このモアイ像、島内で確認されているのは1000体にのぼる。 現存しているだけでそんなにたくさんの数のモアイが存在している割には、モアイにはいくつかの謎があるのだ、、、 「 ラノ・ララク 」 モアイの名産地であるこの山では、今でも切り出し途中のモアイ像を見ることが出来る。 なので、実際にモアイがどのような過程を経て世に産み出されてきたのかがよく分かる。 少し離れた所からでも確認出来るその切り出し山は、大きい割に、その石の成分は柔らかいようで、実際触ってみるとすぐに欠けてしまう程だ。 西暦700年頃から始められたと言われるモアイ像製作。 当時使っていた道具は黒曜石と玄武石で、それら硬い石を使ってモアイを削りだしていたそうだが、それらの道具で10m級のモアイをこしらえるとなると30人掛かりで一年以上かかるそうだ。 切り出し中のモアイを見るのは非常に興味深い。 山の一部であるモアイたちは、まだ生命が吹き込まれる前なので、ちゃんと出来上がったモアイを見た時の様などこか不思議な感じというか、神秘的な印象を受ける事はない。 ここには、まだちゃんとした形にもなっていないが、もし仮に完成していたら最大のモアイになっていただろうと言われている未完成の超巨大なモアイ像がある。 20mを超え、その体重は数十トンにもなると言われている。 ただ、その分、雨と風による浸食はきっと避けられない事だろう。 その素材の脆さから、運搬途中に頭がもげてしまい、そのまま放置されてしまった無惨なモアイの数も多い。 それに、特に風と雨が強いこの島では、モアイは永遠のものではないことだろうと思われる。 少し離れた場所から切り出し途中のモアイや、運搬途中のモアイを見ると何だか不思議な感じを受ける。 正直、モアイが産み出される所を目にしない方が、モアイの神秘的な印象だけ心に残るから良いとも思うが、まだ制作途中のモアイや土に埋もれているモアイたちが不思議に見えるのもこれまた事実なのである。 「 プナ・パウ 」 「 プカオ 」を切り出した小高い丘のような所。 モアイ像には、1300年頃から頭の上に帽子のように見えるものを載せるようになった。 これは実は当時の人々がまげを結っていたということから、頭の上にプカオを載せるようになったとか? 現存しているモアイの中で、実際にプカオを載っけているのは極僅か。 素材は赤色凝灰岩と呼ばれる赤色 scoria で造られている。 実際目にしてみると、確かに赤みがかっている。 ただ、その大きさはこれまた大きい。 人の背丈よりも大きいものがゴロゴロしていて、島内のほぼ中心部にあるこの場所から島の端っこまで運んだといのは大変な苦労だ。 この小高い丘の上からは、きっと転がり落ちて、運搬途中に壊れてしまったものも多々ある事だろう。 「 アフ・トンガリキ 」 ここにはイースター島最大のアフ、すなわち「 祭壇 」がある。 その祭壇の上に15体にもなるモアイ像が建ち並んでいる。 ほとんどのモアイ像たちが「 フリ・モアイ 」と呼ばれる部族間の争いの中で倒された為に、現存するモアイのほとんどは無惨にも倒れたままだ。 しかし、ここアフ・トンガリキのモアイたちは、91~95年にかけて日本の某クレーン会社と某建設会社の協力もあって、今こうして堂々と立っているのである。 ここのモアイたちは、その全体風景も然ることながら、一つ一つもまた威風堂々としたものがある。 もちろんこんな大きな石像が15体も並んでいれば当たり前かもしれないのだが、ただその一つ一つを注視すれば、モアイに宿る何かを感じることが出来る。 比較的大きなモアイ像、彼らが村に住む部族の人々の心の中に、守護神として存在していたことだろう。 「 アフ・ナウナウ 」 アナケア・ビーチというのが島の西北にある。 綺麗な白浜と椰子の木を背景に、モアイたちが数体存在している。 ここのモアイは一見すると、やけに小綺麗な印象を僕は受けた。 その容姿があまりにも綺麗すぎるので、まるで最近造られたかのような気がしてならなかったし、その分雰囲気に欠けるような感じがしたが、実はここのモアイたちはこの砂浜に埋もれていた為に保存状態が良かったとか? 7体あるうちの5体はほぼ完全な形で修復されていて、背中の微妙な線もよく見える。 そのうちの4体にはまだ角もしっかりとしているプカオも載っている。 残りの二体は見るも無惨な形となってしまっている。 それが、モアイ倒し戦争の結果なのである。 しかし、首なしモアイや、下半身だけのモアイは何とも言えない、、、 少し離れた砂丘からその様子を見ると、まるで何処かのテーマパークか五つ星ホテルのプライベートビーチに用意された感じを受けるが、ここのモアイたちが一番自然に近いのかもしれない。 まあ、その綺麗な砂浜と、透き通った蒼い海、それに計画的に植えられた椰子の木に囲まれたモアイ像たちを見るのも悪くはない、、、 「 アフ・コテリク 」 現存するモアイの中で唯一「 目のあるモアイ 」として有名なのが、ここアフ・コテリクのモアイだ。 他にもモアイが数体近くに並んでいるのだが、やはり目のあるモアイは何処か違うのである。 モアイの目は赤色凝灰岩という黒目に当る部分と、珊瑚を砕いて造った白い部分からなっている。 今では、本物は博物館に保管されているのみであり、他のモアイたちには目がない。 正直目がないのが当たり前だと思っていたのだが、本当は目が入っている筈なのである。 目が入っていると、かなり奇妙な感じと滑稽な感じがするが、実はそこにはちゃんとした理由があるのだ、、、 一般的に、モアイ像は祖先の姿を形にしたものであると言われているが、モアイ像を立てた理由というのは、部族の力を示すものとされているが、きっと村やその部族を守る役目があったのだろうとも言われている。 というのも、説に上がっているのは「 マナ 」と呼ばれる神通力を目から発していたとされている。 確かに、その目を見れば、何処か不思議な感じを受けずにはいられない。 そして、その目を見る人々が口々に「 目からビームでも出そうだね、、、 」と思う事だろうが、実際当時の人々にはそのように信じられていたようなのである。 実に不思議でユニークなモアイの存在ではある。 島にはまだまだたくさんのモアイ像が存在している。 現存するものは1000体以上と言われる中で、実際に当時の姿形をしているものはかなり少ない。 それに運搬途中で壊れてしまったものや、交通の面からアクセスしにくい所、唯一海に面して立っているもの、女性の形に近いもの、祭壇がペルーのインカ文明の影響を受けたかのようにぴっちりと石組みが成されているもの、、、 実に様々ではある。 ちなみに空港でも、トランジットの乗客用にモアイが一体置かれている。 、、、ポリネシアから渡って来た人々は、それらポリネシアの島々で見られるように酋長を中心とした部族社会があり、その社会の中で「 マラエ 」と呼ばれる祭壇を持っていた。 イースター島では、「 アフ 」と呼ばれる祭壇を同じ様に持っていたが、部族間の力を示す為に造っていたが、それに拍車がかかり、更に力を顕著に示すように人形の石像を造る様になったと言われている。 ポリネシアでは木像が一般的だったが、風が強いこの島では石が適していたからと考えられている。 結局、モアイが何の為に造られたのかというのは、そういった部族間の力を示すとか祖先や神、王をかたどったと言われているが、祖先の像というのが一般的になったようだ。 そして、それらモアイ像たちが海を背にして立っているのは、村を守る為と言われている。 ラノ・ララクから切り出され、島の色んな部分に運搬され、目から神通力を出し、村の住民を守ると言われているモアイ像、、、 様々な言い伝えや憶測、それに科学の力を持って研究・調査が勧められて入るが、最大の謎はその運搬方法だ。 というのも、モアイは小さいものでも1トンはする。 大きいものでは数十トンもあるのだから。 今現在、説として有力なのは、、、 1)たくさんの木々を並べて、その上を転がして行くという方法。 2)顔をした状態で木のソリに載せ、そして並べた木々の上を転がすという方法。 3)立たせたまま、腰の所にロープを付けて左右交互に引っ張る方法。 4)木のソリに載せ、それを公園のブランコのような装置を使って運ぶ方法。 実際に実験も行われたそうで、4番が有力とされつつも、2番の方法が一番早くことが出来たそうなのである。 3番の方法は、島の伝説による「 モアイは一人で歩いた 」というところからヒントを得ているそうだ。 僕としては、モアイが一人で歩いたという説が良いのだが、、、 眠る巨人「 モアイ 」。 その存在感はその大きさのせいでだけでなく、大きい。 人々がモアイを造る事によってその当時に何を思い、何を願っていたかを知る良しもないが、こうして威風堂々と建ち並ぶモアイを見れば、なんとなく、、、 それとなく、、、 Copyright (C) HITOSHI KITAMURA All Rights Reserved.
by hitoshi280477
| 2005-11-29 07:30
| Easter Island
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