールなどが貼っているものもあった。



 まあ、それはさて置き、、、


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 家壁の幾何学模様は、確かに良く出来ている。 そして、実に不思議だ。 一体どんな法則で描いているのかは分からない。 ましてや、どんな顔料を使っているのかは分からない。 ただ、天然の素材を使って描かれているということだけは事前に聞いていた。



 しかし、一体何の為に、、、 ???



 まあ、ただの娯楽でやっているだけかもしれない。 というのも、どの家もこういったペイントを施しているわけではなく、ほんの数件しか目にすることは出来なかった。 恐らく、土着宗教などに相当信心深い人か、もしくは経済的に裕福な家のみだ。

 僕が間違いなく言えることといえば、それは「 いや~、絵になるねっ 」ということのみだ。 灌木の多い地域とはいえ、大地の大部分が乾燥している為に、その景観はかなり貧相ではある。 たまにある大きなバオバブの木がなければ、ここはよっぽど絵にならない所ではある。 そんな中に、このようなペイントの施された家屋はあるのだ。

 見ている限り、そこに規則的な何かはなく、ただ単に同じ柄が壁の側面にペイントされているのみだ。 その色にはなんらかの意味があるのかもしれないが、もしかしたら、ただ単にこの辺りで造れる顔料がそれしかないだけなのかもしれない。


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 一番興味深いのは、その家の造り。 家というか、その建物全体になるわけなのだが、円筒形の建物と四角い建物同士が、背の低い壁によって繋がれていることだ。 そうやって丸や四角の建物を壁で繋ぐことによって、きっと砂埃対策になっているのだろう。 そうすれば、風が吹いても、ある程度は家屋やその敷地内を絶え間なく舞う砂埃から逃れることが出来るのだろう。

 ただ、その姿がなんとなく可愛いのだ。 こんな可愛らしい家を造る感覚というか、ユーモアというか、、、、 そこが独特で面白い。 そこに住んでいる人は、一体どんな人なのだろう、、、 などとつい考えてしまう。

 しかし、まるで円陣を組むかのように造られた家屋は、その容姿からは察しにくいが、やはりしっかりと住む人々の生活を支えていることだろう。 実際に住んでいる人が知っているかどうかは知らないが、人間は尖った所に住んでいると、心も尖ってしまうのだそうだ。 ということは、こういった家に住む人は、そのいわれ通りだと、きっと 心の和んだ人 なのだろう、、、 そう願う。






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by hitoshi280477 | 2006-02-23 18:54 | Ghana

Burkina Faso vol.5 「 幻のアフリカ映画祭 」

 取り立てて何も無いワガの街ではあるが、なんとここでは国際的なイベントがあるそうなのだ。 それは「 アフリカのカンヌ 」とも言われる、「 アフリカの映画祭 」だ。 その名の通り、このイベントではアフリカの各国で制作された映画を発表する場のようだ。 それも、9日間とか、10日間とかいう長い期間行なわれるのだそうだ。

 聞けば、この映画祭を機に、世界に羽ばたいてアフリカ映画もあるのだそうだが? さて、実際、そのアフリカ映画とはどんなものなのだろうか、、、

 一緒に居た日本人旅行者の人は、この映画祭を楽しみにしていた。 僕としては、「 まあ観れるのならば、、、 」というくらいしか、気に留めていなかった。 彼はブルキナ・ファソのビザを取得する際に、その大使館で今年もその映画祭はあるのかどうか確認していて、わざわざ日程を合わせてここまでやって来たのだったが、、、



 「 エッ 今年は無いの? 」

 そうなのである。 宿の人や、街中で出会う人、それに映画館でも確認したが、今年は無いそうなのである。 もともと、その映画祭は、北アフリカにあるチュニジアと交互にホスト役を勤めているそうなのだ。 そして、去年はここでその映画祭はあったという事は、去年ここを訪れていた人たちの話を聞いていたので、僕は知っていた。

 彼もそれは知っていた。 ただ、某ガイドブックには「 毎年行なわれるようになるだろう、、、 」とか、実際ブルキナ・ファソの大使館で確認もしてきたのだ。 それなのに、今年は無いのだった。 無いものは、無いのである。 しょうがない。

 が、それで終わりではあまりにも寂しいので、とりあえず一つはアフリカ映画を観ようという彼の提案に乗って、僕らは映画館にやって来たのだった、、、



 本当は映画祭が開催されるであろう映画館は、ウヤウヤしくも映画のプロジェクターをオブジェをその敷地内に置いていた。 外から見ると、まあそれなりの外観だが、実際に中に入ると、そこは正直少し寂れた感じがした。 辺りにあるポスターを確認すると、どうやら数年前のハリウッドものや、インドのボリウッドものの映画も観れるそうだ。 それらの映画が、一日一回ずつ上映されている。 入場料は1000CFA(=約200円)と、アフリカにしては少し高めだと思った。



 とにもかくにも、「 アフリカ映画 」を一つ観ることにしたのだった、、、

 館内の寂れた感じとは違い、実際に放映する部屋はそれなりに立派だった。 これから観る映画では、恐らく、いやほとんど間違いなく、満席になることはない程の規模だった。 しかも、清潔であり、少し空調も効いていた様な、、、 ダウンジャケットを着ている人もいたし。



 ブルキナ・ファソの邦画だと言われたその映画は突然始まった。 というのは、先程までの他の映画の宣伝との切れ目がほとんどないので、いつ始まったかは分からなかった。 しかも、タイトルが出て来たのは、しばらくしてからのことだった。

 話の内容は、、、 よくある話だった。 家族を持つある父親が、アフリカ特有の経済的困難な状況の中で、娘の病気や、お金のやりくり、強盗被害、仕事の環境、、、 などなどの諸々の問題に直面するというもの。 この映画を観たお陰で、少しは一般のアフリカ人の家庭環境が分かった様な気がする。

 驚いたのは、その撮影の技術、つまりカメラワークと、出演者たちの演技力だ。 何がどうって、思っていたよりもまともなのだっ! これは僕の偏見だと思うが、きっとほとんどの外国人はそう思っている事だろう、、、 「 アフリカの映画でしょ? 」 実際、そうなのだ。 特に、話の展開には言いたい事がたくさんあるものの、その撮影技術と出演者の演技は、まあそれなりのものだった。



 ただ、唯一の問題点とも言っていい「 話の展開 」は、まるでアフリカ人の思考回路を覗き込んでいるかのような気分になった。

 話の展開が早いのだ。 いや、早いというよりは、話が飛んでいるのだ、、、

 次から次へと、舞台が変わり、もしこれが日本の連続ドラマだったらきっと数話分くらいは抜かしている感じだ。 あるべき筈の場面がないので、どうやってつじつまあっているのか分からないが、とにもかくにも話は順調に進んでいく。 なんとも強引な「 アフリカン・ウェイ 」ではある。



 内容そのものはそんな感じだが、映画の中で観る「 アフリカ 」も面白かった。



 娘の病気の為に、お金を工面しなくてはならない親父が、安く買いたたかれながらもバイクを売って何とかお金を作った。 なのに、その路上でお金を数えている間に、横から来た若い娘にお金をひったくられてしまう。 結局、そのお金は戻ってこないので、母方の父にお金を工面してもらう。

 そのお金で買った薬のお陰で、娘は何とか持ち直し、家族は再び幸せを取り戻す。 そんな中、街中で見つけた例の若い泥棒娘に親父は「 少しでいいから返してくれっ 」(←何故、少しなの?)と叫んだ所、娘は逃げてしまい、その逃亡中に車にはねられ、記憶をなくしてしまう、、、

 一体、誰がその手術代なり、入院費なりを出したのかは不明だが、結局その親父が泥棒娘を家に連れてかえるものの、今度はその泥棒娘が奥さんと喧嘩をし、奥さんは出て行ってしまう、、、



 どうしようもない親父は、その泥棒娘を世話してやるものの、努めていた学校の校長のイジメに頭が来て、授業中に子供たちの目の前でその校長を殴って出て行ってしまう。 ちなみに、生徒たちからは、何故か拍手が、、、

 家で頭を抱える親父。 記憶のない少女を巡って、その友達、家族、警察、なんたらかんたらを巻き込んで話は進んでいく。 ←この辺が少し強引。



 最終的に話は、あの校長が実はこの泥棒娘の父親で、その校長の性的嫌がらせを避ける為に、車椅子に座る母親を残して家出をしてしまっていたことが判明。 そして、狂っていた校長が泥棒娘の母親を殺害し、ニュースになったことがきっかけで、その泥棒娘は親父の所に一緒に住むようになり、親父の奥さんが真新しいパソコンを買って、秘書の仕事を(庭先で)するようになった為に、家庭は安定した。 ちなみに、親父の仕事はどうなったのかは分からない。



 そして、最後に親父が「 これが俺の人生だ 」と締める。





 まあ、アフリカによくありがちな人生の一部分を、凝縮した様な映画ではあった。 お金を工面するのが大変な事、泥棒がいること、家族が家出すること、耐えきれず暴力で解決すること、何だかよくわからず、どうしているのか分からないが、とりあえずまだ生きていけること、、、

 それは、とても、とてもアフリカらしい、良く出来た映画ではあったと思う。 観る事が出来て、素直に「 良かった 」というのが、僕の正直な感想だ。 いや、本当に。

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by hitoshi280477 | 2006-02-21 18:13 | Burkina Faso

Burkina Faso vol.4 「 Qu'est-ce qu'on fait ?  」

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 「 さあ、どうしましょうか? 」

 ブルキナ・ファソの首都であるワガドゥーグゥー。 ガイドブックの評する所は「 首都にはみえない片田舎の街 」であり、旅行者の評する所は「 特に見所のない街 」だ。 そんな街に僕は土曜日に到着してしまい、そして月曜日から3日はかかると言われているガーナビザをここで取得しなくてはいけなかった。 それさえなければ、旅行者にとっては、きっと素通りしてしまう街ではあるのだ。 さあ、どうする?



 ワガは人口130万人を越える街とされている。 それは、ダカールの200万人よりは少なく、あのバマコでさえ100万人くらいなのだから、驚く事限りなしだ。 しかし、実際街に出てみると、その数字が本当にあっているのかどうかは疑わしい。

 街は他の何処の街よりも整然とした造りにはなっている。 他の国の都市でも、それ相応に街の区画整備はされているが、向こうとは違い、こちらは路上での販売が少ないし、屋台も少ないし、また人や物の数も少ないと思う。 だからこそ、街がどこかすっきりとした面持ちをしているように見えるのだ。 それは、まるで錯覚のようでもあるが、そのカラクリを確かめると、やはりワガのほうが街としての規模は小さいように思えてならなかった。



a0086274_18401386.jpg 街に出て他にすぐに気が付く事は、建物の外観だろう。 「 何処にそんな余裕とアイデアがあるのか? 」というのが率直な意見で、たとえそれが僕の中にあろう「 アフリカに対する偏見 」だろうと、実際にそう思ったのだった。 それ程、街の随所で見られる建物の外観は凝っていて、中にはかなりのハイセンスを伺わせているものもあった。 もちろん、もう何が何だか分からなくなってしまうほどヤケクソなのもあった。

 しかし、西アフリカ特有なのか、その外観を意識するというのは、人々の服装や髪型にもよく見受けられる事なので、それを考えると自然なのかもしれない。 ただ、もう一つ思う事は、「 それだけの財力がこの国にはあるのか? 」ということだった。

 アフリカの真ん中にあって、特に天然資源にも恵まれていないこの国が、一体どうやって建物そのものの機能とは関係のない外観になんかお金を使っているのだろうか? まあ、旧宗主国がフランスなことを考えれば、それも分からないでもないが、、、 これは、どちらかと言うと、物事の中身を重視する我が国とは違う点だと思う。 だからなのか?



a0086274_18403053.jpg 正直、暑くて散歩をする気にもなれなかったが、何日もそうしているわけにもいかない。 一緒にいた日本人のお陰で、仏語という世界で話されている言葉の中ではかなり難しいのをクリアー出来たので、それにすがるように街を歩いたりもした。 もちろん街自体が楽しいのなら、そんなことは気にせずとも良いのだが、何せワガの街はどこか ぱっ としないのである。

 

 それでも、街を歩いていると、やはり違う何かや、珍しい何かが目に入ってくる。

 特に印象に残っているのは、、、



a0086274_18404052.jpg 正直、やはり無いのだが、それでも特筆するなら、街角でみかけたペイントだろうか? 特に床屋さんのやつが面白くて、写真を撮らせてもらった。 もちろんお金を請求されるのだが、その辺は仏語を全く解らないフリをして、ニコニコして終わり。 何でもかんでもお金なのはこちらでも変わらないようだ。

 そして、ガーナ大使館のほうにある建物にあるペイントも面白かった。 何かのプロジェクトで描かれたのだろうか? 距離にして約500mくらいの壁に、様々なペイントが施してあって、そのどれもがなかなかユーモアと、チャームに富んでいた。 それに、色使いも巧く、見ていて何だか楽しい気分になる物が多かった。 さすがにここは公共の場とあって、誰もお金を請求しには来なかったが、、、



 街の中心部には大きなスーパーがあった。 それはとても珍しい事だ。 今まで、商店というものはたくさんあったが、スーパーという大規模なのはなかなか無かった。 別段、欲しいものは無いのだが、そういった文明が日常にある世界から来た人間にとって、行かない筈がなかった。

 売られている物と言えば、それは他の都市の大きなスーパーと何ら変わりはない、 ただ、ここがアフリカど真ん中の国にあるスーパーだと思うと、全ての品物がやけに高そうに見えてしまう。 察するに、アラブ人か誰かが経営をしているのだ。 店番をする役目の人は、皆アフリカ人でなく、そういったアラブ人の顔つきをしている人だったからだ。 中国人でないのが驚きだが、そうでなくて良かったとも思われる瞬間だ。 働いているアフリカ人も、どこかテキパキしているのが印象的だった。



 買い物客のほとんどは、西洋人であり、またお金持ちのアフリカ人だ。 その他はいない。 いるのは、お店で商品陳列係や、レジ係、それに警備の係のアフリカ人のみだ。 こんなスーパーの中でも、階級とは言わないが、経済格差というヤツがありありと見えてしまう。 まあ、特にアフリカではしょうがない話なのだが、、、

 何せ、「 made in africa 」なんてものは、この世にほとんど存在しておらず、こちらの人間は、左で買った物を、右に売っているだけなのだ。 それでは、大して富を産む事は出来ないのだ。 そうなると、やはり何かを造り出す人間、また国はどんどんお金持ちになっていくというこの世のカラクリが見えてくる、、、

 まあ、そんな事は考えてもキリが無いので、早速食べたいお菓子や飲みたいジュースを買う事にした。 そっちのほうが収益が上がり、よっぽど地元の人間にとっても良いからだ。 地元の人々に同情を示したところで、彼らの食いぶちには繋がらないのだから、、、 残念ながら、そういうものなのだ。



 ワガの街は暑かった。 特に日中は日差しがキツく、気温も上がる為に、いつも飲み物ばかりを飲んでいた。 300mlの炭酸飲料を一日に4本くらいは飲んでいた。 水も何かある度に、いや何もしていなくとも飲んでいた。

 日が沈んでも、気温はあまり下がることはなく、毎夜熱帯夜だった。 それに、蚊がとても多くて、ベッドに蚊帳があってもその蚊の飛び回る音で寝る事が出来なかったし、蚊帳に寄っかかった腕や足なんかは間違いなく刺されたりもしていた、、、

 そういう面では、ワガでの日々はつらかった、、、



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 ワガで良かったことと言えば、食事だ。 好き嫌いや、食わず嫌いがあるのにアフリカを旅している僕にとって、食事をとることは容易ではない。 人にそれを話せば、これまでもう何十カ国も旅をしているのが信じられない程、僕は食事の面でのワガママ、、、 というか苦手なモノは多い。 単に、変な物を食べたくないということもあるのだが。

 セネガルでは何とかしていたものの、マリに来てから食事は屋台で食べるようになった。 それも一緒にいる日本人の人に勧められての話だ。 何とも情けない話ではあるが、事実そうなのだ。 何せ、好き嫌い、食わず嫌い、その上お腹が強くはないのである。 全く困ったもんだ。 これに関しては、一緒に食事に行く人にも申し訳ないが、自分自身が一番頭に来る事でもある。



 食事は大抵80~100円くらいで一食分になる。 それが、屋台なら尚更安い。 約60~80円と言ったところだろうか? もちろん、あまりに安い物は避けてはいる。 探す時も、なるだけ客入りの多い所を探しては食べていた。

 何を食べているのかというと、まずはぶっかけ飯。 これは僕はあまり好きではない。 何せあまり好きではない魚をダシにして煮込んだトマトのスープを超大盛りのご飯にかけるのだ。 しかも、具は魚と玉ねぎのみが多い。 ちなみに、これはこの辺りでは超大衆食であり、ほとんどの地域で食べられる。 しかも、どこでも同じ味、、、

 それと似た様な料理で、同じ様にトマトベースのスープで炊いたご飯もある。 これはなかなか美味しくて、これの場合には肉と玉ねぎが具となっている。 辛いソースをかけて食べると、尚良し。 他には、トマトスパゲッティや少し酢の入ったサラダというのも、屋台やレストランで食べる事が出来るし、ケバブをサンドにした物もある。 そう言えば、どんぶり一杯くらいはあるヨーグルトもあって、あれはうまかった。

 まあ、ワガでは、それなりに選択肢があるので助かっていた。



 結局、ガーナビザが出来上がるまで、土曜日から数えて5泊もしてしまった。 日々、何をしていたかというと、そんなことばかりだ。 特に目立った「 収穫 」というものは無かったように思えるが、長旅というものは時としてそうなのだ。 ましてや、毎日「 観光、観光、観光っ!! 」などとやっていたらキリが無いし、そんな旅をしたいわけでもないし。 まあ、僕の考え方だが、、、

 しかし、不思議なもので、最初の頃は「 何もする事が無く、つまらない街 」と思っていたワガも、離れる時になると何だか愛着が湧いてしまって、去り難い気持ちになっていた。 日々、ただそこに居ただけだったのに、、、 もちろん屋台やレストランでの顔見知りが少しは出来たりはしていたものの、それ以上の関係はなかった。

 それなのに、そういう風に感じてしまうのは実に不思議だ。 まさかそんな風に思うようになる自分がいるということ自体、不思議でしょうがないくらい。

 それは同時に、また新しい街に行って、宿探しやら、食事の心配やらを、また一からやり直すことの面倒を知っているからなのかもしれないが、、、






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by hitoshi280477 | 2006-02-20 18:09 | Burkina Faso

Burkina Faso vol.3 「 エアコン完備なのだっ! 」

 持参したガイドブック推薦のバス会社に、時間や料金を下調べに行った。 ターミナルまでは、歩いて少しの距離だった。 街の交差点の間の前にあり、確かに便の良い所にあることを考えれば、それはそれで良かったのかもしれん。 しかし、バスそのものは、何とも言えないくらいのボロいバスだった。 そんなバスに一度乗車してしまったら、きっと道中ずっと壊れないことを願っていた事だろう、、、

 そんなことを、僕はエアコンの効いた、乗り心地の良いバスの中で思い出していた。

 結局、あのバス会社は使わず、たまたま見つけた他のバス会社のバスに乗る事にしたのだった、、、





 大通りを歩いていると、大きな建物の壁に、どうやらバス会社のような、運送会社のような宣伝がしてあった。 なんとなく、頭に ピンッ と来たので、そこのターミナルに入っていった。 入り口には警備員がいて、そこは大きな倉庫のようなターミナルような感じになっていた。 その内部を見ると、そこにバスはなかったものの、たくさんの荷物、特に段ボールものがあったが、その荷物の中にはショーケースやたくさんのバイクもあった。 さらに、ターミナルには独自食事スペースまであった。 ちなみに、ピザも食べれるようだった、、、

 窓口にて連れ合いの日本人が尋ねると、なんと先程のバス会社と同じ料金なのだ。 しかも、全車エアコン完備というから、信じられない。 その話を聞いた時には、僕は拳を ぐっ と握っていた、、、





 乗車してみると、それは何とも綺麗なバスではあった。 まず間違いなく今までのブラック・アフリカの中では一番の乗り心地だ。 片側に2席、反対側に3席と少し狭いものの、これだけ大きいバスが満員になることはなく、、、 というか、他の乗り合いのように、満席になるまで待つ必要はないのだっ!!

 バスは道中快適に進んだ。

 道路はそこそこ整備されていて、所々道路の端の部分が壊れてしまっている為に、減速して進んだが、それでも問題はなかった。 あまりに快適過ぎて連れの日本人の人と、「 ここはアフリカなんですか? 」とそんなことを言ったり、「 いや~、アフリカにいることを忘れてましたよっ 」などと話ていた。



 あまりに快適過ぎて、ついうたた寝をしたりしてしまった。 そんなことは今までなかったのだっ! 「 もう体力の限界です 」と誰かの引退宣言のような言葉が、体の内部から伝わってきて、それでやっと少し寝る事が出来るのが本当の所なのに、このバスではそれが、「 あまりに快適過ぎて、、、 」なのだっ!!

 かくして、何の問題も無いまま、バスは首都であるワガドゥーグゥーに到着した。 そして、びっくり。 体が疲れていないのだ! 今まで、どんな短距離でも体が疲れていない事なんてなかったのに、バスで5時間程移動したのにも関わらず、僕は全く疲れていなかった。 エアコン付きのバスの移動がそんなにも違いを産むとは、驚きだ。



 「 次は、一体いつ乗れるのだろうか? 」などと、へたれ旅行者である僕は思ってしまうのだった。 何故なら、もう移動には飽き飽きなのだから、、、






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by hitoshi280477 | 2006-02-19 18:07 | Burkina Faso

Burkina Faso vol.2 「 ボボ・デュラッソの見所 」

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 「 エッ もしかして、これ? 」

 、、、と、そう思うのは、よくあることと言えば、よくあることではあった。 勝手に期待しといてそんなことを言ってはいけないのは百も承知だが、やはりそう口にしてしまう時もあるのだ、、、 それはしょうがないだろう?

 ボボ・デュラッソには、有名な「 グランモスク 」がある。 それは、一応、ジェンネやトンブクトゥにあるスーダン様式で建てれたモスクではある。 もちろん、ずっと昔にサハラを交易路として使用していた頃の話だ。 だから、どこにでもあるモスクというよりは、「 ジェンネやトンブクトゥのような、、、 」などという特別な形容詞がついてしまうモノなのだ。



 「 いや~、もっと大きいものを想像していましたよ 」と、一緒にいた日本人旅行者に声をかけた。 どうやら彼も同意見のようではある。 しかも、僕はあの背の高い部分は、何故か三本あるものばかりと思っていたのだから、尚更不服がっていた。 勝手に期待しといてそれはないのだが、ただもっとすごいものを想像していたというのは、心の底から本当だ。

 ジェンネのグランモスクと確かに似て非なる外観はあるものの、やはり少しインパクトにかけるというか、それ以上に荘厳さに欠けていた。 なんだか、パッ と見てみて、感じる事は威厳がなく、、、



 僕はそういった宗教関連の建物を見る時に、不思議と感じる事があった。 それは、その建物が「 生きているかどうか 」ということだった。 そんなことをどうやって感じるのかというと、それはそこで感じる自分の直感も然ることながら、何よりもその建物が人々によって生かされているかということなのだろう。

 人々に敬われ、心の拠り所として信じられ、そして人々に何かを授けているような建物であれば、僕はいつもそこに何かを感じてはいたのだった。 よくよく考えれば、それは極自然なことと思われる。 人無くして、宗教は存在しないし。 人無くして、そういった建物は存在しないのだ。 それを思えば、僕の持っている宗教関連の建物に対する観念は間違っていないと思っている。





 しかし、ここではやはり何かに欠けていた。 始めのうちは、このモスクを見て、「 ああっ、何だ、、、 」と思っていたのは正直な気持ちだ。 しかし、辺りを歩きながら、しばし考えてみると、やはりこのモスクには何かが欠けているような気がしてならなかった。 それはまるで、気の抜けた炭酸飲料のような、カフェインのないコーヒーのような、、、 また、信念のない人のような気がした。

 辺りを見回すと、すぐ目の前に屋根だけがある集会所があった。 人々はそこにコザを敷いたりして、思い思いに過ごしている。 「 思い思いに、、、 」といっても、その大半はそこでゴロ寝を決め込んでいるだけなのである。 そう、何もしていないだけなのだ。 きっと時間がくれば、そこでいつものお祈りをするのだろうが、それ以上は何をする為にここにいるのか分からなかった。 もちろん、イスラム教徒にとってモスクが重要なのは、僕の様な生半んかな仏教徒にとってのお寺とは違い、百も承知なのだが、、、





 「 さて、どうしてよいものやら? 」

 自分の中で、消化不良をおかしているこの中途半端な気持ち、、、 



 とりあえず辺りをしばし歩いていると、近くにいた青年から声がかかってきた。 何か手にチケットのようなモノを持っている。 どうやら入場料なり、拝観料なりを請求しているようだ。

 「 お金がいるのか? 」 そんな馬鹿な話はない。 ただ外から見ているだけなのに、何故お金を払う必要があるのか? そう突っ込むと、彼はすぐに切り返してきて、「 中に入れるから、、、 」と言ってきた。

 冗談ではない。

 僕はいくらそれが可能だとしても、面白半分で、しかもお金を払えば入れてもらえるような宗教関連の建物には興味がないのだ。 しかも、今回はモスクなのだ。 イスラム教に対して、僕は多少なりは理解しているつもりだし、尊重をしているつもりだ。 それは、今まで出会った親切なイスラム教徒に対しての感謝の気持ちから来ているものだ。



 なのに、ここでは「 お金を払えば、中を見せてくれる? 」

 何たることだ。 彼が本当にイスラム教徒なのか、何なのかは知らないが、そんなことでどうする? 彼は宗教を売り物にしているのか? そんなことが許される宗教ではないと思うのだが? しかも、わざわざ自分で入場券を売り歩いているところが怪しい、、、



 とりあえず何だか腑に落ちないので、その話には取り合わなかった。

 しかし、気になっていたのは、そのお金と、それと引き換えにもらえる領収書だ。 彼曰く、お金を払えば、その領収書をくれるそうだが、、、 問題はそのお金の使い道だ。 もし仮に、お金を払ったとして、一体そのお金はどこに消えてしまうのか? 彼のポケットに入るのか?

 その辺の話がどうなのか、突っ込んで聞いてみると、彼は言った。



 「 モスクの修繕や、電気代、水道代に使われるんだっ 」



 なんて馬鹿げた話なのだろうか? 自分たちの宗教の中で、相当な重要性を占めるモスクの維持費を、通りすがりの一外国人観光客に要求しているのである。 信じられない。 信念も、プライドも、恥もないのだろうか? 一体、僕がどうしてそんなことにお金を使わなくてはならないのか?

 勘違いしてもらっては困る。 僕の持っているお金は、僕が一生懸命働いて、しかもそのほとんどを使わずに、長い間かけて貯めてきたものなのである。 その辺で、何もせずにゴロ寝をしていたり、外国人からお金を巻き上げて貯めたものではないのだ。 そんなに大事なお金を、どうして僕と全く関係のない事柄に使わなくてはならないのか?

 少しは考えて欲しいものだ。

 もちろん、彼らにそんな考えはない。 しかし、残念ながら、僕の考えの中にも、「 求めよ、さらば与えられん 」などという甘い考えは微塵もないのだ。 少しは自分たちで考えて、努力をして欲しいものだ。





 そんなやり取りをしばらくした後で、気が付いた。 「 だからなのだろう、、、 」と。

 僕の今まで見てきた宗教関連の建物の中で、その教徒たちだけでちゃんと賄われている所はとても輝いて見えた。 それは、もちろん外観だけの話ではなく、やはりそこに人々の「 思い 」が宿っているからなのだろうと思う。

 それら、「 生きている 」ものに比べると、ここのモスクが、残念ながら、霞んで見えてしまうのはしょうがないことなのかもしれない。 それは、その当事者の間の話なので、いくら僕がお金を積んだ所でしょうがない話だ。 というか、それ自体どうしようもない話だ。





 常日頃、「 人そのものは顔とその目に表われる 」と思っていたが、それと関連した様なことをここで学んだ気がする。 上っ面だけでは、物事は完成しないのだ。 その中に何かがあってこそ、それは本来以上に輝くのだと思った。

 人々が、いつかそういうことに気が付いて、自分たちの手で何とかして欲しいものではある。 僕は、見捨てているわけではなく、人々に期待しているのだ。 ただ、それだけなのだ、、、






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by hitoshi280477 | 2006-02-18 18:05 | Burkina Faso