Sri Lanka vol.1 「 深夜の右往左往 」

 21:15 バンコク発  → 23:30 コロンボ着

 それがバンコクのカオサンロードにある旅行代理店で買った航空券のフライトスケジュールだった。

 その航空券がいくらになるのかだけしか頭になかったので、あまり到着時間のことを考えずに買ってしまった。

 そして、それが結局、いくら旅をしていても嫌な「 初めての地への深夜着 」になってしまったのだった、、、



 荷物を拾い、税関を通り抜けると、そこは驚く程あっさりとした到着ロビーだった。 学校の体育館の大きさの半分もないくらいのスペースには、お決まりの両替所と、観光案内所が設けてあった。 そのあまりにも狭いスペースに、「 プランA 」を変更しなければならなくなってしまった。 時計を見ると、既に日付は変わっていた、、、

 計画した「 プランA 」は、何てことはなく、空港のロビーで夜明かしをするということだ。 そんなことは今まで数えきれない程やってきた。 バンコクでも、イスタンブールでも、ソウルでも、、、 空港の待ち合いロビー( 特に出発ロビー )は大概何処にもたくさんの椅子が並べてあって、特に大きな空港ではそれなりの数の旅行者が時間を乗り継ぎの時間を潰したり、深夜・早朝のフライトに備えていたりするものだからだ。

 が、しかし、、、 ここコロンボの空港に到着してやっと気がついた、僕の「 プランA 」は明らかに無理だった。 というのも、ここの到着ロビーには椅子が数えても8個しかないのだ。 そして、出発ロビーは、一度到着ロビーから外へ空港の建物を出なくてはならないようで、そうすると、中には戻って来れなくなる可能性が高いことも明白だった。  が~ん、、、



 「 プランB 」は、空港案内所にて格安の宿を紹介してもらうことだった。

 インド訛りの英語で聞き取りハッキリ言ってづらいが、係の者は親切だったが、、、 しかし、その紹介してもらった宿の料金は頂けない。 一泊$15。 朝食付きだというが、たった一泊の為に$15を支払うつもりはない。 そんなに高い宿は、しばらく記憶にない。 僕の中で一泊$15以上と言ったら、欧米諸国以外では経験のないことだ。

 それにもし仮に、その値段で今晩を凌いだとしても、そのままチェックアウトするのは間違いない。 二泊なんてとても無理なことだ。 とすると、朝までのたかだが数時間の為に、僕は$15も使うはめになってしまう、、、

 なので、却下。



 「 プランC 」。 真夜中のこの時間に気が引けるが、ガイドブックのコピーを持参してるので、実はそれとなく宿のメドを立てていた。 しかし、そこに今から直接向かうのは不確かで危険なので、まずは電話をかけることにした。

 両替所で小銭を仕入れ、くたびれた感じのする電話で試みるが、、、 うまく繋がらない。 使い方が間違っているとは思えないが、とにかく何度やってみても繋がらないのだ。 もう一つの古ぼけた電話で再度試みるも、こちらはコインさえ受け付けないときた。

 困り果てて、案内所に話をすると、そこの電話を貸してくれた。 早速、電話をかけると、今度はいとも簡単に繋がり始めた。 そして、やはりインド訛りの英語である、、、



 何とか意思の疎通がとれ、「 これから行くので、その空いているシングルルームを HITOSHI という日本人旅行者のためにとって置いてくれ、、、 一時間以内にはそちらに到着すると思う、、、 」と伝えることが出来た筈だ。

 、、筈なのだが、とても信用は出来ないので、その案内所の係の人にかわってもらいこちらの言葉で同じことを言ってもらうことにした。

 かくして、僕は今晩の寝床を確保出来たようだった、、、





 1500ルピー(=約1600円)。 空港からコロンボまで、約一時間の道のりを深夜タクシーで行くのだからこのくらいの出費はきっと仕方のないことなのだろう。 しかし、それにしても高い。 この先が思いやられるが、日本車タクシーだったのと、思いのほか道が綺麗そうだったので良しとすることにした。

 コロンボまでは約1時間。 どうやらドライバーはあまりコロンボを詳しくしらないようで、僕の行きたい宿まではあちこちで人に尋ねていた。 薄暗い車の室内灯の下、ガイドブックのコピーを頼りに僕らは辺りをぐるぐると走っていた。 そして、しばらく走り回った後に、やっとの思いで宿のある道路に着いた。

 その道路が、真っ暗だったことに僕は嫌な予感がした、、、

 「 やはり 」である。 アテにしていた宿の看板は消えていて、そのせいでその宿自体を見つけるのも苦労したほどだった。 勝手に門を開け、ガラス張りの正面玄関を叩いてみるも、誰もいないようだった。

 貧相で頼りなさそうなブザーを押してみるも、何の音もしない。 わざわざ空港から予約の電話を入れて、これから向かうこと、約一時間程で到着することを伝えたのは何だったのか? わざわざ案内所の係の者に現地の言葉で伝えてもらったのは何だったのか?

 そう「 やはり 」なのだ。

 時刻は午前1時に近かった、、、





 すぐ隣の「 YMCA 」に向かうことにした。 何はともあれ、今晩の寝床を探さなくてはならないのだ。 薄暗くて近寄り難いYMCAの玄関には、二人の人影が見えた。 一人は宿の番人、もう一人は怪しい風体の日本人旅行者だった。

 実は空港で見かけたこの怪しい風体の男、僕は近づかないようにしていた。 遠目で見ても明らかに日本人なのだが、頭はドレッド、髭はインドの修行僧サドゥーを思わせ、衣服はお約束のボロボロだ。 僕なんかは、入国審査で物言われぬ様に一応ポロシャツを選んでいるのに、、、 しかも、ここスリランカでは、「 葉っぱ 」いわゆる「 マリファナ 」などの所持者は「 極刑=死刑 」なのだ。

 そんなことから、僕はその男と関わらないようにしていた。 見た目で人を判断してはいけないが、すべき時は必要だと思う。



 とにかく、今夜の宿がない。 二人とも。

 話あった結果、二人とも彼の乗ってきたタクシーで宿探しをすることになった。 YMCAの宿番に聞くと、この近くにある駅前には数件の格安宿があるという。 タクシーの親父が勧める宿もあったが、そこは少々値がはるので、まずは駅前で探してみることにした。 この際何でも良いのだ。 一人ではないし、どうせ朝には新しい宿を探しに出るのだから、、、





 駅前は、深夜とはいえ少しの人出があった。 もちろんそういう人たちだろう。 行くアテもなく彷徨うその人影が少し不気味に写った。 その光の発信源となる簡素な食堂は、人が入っていないにもかかわらずまだ営業しているようだった。

 見つけた宿をノックすると、案外すぐに人が出て来た。 しかし、部屋はないと言う。 駅の目の前の通りだけに、ここに宿をとれれば良かったのだが、、、 それは誰しも同じようだった。



 辺りを見回していると、隣に「 HOTEL 」と書かれた看板のある食堂を見つけた。

 その食堂はまだ営業しているんだか、これから店終いをするんだかで、空っぽだった。 ともかく今晩の部屋を見つけなくてはならないので、一応全ての可能性にかけてみる必要があった。

 が、しかし。 しかし、だ。 その食堂の店員に尋ねるも、あまりに無反応だ。 やる気がないというか、全く取り合ってもらえない。 変な感じだ、、、 もう営業は終了しているのか? それとも今からでは面倒なのだろうか?? 



 そこで「 あっ 」と思い出した。

 そうなのだ。 ここスリランカでは、「 HOTEL 」は宿だけでなく、レストランを意味しているということを、、、 まだ手元にガイドブックそのものがあった時に、そのことを読んだことを思い出した。 「 な~んだっ。 これのことか。 変なの~っ 」と笑ってしまった。 笑っている場合ではにのに、、、



 結局、僕らはタクシーの親父の強く勧める宿に連れて行かれることになった。 もう他に選択肢がないのだから、しょうがない。 それに二人でいれば何かあっても何とかなるだろうし、宿代も安くつく筈、、、

 親父に連れてこられた宿は、あの観光案内所で紹介された所だった。 僕のガイドブックのコピーにも、「 政府観光局のお墨付き 」とある。 少しお金を積めばそう書いてくれそうなことではあるが、一応ガイドブックと政府観光局の紹介とあって安心した。 その分、値段もはったが、、、



結局、一人当り1100ルピー(=約1200円)となった。 時刻はもう2時近かった。 後数時間もすれば日が昇る程なので、正直僕は渋ったが、今の状況ではしょうがないことだった。 疲れていたことと、眠かったこともあったので、ここに落ち着くことになったのだった、、、

 よほどその宿泊料金に見合う部屋ではなかったが、とりあえず数時間後にやってくる朝に備えて眠ることにした。 ちょうどお尻の辺りが凹む感じになるベッドだったが、バンコクから深夜にここまで辺りを右往左往してきた疲れもあって、僕の体はそのくたびれたベッドに入ると、すぐに一体化してしまった、、、

 旅は順調なり、、、





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by hitoshi280477 | 2005-08-15 18:06 | Sri Lanka
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